いわなの巡礼

いろんなことに巡礼しゃうことをモットーにスビリチュアルなこと見つけと人とのふれあいを見つけていきます。

こんなことってあるんですね、以心伝心?

2006-09-29 23:04:19 | Weblog
今日、ともちゃんから秋みつけの便りが来ました。おひさしぶり、ともちん(彼女の本名は智美というのですが私はトモチャンがなまりトモチンと呼んでるわけです)。

封筒を開けるとさわやかな秋風がフアーット部屋のなかに舞い込んだわけです。でもうれしいモンですね、手紙というのは相手のために手間暇かけるというそのアナログさがなんともあたたかいですよね。今の世の中手間暇かけるってことは子育てとも関連する重要なことかもしれません。やはりロハスですかね。

彼女の笑顔が本当に思い浮かべられるのが不思議です。テニスに一生懸命打ち込んでいたかわいい女の子が今では二児のママだなんて。そして不思議な事がもうひとつ、だって先日21日に彼女の事ブログに書き込んだとこだったんですよ、それも秋見つけの金木犀のことでね。
そしたら一週間後に金木犀便りがきたんですよね、もちろんこのブログのことは誰にもいってなかったし、以心伝心てこんなこというのかなー。

季節の移り変わりを日ごろご無沙汰な二人がベクトルを同じにして感じてたなんてフーム!私にとってちょっと幸せな話なんですよね。今日は小さな幸せが部屋に舞い降りたというお話です。

でも彼女、今日の手紙のなかで夕方の香る金木犀がいいなんていってたけど確か以前は朝のイメージと言ってたと思うんだけどなー。もちろん私は帳の下りるころの夕方派ですよ。あの香りをかぐときっていろんな場面の思い出が走馬灯のように出てくるんです、もちろんほのぼのとしたいい思い出ばかりですよ。

今日もう一度言っちゃいます、【幸せは過去の中にある】なーんてね

玉ちゃんが原因不明の爆裂寸前

2006-09-27 20:57:50 | Weblog
来週の月曜日、手術です。
遊び過ぎがたたったのかなあー。ヘヘヘ、テニスと自転車の事ですよ

睾丸の右の周りが膨れてきて大きく握りこぶしぐらいになりました。自転車の乗り過ぎ?でもいままで何十年ものっていたもんなあー。なんか重くてうっとうしいです、痛みは全然なく日常生活は何等支障ありません。

実は六月ごろお風呂の中でふと我が物を見たんですね、そしたらヒエーッ、デツケー!!その時はあせりました。そして翌日済生会病院へ行ったら岩佐先生からのご宣告、インノウ水腫とのこと。まあ、命に別状ナイとの事なので今日まで様子見していました。でも昨日再診の結果切開搾取とのこと、オオッーいよいよ玉ちゃんなくなるのか?半男になってしまうのか?いやいやもっと大事な人類種の保存活動に参加できないのか?早とちりの私はまたまた焦りましたがよく話しを聞けば玉は残るとのこと。インポにもならないとのこと。あー、良かった。

そんな心配を横目に同行した家内はクスクス笑うし,挙句の果てはもう役立たずですからどうとでもしてくださいとも言ってたなあ。若い美人の看護婦さんには私の見事に縮こまっている一物をつままれ再診の時は冷や汗ダクダクでした。

昨日は一週間の入院、一時間の手術、下半身麻酔とか色々説明をうけて帰りました。

でも思い当たるふしがないんですよね、この病気。使いすぎっ訳でもないしどうやら今の医学では原因不明らしいです。

でも今の心境は ≪神様がくれた一週間のお休み≫ぐらいに思っています、遺言書く必要もなさそうですし、まあゆっくり本でも読もうーっかなあってとこです。お気楽ですよね。

あっ、そうそう手術前には陰毛をカットするそうです、楽しみです
キャーッ変態!!

金木犀と秋見つけとともちゃん

2006-09-21 05:40:45 | Weblog
今年もまた見つけました、私にとっての小さな秋見つけ。

それはやはり昨日バイクで会社帰りの途中、突然やってきました。
東郷という小さな町並みがあり、そこは道の真ん中に用水路が流れ結構昭和時代的で好きな場所なんです。少し遠周りなんですが会社の往き返りも好んで通るところです。
夕闇のなか“ファーッ”ときました。いい匂い!!そう金木犀の香りです。

一日の仕事も終え、好きな町並みを好きなバイクでゆっくり走っていたところに匂うあの香りはアレーッ?こんなところにって感じでした。

まだかなまだかなと無意識の中に思っているこの時期、そういえば昨日の朝はこの秋一番に霧でまっしろになって秋めいたなあと思ったところだったんですね。

以前、私のテニスの友人、ともちゃんとどちらが早く金木犀のにおいを嗅ぐか?
秋見つけ一番競争をした事がありました。お互いメールで知らせあったものです。
なんかこういうことが思い出されこの甘い香りはほのぼのとした気持ちにさせてくれます。時間帯もいいじゃないですか、夕闇のなかとばりの降りる前にフンワリ
なんてね。でも彼女、ともチャンは金木犀は朝の香りが好きだっていってたなー。

こんなやり取りをした彼女も今では二児の母親、あの頃の小さな秋見つけおぼえているのでしょうか。



静かな朝はコーヒーで

2006-09-20 06:58:00 | Weblog
今ね、家の周りは真っ白。今年はじめて霧の中です、山の中なので秋が来て晴れる日には必ずなる現象です。外気温は10度ぐらいですかね。
そして朝のコーヒーがおいしい季節ですね。

自転車通勤も夜の夕暮れも早くなりそろそろ止めようかなと思っています。その代わり今日は原付自転車で行ってみようかな。原付といってもストマジといって遊び心がある50CCバイクなんです。会社へは乗って言ったこと無いのですが今日当たり秋のさわやかな冷気の中を風きって走ってみます。

そろそろ彼岸花がみつかりそうですよ。
また今年も小さな秋見つけしたいですね。

レベッカはいまだに興奮剤なのだ!

2006-09-16 22:33:18 | Weblog
今日レベッカのライブ参戦!

わが家のインターネツト接続環境が最近ブロードバンド化しました。CATV開通に伴い光ファイバーとなりました。
ヒャッホー、早いよー、だつてダウンタイムで100MBpsなんですよ。今までISDNでたしか9500KBpsだったと思うけど。これって何倍?約一万五百倍?まあ、計算はそれくらいにして今日のお話です。

早速かねがね見たいと思っていた動画配信を検索してたどり着きました。有るじゃん、音楽パートであの21年前のレベツカのファーストライブコンサートが。
1985.12.25の渋谷公会堂でのやつです。と言うのもこれには行ってないのですがこのライブの映像録画をやはり20年前に名古屋の熱田区のとある喫茶店で見て
いてノツコの凄い突き抜けたエネルギーのとりこになり食い入るように見ていた自分がいまだに忘れられなかったのです。

そして今日参戦です、あの時と同じライブがインターネツトで見れました。日常生活では思いつきり突き抜けることつてなかなか無いですよね、でもあのときのレベッカは完璧完全にスパークしていました。ズーットもう一度あんなステージが見たいと思っていたのです。あのときのアーティストとしての躍動感と恍惚感表現はいまだ懐かしく心くすぐるものです。その当時の仕事と生活がこのライブ映像とともに思い出され、これって凄いグループだったんだっていまさらながらです。

そしてそのあと今日雨降りなんですが私は何故か無性に無茶したくてロードレーサーに乗り小雨の中を思いっきり走りました。
久しぶりにアドレナリンが逆流したようです、途中乗っていても疲れがほとんど感じられず快楽脳内ホルモンが分泌されたようです。不思議ですよね、こんな事があるのですね。そしてあの名曲(私はひそかに思っているんですが)♪フレンズ♪を雨の中で口ずさんでいる自分が居たのです。フーム

私はテレビが好きでなく映像文化に疎いのですが今日動画配信をみてオーッ、スゲーって感じでした。心の奥に引っかかっていた宝ものがスーッと現れたようでそれがまた手に出来たって感じですかね。

音楽は興奮剤にもなるんですね、それも時代を超えてねもちろんコノライブのCDはもってますよ。

でもどうやら私だけではないようです。
昨日なんか家内も動画でTRF(ちょっとふるいのですが)ライブ版をみて彼女いわく今の音楽タレントのダンスの原点はこのグループにあるんだと
鼻息も荒く興奮していましたよ。そしてこれまた彼女いわく最近売り出し中の歌手幸田なんとかの振り付けも所詮二番煎じだとしたり顔でした

まあ、まあそこまで言う事は無いでしょうにね

幸せは過ぎ去りし過去の中に

2006-09-09 21:14:48 | Weblog
美方五胡をグルリ探訪。そうです、今日は好天快晴の元、湖と海を横目に自転車で一周でした。
でも今日の愛車は当初ボタリングのつもりだったので18インヂりたたみバイクだったので少々クルシー!イタリアンカラーのイエローが気に入ってるのですが長距離にはどーもです。
走りを楽しむより湖岸の寂れた古い漁村とかをブラリのつもりだったのが途中コースどりの関係そしてあまりに車に合わず走りやすく整備されているのでついついロードレーサー的走りになってしまいました。

途中まだ日本にこんなに昭和時代的家並みが有るんだとうれしくなる懐かしい潮騒の村がありこれまたサイクルの醍醐味でした。
日中気温も34度と暑く過ぎ行く夏を堪能(あのー、私は暑さに滅法強く太陽大好き人間なんです。もちろんわが家にはいまだにクーラーは有りません

日向湖は明るくキラキラでした、水月湖は走りやすく車に一台も会わずうれしー!
もちろん他の湖も微笑んでくれました。

日向村に昔高倉健の映画で有名になった海と湖を跨ぐ面白い石アーチの橋があるのですが数年前に改装架け替えされて趣がなくなっていました、えーっと名前は忘れちゃいました。あっ、そうそう日向橋です。

それと特筆すべきは古いノスタルジックな村は早瀬です、ここはいい!!、なまこ壁あり、格子戸のある古い家並み、お寺あり、石垣のある旧家あり、そして家の路地から真っ青な海がみえて今にもランニングを着た半ズボンの男の子が飛び出してきそうな懐かしい一部昭和時代がそのままの漁村でした。ハイテクの自転車てローテクな家並み探訪、これがいいんですね。

ひょっとすると私はいまだにふるさと探しをしているのかも知れません。

昨日読んだ本のなかの言葉幸せは過ぎ去りし過去の中にある




自転車、夕やけ、積乱雲のリストラ記念日

2006-09-08 22:52:40 | Weblog
今日は週末、これってサラリーマンにとってささやかな幸せですよね。
今週はアメ降りゴンゴンでまだ二回しかサイクル通勤してません、オーッ、晴れそうじやん。朝から満を持して飛び出しました。

そして仕事帰りヒェーッ、スッゲー夕焼け。もうこんなとき夕日を身体いっぱい浴びて汗かくのがイワナ流です。稲刈りの済んだ田んぼのあぜ舗装道をおもいっきり走りましたよ。車と会わず稲穂の匂いがとってもロハスです。でもあまりに夕日が大きくクツキリ沈み込むので途中例の場所ね、あの県立図書館の芝生の高台で落日に見とれていました。西に沈む夕日はあまりに凄く東にまだ湧き上がっている積乱雲を赤々と染め返していました、これも久しぶりの景観でした。

こんな時間こんな事に感心して無心に夕日とか雲とかを見ていることってどうなんでしょうね?滅私奉公の会社サラリーマンの感覚からはずれてるのかもしれません。今日はおりしも一年前社長からリストラ勧告を受けた記念日です。私が社長でもこんな人間要らないかも。

ところでみなさんはどうでしょう?あの当たり一面朱に染める大きな夕日とニョキニョキの積乱雲ってなんか勇気が湧いてきませんか?ましてや花金ですよね、このあとはもー、シャワーを浴びてのビールが最高!。みなさん異論ありませんよね?

太陽はまた明日も必ず上がるもんですね。

親心もたまには揺れます

2006-09-05 21:00:39 | Weblog
八月のお盆過ぎに息子が一時帰郷してきました、彼はそれまでスペイン、ポルトガルとかに旅していたんですが。
漸く就職も決めたとのこと本当に子供はいつまでも親に心配かけますね。まあ、そういうこともあり次はいつ顔見せれるか解らないので里帰りとのこと。

旅の話を楽しそうに語る息子を見ていると私にはとてもまねできそうにも有りません。一人で何ヶ月も放浪、それも外国の田舎町を一人さまようとのこと、なんなんでしょうね。自由ってことはすばらしい、旅もすばらしい、でも将来のことを考えずに好き勝手しているとどこかで跳ね返りを食らうよと言うのが関の山でした。

でもよくよく考えてみると彼の体験は全て自分で切り開いてきた事であるし、話の中の大胆さはすごーくうらやましくもありました。
常日頃自分で自分の限界を作るなと言ってきた私ですが知らず知らずのうちに日本のそして自分の体験内での常識を物差しにして息子に接していたようです。

安定な幸せを求める親心ってひょっとして身勝手な自己保身そして親のエゴかもしれません。でもね、こういうことって息子には言えないですよね。

やはり口をついて出る言葉はしっかり働いて早く一人前?になりなさい。陳腐な言葉しかいえない自分が歯がゆくもありました。

私も近々スペインのサンチャゴ巡礼の道へ行く予定ですが彼みたいに一人で行けるのか今から心配しています、これって息子はもう私を追い越してますよね。

格子戸のある家並みが大好き

2006-09-02 06:09:08 | Weblog
小浜の海に行ってきました、今はもう誰もいない海。夏と秋が同居している不思議な風の中の時間です。日差しはつよいけれど木陰の風はひんやりしていましたよ。

海岸通りから一歩中に入ったとおりは古い家並みが続きます。ダーレも歩いていない昼下がりの午後、昭和の時代にタイムスリツプしてきました。

格子戸の中から聞こえる生活音がなんか幼い頃の思い出をオーバーラップさせてくれます。古町三丁目界隈は本当に静かでいつ行っても私にとって郷愁を感じさせてくれます。私のふるさと、生まれ育ったところが鯖江市の弁天町という旧色町だったので家並みがそっくりであの格子戸の家並みが私を呼び込むのですね。

今まで古い町並みをあちこち探訪してきたわけが解りました、どうやらあの格子戸のある家並みがトラウマというかデジャブとでもいうのかなんか心の奥のとびらを
開き、幼い頃の経済的に満たされてい無いけれど十分回りから愛されていたなつかしい子供時代に引き込むようです。これって昭和時代の男の単なる懐古主義?