自分が孤独死するかもと、考えたことのある方はいらっしゃいますか?
私は、具体的に孤独死するとは思っていませんし、そうなるんじゃないかなんて思っている人はいませんよね。
しかし・・
20代~30代で現在独身、そな方が私の本を読んでこう言うのです。
「この本を読んで他人事ではないと思いました、このままいけば僕は、孤独死すると思っていましたから・・」
”思っていた”と言う事は、孤独死と言うものすでに認識していたということなんですね。
これは、驚きです。
自分自身が孤独死するんではないかと30代で認識している。
それなのに、それを漂々と私に話すのです。
まるで、孤独死なんて大した事ではなかのように。
さらに驚くことには、このように”孤独死”という言葉の意味を知ってか知らずか分かりませんが、自分に孤独死の可能性があるという若者がとても大勢いるという事なのです。
職業も様々、年齢も様々、男女も様々で偏った環境に有る訳でもない若者が簡単にそんな事を口に出すのです。
このような若者の意見を、私は何度も聞きました。
20代~30代のうちから人生のしまい方に諦めていると言う事か・・
この先何十年も生きて行く過程で色々な考え方になるはずなのに・・
もうすでに、”自分は孤独死するだろう”とイメージを描いてしまっている。
そして、驚いている私の顔を見ても、平然とした顔で私に微笑み返すのです。
そして彼はこう言います。
「僕の場合孤独死する可能性は、非常に高いと思いますよ」
「しかし、どうして今から数十年後、自分が孤独死するんじゃないかと思うのですか?」
「だって、僕みたいなタイプはおそらく結婚もできないと思いますし、仕事もずっと続けるつもりもない、趣味はパソコンで運動は嫌いなんですよ、そんな生活していたらずっと一人で住んでいると想像つきますよ」
「え・・、そこまで自分の事がわかっているんだったら、変えようとすればいいんじゃないですか?」
「どうして変えなくてはいけないんですか?僕はこの生活をしていくと独身の単身者として老後を迎えるでしょうとは言いましたが、それが嫌で変えたいとは一言も言っていませんよ」
「そうか・・・、あなたは今充実していてそれが納得の出来る生き方なのですね」
「納得とは言いません、そりゃ僕にももっと希望はありますよ、しかし希望と現実は違いますからね」
「希望をもっと追求したいと思う気持はないのでしょうか?」
「無理でしょうね、自分の性格や考えを総合すると世間の考え方と少しずれていますから」
「どうして、ずれていると思うのですか?」
「昔からそうでしたから・・学生時代も良くそう言われましたし」
「で、今も・・」
「今は、あまり言われる事はありません、言われるのが嫌であまり人と話をしませんから・・」
「・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・
なるほどと言うか、一応理屈は通っているようですが、言っている事は理解できません。
要するに、自分の考えを持ってはいるが、否定されたくないのでしょう。また、ひとり気ままな生活を送っていると、その場の寂しさを特別なものとは感じなくなり、人に気を使う事のほうが大変な作業になってしまうのでしょう。
んぅ・・・・難しい、何と言っていいのやら。
こんな話をしていると、私が想像しても彼の孤独死する可能性は50%間違いないのではないかと思ってしまいます。
孤独死は、嫌だ!それだけは避けたい!そう言う気持にならないのは、やはりまだ若いからなのでしょうか?
しかし、”孤独死になってしまうかも”という考えを持っている人は彼のような人ばかりではない事のほうが、怖い事かもしれません。
まだまだ、気づいていない人生の楽しみ方も有ると思うのですが・・
彼の考え方に、いづれ変化が訪れる事を期待します。
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以前、同じ本屋で立ち読みですませようとして(前作)面白くて(意外で?)足が痛くなるほど読み続けていたのを思い出しました。
「あるかな?」って思ったのですが、店頭にあったのは、2作目でしたね。
帰って読んでいるうちに、ブログがあるコトに気付いたわけです。
自分も50代なかば。
今のところ、時々声をかけてくれる近隣の人はいるけれど、自分の末路がどういうふうになるのかって、考えたりする事も多くなっていたのです。
へ~~!
こんなこと、あんなことってあるんだ!・・・って読み進んでいますが、たいていの最後に、
「あなたは、どう思いますか?」
っていうコメントが、著者の優しさ、滲み出ていて、好きです。
あまり良いことでは無いことも分かっていて・・・
希望は持っていても、その努力はせず・・・
自分から歩み寄ることを拒む。
なんでこんなにも諦めてしまっているんでしょう?
ブログを拝見して、寂しいことだなぁと思う反面
今は、こんな考えの人が多いんだろうなぁと感じました。
豊かな世の中、便利な世の中は地球を破壊してしまっただけでなく、人の心までも壊してしまったんだ。と思うのは私だけでしょうか?
と皆頭ではわかっているんですよね.....
その青年氏、孤独死にならないようにできたらいいですね。
私もこのエントリーの若者と同じく、孤独死の何がそんなに嫌なのかが感覚的に理解できません。
別に諦めているわけではありませんし、人生それなりに大変ですが楽しいこともたくさんあります。
死は恐ろしい、という生き物としての本能的な恐怖はありますし、
それにともなう苦痛は少ないといいなあ、と考えますが、
誰かに看取られるということに重大な価値を見いだせないと申しますか。
孤独死も孤独ではない死も、恐ろしさに差はないと感じてしまうのです。
孤独死しないために、と考えた時、普通に思いつくのは
結婚して子供をもうけ、孫や曾孫に囲まれた老後を暮らす、といった構図でしょうが
今の3~40代は、その親が戦後最初の核家族を作った世代です。
一昔前の、田舎の大家族的生活のマイナス面から脱出して都会で核家族を築いた親に育てられ、
いざ自分がその親元から脱出しようとした時に親が離してくれなかったり
就職氷河期だったせいで経済的に同居を選択せざるを得なくなった同世代を見ています。
また、親世代がきょうだい親戚間で田舎に残した老親の世話で揉める姿も見ています。
核家族のメリットを謳歌して、いざとなるとデメリットは
子世代に押しつけようとする親世代への反発として、
「一人で老後の何がそんなに嫌なんだ」
「こんな苦労するくらいなら、一人でもいいや」
という発想の転換に至っても不思議ではありません。
また、人付き合いを避けるのも、一昔前のいわゆる濃密な人間関係への嫌悪感があるのでしょう。
あれを美しい至上のものと考える人、メディアの喧伝する「今の世の中の普通」を
素直に信じて合わせてしまえる人は幸せでしょうが、
そういった人の陰で多くの人が生きづらさを感じているのも事実ではないでしょうか。
ネットなどの発達のお陰で、そうした生きづらかった人たちも、
わがままだ大人になれと更なる苦痛を受けることなく、
一人ずれている事がそれほど苦痛でなく生きていけるようになった。
田舎で村八分になり首括らなくても、都会に逃げて一人たくましく生きる道を見いだせた。
そういった側面を、私はひそかに喜ばしく思っています。
そんなタイプの人にとっては、孤独死への嫌悪や恐怖と、
それを避けるために為さねばならない努力を量りにかけた時、
己を殺して人間関係を必死に維持するよりは、
一人を受け入れる方がずっと心楽しいことです。
わがままだと言われることは承知の上で、
わがままの代償として孤独死もまああり得るだろうな、と
覚悟しているだけ、自分の親の介護も同居もしなかったけれど
自分の子には期待する、といったダブルスタンダードな人たちより潔いと思います。
という訳で、老後の不安といえば孤独よりも「遺品や諸々の手続き、どうするものなのかな」でした。
見られたくない物への心配はありますが、それは老後に限らず明日にも不慮の事故といった可能性もありますし。
貴著により、遺体そのものが他者に大きな迷惑をかけることもあると知り、
すみやかに発見してもらえる仕組みだけは早く出来るといいな、
という新たな課題に気づかされた事に感謝しております。
まぁ、そうなりたい訳では無いので、働けるうちに小銭を稼いで、老後は施設でのんびり過ごしたいとは思ってますが。
夢破れた時には…キーパーズさんに遺品整理を頼めるくらいの蓄えは残して逝ければいいかな。^^;
わたしも、ああすればいいのに、こうすればいいのにとよく言われました。
わたしは40代で既婚者ですが、
親、友人、世間とのズレをいつも感じながら生きてきました。
ずっとどこがどうズレているのか悩み、友達や仕事、趣味を探し、自分を変えようとあがき、
傷ついて、夫に八つ当たりし続けたこともあります。
友達は離れていきました。もう新たに努力をする気力はありません。
子供もいません。これといった趣味も、親戚づきあいも近所づきあいもありません。
こういうわたしと生きてくれている夫が先に逝けば、孤独死は避けられないと思います。
もし一時、その彼もこのままじゃいけないと行動を起こしても、
きっと、その彼の考え方は根本的には変わらないのではないでしょうか・・・
壊れてしまっているという認識自体どうか、というのはありますが、仮に壊れてしまっているとして。
そうだとするなら、日本人(とりわけ若い日本人)の心を壊してしまったのは日本の社会の責任が大きいと思いますよ。
つまり、私やあなたの責任も大きいということです。他人事のような書かれ方は慎むべきでしょう。
私は、その青年の言う、他人とわかり合えない苛立ちや寂しさ、そして諦めの気持ちが、解らなくは有りません。
しかし、彼は本当はどう生きたいと言うのでしょう?本当は、結婚したい、人と関わり合い、喜びを分かち合って生きたい、と思っているのでは無いのでしょうか?願いはあるが、叶わない…本当にそうでしょうか?変わっている、といっても、世の中広いです。色んな人間が居ます。ネットというツールがあるから、昔なら出会えなかった人にも会うことが出来ます。本当に、孤独で居るしか無いのでしょうか?
私は、そういうのはただの強情っ張りに見えます。他人の意見や考えを受け入れず、取り込まず、自分の考え方を変えず、押し通すから、摩擦も起きるのでは?摩擦は辛いです。苦しいです。けれど、みんな同じです。苦しくても、後に得られる喜びのために、自分を一部曲げて、相手に寄り添わせることもします。理解して貰おうと会話して、努力します。それは、一緒に住む家族でさえ、同じです。無二の親友でさえ、そうです。血を分けても、腹を痛めた子でも、心だけはやっぱり他人です。人は元々独りです。でも、一人では生きていけません。社会を支えるために、何考えてるか解らなくても、付き合って行かなくちゃいけません。それでも、だからこそ、少しでも理解し合えたときの喜びがすばらしいんです。一瞬でも、孤独が癒されることが、愛情が、すばらしいんだと思います。
互いにぶつかり合い、磨きあう事は勇気がいります。けれど、何か努力をせねば、何事も手に入りません。そういうものだと諦めて、自分を変化させてしまう方が、孤独な自分の人生に思いを馳せるよりも、楽だと思うのですが…。
青年は、本当は何が欲しかったのか?死の瞬間に、後悔しないか?不幸にはならなくても、幸せにもならない人生でいいのかな?
どうせなら、腹をくくって一歩でも踏み出していくことを祈ります。
仕事はとても充実していて、おそらく人から羨ましがられるような職業についています。
仕事では人と議論をしながら、新しい分野に攻め込んでいる最中。
そのほかにもやりたいことはたくさんあるし、これからもチャレンジしていくつもりです。
趣味や友人も多く、結婚していないことを除けば、年齢にしては普通の生活を送っていると思います。
でも、ふと、孤独死あるかも、と思ってしまいます。
人生を投げ出しているわけではありません。
でも、もしかしたら、と思ってしまうのです。
充実した社会生活を送ることと孤独死って、対極にあるものじゃない気がするのです。同時にありうるというか。
こんな考え方、おかしいですかねえ。
近くのマンションで孤独死された老人が居たらしい。。
死後一週間しか経ってないので
現場は悲惨な状態だったし
連絡先が分からず困ったと話してくれました(管理会社に連絡をして連絡先は分かったそうです)
管轄の住人に緊急連絡先を聞いて回っているそうです。
私も40歳をすぎ 一人暮らし
夫も居ないし 子供ももちろんいない。
それほど親密に付き合ってる人もいない。
いつか 自分の身にも起こりえる出来事です
ただ違う点もあります。
自分は自分の最後を想像し、今から終の棲家や
金銭など準備を怠らないように努力します。
そして他人には迷惑をかけず死ぬ前にすべてを
準備してひっそり死にたい。
望むのはそれだけです。
最後にキーパーズ様は、同じような孤独人の
心の支えです。
京都大学中西輝政教授の有難いお言葉
「少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える」
(中西輝政 国際政治学者 京都大学大学院人間環境研究科教授 安倍晋三ブレーン )
兄弟もいませんし このまま独りは寂しいから いつかは 誰かと生活したい気持ちは あるのですが 独身生活に慣れすぎて想像がつかないです。
男性の気持ちも理解出来ますし 改めて 自分が変わらなきゃいけないと考えさせられました。
独身生活は 孤独ですし 誰かと一緒にいたい気持ちも常に あるんですが いざ 誰かと休日を過ごすと 早く一人になりたくなる…全くのワガママです。
結婚してないと色々言われる意味がようやく理解出来るようになりました。
孤独死しない為に 変わる努力します。
ありがとうございました。
結婚しても挙児の流れにないご夫婦も多い少子高齢化社会です。
高齢者の高齢夫婦のみ、独居も多いです。
子供がいてもNYまではいかなくとも、日本の端々というケースも珍しくないです。
したがって、上記の老々介護風に風景にもなります。
夫婦も同時に逝かないのが普通ならば、孤独死というのもデフォルトにはならないまでも、珍しくはなくなる時代のように思います。
むしろ、彼のように、「きちんと生きたかったけど、そうできない」ような社会や教育に問題があるのではないでしょうか。
彼は孤独死を望んでいるわけではありません。そうならざるをえないことと確信している彼の辛さに共感します。
病気だったことをひどくなるまで誰にも知らせず
「具合が悪い」と父に電話してきた翌日、
父が様子を見にいったところ亡くなっていました。
衰弱死に近かったようです。
近くに住んでいたので、もっと早く連絡をくれれば
そうならなかったのに…
一人で亡くなってしまう人は、人と関わりたがらない、
あるいは遠慮がちで人に頼ろうとしない、
というお話でしたが、確かにそうかもしれないと思います。
じつは私も孤独死するかもしれないと考えています。が、自分から世間と関わりを断たない限り、大丈夫かな?
残暑が厳しいなか、社長様も作業にあたる皆さんもお疲れが溜まりやすいことと思いますが、どうぞお体にお気を付けてお過ごしください。
私も自分が多分、孤独死すると思っている一人です。とても恐ろしいです。両親や祖父母を見ていると、必ず自分も呆けると思います。ですから、70歳になったときに、自殺しようと考えています。残っているものはできるだけ誰かの役に立てるように、そして、できるだけ人に迷惑をかけない形で死にたいと思っています。
>持にならないのは、やはりまだ若いからなのでしょ
>うか?
これは現実を見れば無理なこと。
社長さんもお分かりのように世間は厳しい。
小学生の頃、いつも私をかばってくれた祖母が亡くなったんですが、亡くなる時、血が繋がってるかどうかも分からないくらい遠い親戚がたくさん家に押し寄せて、死にゆく祖母の周りを取り囲んで、死んでゆく様を興味本位に面白がって見ていたんです。
人の死にあって泣いているのは唯一私だけでした。
幼心に、人ってなんて醜い生き物なんだろうと、その大人たちを見て思いました。
だから、自分が死ぬ時は、もし周りに誰かいるとしても、犬や猫の方がいい。人よりもずっと人の死を悲しむ心があるから。
人は信じられません。一番無防備な時に人に取り囲まれるなんてゾッとします。
取り囲むなら死んだあとにしてほしいです。
それなりに愉しい人生です。とにかく老人になりたくない、老人になる前に(病死していなければ)自殺するつもりです。当然、究極の
孤独死になるわけですが、親族や他人に看取られて死んでいく人に比べて自分が不幸だとは
全く思えません。正直、ブログ主の方が、孤独死を避けるためにフラッシュまで作られた
その気持ちが全く理解出来ないのですが
私の感覚が異常なのでしょうか?
私は「突然死」に陥る危険性の高い病気です。
一人暮らしをしていた事もあり、日頃から荷物の整理をしたり、遺品処理について家族宛の文書などを用意していました。
この青年もなんらかの事情をかかえていたのかも…
本を興味深く拝見しました。
「ひとに迷惑を掛けずに死ぬ人なんかいない」というくだりが心に残っています。