森かずとしのワイワイ談話室

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金沢市遺族会の戦争と平和を見つめる会

2012-08-09 16:18:02 | 平和のために
 いつもの年なら、広島か長崎の原水禁世界大会に参加しているが、今年は都合がつけられず、金沢で8月9日長崎の被爆記念日を迎えている。そんな折、新聞記事で、金沢市遺族会が「戦争と平和を見つめる会」を泉野図書館レクチャールームで開催する事を知った。昨年から開催されているという「見つめる会」に参加した。

 遺族会の主体は、既に遺児の世代に移っていて、ご自身の戦争体験は無いに等しい。そこで親を戦争で失って、戦後を生き抜いてきた者として、戦争の悲惨さ、愚かしさを後世に語り継いで、平和に貢献しようというとりくみを始めたと聞く。
 ご縁というものはどこにあるかわからないものだ。泉野小学校に新任したとき、先輩教師だった岡西順子さんが、自主制作した「戦場を歩いた女の子」DVD作品を披露された。岡西さんが、学校での平和教育に賛同され、教研集会でも平和教育分科会に属されていたことを思い起こす。岡西さん自身が戦争遺児でいらっしゃったのだ。
 岡西さんは、父の慰霊にフィリッピンのマニラに旅したとき、知り合った戦争遺児の女性が、日本軍兵士たちと、母子4人でジャングルをさまよい、奇跡的に生還した体験談を聞いた。これに深く感動した岡西さんが、本人の承諾をもらって、絵本を編集した。それをさらにDVDにして、戦争体験語り継ぎにとりくんでいるのだ。頭が下がる思いだ。
 また、林みち子さんの父さがしの旅からうまれた自伝的なDVD作品「みっちゃんとキャラメル」も上映された。みっちゃんの父は、レイテ島に従軍し、300以上の手紙を送って、生まれたばかりのみっちゃんに思いを寄せた。このあと、シベリアに抑留されて無くなった日本人の遺骨収集にとりくむ皆川さんの体験談も語られた。

 会場では、石川県関係者の戦没世界地図が配布された。県厚生部がまとめたもので、かつて、入手して教職員組合の平和教育資料「忘れることなかれ」に納めたことを思い出す。人数が地域ごとに地図に書き込まれているが、一人ひとりの戦死の痛ましい事実に思いを致すことが当然必要だ。みっちゃんのお父さんは、残した妻と子どもを思いながら無念の死を遂げた。ジャングルを逃避行した親子は、おびただしい惨い死に遭遇しながら、奇跡的に助けられた。
 遺児にとって、戦争に巻き込まれた肉親捜し(歴史辿り)とは、肉親の戦争体験と戦争関係者としての悲しみを語り継ぐ使命感によって、やむにやまれぬものになってきているのだと思う。再び戦争を起こさせないために。

 会が終わって、久しぶりに岡西さんと対話できた。遺族会が前面では、学校を通じてなかなか子どもたちと接触できないようだ。子どもたちにこそ、体験を語り継ぎたいのに。遺族会の政治的なスタンスとか、歴史認識などについては確かに議論があるところだ。個々の遺族には、多様な意見があるのも当然だろう。
 私は、戦争賛美ではなく、歴史的事実を歪めるのではない平和への思いは子どもたちにとって、貴重な学びの糧になると考えている。二つのDVDの戦場はフィリッピンだ。バターン死の行進、レイテ島の激戦・・・しかしそこにはフィリッピンの原住民を巻き込み、慰安婦を強い、人肉食まで発生したという厳然たる加害の事実も隣り合わせている。帝国主義・侵略戦争の中で戦地にかり出され、加害の当事者にさせられていくのも戦争の本質だ。トータルに真摯に戦争史を継承し、国境を越えた人々の真の和解と連帯の意識を醸成することが大切だ。遺族会の戦争と平和を見つめる活動が、そんな意味ある子どもたちとの出会いになるよう、できることがあればと思う。

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2 コメント

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戦争の記憶…。 (Isshin)
2012-08-10 15:13:59
残暑お見舞い申し上げます。

実は、私の祖父も、切り花農家から戦争に駆り出され、私が今ロング・ステイさせていただいている、ここフィリピンのバギオ市で命を落としたそうです。バギオ陥落(1945年4月25日)の2日前のことだったと聞いています。

また、ここバギオ市は、真珠湾奇襲と同じ1941年12月8日に、旧日本軍によるアメリカ軍基地「キャンプ・ジョン・ヘイ」への空襲によりフィリピンでの戦いが始まった地でもあります。
そして、山下奉文(ともゆき)陸軍大将が捕えられ、やはりキャンプ・ジョン・ヘイで降伏文書に署名した(1945年9月3日・フィリピン戦の終結)のもここバギオ市でした。

戦後67年経った今でも、やはりバギオやその周辺での戦時中の悲惨な話は子孫へと語り継がれています。もちろんバギオだけでなくフィリピン国内のいたる所で…。金沢の「岡西さん」のお話と同じように…。
数年前(!)には、ここバギオの日系人会と日本人のグループが、バギオ市祭のパレードに参列した時に、沿道から罵声が飛んだことがあった…、とも聞きました。
私は、以前ロング・ステイしていたミンダナオ島ダバオ市でも、ここルソン島北部バギオ市でも、その地で生まれ育った日本人の方や日系人の方にも、戦時中や戦後のお話を伺ったことがあります。
バギオ北の山中を逃げ惑う中で多くの餓死者を出し、家族や友人を失った日本人の方の話。戦後も日本姓を隠し、日本とつながる証拠を消し、隠れるように生き延びざるを得なかった日系人の極めて厳しかった境遇…。戦争を経験した生き証人のお話です。
マニラにいた時も、マラテ教会にたたずんでいた老婆に、「日本人かい?ここで戦争によって命を落とした人たちのために祈りなさい…。」と強い口調で言われたことがありました。マニラ市街戦(1945年2月)のことです。

今年もまた、8月15日に、フィリピンのラグーナ州カリラヤ日本人戦没者慰霊園にて、在比日本大使館主催によるカリラヤ日本人戦没者慰霊祭がとり行われます。
私自身は、バギオの戦争犠牲者の追悼碑へお参りに行きたいと思っています。

以下、参考まで。↓
http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/d/20100903

http://blog.goo.ne.jp/chris3_baguio/d/20110903
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心と記憶に刻む (森かずとし)
2012-08-12 08:59:53
 心に浸みる投稿ありがとうございます。
 戦争は、為政者と金持ち達の利益のために、一般市民が駆り出され、民族の違いの名の下に、殺し合わさせられる愚かなものです。人間固有の愚行をいつ、人間は克服出来るようになるのか分かりませんが、そのために生きたいと思います。また8月15日が巡ってきますね。お元気で。
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