風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

ラベンダーの紫で染まった町 富良野

2009-07-29 | 北海道の夏 2年目 (2009)
昨年富良野に来た時は、かろうじて遅咲きのラベンダーが咲いていたが、
やはり早咲きの濃い紫色のラベンダーが一面に咲く様子をみたいと、この時季に再訪。



ハイランドふらの

やはり開花の時季は的中。
まさに、富良野の町は紫色で染まっていた。



冨田ファーム

右も左も、前も後ろもラベンダー。
食べるソフトクリームも、売っている石鹸もラベンダー色というのは当然ながら、
電車の色も、道路の橋の欄干までもがラベンダー色と、この町はラベンダーで徹底している。



冨田ファーム

今回は富良野に通うこと4回。
その色と香りは、しばらく頭から離れないだろう。

初夏の 「風のガーデン」

2009-07-28 | 北海道の夏 2年目 (2009)
7月中旬に、然別湖の近くから旭川郊外に移動。
ここでの滞在は、とにかく花めぐりの日々を過ごしたいというのが願い。

旭川の近くには、美瑛・富良野・旭岳と、花の名所が多く、
特にこの時季は一番美しい頃のはず。
お天気に恵まれるといいのだけれど。


                           

富良野に行って、まず最初に行ったのは「風のガーデン」
想像したとおり、いろいろな種類の花が爽やかな風に揺れている。



今年から公開したというガーデンには、思った以上に人が多かったが、
いい具合に花が人を隠してくれので、まるで自分だけの庭のような気もしてくる。
(それも、花壇のデザインの計算に入っているのかもしれない。)




お庭自体にも、それぞれのお花にも高低差があるので、見る角度でいろいろな表情を楽しめる。
こちらに立って見たり、座り込んで見たり、一日中見ていても飽きそうにない。





花壇の中に時折、花の紹介と、ドラマの第何話でテーマになったという札が立てている。
「これで、あと○話と○話の花を見つけたら全部ね」などと話しながら花の中を歩くカップルの姿も見かけた。




このガーデンが舞台となったドラマを私は欠かさず観たが、
あいにく夫は観ていない。
だから、こんなに大勢の人が感激しながら歩き回る意味が全く分からないらしい。
あらすじを話したが、やはり実際に観ないことには、その花の意味するものは分かるはずもない。

そのうち、説明する私も、聞いている夫も疲れ気味。
「もうテレビの話より、お花を楽しもうよ」と私。
「ここで待っているから、一人で回ってこい」と夫。

いくら「ひとりで」と言っても、待っている人がいると思うとゆっくりも出来ず、
落ち着かない。
仕方なく早めに切り上げたが、
でも、本当はもっともっと居たかったな~~

旬を味わう (ホワイトアスパラ、オショロコマ、さくらんぼ)

2009-07-28 | 北海道の夏 2年目 (2009)
《道の駅》には、たった今収穫したばかりの旬の野菜が並ぶ。
珍しいものがあったり、運び込んでいる農家の人の話を聞くだけでも楽しい。
「今日はどんな野菜が並べられているかな」と、
毎日のように、ブラブラと散歩がてら覗いてみる。


    




去年もココで買ったサクランボ。
500g入って280円也。
安い!
甘い!


  


今日はホワイトアスパラを買ってきた。
さて、どう調理しようかと迷った挙句、
この新鮮さを一番味わうには手を加えない方がいいと思い、ただ焼くことにした。
(手抜きを兼ねて)




焼き上がりに、お醤油をたらす。

ちょうど昨日買ったばかりのチェダー・チーズがあったので、一緒に盛ったが、
これがまたホワイトアスパラとよく合う。
今度は、焼きあがったホワイトアスパラの上に、とろけるチーズを乗せてみようかなと、
新しいレシピが思い浮かぶ。


  
 


町はずれに、然別湖に生息するオショロコマという天然記念物の岩魚を養殖し、
釣り堀や、食事や、佃煮を作っているお店がある。
そこで、オショロコマの塩焼きを買ってきた。




体長20センチ前後と、鮎よりは大き目。
臭みはなく、味は淡白。
ここでしか食べることが出来ないと思うと有難い味に思えるから不思議なものだ。

ラベンダーに包まれてのプロポーズ

2009-07-27 | 北海道の夏 2年目 (2009)


富良野にある日の出公園といえば、
映画「60歳のプロポーズ」の撮影が行なわれた場所として知名度を上げてきた。

そこは、早咲きや遅咲きなど品種によって開花の時期は少しずつ違うけれど、
本当に丘一面がラベンダーで埋め尽くされている。

私が行ったのは七夕の7月7日の5時過ぎで、展望台のある頂上にいるのはほんの少しの人だけ。
そこにある《愛の鐘》の前で、若い男性が片足をひざまずいて女性に小さな花束を渡していた。
「キザなことを」と思いながら遠くから見ていると、何と二人のラブシーンが始まった。

「あら、こんな人前で・・」と、眉をひそめて通り過ぎようとしたら、
男性が近寄ってきて
「僕たち今、結婚を決めました」と高揚した顔で報告してきた。
しかも言葉は英語。
日本人だと思っていたが違っていた。

「えっ!今?」と聞くと、
「イエース」と、男性は女性の肩を抱き寄せる。
そして女性は、自分の左手の薬指に今はめたばかりのダイヤの指輪を見せてくれた。

喜んでいる二人と握手しながら
「どこから来たの?」と訊ねると、
「ホンコン」という返事。

香港から日本の富良野に来て、しかも、こんな夕方になぜ?
と思うものの、突然なので気持ちの余裕がなく「Congratulation」しか出てこない。

こんなオバサンにでも話したくなるほどに嬉しかったのだろうが、
その記念すべき瞬間に立ちあうことが出来たことに、私もとても感動し嬉しかった。




記念の写真を撮る時も、彼女は指輪をはめた左手を嬉しそうに前に差し出している。
その表情は、まばゆいほど幸せに輝いている。

どうぞ、末永くお幸せでありますように・・・

私が魅了された「道の駅」

2009-07-27 | 北海道の夏 2年目 (2009)


雨の日に行った美術館の庭で、ペチュニアの花に傘を立てかけていた。
雨で花びらが傷まないようにとの配慮だろう。
その心遣いに心が和む。

                         



昨年の北海道旅では多くの《道の駅》に立ち寄ったが、
中でも一番気に入った《道の駅》が、帯広から一時間ほどの場所にあった。


《道の駅》に続く道沿いには、エゾカンゾウかな?
(と思ったけれど、ヘメロカリスのようだ。)
黄色の花が満開で歓迎してくれている。


ここは新鮮で安い農産物や地元で作られた乳製品や肉類が棚に溢れていて、
夕方には売り切れているほどの人気ぶり。

「あの《道の駅》のそばで生活してみたい」の願いが叶って、
今の滞在場所は、そこから歩いて2~3分のところ。
毎日のように通っているが、まったく飽きない。

直径4センチもあるフキに驚き、ダチョウの卵の大きさに驚く。
サクランボが出始めたと言っては喜び、トマトは太陽の匂いがすると喜ぶ。

人は、つい大きな喜びを追い求めてしまいがちだけれど、
日常の、こんな小さな驚きと喜びこそが大切なものかもしれない。

甘辛い豚丼を味わう

2009-07-26 | 北海道の夏 2年目 (2009)


北海道では、じゃがいもの花が咲き始めた。
広いグリーンの畑に白い花が一面に広がる様は、何とも清清しい。

                  

最初に帯広に来たのは昨年、夫の急病で総合病院に診察に来た時。
検査のたびに深刻になってくる病状報告に、二人とも言葉少なくなっていた。

最後の診断が出るまで昼食を・・・と病院の食堂に入ったが、
いつもは大食いの夫なのに食欲がないという。
私は、「ここで食べておかなくちゃ」と、帯広名物の豚丼を注文。
でも、味はほとんど覚えていない。

「もし手術となったらどうしよう」
「一刻も早いほうがいいのなら、ここで手術をお願いしようか」
「そうなれば私、この病院の近くのホテルをとるよ」
などと話したことは覚えている。

結局、心配した通りの診断が下りて、
「それも相当進んでいるので、ここでの手術は無理だ」ということ。
「この手術の患者は札幌に行ってもらっているが、いっそ自宅に戻って手術した方がいいのでは?」
との医師の話があった。

それからの行動は、自分で考えても神業。
荷物をまとめて苫小牧までの夜道を走り、その日の深夜便のフェリーに飛び乗った。

その後の手術で夫の目は失明を免れ今日に至っているが、
そんなチョッピリ辛い思い出がある帯広で、心残りだった豚丼を味わおうと出掛けた。

駅前にある元祖豚丼発祥の店の前は、いつ通っても行列が出来ているが、
お昼前の11時過ぎに行くと意外とすんなり入れた。
しかし30席ほどの小さなお店に、もう空席はない。

有名店らしく、ほとんどの人がその豚丼を写真に撮っているのが面白い。
私も同じく、その丼をうやうやしく写真に収める。



あの日食べられなかった夫は大盛りを、最近の太り気味を気にしている私は小盛りを。
1年ぶりの帯広で、こうして元気に二人並んで食べられていることの有難さを感じながら、
甘辛い豚丼をいただく。

今回の豚丼の味は、もう忘れることはないだろう。

ばんえい競馬

2009-07-25 | 北海道の夏 2年目 (2009)
現在、週に3日間開催する帯広の「ばんえい競馬」は、
全長200メートルの直線コースの中に二ヶ所の坂を作り、
鉄ソリを馬に曳かせて、その力と速さを競うレース。



重いソリを曳き、ムチで攻め立てられる姿は可哀想ではあったが、
競馬場の入口に
『重いソリを曳かせても心拍数は平常値内で心配することはありません』の貼り紙が。
でも、時には1トンもの重さを曳いて坂を上るのだから、
いくら馬といっても容易なことではないはず。




障害の坂をどうクリア出来るかは騎手のテクニックがものを言うらしく、
坂の前ではお互いに牽制しあって一息ついたり一気に攻めたりの駆け引きがあり、
その様子に、馬券を買った客から応援の大声が上がる。
普通の競馬と違って、途中で何度も先頭が入れ替わるのが面白い。


開催日には1日に10人ほどをバックヤードに案内してくれる無料のツアーもあり、
一般の人は入れない場所にまで連れて行ってくれる。

私は馬券も買わず、2日間にわたる観戦。
入場料は1回100円で、バックヤード見学は無料。

以前、ばんえい競馬の経営危機の話を聞いた記憶があるが
こんなに安く楽しませてもらえて、お得というべきか、恐縮と言うべきか・・
でも素直に馬達に、ありがとう。




然別湖 白蛇姫祭

2009-07-24 | 北海道の夏 2年目 (2009)
然別湖に伝わる白蛇の伝説。
凶作の年に白蛇の化身の姫が現れてアイヌの人々を救ったという言い伝えを再現した祭。
折りしも然別湖は霧に包まれ、その祭を更に幻想的な世界へと導く。

白蛇の湖上の御神渡りの儀式を船上からも見られるように、
今年初めての試みで船を出すと言うので、乗ってみた。

だが、霧のために儀式の船を見失ってしまい、私たちの船は湖上をウロウロ。
お客さんからは「儀式が終わってしまうんでないの?」と失笑も。



でも霧に包まれた夜の湖上遊覧は、まるで異次元の世界に吸い込まれるようで、
それはそれで不思議な光景として心に残った。


湖上の儀式の後は、地上での祭りに移る。
若者10数人が操る二匹の白蛇と姫とが織り成す舞い。



赤い舌をペロリと出した白蛇の動きも大きくて迫力があったが、
それよりも重そうな蛇を支えて操る若者達の、息の合った動きに感動した。

「ここまでの動きになるまでは相当の練習を積んだのだろう」
「練習のために犠牲にしたものもあったのだろう」
「それぞれの信頼がなければ、これほどの息の合った動きは出来ないだろう」
などと考えながら、その真剣な表情に胸が熱くなる。

やり終えて、満場の拍手を浴びた若者達の顔には充実感が溢れ、
私の胸にも感動が伝わってくる。

「お祭りなんて人が多いだけで行っても仕方ない」などと敬遠していたけれど、
人が真剣に一つのことに向き合っている姿に感動した夜だった。

夭折の画家 神田日勝

2009-07-23 | 北海道の夏 2年目 (2009)
「神田日勝」(かんだにっしょう)という画家。
1970年に32歳という若さで早世した画家。

当初は、今まで聞いたこともない名前だったので、その美術館に行く気持ちは無かった。
だが、その画家が32歳という若さで急逝したという記事を読んだ途端に、
「やはり観ておきたい」と、急き立つ思いで出掛けた。

開拓営農のかたわら油彩を描いていたので、
その絵の対象は馬や、日常の生活に密着したものが多い。

画風も、単色の暗い絵もあれば、多色の緻密な絵もあり、
ペインティングナイフを使った奔放で大胆なタッチの絵もあるが、
そのどれもが心が響く。

どういうご縁か、その数日後にも引き寄せられるように、
また別の美術館で偶然「神田日勝」の絵に対面。
フラッシュ無しなら撮影は大丈夫ということだったので、写真に収めた。



梅原龍三郎の絵を意識して描いたらしい魚の絵。




岩魚、フキ、椎茸、すずらん、ザリガニ、ビールなど、
地域の特産や身の回りの品が並ぶ。


「結局どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている」
というのが日勝の持論だったそうだが、
確かに彼の作品には、大地に汗を落としながら働き、
自分と向き合いながら日々を懸命に生き抜いた鼓動が感じられる。


風邪症状で入院したあとの急逝だったそうで、
馬の体を半分だけ描いた未完の作品が絶筆となった。
だから上半身だけの馬が「神田日勝」のシンボルとなっている。

山芋三昧の食卓

2009-07-23 | 北海道の夏 2年目 (2009)
中札内の道の駅で、特産の立派な山芋が売られていた。
と、その横に、取り扱い途中に折れてしまったらしい短い山芋の袋入り。
値段を見ると350円!

お客さんたちは「安い!でも量が多いよね」と一旦出した手を引っ込める。
でも私は・・迷わず買った。



さてさて、こんな大量の山芋をどう料理したものか・・・
ここが長年の主婦の腕の見せ所と、毎日、山芋と向かい合う。

すりおろしてトロロにしたり。
お好み焼きに入れたり。
短冊に切って、わさび醤油で食べたり、ポン酢醤油で食べたり。
生ハムで巻いたのも美味しかった。
そしてヒット料理が、「山芋のステーキ」



1センチ程の輪切りにして、フライパンで炒めるだけ。
味付けは塩胡椒でも、お醤油でも。
(試してはないけれど、お味噌も合いそう)
上に青じそや葱を刻んでも乗せたら、もっと見映えがいいのだろうけれど。

半焼きで中がシャキシャキしているのは私好み。
完全に焼いてモッタリ軟らかいのは夫好み。

でも、一番美味しかったのは、何と言ってもお好み焼き!
タップリの山芋を入れた生地が軟らかくて、何枚でもお腹に収まる。
ただし「馬肥ゆる」になるのは間違いない。

六花の森

2009-07-20 | 北海道の夏 2年目 (2009)

小さな星が寄り集まっているような 《アルケミラ モリス》 六花の森で

              


もう何十年も前、北海道のお土産にと頂いたお菓子を包んでいたのは、
白地にハマナス、スズラン、黒百合、エゾカンゾウ、水芭蕉などの花が描かれている、
何とも可愛い包装紙だった。
あまりに可憐で美しいので、しばらくの間、机の引き出しに大事に取っておいたことがある。

その後、そのお菓子は全国的に知られるようになり、
その包装紙は特に珍しくもなくなったけれど、
でも私は今でもその包装紙が大好きだ。

その、私の大好きな包装紙の絵を描いたのが「坂本直行」という画家だということを知り、
その美術館が「六花の森」の中にあると聞いたので行ってきた。



北海道の銘菓店が作った施設なので、その宣伝を兼ねた賑やかな場所を想像していたが、
それとは全く違う、花と緑が溢れる心落ち着く場所だった。




施設内の周囲は林で包まれ、小川が流れ、小さな池もあり、お花が溢れている。
その中に「坂本直行記念館」などの展示館や休憩棟などが点在しているが、
その各館の外壁はクロアチア古民家のチーク材を再利用しているので、
周囲の緑に見事に溶け込み、更に落ち着きを増している。


記念館で坂本直行さんの花の絵を鑑賞し、各館の佇まいを眺め、
遊歩道の山野草の花たちに心和ませてもらい、小川のせせらぎを聞きながらの散策。



ちょっと歩き疲れたら休憩棟に入り、
コーヒーを飲みながら入口で手渡してもらったお菓子を頂く。

この贅沢な空間の入場料は500円という安さ!
勿論、お菓子とコーヒー付きで。
(その上、土・日曜日にはおにぎりも提供してくれるらしい)

因みに「六花」というのは、十勝を代表する花6種類の意味があり、
この場所には、その6種の花は勿論、その他の花も溢れている。

ハマナシ(ここではハマナスではなく)
オオバナノエンレイソウ
エゾリンドウ
シラネアオイ
カタクリ
エゾリュウキンカ
どの花も、健気で可愛い花だ。

ハスカップ摘み

2009-07-19 | 北海道の夏 2年目 (2009)
行く先々の道の駅で見かけるハスカップ。
小さなプラスチック容器に入れられたものは驚くほど高価。
ならば、自分で摘んでみようかと出掛けた。

              

味見する程度にと思っていたが、そのベリー園には結構な数の人達が来ていて、
皆いちおうに真剣な顔で摘んでいる。

近くで摘んでいた女性は、
「ここのは無農薬なので、一度来ると10キロは摘んで帰り、ジャムにして知り合いに配る」
「ヨーグルトに入れると本当に美味しいんだから」と。

また、汗ビッショリで摘んでいる男性は
「目にいい成分が入っているので果実酒にして毎日飲んでいる」と。

と、その男性の話を聞いた夫が
「目にいい」と「果実酒」という言葉に大きな反応を示し、
「よし、今日は頑張って摘むぞ」と言い出した。

園のかたが「木によって味が違うので、好みの味を探して採ったらいいよ」と言ってくれたので、
この際、味見を兼ねてタダで食べられる!と、ちょっと喜んだものの、
その酸っぱさに多くは食べられない。



あの木は?こちらは?と、迷路のような木の間を通り抜けながら甘い木を探す。

背の高さを越す木を見上げながら摘んだり、腰をかがめて摘んだりと、結構な重労働。
それに太陽をまともに受けての作業は暑くて暑くて。

そのうえ摘む手は汁で真っ赤に染まり、それが服に付いたと言っては慌てて洗いに行ったり。
そんな大変さを思うと、店頭で売られているものが少々高価なのも仕方がないかと思えてきたりする。

                  


せっかく収穫したハスカップだが、
夫が望んだ果実酒は、持って回ることを考えると問題が多く断念。
その代わり、ジャムを作ることにした。

園ではジャムにしての販売もしているので、その作り方も教えてもらう。
ハスカップ1キロに対し、砂糖は700グラム。
無農薬なので洗わずに、そのまま使うようにと何度も念押しされる。
水洗いすると栄養分が流れてしまうことと、ジャムの持ちも悪くなるそうだ。



皮がなかなか潰れないので、大根おろし器と玉杓子でこすり潰してのジャム作り。
(後日、再訪した折りに作り方を訊くと、煮ているうちに皮は自然に潰れるとのこと)

ちょうど今の滞在地には、美味しいパン屋さんが近くにあるので、
手作りジャムをつけての朝食が美味しい。

中札内美術村のレストランで

2009-07-19 | 北海道の夏 2年目 (2009)
柏の木で囲まれた広大な土地に、美術館やレストランが点在する中札内美術村。
その中のレストランで新しい味に出合えたので、メモ代わりに
(最近は、何でもすぐに忘れてしまう)



美術村は広すぎるけれど、
柏や白樺の林の中の散策路は、暑い日ざしを遮ってくれて心地いい。
出足が遅く、着いたのはお昼前だったので、まずレストランに入る。


そこは、好みのものをトレーに乗せて最後に会計を済ませるカフェテリア方式。
どれもが美味しそうで、つい手が伸びてしまうのが困りもの。




上から時計回りに、
ジャガイモのなます、スナップえんどうの白和え、豆おこわ、けんちんうどん、ザル豆腐。
そのどれもが本当に美味しかったけれど、
私も夫も一押しのものが「ジャガイモのなます」

作り方を訊いたら
メークインを千切りにしてサッと茹でて味をつける、という簡単なもの。

ただ、そのシャキシャキ感を残す茹で加減がポイントとなるのだが、
あいにく訊ねた女性は作ったことがないらしく、
細かいことまでは分からないということだった。
(ただ本当にサッと湯通しくらいの短時間で茹でるのがコツらしい)

こちらは美味しいものが多くて、つい食べ過ぎてしまう。
旅の終わりには、今の服が入らなくなるような気配がジワジワと

ピョウタンの滝 山岳センターで読んだもの

2009-07-18 | 北海道の夏 2年目 (2009)
いつもの道を通る時、「ピョウタンの滝」という名前の案内標識を何度も目にする。
「ヒョウタン」ではなく「ピョウタン」

この面白い名前に、私だけでなく夫も気になっていたとみえ、
晴れ渡った空を見ていた夫が
「ピョウタンとか言う滝に行ってみようか」と言い出した。



落差が10mというので小さな滝を想像していたが、実際には結構幅があるし、
滝のそばに行くと風に乗って冷たい飛沫がかかって気持ちがいい。

それに、底の小さな石ころまでも見通せる透明な川の流れを見ていると、
自分の心の濁りも洗い流してくれるような清清しさを感じた。


                      
                        
  
 
滝の近くの山岳センターには、北海道の登山に対して注意を呼びかけるコーナーがあり、
数十年前の雪崩事故で、ある大学の山岳部パーティー全員が遭難した時の資料が並べられていた。

雪崩の雪に埋もれながらも数日間は生きていた男性リーダーが書き残した
「お母さん、お父さん、先に逝くことを許してください」から始まる遺書。
涙が流れて仕方がない。


また、その遭難者の中で唯一の女子大学生のお母さんが詠んだ句も紹介されてい
た。

「ももとせの 昔をかたる だけかんば 眠れる吾子の姿いずこに」

「空しくも 去りすぎて又 めぐり来し 二十四日の最終下山日」

昔も今も時代を超えて、子供を失うことの悲しみは変わらない。
そして、その悲しみは、何年経とうと薄らぐことも癒えることも決してない。

十勝の空に一直線の虹が!

2009-07-17 | 北海道の夏 2年目 (2009)
十勝と言えば広い牧場と田園風景ばかりのようなイメージがあるが、
十勝川の河口付近には沼や湖が点在して、あまり人が訪れない海岸線が広がっている。

「よほどの北海道好きでも、なかなか訪ねることの秘境」
というガイドブックの紹介文に惹かれ、
晩成原生花園と生花苗沼(おいかまないとー)を目指して出かけた。


なるほど海岸に出る道路には、ほとんど車は走っていない。
それに、海岸付近の詳細の地図もないし、
カーナビも農道の真ん中で
「その付近に到着しましたのでガイドを終了します」と、そっけない。
道を尋ねたいものの、人にも出会わない。

途方にくれて空を見上げた先に、今まで見たこともない光景が目に入った。
雲の中に真っ直ぐ一直線の虹が浮かんでいたのだ。




(少しアップにしてみる)

虹とは、いつも弧を描くものと思い込んでいたし、
実際、空に浮かぶ虹は大小の違いや一部分だけが現れたりの違いはあっても、
こんな真っ直ぐで、しかも雲の中に浮かぶ虹なんて初めて見た。

気がついてから、ほんの5分ほどの間だったと思うが、
二人だけ(かな?)が目撃した天体ショーに興奮した。

「もう今日は、これだけで十分だよね」と、
秘境なるものは、もうどうでもよくなった気分。


                    


その後、迷いながらも、やっと「生花苗沼」(おいかまないとー)に辿り着いた。

その干上がった沼の広さ、
そのピンクがかった黄土色、
沼一面から上がる蒸気が風に流れるさま。



数キロ先まで広がるその荒涼とした風景は、
何かこの世のものと思えない雰囲気が漂っていて、思わず足がすくんだ。
「シジミを採っては罰せられます」という看板だけが、
かろうじて、この世の証のように立ってはいたが。


その後、晩成花園で立ち寄った食堂のおじさんが、
「沼は水が無かっただろう?近々シジミ漁をするために干上がっているはずだよ。」
「ここは、こんなに大きなシジミが獲れるのさ」
と言って、両手の親指と人差し指で輪を作って教えてくれた。

その話で、あの干上がった沼の意味は分かったが、
それにしてもあの向こうの小高い山までの数キロもあるだろう。
その沼の水を抜いてのシジミ漁とは、やはり北海道の人のすることは違うなあと驚いた。

それにしても、今日は不思議な光景を二度も見ることができたが、
これは何のご褒美だろう。
この歳まで頑張って生きてきたから?