桜桃が成り始める頃。
熟れだす手前。
想い出すのは『桜桃忌』
(写真は我が家の庭先に成る桜桃)
2005・11筆記「我が覚書より」
10代の頃であろうか、森鴎外の墓に参じたことがある。有名な三鷹の禅林寺。かの太宰の墓もその横にあって、僕はきっと行くまいと肝に銘じていたというのに、当時の知り合い、先輩の異性にせがまれて否応なく参じる羽目になった。幼い時分からどこか臆病なところも多分にあった僕とし . . . 本文を読む
最初はほんの10センチ。
苗として植えたグミの木も
いまでは大樹となり
一房(ふさ)一房に
初夏の香りがくるまっている。
もともとが代々我がご先祖が耕してきた畑
とはいえ、
腐葉土で土を肥やせ
なたねの肥料を
与えることでぐんぐんと伸びてきたグミ。
毎年、丁寧に気持ちを注いで
育んだからこそ
いまや大樹として横たわるのだと
思うと
何がしか
ささやかなれど誇らしか . . . 本文を読む
我が家に10年来居座る(笑)、
いまや大樹のグミの実。
今年もそろそろ摘み取りのシーズン。
そのままでも食せますが
ちょっと酸っぱい。
そこですりこぎで潰し
はちみつを加えて混ぜ合わせる。
食パンに付けて食べたり
家内はドレッシングの一部にしたりしています。
毎年、次男坊がよじ登って採ってくれます。
【長男坊は部活が忙しく……(笑)】
皐月晴れから梅雨入り前までの
我 . . . 本文を読む
久しぶりに飛行機雲
この年になっても心は躍る
遥か大空にひとりっきり
自由という引き換えに
孤独という怖さを与えられる
下降するか
果てまで上ろうとするか
選択権は自分にある
未だ傍らでは苦渋の想いも抱き
ならば僕は
もう一段
上へと昇ってやろう
2012・5筆記
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神社の石畳を上る。
そこは私の母校がある、直ぐ近く。
あの頃、そう、
10代、高校時分。
大志を抱いて上ったはずだ。
あれから
30数余年。
遥かな時間を経て
また一歩一歩と上った次第。
(そりゃあもうくだらん出来事なんて星の数ほどあったはっじゃし、
死にたいなんてなんじゅっぺん思たかしれんどん、
でもまあようここまで来たわけやし、
一度くらいは自分を褒めてもよか . . . 本文を読む
神に手を合わせる
それはまた
生かされている自分に対する
“見えざるもの”への
奉仕作業でもあるのだと思う
私はかつての
さる権力者のように
“見えざるもの”を
無碍には出来ない
それはまた
私は私の“無力”を
知る者であるからだ
不遜ではひとは生きていけないのだ
“見えざるもの”を敬う
それが我が胸中に有る限り
私は私を恒に省みることになるだろう
有難い . . . 本文を読む
花々が咲き誇ったのち、まるで惜しむかのように朽ち始める。
それは頭上に青空があるせいで、花はその単体ではない、
何かに同化した自身の姿がもっとも映えることを知っているのだ。
朽ちる姿に憐れみを感じる、
それこそが恒に変わらぬ青空を謳うことにも通じているのだと思う。
2012・4筆記
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花萌える頃
空は群青
地には田畑
東の向こうから
陽が照り出し
薫風の誘(いざな)いが
頬に心地良く
それらを
胸いっぱいで
受け止め
或いは
背に一身に受け
労働に
勤(いそ)しむ
それが古来
ひとが歩んできた
定(さだ)め であり
掟(おきて)でもあるのだ
手の平の
皮は破け
膝の痛みが
起ころうとも
また腰を曲げつつも
茶を啜(すす)ろうと
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花は散る
潜る
土になり
肥しを生み
やがて
芽を出し
蕾を育み
そして
また花を
咲かす
そう
花は
私が望む
すべての
行いを
一手に
担うのだ
私は
どだい
無理だ
だから
花は
ただ
そこに
在るだけで
美しい
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紅色に染まる。
僕はそれを不満に思う。
薄紅色や白色の彩(いろどり)が欲しい。
いや、そうではなく……
紅色に染まる、
ただそれだけの美しさを
僕は詠(うた)わないと。
写真は我が家の『紅花・ツツジ』“ミヤマキリシマ”昨春の物。
2012・4記述 . . . 本文を読む