My Song My Foolish Heart

4月に12年の単身赴任が終わりました!、山が好き、キースジャレットが好き、街道歩きが好き、2012年中山道を完歩しました

人間の証明 森村誠一 40年ぶりに読む

2017-06-06 23:19:33 | 2017年本


40年ぶりに読んだ、角川全盛のころベストセラーになった本、ちょうど中学3年生だったように思う。

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。



母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。


母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。


母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

西条八十 少年詩集 帽子


この詩の引用はテレビCMでも使われた・・

その当時はぴんとこないのも当たり前だったが、もう孫もいてもおかしくない年齢になり

この詩がなにかしみてくる。

母ももう高齢で平均寿命をこえるぐらい、今も元気だが

思い出にあるのは幼稚園の時にバイクにあたり頭を十針縫ったけがをして、いつも母の背中に

おわれて病院へいったことや、しょっちゅうぜんそくで熱をだして寝ていて病院へいったことや

りんごのすったものおかゆなどなどの想い出が一番残る それほど体も弱くけがも多かった

心中を思うとと感謝しかない。

母からこの前電話があった。

心臓の検査はどうだったか?糖尿の値はどうなのか?のどの手術はどうなるのか・・

この年になるまで母を病気で心配せている おかしくなってしまう



ジョー山中の歌、中学生のがきだけど好きな歌だった、サイケのバンド フラワートラベリンバンドからソロデビューの

圧倒的な歌唱力

2011年東日本大震災チャリティライブをがんの闘病中の中実施 8月没

64歳 

今日の昼は池袋でリンガーハッとへ

ちゃんぽん 食いたか!!

ほぼ1年以上たべてないちゃんぽんを食べる



野菜たっぷりちゃんぽん 、注文は麺を少な目で注文した

糖質は極力抑えるのです、野菜の量で満腹

おいしく頂きました、こうしておいしいちゃんぽんが食べられる世の中が続きますように

いや日本のみんなが食べられて 世界の人々が食べられるように 人類が滅亡するまでにそんな日がきますように

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