神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

屋倉橋、天王橋

2017-05-13 06:05:31 | 支流編(善福寺川4)

 善福寺川の流域が旧成宗村に入って最初に架かる橋が屋倉橋、次の次が天王橋です。共に→ 「成宗村絵図」には描かれていませんが、→ 「東京近傍図」の点線で描かれた道筋にあり、当時から小規模の橋は架かっていたものと思われます。屋倉は左岸の舌状台地一帯の字矢倉から、天王は須賀神社の旧名天王社から、各々名付けられました。なお、杉並第二小学校の「創立90周年記念誌」によると、「明治20年頃の天王橋は板が一枚置いてある橋」だったようです。それが昭和の初めには道路が改修され、それに合わせて橋が新設されました。屋倉橋も同様と思われます。 

 

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    ・ 屋倉橋  右岸方向を撮った数年前の写真です。熊野神社へ上る坂の手前を前回の右岸流が流れ、そこに権現橋が架かっていました。 

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    ・ 天王橋  熊野神社前から舌状台地を下り、天王社(現須賀神社)に至る通称、鎌倉街道に架かる橋で、杉並区のコミュニティバス「すぎ丸」のルートでもあります。  

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    ・ 善福寺川  天王橋から下流方向で、善福寺川はここでUターンし南に向きを転じます。左手奥は再開発中の阿佐谷住宅、かっての成宗田圃です。  

 <成宗村の橋>  明治初年の「東京府志料」には、成宗村の善福寺池流に架かる橋として、「丸太橋 長二間半幅三尺」「石橋 長一間四尺幅三尺」「板橋 長二間幅六尺」がリストアップされています。「長」は川幅にかかわるものなので、一般に下流程大きな数字になるわけですが、「幅」は道幅にかかわっており、幅六尺と全体でも最大の板橋が、五日市街道に架かる尾崎橋なのでしょう。あとは推測の域を出ませんが、丸太橋を天王橋に、石橋を白山前橋に割り振っておきます。後者は白幡鎮守白山神社前の橋で、「成宗村絵図」にも描かれています。

 

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