神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

成宗右岸2

2017-05-15 06:38:18 | 支流編(善福寺川4)

 権現堰からの用水を得た右岸流を追っての二回目です。熊野神社のある舌状台地を迂回し、その先端にある天王橋でUターンしたあと、南下して五日市街道を目指します。右手に右岸段丘の崖面、左手は善福寺川緑地の木立ちという風景は、これまでと全く変わりません。なお、途中杉並第二小学校前を通りますが、同小の創立は明治17年(1884年)、当時の学区が成宗と田端にまたがっていたことから、成田(せいでん)小学校と命名されました。この合成地名は今日の住居表示で採用された成田(なりた)東、同西に引き継がれています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. Uターン後舌状台地の東縁に沿って、南に向かう水路跡を含む道路です。水路は一貫して段丘よりを流れていました。

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    2. 左折すると相生橋に至る通りを越えます。逆に右折すると上り坂になり、台上で天王寺橋からの鎌倉街道と合流します。 

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    3. 段丘の際を左右に蛇行しながら引き続き南下します。段丘上に杉並第二小学校が見えてきました。

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    4. 「杉並の川と橋」(平成21年 杉並区立郷土博物館)の湧水リストにある「かま穴」龍神は、「杉二小東」とあり、このあたりなのでしょうか。

 <尾崎と白幡>  → 「成宗村絵図」にあるように、善福寺川の右岸一帯の字は尾崎で、権現社(熊野神社)はその鎮守でした。「尾崎 南の方にあり、これは前に云奇雲の瑞兆ありしとき、彼幡の尾のさしたる所ゆえ名づけしといふ、これも付会の説に似たり」(「新編武蔵風土記稿」) 尾崎の由来については、→ 「段彩陰影図」の左上に描かれた、熊野神社のある舌状台地の先端(小崎)とするのが一般で、「風土記稿」の引用する大宮八幡宮縁起にある伝承は、既存の地名から想を得て付会したものなのでしょう。なお、「杉並風土記(上)」(昭和52年 森泰樹)は、左岸の白幡(白畑)に関しても台地上にある広い畑(広畑)の転化と、やはり地形由来が元としています。

 

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