前回の水損のつづきです。修復するには費用もかかり、また再度崩落するかもしれません。そこで代替策として舌状台地をトンネルでショートカットする案が浮上します。「田端村広場大堰より成宗村弁天池迄畑山新規堀割繰抜場所長延三百七間別紙絵図之通り水盛相探かし候処、五尺余之水落も有之候ニ付」 ここには307間(≒560m)高低差5尺(≒1.5m)とありますが、「新規用水路引入再普出来形帳」の記載では、広場堰より繰貫口まで125間、繰貫142間、残り68間、合計335間(≒610m)となって、こちらの方が「明治42年測図」の描くルートを測ったものに近くなっています。なお、同帳によるトンネル部分の詳細は、「高下平均2丈余土下長延142間敷3尺高6尺」で、明取り兼土揚げ用の縦坑は9ヶ所掘られ、すべて木材で蓋をして埋め戻されました。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/20000地形図(明治42年測図) / 東京西近郊図」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。
- 1. 天保12年に完成したルートを、弁天池からさかのぼります。左手は成宗田圃を造成して昭和28年(1953年)開校した杉並高校です。
- 2. 左手に車止め付きの水路跡がありますが、ワンブロックで途切れています。左岸の用水の一部なのでしょう。
- 3. 左にカーブすると前回のトンネルですが、今回は直線で舌状台地を貫きます。
- 4. 舌状台地の尾根筋にある古道で、この下にトンネルはあったことになります。なお、右手は共立女子大関連の施設です。