田端村広場堰から分岐し、矢倉と通称される舌状台地を迂回するコース中にも、→ 「段彩陰影図」に白点線で書き込んだように、舌状台地の先端をかすめて横切るトンネルがありました。「杉並風土記」(昭和52年 森泰樹)によると、昭和49年の宅地造成の際、その遺構が発見されています。地下4.5mの関東ローム層に高さ1.3m幅1.6mのトンネルを素掘りしたもので、崩れは見られなかったといいます。ただ、少なくとも「取調書上帳」の記載には、天保11年中の工事で開削されたことを示唆するものは見当たらず、その辺の事情はよく分かりません。
- ・ 「陸地測量部発行の1/20000地形図(明治42年測図) / 東京西近郊図」 実線の水路と点線のトンネルが併存しています。なお、右端の神社下で右岸に分岐しているのが権現山堰です。
- ・ トンネル出口付近 段丘沿いに蛇行する水路に対し、トンネルは直線で段丘を貫いていました。この先で舌状台地を回り込む水路は→ こちらです。
- ・ トンネル入口付近 善福寺川緑地の北縁に沿う崖面です。舌状台地の先端に当たるこの付近に、トンネルの入口がありました。
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