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江古田村分水

2015-07-29 06:41:07 | 千川用水4

 江古田村分水は当初の「千川上水給水区域」に記載はなく、寛政6年「星野家文書」は「江古田村田養水口四寸四方」、「千川分水口取調絵図」も「江古田村分水口四寸四方長六尺樋」と書いています。それが、明治10年の「星野家文書」では、「上板橋村地内 幅二寸六分高二寸五分九厘」で、同時期の用水利用の水田は、村全体で9.4町歩ほどのところ、3.3町歩余となっています。なお、明治10年の「星野家文書」が分水口を「上板橋村地内」としているのは、上水の流域に開かれた江古田新田が、昨日UPの経緯により、多摩郡江古田村ではなく豊島郡上板橋村に属していたためです。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 板橋駅」(参謀本部測量局 明治14年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。なお、「☓」印が江古田村分水口、オレンジ線は区境で、左上から時計回りに練馬、豊島、新宿、中野区です。 

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    ・ 千川通り  江古田二又から450m弱のところから、南長崎のV字ターン方向のショットで、次の信号の先の右手が江古田村分水口です。

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    ・ 江古田村分水口  「☓」印に当たる現旭丘1丁目13番と18番の間の道路は、上掲「近傍図」と同様、やや右手にカーブした後、直線で目白通りに向かいます。

 <分水口の位置>  「千川素堀筋普請所積見分」の記載を元に、江戸時代の江古田村分水の水口の位置を計算してみました。この区間には江古田二又、南長崎のV字ターンという、位置の特定が容易な個所が前後にあります。そこで、両者からの距離を「見分」の記載から算出すると、江古田二又からは235間(≒427m)、南長崎のV字からは175間半(≒319m)となります。それを「近傍図」に円周で表し、二つの円が接する地点を分水口と考えると、現在分水口とされている「☓」印の100mほど上流になります。二又と南長崎間を合計した410間半(≒747m)は、現行のものとは誤差の範囲なので、この100mの差は実際に場所の移動があった結果かと思われますが、他に傍証となる地図、文献の類は未読で、推測の域を出るものではありません。なお、「近傍図」のこの区画は、縮尺、方角とも正確さを欠いていて、江古田川が妙正寺川に合流するところなど、実際とは大きく異なりますが、分水口の位置計算にかかわる個所にズレはありません。