神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

矢島水車

2015-07-13 06:16:24 | 千川用水4

 千川上水は前回テーマの筋違橋で、道路の南側から北側にシフトしますが、そのまま南側に沿う水路が分岐していました。明治10年代後半と目される「千川上水路図」に描かれた八基のうち、上流から四番目の水車で、オーナーの名前から矢島水車(のち北島水車)と呼ばれたものの回し堀です。下掲「東京近傍図」にも描かれていますが、確認のため、練馬駅の南にあたる該当個所を→ 拡大しました。なお、この水車は「大正10年第二回修正」まで描かれていますが、それ以降の地形図にはなく、武蔵高等学校報国団民族文化部門編「千川上水」でも言及されていません。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 板橋駅」(参謀本部測量局 明治14年測量)の一部に加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどになっています。オレンジ線は練馬と中野の区境で、元の中新井と江古田の村境です。

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    ・ 千川通り  練馬駅前の次の消防署前交差点からのショットで、矢島水車は右手の一角にありました。回し堀は通りをやや離れ、消防署と警察署の間あたりを抜けていたようです。

 <もう一つの中新井分水>  この回し堀と関連して、練馬区土木部「緑と水の練馬」(平成元年)は文献上にはない、もう一つの中新井分水について書いています。「千川上水は西方にあった筋違橋から道路北側に移っているが、その分水がそのまま千川通り南側を東に流れ、豊多摩上2-27付近にあった水車にかかっていた。この分水途中から南に流れ、中新井川に通じる。さらに練馬郵便局南側にあった池からの小流れが、三の橋をくぐり、豊玉中3丁目付近で当分水に合流していた。現在地中埋没」 → 「段彩陰影図」に見るように、利用した谷筋は明らかですが、昭和一ケタに着手された、環七や環七から練馬駅に向かう道路(都道442号)によって、中新井の他の分水に比べ痕跡はほとんど失われ、今日たどることは困難です。

 

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    ・ 水路敷きの路地  消防署の南、400mほどのところにあるワンブロックだけの路地で、水路敷と明記されています。今回の分水とかかわるのでしょうが、前後のつながりは不明です。