昨日、追加経済支援対策が発表された。
その興味と並行して衆議院解散総選挙の話題が常に出てくる。
そこに興味を持つこと自体になんの疑問も抱かないが、一部の政治家の早期解散を望む理由が気に食わない。
「選挙事務所の維持費が苦しい」
「後援会に対してカッコがつかない」
知るか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!
そんな議員が景気対策に真剣に取り組んでいるとは到底思えない。その状況から「実体験で企業の苦しみと苦悩を学んでます。」くらい意地を張れ!
「資金繰りが苦しい」
「取引先に対してカッコがつかない」
吐露すればきりがない。
どう読み解いても推進派のあげる理由は「自己都合」でしかない。
ある程度解散時期を予測し情報を集め決断して失敗だった。
「投資は自己責任」とある時期盛んに論じてはいませんでしたか?
勿論個人的な愚痴や不満はあるが、メディア媒体にそれを実名が載るのを理解してコメントする神経が理解できない。
誤解のないようにここで解散の是非に不満を挙げているのではない。
世の社会人は現在の経済情勢に神経過敏な時期にこんな間の抜けたコメントを出した個人に怒りを感じている。
そんな人達が官僚に「省益よりも国益」と説教したところで効果がないのは当たり前だし、まして「官僚に依存した運営を変える」なぞした日にはどんな既得権益が生まれるか不安しか生まれない。
一つの国の今後を左右する国会の「解散」をそんな理由で後押ししているのはメディアも同罪だと思う。
「解散」という質問や記事を確認するたびに、興味が集中し大きな問題が霞んでいく。
北朝鮮が拉致被害者の再調査を拒否した理由は当時の政権での基本合意の認識が現政権とでどう変わるか見定めるまで行動できないと、何故か中国経由で連絡された問題を受け尚解散し、総理を変える事が国益に繋がらないかもしれない一番の具体例ではないか?
北朝鮮の言い分は個人的にはとってつけた言い訳と思うが、他の問題でもこんな言い訳が出て来ないとも限らない。
自民党が責任政党から転落するしないは今はどうでも良い。
しかし、ここで舵を握る人間が不在や変更になれば漕ぎ手は進路を見失い躊躇する。ここでいう漕ぎ手は金融と仮定して押し流す水を資金とすれば更に貸し渋りが増す事になるまいか?
ある討論会でどこかのコメンテーターは今まで企業を救い、国民視点での救済が疎かである。と言っていたが、それは社会福祉や医療制度などの国家主導のものであって、経済というものは企業を元気にしなければ活性化せず、雇用は減り所得は落ちる。それが消費の減少に繋がり負の連鎖が始まる。
滝は高いところから低い所にしか流れないのは道理ではないか?
総合的に比例して水準を上げたいのなら、外から持って来て水量を増やすか、途中の流れを逸らさぬよう異物を排除し出来るだけ効率的、段階的に行う末端まで行きわたらせるのが本道ではないか?
去年からこの末端に行くまでの経路に横穴を開け、個人的ダムとしてため込んでいた人たちが次々見つかり、ひどいものには水に似せた別の物を流して懐にため込んだ事件が続出したがここに一番の問題を感じたとき、システムの政策も悪くはない。悪いのはそれを運用してる過程の悪意ではないか?と落ち着く。
次回は「蒟蒻畑に見る、陰謀疑惑」を書こうと思うが、散々勝手な自己主張をしてしまったので自粛するかも・・・