水瓶

ファンタジーや日々のこと

大岡川をさかのぼり(前編)

2016-05-29 13:35:46 | 横浜の町
新吉田と呼ばれる大岡川の辺り、埋め立てられたのは十七世紀半ば頃。浅いながらもとても濃い歴史があるんです。

昨日は桜木町の近くの河口から、大岡川をさかのぼってみました。
どうせ川をさかのぼるなら、かかってる橋を写真に撮ってみようと思い立って。
かなり歩いたので、今日はすっかり足が筋肉痛。いてて。。


とはいいながら桜木町前を通る大きな車道、河口の北仲橋は撮るの忘れまして、次にかかる弁天橋からです。
名前の示す通り、赤い橋。


すぐ近くにそびえるのはランドマークタワーやみなとみらいのビル群。
でも弁天橋をちょっと過ぎるだけで、ずいぶん雰囲気が変わります。


それほど広い川幅でもないんですが、船がいっぱい停泊しています。

大岡川は過去、水運で重要な役目を果たしたそうで、荷揚げ場址も残っています。
上流は日野川と笹下川に分かれていて、室町時代に鶴岡八幡宮が焼失した時には、笹下川から大岡湾(戦国時代は蒔田湾と呼ばれていて、ちょうど桜木町駅付近が河口だったそう)を通じて、材木を運んだそうです。
そういえば材木問屋みたいなお店、いくつか見かけました。ていうか鶴岡八幡宮て焼失してたんだな。。。


Googleマップには名前がのっていない住吉橋。冒頭写真もこの住吉橋で結構大きい橋なんだけど、なぜなのさー
大岡川沿いには桜並木があって、春にはさくら祭りが開かれていますが、昔は梅林で有名で、江戸から観光客が沢山来たそうですが、
団地が建てられたため、梅林はなくなってしまったそうです。


広い車道の大江橋。広いのは、かつて路面電車の線路が通っていたからのようです。今の大江橋は四代目。
大体この辺りの橋は、明治の初め頃に架けられたか、架け替えられているんですが、
その頃に山手の居留地から来る馬車が格段に増えたため、それに耐えられる橋にしたからのようです。

初代・木造の大江橋が架けられたのは1870年(明治3年)。大江という名前は当時の神奈川県令(今の知事)の方から取ったそう。
1902年には横浜電気鉄道の路面電車を通すため、二代目のトラス橋に架け替えられ、1922年には三代目に架け替えられました。
その後、関東大震災で被災しましたが落橋は免れ、横浜大空襲にも生き残り、現四代目は1973年に完成したもの。
へええ、、関東大震災も横浜空襲もサバイブしたというのは、なかなか強運の豪の橋ですね。

(※大江橋についてはwikiではわからない部分があったんですが、こちらのサイトに詳しい話がのっていて、参考にさせて頂きました。)


ちょうど走って来た根岸線。おお、いい感じに撮れたぞ!と自画自賛したうえに森のなかまに自慢。へっへっへ~


桜川橋。検索したら、最近公開された映画「さらば あぶない刑事」に、定年した刑事がこの桜川橋近辺でラーメン屋の屋台をやっているという設定があって、出て来たようです。

写真撮ってて、なんかやけに絵になるなあと思う場所が多かったんですが、
この辺りは古くから映画のロケ地などで使われていたんですね。黒澤明の「天国と地獄」が特に有名なようです。


「都橋商店街」で画像検索すると、これに似たような写真がいっぱい出て来ます。
商店街といっても一つの建物で、ハーモニカ横町と呼ばれているそうです。あ、な~るほど!


都橋のたもとには交番があります。この辺り交番がとても多いです。

大岡川の橋は、関東大震災でほとんど落ちてしまったそうで、その後に架けられたものを復興橋というそうです。
浅草辺りの橋もそうですよね。そして復興橋のたもとには、交番・トイレ・消火器具納庫があるのが一般的なんだそうです。
江戸時代には橋番と言われる番人がいたのかも。


都橋商店街、道路側からのようす。店名からすると、ほとんどスナックや居酒屋のようです。
そう、商店街は商店街でも、夜の商店街なのだ!
・・・ので、昨日おさんぽした時間帯には、みんなClosedの札がかかっていました。
夜はまたぜんぜん雰囲気が違うんだろな。

東京オリンピック開催時に、本通りをきれいに見せるため、本通りに並んでいた露天や屋台をここに収容したのが始まりだそう。
だから間口の狭い、小さなお店が並んでるんですね。会員制と札がかかっているお店も多いです。
こういう感じのお店って、初めて入るにはかなり勇気がいると思うんですが、ここにそのレポがありました。
メニューがない店が多いそうなんですが、わりと良心的な会計で、意外に大丈夫のようです。

ちなみに、ちょっと古くからあるような町には、こういう昭和的なスナックって何軒かあると思うんですが、
今やママも常連のお客さんも高齢化して、まるで全額自費負担のデイサービスのような機能を果たしていることもあるようです。
こういうお店のママって地元の情報通で、またよく気が回るから、独居の高齢男性などには有用なのかも知れません。
デイサービスで折り紙やぬり絵なんかちまちまやってられるけえ!みたいな男性も多いですし。
でも、人としゃべったりカラオケで歌ったり、そういうことなんですよね、認知症対策って。


桜川橋近くの交差点。


これもGoogleマップには名前ののらない宮川橋。


かんばん屋さんの「かんばん」というかんばん。???


長者橋。関東大震災の後に架けられた復興橋の一つで、他の橋よりも西洋風だと思うんですが、それもそのはず、
復興では多くの橋が一度に建設されていたので技術者が足らず、東京芸術大学の教授が生徒に課題として親柱のデザインをさせ、
その一つが採用されたからのようです。長者橋はアール・デコ調。

大岡川の橋の名前、長者橋とか黄金橋とか、いかにも由来がありそうな名前なので調べてみたんですが、
この辺りは埋め立て地だったので新しい町が多く、名前をつける際にせっかくなら縁起のいい名前を、ということで、
長者町、黄金町、曙町、寿町などのいかにも縁起のよさそうな名前が選ばれて、橋の名前もそれに準じたからのようです。
すごく羽振りのいい長者がいたとか、埋蔵金の伝説があるとか、そういう由来があったわけじゃないんですね。。。しょぼん。


日ノ出町駅。この辺りから上流にかけて、大岡川に沿うように京急線が走っています。


変化に飛んだ景観の町。


旭橋は、車道と人が通るための橋とに分かれています。


京急高架下のアート街。

私が横浜に越して来たのは十二年前ぐらいで、あまり古い話を知らなかったんですが、
大岡川近辺は、さらに新しい埋め立て地区みなとみらいとは、雰囲気なり歴史なりちょっと違うんですね。
仕事柄、戦前戦後からこの辺りに住んでいたという何人かの年配の方と接する機会も多く、へえー、やっぱ横浜みたいな都市に長く暮らして来た人の経験は、栃木の田舎育ちのうちの親とかとは違うなあと話を面白く聞いたりしました。
生半可につっこむのも難しい話で、このブログではあまり触れませんけれども、今回の記事を書くにあたっては、
大岡川の歴史や橋の話など、このはまれぽでたいへん面白く読ませていただきました。

青線地帯から芸術の街へ 黄金町の話

みなとみらいはきれいで、お買い物してもお散歩しててももちろん楽しいんですが、
黄金町や日ノ出町、伊勢佐木町にはまた違う面白さがあり、それはなんかこうダークな過去含めての独特の雰囲気があるからだと。
もちろん今はきれいになって治安も良くなっていて、だから森のなかまと私もこうしてのんびり写真を撮って散策できてたりするわけなんですが、カメラとか向けない方がいいのかなと思われる場所が、ちらほら路地裏なんかにあったのも確かです。
こういう黒歴史的な話って、忘れて欲しい人たちがいるのももっともだと思うんですけれども、私は知って良かったかな。


ここ最近、こうした町の風景の美しさって、たとえば山手の西洋館みたいな美しさと違うけれど、何がどう違うんだろうか考えてるんですが、一つには生活感のこと。
生活感は職と住が同じ場所にある時に、よく出て来ると思うんですが、たとえば高級住宅地って、スーパーや病院が近くになかったりして、生活するのに必要だけれど所帯くさいものを、なるべく遠ざけてるんですよね。
だから不便でもあるんですけど。しかも高台にあることが多いし。。
で、いわゆる下町って、職と住が一緒のことが多いんですよね。その辺が、古民家の美しさとも通じるかな、と。
古民家は農業なり漁業なり、生業に適するよう作られていたから。
逆にいえば、お金があれば、生業や風土を無視して家を建てることができるので、山手西洋館はそういう美しさです。

あと、もう一つは時間がつくる美しさ。歴史っていうと大げさだけれど、時間がたつことで、ある期間そこに人が暮らして来たというようなことから生まれてくる美しさ、みたいなものがあるのかなあと。
かつての生活をしのばせる美しさ。なんか別の言い方があるかも知れませんが。
廃墟ブームとかあったりしますが、あれもかつて人がそこにいて何か活動していた、みたいな痕跡が見えるから面白かったり感慨深かったりするんじゃないかと思います。
で、その時間経過がかもし出す美しさは、山手だろうが下町だろうか持っているはずで、はてどんなもんでがしょう。


かつての大岡川は、横浜名産のスカーフを染色するために、工場からインクまじりの汚水が排出されていて、インクくさかったそうです。
今はきれいになって、カヌーを漕いでる人もけっこういるようです。


日ノ出湧水。開港後、埋め立て地の辺りは良質な水の確保に苦労したそうですが、日ノ出町辺りは自然の湧水に恵まれた土地で、
民間業者が、横浜港へ出入りする船に、飲み水などを提供していたそうです。
今この湧水は環境変化などで飲料用には適しませんが、生活用水として使うことは可能だそう。

と、今回は旭橋まで。どうだ、ディープじゃろう。上流へとつづく。