過去の検証という意味で載せてみる。
事の起こりは小冊子から・・・
昨日(7/13 水) ワタシが仕事中の話。
オットがワガヤへご来訪のご近所の方と,遣り取りをした模様。
ご近所さん「さっきも来たんだけど,開けたままで不用心だよ」
オット「え。そうですか。それはすみません。一体どんなご用件でしょうか」
ご近所さん「いやー。あのさー。これもらったんだけど」
オット「有難うございます。あ,何か間違いでもありましたか」
ご近所さん「いやー。でもさー,漢字いっぱいあって読めなかったんさねー」
オット「・・・はあ。そうですか。・・・ナニカありましたか?」
ご近所さん「うん。このさ,ここね。『下らない』って言う言葉遣いがねえ・・・。ちょっと と思ってさ。
ここの造ってるメーカーとか働いてる関係者の方が読んだら,この『下らない』っての,不快に思うんじゃないかな~」
オット「え?もしかして,○○さんに直接そう言って来られた方がいらっしゃいましたか?それなら直接謝りに・・」
ご近所さん「いやいや。そうじゃないけどねー。でも『下らない』はやめた方がいいよねー。
あたしもさあ、違うことだけど似たようなことで『そんげこと言うもんじゃねえ』ってダンナに怒られたことあるしねー。
気を付けたがいいよー。うん」
オット「はあ・・・そうですか。以降 気を付けるようにします」
ご近所さん「そうしたほうがいいね~」
オット「わざわざどうも有難うございました」
以下オットから報告(笑)を受けて考えたこと。
1.ワタシは授業中。オットは初めトイレの最中で次に電話をしていた(らしい)。
玄関が開いているのにすぐに人が出てこないのは,彼女の気に障ることだったろうか?
・・・でも。授業が入っていて塾生も来ている状態の平日午前,つまり「営業中」だ。
だから,開けていても不用心とは言えまいに。
2.「漢字いっぱいあって読めなかった」と言う言い訳するくらいなら,
読んでから「読みにくいところがあった」と言って来てくれる方が,誠実のように思う。
「読めなかった」のは少なくともこちらの意図するところではないから,
たとえ文句を付けられたとしても困るのだ。
それに,「読んでない」ということを言いたいのだったら,土台失礼だよね?
それとも結局は「こんなのは読むに値しない」ということが言いたかったんだろうか?
3.いいけどね別に。論旨を読んでくれていなくても。
「ご自由にゼヒ,ご意見下さいね」と伝えてあったのだから,自由な意見として受け取りはします。
でも「読めなかった」?
これが「読むことが出来なかった」と言う意味だとしたら,
「字面を読めない=最後まで全部読んでいない=論旨も解らない」となるのでは?
いやいや「ホントは読んだ」のかも。・・・だったら尚更「論旨は理解できなかった」のでは?
文章の論旨が理解できない時,論旨を効果的に述べるために使った導入部の語彙そのものだけに「反応」することは,非常に危険だ。
ある語を,逆説的に使用するコトなんて,日常茶飯事だ。
ましてや,論者の主観を通してある主張を述べるために,装飾的に「不適切な」語を使うコトだってままある。
それでも,論旨が伝わっているならよいのである。
論旨を伝えるのに大したことではないから,表現技巧として成り立っているのだ。
そのはずなのだが。
うーーーむ。
覚悟はしていたが,こんなコトバが来るとは思いもしていなかった ^^;
そうか。こういう見方があるのかという意味でも,有難いです。
事の起こりは小冊子から・・・
昨日(7/13 水) ワタシが仕事中の話。
オットがワガヤへご来訪のご近所の方と,遣り取りをした模様。
ご近所さん「さっきも来たんだけど,開けたままで不用心だよ」
オット「え。そうですか。それはすみません。一体どんなご用件でしょうか」
ご近所さん「いやー。あのさー。これもらったんだけど」
オット「有難うございます。あ,何か間違いでもありましたか」
ご近所さん「いやー。でもさー,漢字いっぱいあって読めなかったんさねー」
オット「・・・はあ。そうですか。・・・ナニカありましたか?」
ご近所さん「うん。このさ,ここね。『下らない』って言う言葉遣いがねえ・・・。ちょっと と思ってさ。
ここの造ってるメーカーとか働いてる関係者の方が読んだら,この『下らない』っての,不快に思うんじゃないかな~」
オット「え?もしかして,○○さんに直接そう言って来られた方がいらっしゃいましたか?それなら直接謝りに・・」
ご近所さん「いやいや。そうじゃないけどねー。でも『下らない』はやめた方がいいよねー。
あたしもさあ、違うことだけど似たようなことで『そんげこと言うもんじゃねえ』ってダンナに怒られたことあるしねー。
気を付けたがいいよー。うん」
オット「はあ・・・そうですか。以降 気を付けるようにします」
ご近所さん「そうしたほうがいいね~」
オット「わざわざどうも有難うございました」
以下オットから報告(笑)を受けて考えたこと。
1.ワタシは授業中。オットは初めトイレの最中で次に電話をしていた(らしい)。
玄関が開いているのにすぐに人が出てこないのは,彼女の気に障ることだったろうか?
・・・でも。授業が入っていて塾生も来ている状態の平日午前,つまり「営業中」だ。
だから,開けていても不用心とは言えまいに。
2.「漢字いっぱいあって読めなかった」と言う言い訳するくらいなら,
読んでから「読みにくいところがあった」と言って来てくれる方が,誠実のように思う。
「読めなかった」のは少なくともこちらの意図するところではないから,
たとえ文句を付けられたとしても困るのだ。
それに,「読んでない」ということを言いたいのだったら,土台失礼だよね?
それとも結局は「こんなのは読むに値しない」ということが言いたかったんだろうか?
3.いいけどね別に。論旨を読んでくれていなくても。
「ご自由にゼヒ,ご意見下さいね」と伝えてあったのだから,自由な意見として受け取りはします。
でも「読めなかった」?
これが「読むことが出来なかった」と言う意味だとしたら,
「字面を読めない=最後まで全部読んでいない=論旨も解らない」となるのでは?
いやいや「ホントは読んだ」のかも。・・・だったら尚更「論旨は理解できなかった」のでは?
文章の論旨が理解できない時,論旨を効果的に述べるために使った導入部の語彙そのものだけに「反応」することは,非常に危険だ。
ある語を,逆説的に使用するコトなんて,日常茶飯事だ。
ましてや,論者の主観を通してある主張を述べるために,装飾的に「不適切な」語を使うコトだってままある。
それでも,論旨が伝わっているならよいのである。
論旨を伝えるのに大したことではないから,表現技巧として成り立っているのだ。
そのはずなのだが。
うーーーむ。
覚悟はしていたが,こんなコトバが来るとは思いもしていなかった ^^;
そうか。こういう見方があるのかという意味でも,有難いです。
うちのログを読んでくださったとのこと、ありがとうございます。
その4の、最後の方に書かれていた、
>「学習は生活の延長上にある」のですから,まあ,これは必然でしょう・・・^^
ここを読んで、非常に、非常に嬉しく思いました。
国語力=日本語力は全ての学習における基本となるものですが、その力は読書のみによって養われるものではないというのが私の考えなんですね。
ですが、それを理解している国語教師は、実はそれほど多くない気がします。
かささぎさんの教材選択眼と授業構成が、非常に美しく、同じ畑で少しばかり仕事をした経験のある者として、感動を覚えたので、書き込みに参上しました。
これからもちょくちょく、遊びに来ていいですか?(あまりコメント力のある方ではないので、お目汚しになるかもしれないのですが…
追伸:
Kenさんのブログでのお題に参戦しようかなと思ったのですが、最初から出鼻をくじかれてしまい
(正直に書きます。「論旨」あるいは「問いの要求」を、全員、厳密には理解できていないと感じました。もしくは問いの答えとして、引用することが適切ではないところに、拘泥しているという印象を受けました)、
参戦を迷っております…。
私の技量では、波風が立ちそうで…
追伸:
このコメント自体が不適切であれば、削除していただいて、適宜(大変お手数ですが)加工していただければと思います。
たまさん こんな拙いところへわざわざお越し頂いて・・・感激です! 嬉しいです~♪
私は,たまさんの 5/8の記事「とにかく学ぶこと」に非常に共感しました。同じようなこと考えて暮らしている人がいる!しかも介護を過去はともかく「今」楽しんでいらっしゃる。生の美しさをみようとしていらっしゃる・・・と。必ずコメントに行きます。こちらこそお目汚しになるかもしれないと心配ですが・・・。寄らせて下さいませ。
たまさんのフクロウ(笑)には覚悟が見えます。
好きなんです。泣けるところも。美しい場面や醜い場面をそのまま切り取って下さるあなたの視点も。
もう少しで現時に追い付けます。また是非,寄らせて下さいませ。
コメント本当に有難うございます。涙が出ました。
是非 Kenさんのところにも御参加頂けたら と思います。波風は立ってから考えましょう^^