日々是好日?かささぎなくらし

筑紫平野→新潟平野→関東平野と旅を続けるかささぎが,「よく暮らす」に焦点を当てて 鳴いてみる。らしい。

個人的なこと(続たたかう的な 独り言)

2005-09-23 11:30:13 | へんなこと(ジブンについて)
ワタシが知りあえた 全ての方達に。





みえなくとも あえなくとも
いま ワタシが書き続けることができるように
支えてくださった 多くの方達に
感謝を込めて。



とても個人的なことなのだが この辺りで少し書いておきたい。


今のワタシが知り得る環境の中で出逢えた方たちの中には
ワタシと同様に 様々な問題を抱えた方がいらっしゃる。

ガッコウで学習を続けることが困難な人
医師の診察を受けた人
治療に通わねばならない人

日常の生活を続けたいと願いながらも
その些細な日常の生活さえもが そのままでは困難であり
本人の非常な努力と 周囲の理解と協力・支援を必要とする。
そんな方達がある。



かつてワタシは自分が精神障害者だと思い悩んだ。
自分が人格障害を持っていると思っていた。
自分では統合できない精神に 自分では解決できない暗い何かがあるのだと密かに思っていた。

進学を機にやっと実家の束縛を逃れたと思った。
離れても自分に流れるオヤの血-実家の束縛は,消えないと絶望的になった。
一生誰とも暮らさないと決意していた。

自分には同一性障害の傾向が強い。
だから誰とも暮らせないと信じ込んでいた。
そういう自分の精神状態を解消しないまま,学卒し,ツレアイと籍を入れた。

そのつけが貯まるかのように,
子をなしてからは 子と自分との時間や精神バランスをとるのに苦労し,
ムスコの機能発達を疑った。学びを止められなかった。




そのお陰なのか 今でも学び続けられる。
やっと やっと これでよいのだ と言えるようになってきたのだ。

そのことが 嬉しい。

やっと,少しずつワタシを出せるようになったことが シアワセと言えるようになった。




他の,公私を分かたず一般に教師・講師と名の付く職に就く方達は知らない。
ワタシが知っているのは
ワタシの実体験上の 公教育現場に携わっておられた教師と,
現在の環境に於いてワタシと関わりを持つ教師業真っ最中の方達の様子と,
現在関わりを持つ方達からの生の声による 公私の教育現場の教師像 である。

他の,オヤは知らない。
ワタシが知っているのは
ワタシの実体験上の 両親と,
現在の環境に於いてワタシと関わりを持つオヤ業真っ最中の方達の様子と,
現在関わりを持つ若い方達からの生の声による 彼等のオヤ像 である。



活かせるようになったのだな としみじみ思う。
活かすことができるように 生かされてきたのだな と噛み締める。


多少は詳しく強く明るくなった分野が
 ワタシには ある。我が家には ある。※

ワタシが幼いときからずっと 怖れていたこと 悩んでいたこと,
望んでいたこと して欲しかったこと を
解消すべく 叶えるべく 少しずつやろうとしている・・・  
それでよいのだと思う。


 理解があるとないとでは がらりとかわる。
 意識は強い。
 知ることは生きることに直結する。
 力を蓄えるのは自分のため。
 自分のために生きることが他を生かすことにつながる。
 



有難う 有難う ありがとうございます ありがとうございます



ことばにならないものも
ことばにできるものも
すべてが いとしい




※体験と学習による経験から

広汎性高機能発達障害
学習障害
自閉症(アスペルガータイプ)
GIDを含む同一性障害
機能不全家族の問題

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
聞こえます (利休)
2005-09-23 11:39:45
かささぎさんの「有難う」という言葉が聞こえます。

きっとたくさんの人にも聞こえていると思います。

「生き続ける努力の営み」をしていらっしゃったんですね。



だいすきですよ (ろぜ)
2005-09-23 18:56:57
かささぎさん



だいすきですよ(*^_^*)



いつかかささぎさんとお話できたらなぁと夢にみています。
愛を乞う人 (うさと)
2005-09-23 22:07:37
かささぎさん、こんばんは。秋の夜ですね。



今日は友達とまた、姫河骨を見に行き、あなたのことを考えていました。

あなたの背負ったもののことを考えていました。

薄くぼんやりとですが、あなたが「脱ぐ」とおっしゃっていたイミがこういうことなのかなと思っています。そうなの、かささぎさん。

「愛を乞う人」という小説(映画にもなっています)をご存知でしょうか。被虐待児のお話です。

私も、家庭など持てないと思ってすごしてきました。どう考えても無理ジャンってね。私のどの要素をとっても、誰が好き好んでややこしい事情を持った子と一緒になろうとするだろうかってね。そうして、家を捨てたいと思ってきました。苗字も、生まれも、流れている血も。どう考えてもこのDNA の呪縛からは解き放たれないってね。「ガッコー」についての記事をわたしが書いたとき、あなたは、「脱いだのですね」と言ってくださったけど、欝だったこととか、たたかう道具を手に入れるためにガッコーへ行ったこととか、あんなことは、本当にブログに書ける程度のことでしかなく、本当は、まだ言えないでいることがいくつかあります。だから、本当は、まだ脱げないでいるのです。言うことにより、私の周りの者にその荷を背負わせてしまうことも嫌です。

傷ついたもの、欠落したもの、背負ったもの、それらは残りの人生の中で、埋められていかなければなりません。それが生きるということですから。そうして、それは、謝ってもらうことでも、癒してもらうことでも、愛してもらうことでもないと思います。それでは折り合いがつかぬほど、大きく傷つき、へとへとになり、乾ききってしまっているからです。与えられても、与えられても、求める心は満たされない。求めれば求めるほど、満たされなさが深まっていくばかりです。

ただ一つだけ、本当にその傷を治すものがあります。それは、「育てる」ということです。愛して、いつくしんで、子ども(自分の子であろうと、よその子であろうと)を育てることだけが、救われる道です。自分が満たされなかったことを、取り戻すのでなく、子を満たして育てる側に回ることによって、また、自らも満たされていくということです。生き続けるということはそういうことではないかと思います。

長いコメントになってしまいました。ごめんなさい。
初めてです。宜しく。 (けんちゃん)
2005-09-24 10:37:02
逃避の傾向があるけんちゃんです。洒落で生きているようなもんです。でも、人生真剣に考える瞬間は日毎に増えていきます。

種の保存っていう意味では、日本の能力は低下していると言わざるを得ません。

うさとさんのコメントでちょっと思ったこと。

教育、共育。理想は育む。現実は育てると。



育てられ (The社会福祉マン!)
2005-09-24 12:38:06
あんまり難しいことはいえませんが

「育てる」ことをしていると

本当は、こちらが「育て」られているのかもしれません。

こうやって、見せてもらうだけでも

こちらこそ、ありがとうです

いろんな方の、いろんな方にです
遅くなりました (かささぎです)
2005-09-26 17:35:11
コメントを残して下さいました皆様,有難うございます。

嬉しくて,何度もお言葉を噛み締めている内にお返事遅くなりました。申し訳ありません。



◆利休さま

有難うございます。「聞こえます」と言って下さった その一言が 

とても とても嬉しく 身に染みてまいります。 ありがとう 利休さん





◆ろぜさま

ろぜさん ありがとう^^ わたしもろぜさんがだいすきです^^

いつか必ずお逢い致しましょうね





◆うさとさま

こどもの寝静まった秋の夜長 部屋で一人考えていると,うさとさんの言葉が深く静かに沁みてまります。



うさとさんがここに残して下さったこと,気持ちが言葉が私には宝物です。

うさとさんが少しでも「脱ぐ」ことができるようなら,それはうさとさんにとってもその分だけ何かを解消もしくは昇華できることであるだろう。それはきっと「脱ぐ」必要がうさとさんにはあり,そのときが来たらその分だけを「脱ぐ」ということなのだろう と私はおもうのです。多分それは私にも同様に返ることばなのだ とも思います。

『凍り付いた瞳(め)』をうさとさんは御存知でしょうか。私はこどもを持つ前にこの本に出逢ったお陰で,自力でなんとか少しずつ氷塊を溶かす力を得られたように思います。

こども時代の自分に向き合うために,そして自分の出来る限りのいのちを与えられるはずのまだみぬこどもたちに向き合う勇気を,この本に出逢えたことで得ることが出来た。そう思っているのです。

「与えよ されば 与えられよう」 こどもに真正面から向き合うことで,私は自分に欠けているなにかを真正面から見詰めることが出来るようになったのでしょう おそらく。



いつもありがとう うさとさん。いつか必ず水に花咲く姫河骨をみにゆきます。そのときにはうさとさん,案内をお願い致しますね。





◆けんちゃんさま  

初めまして ようこそいらして下さいました^^ 

洒落で人生 真剣さも増すとのこと 素敵ではありませんか。真剣さと洒落っ気は セットでこそお互いが活きると,私は考えますし^^



教育は共育。はぐくむもそだてるも,どちらも必要。どちらをどのような場面で生かしていくのかを考えて実践してこそ,理想の教育なのだと私は思います。

けんちゃんさん 有難うございます。またどうぞ お寄り下さい^^





◆The社会福祉マン!さま

「『育てる』ことをしていると本当は、こちらが『育て』られている」とのお言葉,とても力強いです。本当に,そう。私も日々小さいひとや若いひとに接していて,実感することしきりです。有難うございます^^ 

「いろんな方の、いろんな方に」「ありがとう」と残して下さる The社会福祉マン!さん,こちらこそありがとうございます。 

また是非 お立ち寄り下さいませ^^

どうしても (うさと)
2005-09-26 22:50:33
かささぎさん。

コメント受け取ってくださり、ありがとうございます。

どうしても、書きたくて、続けて記事を書きました。今日の記事で、上に私が書いたコメントの一部を使いました。かささぎさんへのお話だったのに勝手に使ってごめんなさい。お許しください。

お許しいただけるのなら、

いつか、あの花を一緒に見に行きましょう。

どうとでも (かささぎ)
2005-09-27 04:02:55
うさとさん

そんな 許すも何も!

うさとさんが書き残して下さった言葉と共に,書き残して下さったという事実,そして何よりも残そうとして下さったうさとさんのお気持ちが ここにはありますから。

もともとがうさとさんのお言葉ですから。どうぞ・・・なんて逆に言えませんよ,私。



記事を拝読致しました。コメントを残してきました。連続した記事 とてもよい記事だと私は思います。

うさとさんが私同様「小さい人」とつかっていらっしゃるの,そんなことがとても嬉しい私です・・・