鎌倉ガイド協会主催の史跡めぐりに参加した。
京浜急行の馬堀海岸駅に集合し、蹄の井~走水水源地~御所ケ崎~覚栄寺~円照寺~走水神社~観音埼灯台の約6kmを歩く。
蹄の井 伝承によれば、上総の国に住む暴れ馬が村人に追われてこの地に泳ぎ着き疲れて寝入ったが、観音の夢を見て起き上がり蹄でけったら清水が湧き出した。その水を飲んでのどの渇きを癒すとたちまち駿馬に変わったという。競馬の馬主さんもお参りに来るそうです。
走水水源地 美味しい水をいただきました。
海に菅(すげ)の畳と皮の畳、絹の畳も八重に敷いて座り、毅然と沈んでいくと荒波も凪いだという走水の海。
「古事記」「日本書紀」によると日本武尊が景行天皇40年(110)蝦夷平定の途中ここから上総に渡ろうとしたが波が高く進むことができなかった。そのとき后の弟橘媛命が入水して海神の怒りを鎮めたので無事に渡海できたという。
荒れた海を鎮めるため、自ら入水した后の弟橘媛命。その七日後、姫の櫛が静かに海岸へ流れ着いたという。
走水神社 尊の冠を石ひつに納めて御神体として神社を建立した。明治になって弟橘媛命を合祀した。 裏山には、「古事記」に伝える媛命の「いまわしの歌」の碑が立っている。
走水神社氏子総代の角井さんのお話も大変勉強になりました。
これから観音崎に向かいます。遠くに観音埼灯台が見えます。
京浜急行の馬堀海岸駅に集合し、蹄の井~走水水源地~御所ケ崎~覚栄寺~円照寺~走水神社~観音埼灯台の約6kmを歩く。
蹄の井 伝承によれば、上総の国に住む暴れ馬が村人に追われてこの地に泳ぎ着き疲れて寝入ったが、観音の夢を見て起き上がり蹄でけったら清水が湧き出した。その水を飲んでのどの渇きを癒すとたちまち駿馬に変わったという。競馬の馬主さんもお参りに来るそうです。
走水水源地 美味しい水をいただきました。
海に菅(すげ)の畳と皮の畳、絹の畳も八重に敷いて座り、毅然と沈んでいくと荒波も凪いだという走水の海。
「古事記」「日本書紀」によると日本武尊が景行天皇40年(110)蝦夷平定の途中ここから上総に渡ろうとしたが波が高く進むことができなかった。そのとき后の弟橘媛命が入水して海神の怒りを鎮めたので無事に渡海できたという。
荒れた海を鎮めるため、自ら入水した后の弟橘媛命。その七日後、姫の櫛が静かに海岸へ流れ着いたという。
走水神社 尊の冠を石ひつに納めて御神体として神社を建立した。明治になって弟橘媛命を合祀した。 裏山には、「古事記」に伝える媛命の「いまわしの歌」の碑が立っている。
走水神社氏子総代の角井さんのお話も大変勉強になりました。
これから観音崎に向かいます。遠くに観音埼灯台が見えます。
神奈川県立金沢文庫で企画展「仏教美術逍遥」が開かれている。
称名寺をはじめ、龍華寺、薬王寺などの鎌倉時代の仏教美術品が展示されています。
聖観音菩薩立像 龍華寺
蓮華座に立ち左手に未開敷蓮華を持って右手の指を捻じて花びらを開く手勢となる聖観音立像です。穏やかなお顔です。
阿弥陀三尊立像(善光寺式) 龍華寺
厨子入薬師三尊及十二神将・四天王像 寶生寺
幡頭 龍華寺
幡頭(ばんとう)は大規模な法会の際に堂内を尊厳するために使用された幡を吊り下げるための道具。
本品は想像上の生き物である龍と鷁(げき)の頭をかたどったものです。初めて見ました。
隣接する称名寺は真っ赤な色の曼珠沙華が咲き秋の装いです。
初めまして「きまぐれ日記」の nemunoki です。
この度、ocnブログ人より引越してきました。
孫や身近なことを気まぐれにつづります。
よろしくお願いいたします。
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9月12日は龍口法難会(ぼたもち供養)の日です。
鎌倉大町に位置する「ぼたもち寺」の呼び名で親しまれている常栄寺を参拝した。参拝者は7,8人と意外と少ない。
捕えられた日蓮が裸馬に乗せられ小路を引きまわされている途中、この地に住む桟敷(さじき)の嫗が日蓮にゴマの餅を捧げたという話が伝わる。
日蓮は龍ノ口の法難で奇跡により処刑を免れたことから「頸つぎのぼた餅」「御首継ぎにゴマの餅」といわれ、御法難会には、今でもゴマをまぶした餅が供えられる。私も一つ頂きました。
境内は、純白のジンジャーの花がたくさん咲いていました。
( 寺に咲いても、これジンジャ~ )