中世に仏教文化の中心だった鎌倉には石材を加工し、屋外に立てられ
た石造物が多く残されている。
鎌倉駅から妙本寺、別願時、安養院、来迎寺、五所神社、光明寺の
層塔、宝塔、宝篋印塔、板碑、五輪塔、無縫塔などの石塔を訪ねた。
石造物の姿、形が時代によって変化していく様子を学んだ。
光明寺境内東隅には徳川将軍に三河以来仕えた譜代の家臣内藤一族
の歴代藩主の墓所があり、今回は墓所の中に入っての拝観。
高さ3mを超える宝篋印塔や五輪塔が二百点近く林立しており江戸時代
の石造文化財の変遷がうかがえる。
画像 左 : 別願寺 鎌倉公方足利持氏の墓
中 : 来迎寺 三浦大介義明と多々良三郎重春の墓
右 : 光明寺 内藤家歴代藩主の墓