あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夏の終わりの映画いろいろ10本立て その2

2018-08-31 13:00:41 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1797~1806



1)グレン・フィカーラ監督の「フォーカス」
ウィル・スミスが怪盗グループのリーダーに扮して大富豪たちを次々にカモにするが妖艶なスリのマーゴット・ロビーに惚れてしまうのだが、さもありなん。しかしスミスってなんで人気があるのか不可解ずら。

2)ジェームズ・キャメロン監督の「ターミネーター2」
灼熱の溶鉱炉の中に溶解していくターミネーターが少年に向って送るいいねサインが泣かせます。これで全米の人気をかち得たシュワちゃんは加州知事になってまた映画界に復帰したが、こういうアバウトさはいいね。

3)セルゲーイ・ボンダルチューク監督の「ワーテルロー」
ソ連の1970年当時の陸軍が総出演して世紀の一戦を再現。
これでみるとナポレオンは胃痛で戦争指揮どころではなく、もし最後の瞬間にプロシャ軍が折よく戦場に出現しなければ、ウエリントン軍は全滅していたことになるが、実際はどうだったんだろう。いくつかの失敗がなければナポレオン時代はもっと続いて世界史は塗り替えられていたに違いない。

4)ダグ・リーマン監督の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
桜坂洋の原作をハリウッドがトム・クルーズ主演で映画化。ループ式というらしいが、同一シチュエーションがしつこく出てきて、いったい何のことやら最終的に訳が分からなくなる奇妙な映画。エミリー・ブラントはなかなかいいな。

5)ジョナサン・デミ監督の「フィラデルフィア」
エイズが死病と認識されていた頃のエイズ差別を主題とする「いわゆるひとつの良心的な」ハリウッド映画です。トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンが熱演。
特にマリア・カラスが歌う「アンドレ・シェニエ」の愛のアリアが流れるシーンは感銘を呼ぶ。音楽はハワード・ショアなり。

6)ジェリー・ザッカー監督の「ゴースト/ニューヨークの幻」
しかし実際に亡霊、幽霊はこの映画のように存在するのだろうか? したほうが面白いが、現世の人々にあまり積極的に介在されると困ったことも起こるだろう。
例えばパトリック・ウエイン・スエイジに死なれたデミ・ムーアは、もはや他の男とけっして一緒になれないだろう。

7)ウディ・アレン監督の「ブルージャスミン」

ラストでまたしてもうわ言を言い始めたケイト・ブランシェットが悲しい。喜劇映画と思っていたら悲劇だった。彼女はこれからどうやって生きていくのだろう? そして老いたるウディ・アレンは?

8)デルマー・デイヴィス監督の「襲われた幌馬車」
コマンチに誘拐された白人役をリチャード・ウィドマークが好演。しかしラストで彼と共に暮らす家族はどういう放浪生活を送ることになるのかちと心配。

9)レオ・マッケリー監督の「新婚道中記」
1937年製作のモノクロ映画。ちょっとした誤解から離婚することになった夫婦(ケーリー・グラントとアイリーン・ダン)が元の鞘に収まるまでを描くコメディなり。しかしこの細君は軽佻浮薄ずら。

10)デヴィッド・O・ラッセッル監督の「世界にひとつのプレイブック」
精神を病んだ男女の純愛と回復をそれなりに感動的に描くいわゆるひとつのウエルメイドヒューマン人情物。デ・ニーロが助演している。

        死者たちの増えゆく数や葉月尽 蝶人
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夏の終わりの映画いろいろ10本立て その1

2018-08-30 10:30:45 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1387~1796



1)ロベール・アンリコ監督の「追想」
1944年、ドイツ占領下のフランスの田舎でナチに虐殺されるロミー・シュナイダーが可哀想。時系列の展開にしたほうが映画としてはもっと盛り上がったのに。

2)クロード・シャブロル監督の「引き裂かれた女」
実際にあった情痴事件にインスパイアされた巨匠の最後から2番目の作品。主演の俳優にはいささかの不満を覚えるものの、かつては確かに存在した映画をみることの快楽を存分に堪能させてくれる。ラストで新たな道を歩みはじめたヒイロインの姿がまぶしい。

3)ロン・ハワード監督の「ビューティフル・マインド」
天才的な数学者、ジョン・ナッシュの自伝の201年の映画化であるが、彼の数奇な人生を十分に反映しているとはいえないようだ。ジェニファー・コネリーは美しい。

4)デヴィッド・ドブキン「ジャッジ裁かれる判事」
老判事役をロバート・デュヴァルが熱演。次男の売れっ子弁護士役のロバート・ダウニーは厭な顔をしているが、見ているうちに許せるようになっていく。湖上のラストが涙を誘う。

5)デヴィッド・フランケル監督の「31年目の夫婦げんか」
倦怠期というか絶縁状態というか男と女の関係を「卒業」した夫婦の絶望と悲哀を鋭く抉って強引に「第2の青春」期に突入させるという、もういいか悪いか分からん映画ずら。
要するに、いくら年を取っても性交できるのが夫婦和合の秘訣である。てか。

6)アンリ・ヴェルヌイユ監督の「地下室のメロディ」
以前にみたときはカラー映画と思ってゐたが、1963年製作のモノクロだったとは!御大ジャンギャバンが出ているので、ドロンの演技が控えめであるのは好ましい。シムノンの原作ではあるが、プールの中のバッグの口が開いてしまうのは非現実的ずら。

7)ハル・アシュビー監督の「さらば冬のかもめ」
微罪の兵隊(ランディ・クエイド)を8年間の営倉に送り込むために、ノーフォークからポートランドまで護送する2人の兵(ジャック・ニコルソンとオーティス・ヤング)の寒くて心震えるアナーキーなやさぐれ物語。これぞアメリカン・ニューシネマの快作。70年代のアメリカでは南無妙法蓮華経を唱える日蓮正宗の教徒たちがいたんだなあ。

8)ヴィム・ヴェンダーズ監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
音楽人世ドキュメンツ映画の秀作なり。ライ・クーダーが再発見し、プロデュースしたキューバの老ミュジシャンたちの音楽も素晴らしいが、彼らの来し方、そして再結集してからの感慨、とりわけ一期一会のカーネギーホール公演は感動的である。

9)武正晴監督の「イン・ザ・ヒーロー」
下落合ヒーローアクションクラブのスタントマン役の唐沢寿明の一世一代のアクションシーンは圧巻ずら。

10)マイケル・ホフマン監督の「モネ・ゲーム」
画廊のしがない職人が、モネの贋作で大儲けするまでの苦労話コメディ。アラン・リックマン、コリン・ファース、キャメロン・ディアスが楽しく共演。1時間半に満たない上映時間も素晴らしい。

    金魚の餌を金魚に与えしが2匹の金魚死んでしまう 蝶人
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ラスカル文 ルイ・ジョス絵 山田兼士訳「オレゴンの旅」を読んで

2018-08-29 10:34:55 | Weblog


照る日曇る日 第1128回



サーカス小屋の道化師がオレゴンという相棒のクマと一緒にピッツバーグの町を出てアメリカ大陸を横断し、とうとうオレゴンの森にたどり着くまでの物語。

故郷の森に安住の地を得たラスカルをみながら、道化師は今度は自分自身の旅に出かけることを決意するが、なにか深々とした感動に身を包まれる素敵な絵本だ。

  「安倍君もうそこまでだ、3年間は君には長すぎる」 蝶人
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ムヒャエル・グレイニェク絵と文泉千穂子訳「お月さまってどんなあじ?」を読んで

2018-08-28 10:46:12 | Weblog


照る日曇る日 第1127回



昔から世界中の人たちが月を見ながらいろいろ思いに駆られてきたけれど、そしてできれば月に行ってみたいと夢見て、じっさいに行った人も現れたけど、そのお月さまを食べてみたいと願った人がいただろうか?

1955年にポーランドに生まれ、現在はイタリアのトスカナに暮らしているというムヒャエル・グレイニェク選手こそはまぎれもないその一人で、彼は親ガメの背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中に孫ガメを載せるという手法を編み出して、とうとうその願いを果たしてしまったのだった。

宿願を達成したカメやゾウやネズミたちが、その夜はみんな一緒に眠りました、というところがいい。

そしてその一部始終をずっと眺めていたサカンが、「どうして、あんなとおいお月さまをよろうとしたんだろうね。もうひとつあるのにさ、ほら、この水のなかに」と最後に呟くところはもっといい。

 いつまでもなつかしく思いだすだろうさくらもももの本名はちびまる子ちゃん 蝶人
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こうの史代著「この世界の片隅で下」を読んで

2018-08-27 13:25:51 | Weblog



照る日曇る日 第1126回



昭和20年6月の呉大空襲でヒロインは姪と自分の右手を失う。

第35回20年7月冒頭の「昨日ない事を思い知った右手」という詩のようなものは読者の胸を打つが、私はこのような悲劇的エピソードを盛り込まなくても、この漫画世界はすでに十分に成立していると思う。

呉広島のみならず、当時全国津津浦浦で歯を食いしばって生きていた民草の日々の哀歓を淡々と描きつくすことこそ、「この世界の片隅で」のドラマツルギーの、あるべき本領だったのである。

  七人の死刑執行の前夜なり黙して祈れ「法の番人」 蝶人
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こうの史代著「この世界の片隅で中」を読んで

2018-08-26 13:29:51 | Weblog


照る日曇る日 第1125回

ヒロインすずと夫周作の陰のある夫婦関係を軸に、戦火はだんだんはげしくなる。

すずは色街の娼婦と親しくなるが、彼女はかつて周作の恋人だったらしい。

突然すずの婚家にやってきた幼馴染との「はなれ」での別れは意味深長であるが、それを周作は許すのである。

「第23回正月」の巻の「愛國かるた」の再現は圧巻。

   夏来れば腋毛の代わりに刺青を僕らに見せる浜辺の女 蝶人
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こうの史代著「この世界の片隅で 上」を読んで

2018-08-25 13:32:42 | Weblog


照る日曇る日 第1124回

ヒロインの女性のキャラクターの魅力と戦前戦中の普通の日本人の暮らしぶりを生き生きと描き出した漫画である。基本的には幼い少女のように描かれながら、時とすると若妻のエロスをほの見せるのが、著者の絵の隠し味だろうか。

この上巻では「第8回19年5月」のさまざまな野草をご飯に入れ込んだ「楠公飯」のレシピが興味深い。


  「もう浮輪仕舞って下さい」と言う息子今年の夏が今日終わる 蝶人
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電話

2018-08-24 11:20:35 | Weblog
これでも詩かよ 第243回



ルルルルルル
もしもし。こちら、ササキさまのお宅で、よろしかったでしょうか?
なぬ。
ササキさまのお宅で、よろしかったでしょうか?
なんじゃと。よろしかったでしょうか、じゃと。よろしくなんか全然ないぞ。
あのお、どこがよろしくなかったでしょうか?
あのなあ、お前さんの日本語は、てんで日本語じゃあないぞ。そもそも、お前さんは誰だ。
は、はい。大変失礼いたしました。エーユーのヤマダと申しますが。
そうか、携帯会社のエーユーのヤマダ君か。それじゃヤマダ君、あんたに「こちらササキさまのお宅でよろしかったでしょうか?」と電話で言えと教えたのは、どこのどいつじゃ?
は、はい、私の上司のキタジマですが。
そうか、それじゃあ、上司のキタジマ君を出したまえ。
上司のキタジマは、ただいま外出させて頂いておりますが。
それそれ、それが良くない。おらっちが頼んで外出したんじゃなくてそっちの都合で外出したんだから、「上司のキタジマは、ただいま外出しております」でいいのら。
「上司のキタジマは、ただいま外出しております」
そうそう、それでよろしい。それはともかく、上司のキタジマくんが帰社したら、よーく教えてやれ。いいか、そういうときには「わたくしエーユーのヨシダと申しますが、ササキ様のお宅でしょうか?」と尋ねるんじゃ。
そ、そうなんですか。大変失礼しました。
そうすれば、はじめておいらも、「はい、ササキですよ」と答えれる、じゃなくて、答えることができるのよ。
ははあ、そうなんですか。
ご一新の昔から、そうに決まっておる。
ははあ、ご一新ですか。大変失礼いたしました。
失礼は許してやるから、もういちど最初からやってみよ。まずおらっちがベルを鳴らすから、お前さんはそのあとに続けるんじゃ。ええな。
ルルルルル………。もしもし、どなたじゃな?
は、はい、えーと、わたくしはエーユーのヤマダと申しますが、こちらはササキさまのお宅でしょうか?
おお、よしよし、やればできるじゃないか。それじゃあ、これからうちに電話する時は、おらっちがいま教えた通りに喋ってくれ。そしたら諸事万端うまくいくからな。
はい、承知いたしました。いろいろご迷惑をおかけしました。
うむ。よろしく頼むよ。じゃあな。
ありがとうございます。それでは失礼します。
ガチャン。

ルルルルルル
もしもし、こちらササキさまのお宅で、よろしかったでしょうか?
なぬ。
ササキさまのお宅で、よろしかったでしょうか?
なんじゃと。よろしかったでしょうか、じゃと。よろしくなんか全然ないぞ。
あのお、どこがよろしくなかったでしょうか?
あのなあ、お前さんの日本語は、てんで日本語じゃあないぞ。そもそもお前さんは誰だ。
は、はい。大変失礼いたしました。ドコモのヤジマと申しますが。
そうか、今度は携帯会社のドコモのヤジマ君かあ。
それじゃヤジマ君、あんたに「こちらササキさまのお宅でよろしかったでしょうか?」と電話で言えと教えたのは、どこのどいつじゃ?
は、はい、私の上司のヨシカワですが。
そうか、それじゃあ、上司のヨシカワ君を出したまえ。
上司のヨシカワですか。ヨシカワの方は、ただいま外出させて頂いておりますが。
それそれ、それが二重に良くない。いま君は、ヨシカワの方っていうたけど、君の上司にはヨシカワ君とヨシカワの方という人と、2名おるんかいな。
いいえ、ヨシカワの方は1名だけですが。
1名しかいないヨシカワなのに、なんで方がつくの? ヨシカワの方の方を取って、ヨシカワと発音しなさい。
はい、申し訳ありません。その方、以後気をつけます。
また方かいな。それからヨシカワの方だけど、おらっちが頼んで外出したんじゃなくて、そっちの都合で外出したんだから、「上司のヨシカワは、ただいま外出しております」でいいのら。
はい。上司のヨシカワの方、ただいま外出しております。
!?

  待ち待ちて台風去りし嬉しさをミンミン蝉は声に出し鳴く 蝶人


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「塚本邦雄全歌集第1巻」を読んで

2018-08-23 11:23:53 | Weblog


照る日曇る日 第1123回



こないだ読んだ第8巻は最晩年の作品だっったが、これは作者の処女作「水葬物語」およびこれに続く「装飾樂句」「日本人靈歌」という最初期の三連作を特集。さらには「水葬物語」に先行、ほぼ同時期につくられていたという、「火原翔」名義による幻の「俳句帖」が、おまけについてくるという超特大サービスです。

それで、まず「春窮やルオーの昏き繪を展く」から始まる「俳句帖」から読み始めました。

 白菊やヒットラー傳たてにさかれ
 雪の青 恍惚と處女をうしなへり
 炎天に漆黒のピアノはこび去る
 春雪に漆黒のピアノ運び去る
 おとろへやうどくらふ妻みつめつつ
 白桃や不犯の夜々の掌のあぶら

 というところですが、構成要素は同じでも、それを57555ではなく、無理やり575に押し込もうとするムリとムラが、ここにはどうしようもなく露呈しているようです。

 自分の句は、いろいろ各方面に乱反射するのだけれど、ついに心に突き刺さってこないことを賢明にも悟った作者は、

 火喰鳥このみてくらぐ火にしあらね

という感慨深い1句を残し、最終的に短歌プロパーの世界に突入したのではないでしょうか

 それから肝心要の短歌ですが、第8巻を含めたすべての作品が処女作「水葬物語」の第一首、「革命歌作詞家に依りかかる凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」に及ばないと思うのは、私だけでしょうか。

 島内景二氏の「解題」を読むと、無名時代の塚本はわずか120部の第一歌集を、極力歌人を抑え、お気に入りの小説家、詩人、研究家に献呈。幸いにもそれを読んだ中井英夫と三島由紀夫が高く評価してくれて、めでたく世に出たそうですが、乾坤一擲の賽を投げた、いかにも塚本らしい逸話ですね。


  音のみの打ち上げ花火を聴いている八景島シーパラダイスには行ったことなし 蝶人

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「大江健三郎全小説7」を読んで

2018-08-22 11:42:31 | Weblog


照る日曇る日 第1122回



1967年の「万延元年のフットボール」と1973年の「洪水はわが魂に及び」の2大長編を2段組560頁に収めた講談社版全小説の第2回配本です。

著者のノーベル賞受賞を決定的なものにしたという「万延元年のフットボール」。
著者の郷里を思わせる森に囲まれた僻村を舞台に繰り広げられる蜜一族の反乱と挫折、生と死を描く波乱万丈のピカレスク&ビルダングスロマン。かなあ。

万延元年と明治4年の村民一揆を指導した「曽祖父の弟」に自らを擬す蜜の弟、鷹四は、生に倦んだ無気力な兄、蜜三郎を挑発しながら、村の若者を組織し、村人の支持を得て朝鮮人の「天皇」が牛耳るスーパーを襲撃するが、結局三日天下に終わり、無慙かつ原因不明の自死を遂げる。

蜜は60年安保闘争の敗者であり、鷹四は来るべき70年安保闘争を担う闘士として描かれているのだろうが、その革命家の行動はあまりにも矮小である。

2つの安保闘争を挟んだ政治の季節の余熱の下に書かれたこの小説のリアルは、奈辺にありや? あらゆる反体制運動が死に絶えた現在の政治的状況からは隔世の感があり、もはや現代とは無縁な神話的エピソードとしてしか読むことはできない。

「洪水はわが魂に及び」は、この世に不平不満を懐く連中がトーチカのような梁山泊に籠り、警察権力と対峙しながら自滅してゆくという、どことなく安田砦や浅間山荘事件を想起させなくもない思わせぶりな小説である。

しかしもって回った奇妙な日本語を判読しつつ読んでみると、その実態は正体見たり枯れ尾花の、それこそ著者自身が表現しているとおりの「コートームケイの物語」である。

ノーベル賞作家ともあろう人物が、なんと下らない小説を延々と描き続けたものよ。ゆいいつ心を惹かれるのは「洪水はわが魂に及び」という表題であるが、それも「ヨナ書」からとられたフレーズであるとは情けない。羊頭狗肉とはこのことだろう。


   全国の精鋭集めたプロたちが農業少年野球団をぶっ壊す 蝶人

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由良川狂詩曲~連載第26回

2018-08-21 17:35:21 | Weblog


第8章 奇跡の日~必殺のラジカセ



ケンちゃんはしっかりと目をつむり、唇をひきしめて、まっすぐ川底へと沈んでゆきました。
全長2メートルにおよぶ飢えた巨大な魚は、双眼を真紅の欲望に輝かせながら、少年の周囲をきっちり3回旋回すると、1、2、3、4と、ストップウオッチで正確に5つの間隔を置いて、冷酷非情の鋭い牙をむき出しにして、ケンちゃんに躍りかかりました。

―――――――その時でした。

突如勝ち誇ったアカメたちが、頭を気が狂ったように振り回しながら、もんどりうってあたりをころげ回りました。
そのありさまは、まるで甲本ヒロトが「リンダ、リンダ」を歌っている最中に、胃痙攣の発作を起こして、渋公のステージを端から端までのたうち回ったときのようでした。

狂暴なアカメたちは、完全に理性を失い、全身を襲う激痛に耐えかねて、猛スピードで急上昇したり、かと思うと突然急降下したリして、千畳敷の大広間狭しと悶え苦しんでいましたが、とうとう自分から河底の岩盤に激突して、いかりや長介のように長くしゃくれた下顎を、普通の魚くらいの適正な長さに修整するという仕事を、この世の最後に成し遂げると、いきなり下腹を上にしてニヤリと笑ってから、次々に赤い2つの眼を自分で閉じてあの世へ行ってしまいました。

                  *

「ケンちゃーん、ケンちゃーん、ダイジョウブ? ぼくだよ。ボクですよお!」
その声にふと我に帰ったケンちゃんが、声のする方に向って、そお―と眼をひらくと、いきなりギラギラと輝く午後3時半の太陽が、まともに頭上から落ちてきて、ケンちゃんは反射的に眼を閉じました。

眼の痛みが少しとれてから、もう一度そろそろと瞼を動かすと、相変わらず強烈な太陽光線を背に、一人の少年が、ラジカセを持って立っているのが分かりました。
少年は、もう一度やさきく声をかけました。
「ケンちゃん、無理しなくていいから、そのまま寝てな。コウ君だよ。ケンちゃんのお兄ちゃんのコウだよ」
「ど、ど、どうしたの、コウちゃん?」
「コウちゃんじゃなくて、コウ君」
「ご、ごめん。コウくん。どうしてここにいるの? どうしてここまでやって来たの?」
「もちろん、ケンちゃんを助けるためだよ」
「で、でも、どうやって?」
「実はね、昨日の晩、お父さんがニューヨークから突然帰ってきたんだ。
お父さんはケンちゃんが一人で綾部へ行っているって話を聞いて、とても心配してね、昨夜ケンちゃんが寝てしまった後で綾部に電話しておじいちゃんからいろいろ取材したんだ。由良川の魚の話とか漁網の話とかいろいろね……。
それでおよそのことは分かったんだけど、どうもひっかかることがあるから、「おいコウ、お前ちょいとひとっ走り綾部まで行ってケンを助けてこい」、って、そういう話になったんだ」
「なーーんだ、そうだったのかあ。それにしても何カ月も行方不明のお父さんだったくせに、ぼくなんかよりお父さんの方がよっぽど心配だよ」
「お父さんの話はあとでゆっくり聞かせてあげるよ。それよりケン、顔じゅう血だらけだぜ。大丈夫かい? 一人で立てるかい?」
「ありがとう。もうダイジョウブ。それよりお兄ちゃん、どうして、どんな風にしてぼくを助けてくれたの?」
「うん、昨夜12時40分品川駅前発の京急深夜バスに乗り込んでね、ケンちゃんが由良川に出かけた直後に「てらこ」に着いたその足で、ここへやってきてね、それからずーっとケンちゃんのやることを見ていたんだ。
もしもヤバそうになったらなにか手伝おうと思って、スタンバッていたわけ」
「そうだったのかあ。ちっとも知らなかった。おじいちゃんもなにも教えてくれないし」
「突然行って驚かせるつもりだから、なにも言わないで、って口止めしてあったのさ。それよりケンちゃんがアカメに襲われたときは、本当にどうなることかと思ったよ」
「ぼく、アカメの尾っぽでぶんなぐられたでしょ。そのとき、こりゃあヤバイなあ、って思ったんだけど、それから先のことは、なにも覚えていないの。お兄ちゃん、どうやってぼくを救ってくれたの?」
「これだよ、これ。このラジカセが役立ってくれたのさ」
「えっ、なに? ラジカセでアカメを殴り殺しちゃったの?」
「バカだなあ、そんなことできるわけないだろう。
実はね、この前、学校の遠足で江ノ電に乗って江ノ島水族館に行ったとき、たまたまこのラジカセを持って行ったの。このラジカセ、録音もできるだろ。それでね、電車に乗る前、友達の声とか、駅の物音とか、それから踏切の信号の音とかを回しっぱなしで録音したテープに、イルカショーの現場音もついでに録音しようとしたんだけど、間違えて録画ボタンじゃなくて再生ボタンを押しちゃったの」
「へええ、そうなんだ」
「そしたら、会場全体に小田急の踏切のカンカンカンという警告音が鳴り響いたもんだから、あわてて止めようとしたんだけど、突然イルカが、餌をあげるおねえさんの言うことをまったく聞かなくなって、全部のイルカが狂ったようにジャンプしたり、プールサイドを転がりまわったりして、どうにもこうにも収拾がつかなくなってしまったの」
「へええ。びっくり。でも、いったいどうして?」
「しばらくはぼくも焦りまくったんだけど、ようやくラジカセのストッップボタンを押した途端、まるで嘘のようにイルカたちは平静を取り戻して、急に大人しくなってしまったの」
「へえええ、不思議、不思議」
「水族館には部厚いガラスに遮られていない水槽もあって、そこにタイとかヒラメとかカツオとかが泳いでいたので、上からラジカセの音を流してみたら、魚たちがみんなパニックになったみたいに、跳んだり跳ねたりして悶え苦しむんだ」
「へえええええ、そんなバナナ」
「それでいろいろな音源を再生して、魚の様子をよーく観察してみると、江ノ電の踏切が鳴るあのカンカンカンという信号音が、魚たちにダメージを与えていることが分かったんだ。三蔵法師が孫悟空の乱暴を止めさせようとするときに、「金・緊・禁」と3つの呪文を唱えた途端、孫悟空の頭を、輪が締め付けるだろ。カンカンカンは、魚たちにとってはちょうどあの呪文みたいなものなんだ」
「へええ、お兄ちゃん、凄いじゃん。それって必殺の秘密兵器じゃん」
「まあね。それで家に帰ってから、いろいろ調べてみたんだ。江ノ電は小田急電鉄の電車なんだけど、江ノ電に限らず小田急の踏切の信号は、嬰へ長調で鳴っているんだね。ほとんどのメーカーの蛍光灯が、いつも低いロ長調の音を、ツバメの鳴き声のようにジジジと発しているように」
「嬰へ長調!? オンガクの話」
「まあ聞け、弟よ。そして、そのロ長調の、ジーーと鳴る蛍光灯の音が、帝国ホテルに泊まる耳に敏感な音楽家の神経を傷つけているように、嬰へ長調で規則正しくカンカンと鳴り続ける金属音が、タイとかヒラメとかカツオとか、フナとかコイとかナマズとか、フグやアイナメやオコゼやリュウグウウノツカイなどに激烈な痛みを与えているみたいなんだ」「アカメは?」
「もちろん、バッチリさ。ただし信号音といっても小田急だけ。横須賀線の踏切はみんなイ短調で、こいつは魚にはてんで効き目なしなんだ」
「ふーん、そうなんだ」
「それが分かったんで、お兄ちゃんは綾部に向う前の晩に、江ノ電のあかずの踏切の前で、嬰へ長調のカンカンカンの音を死ぬほど録音しておいて、こいつがなにか役にたつこともあるかなあと思って、ラジカセにセットしたままここに持ってきたってわけ。それがケンちゃんのピンチにあんなに役立つとは夢にも思わなかったよ。アカメときたら超意気地なしで、もう一発でノックアウトだたからね」
「へーえ、そうだったの。必殺メロディ電撃光線だね。びっくり! でもコウちゃんのお陰でぼくは命拾いできたんだ。お兄ちゃん、本当にありがとうございました」
「いいってことよ。ぼくたち兄弟じゃないか。困った時はお互いさまさ。長い人生、これからも助け合っていこうぜ!」
「うん!」
「さあ、そろそろ堤防に上がろうか。もうすっかり陽も落ちたね。きっとみんな心配してるぞ。早く帰ろうよ」

                             つづく

もういちど「やればできるは魔法の合い言葉」聞きたかったが済美桐蔭に敗れる 蝶人




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由良川狂詩曲~連載第25回 

2018-08-20 11:17:29 | Weblog


第7章 由良川漁族大戦争~戦いの果て



半分意識を失ってしまったケンちゃんめがけて、アカメは鋭い牙を鳴らし、直径15センチもある大きな口をガバとあけながら、勝ち誇って勝利の歌をうたいました。

♪勝った勝った 
とうとう勝った

わいらあアカメや
とうとう勝った

いちの魚勝った
いちの魚偉い

にの魚勝った
にの魚偉い

さんの魚勝った
さんの魚偉い

よんの魚勝った
よんの魚偉い

ごの魚勝った
ごの魚偉い

ろくの魚勝った
ろくの魚偉い

しちの魚勝った
しちの魚偉い

はちの魚勝った
はちの魚偉い

くの魚勝った
くの魚偉い

とうの魚勝った
とうの魚偉い

わいらあアカメや
アカメが勝った

さいごの魚が
いちばん偉い

アカメアカメ
いちばん強い
世界でいちばん
わいらあ強い


まさかアカメがこんなに強い魚だったとは!
まさかアカメがこんなに歌がうまいとは!
ケンちゃんにとっては二重の驚きでした。

しかし、もう遅い。後悔してみても、すべては遅すぎる。
せっかく由良川の魚たちを救おうとはるばる綾部までやってきて、もうちょっとで、すべてがうまくいくところだったのに!

ああ、こんあところでアカメの餌食になってしまうとは! コンチクショウめ!
神様、仏様、残念無念です。
お父さん、お母さん、コウちゃん、ムク、みんなみんな、さようなら!

ああ、それにしても生まれてきて遊んだり、学校へ行ったり、また遊んだり、12年間生きてきたことは、いったい何だったんだろう? それにはどういう意味があったんだろう?

分からない。
面白かったのか、つまらなかったのか、苦しかったのか、楽しかったのか、幸福だったのか、不幸だったのか、それもよく分からない。
ただいっしょうけんめい生きてきた。無我夢中で生きてきた。だだそれだけだ。

でも、でも、ああそうだ。もし僕が今まで何か世の中に役立つことを何もしてこなかったとしても、そして、ここでアカメのやつに殺されてムシャムシャ食べられたとしても、少なくともウナギのQちゃんや由良川の魚たちはいつまでも僕のことを覚えていてくれるだろう。

それで十分だ。そうだよね、神さま!
だから神さま、僕があの時、友達にそそのかされて面白半分で棒で突いて軒の巣から落っことしてしまったコアイアカツバメのことはどうか許してください。

3才の時、タンポポとレンゲがいっぱい咲いている原っぱに立っていたら、どういうわけか僕のまわりに何十、いや何百匹というモンシロチョウが飛びまわる。
それで、次々にモンシロを両手で素手でつかまえては、ぜんぶポケットにいっぱいギュウギュウに詰め込んで、結局皆殺しにしてしまった。

あの時のモンシロチョウの香水のような独特の匂いがいまも鼻につんとくる。
そのことも忘れず許してください。

それから5才の時、お父さんからあらかじめ教わっていたのに、つい間違えてタカギ君ちの玄関のそばの電柱にへばりついていたヤモリをいっぱい捕まえてきて、水の入ったバケツの中に放り込んでしまった。

あれはイモリとヤモリをかんちがいした僕のミスでした。
苦しい、苦しいともがきながら溺れ死んでいったイモリ君! どうか安らかに成仏しておくれ。
ヤモリは茶色で、イモリは黒。お腹をひっくり返して、よーく調べてからにすればよかったんだ。イモリのお腹は毒々しいくらいの真っ赤だから、絶対に間違うはずはないんだから………。

ああ、神さま、許してください! 今度は絶対に間違えませんから!
それとお父さんにお願いして買ってもらったリスが、蛇にやられて死んでしまった時、ちゃんとお墓を作ってあげなくて済みませんでした。
床下に投げ込まれたままミイラになってしまったリス君! どうか勘弁してくれ。

それから僕は、お兄ちゃんにも悪いことをやってしまった。
タケとヒデとトシと4人でウナギ獲りに行こうとしてたら、お兄ちゃんのコウ君が「僕も連れてってくれおお」って必死に頼んだのを、僕は「コウちゃんなんか足手まといになるから駄目だ。帰ったらファミコンやったげるからおうちで待ってなさい」と冷たく突き放してしまったんだ。

そんな悪いやつだから、僕は今日アカメに殺される運命に昔から決まっていたんだ。
神さま、分かりました。僕はよろこんでアカメに喰われます。それでお兄ちゃんやリスやイモリに対しておかした罪が少しでも許されるのなら………。

そうして、ケンちゃんが泣きながら歌ったのが金子詔一作詞作曲のこのうたでした。

♪いつまでも たえることなく
ともだちでいよう
あすのひを ゆめみて
きぼうのみちを

そらをとぶ とりのように
じゆうに いきる
きょうのひは さようなら
またあうひまで

しんじあう よろこびを
たいせつにしよう
きょうのひは さようなら
またあうひまで

ああ、ああ、だんだん頭の中にモヤがかかっていく……
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お兄ちゃん、ムク、みんなみんな、さようなら、さようなら、さようなら……

                                つづく

  ことのほか暑かったと思う日の翌日に多し朝刊の訃報 蝶人

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新潮日本古典集成・久保田淳校注「新古今和歌集下」を読んで

2018-08-19 10:58:13 | Weblog


照る日曇る日 第1121回



御鳥羽院は定家の教えをうけながら、急速に和歌の才能に磨きをかけ、ついには

 思ひつつ へにける年の かひやなき ただあらましの 夕暮れの空

という会心の作をものするようになった。
彼の師である定家にも名歌はあるが、どうも頭の中で屁理屈を捏ねまわしたような作品が多いので閉口する。私は彼より素直に思いを歌い込んだ貫之や慈円の和歌を評価したい。
 あしびきの 山下しげき 夏草の 深くも君を 思ふころかな 貫之
 心あらば 吹かずもあらなむ よひよひに 人待つ宿の 庭の松風 慈円

しかし新古今全体を通じてもっとも個性的で私たち現代人の心情に直截訴えかけるのは西行の歌だろう。以前「山家集」を読んだときには、不覚にもそれが分からなかった。

 あふまでの 命もがなと 思ひしは くやしかりける わが心かな

 月を見て 心うかれし いにしへの 秋にもさらに めぐり逢ひぬる

 風になびく 富士のけぶりの 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな

 古畑の そばのたつ木に ゐる鳩の 友呼ぶ声の すごき夕暮

 世の中を 思へばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ

赤染衛門はずいぶん長生きした女性だが、彼女が清少納言のボロボロの住居を訪ねた折の歌は、なまなましい。才女の晩年は、あまり幸せとは言えなかったのかもしれない。

 あともなく 雪ふるさとは 荒れにけり いづれ昔の 垣根なるらむ


  若さだよ山ちゃん!などというてたころには若さもありしが 蝶人


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月刊「創」編集部編「開けられたパンドラの箱」を読んで

2018-08-18 11:07:56 | Weblog


照る日曇る日 第1120回



「やまゆり園障害者殺傷事件」を、植松被告への継続的インタビューに基づき、彼の事件後もかわらざる主張、奇異なる世界観を紹介しつつ、識者の丁寧な解説と共に紹介した貴重なドキュメントです。

植松の主張は、障害者のすべてを殺害せよというのではなく、「意思疎通(名前・年齢・住所を自分で示す)ができず」、「人の心を失っている心失者」を安楽死させよというのですが、安楽死以前に、この手前勝手な障害者区分に同意できる人は本人以外に誰もいないでしょう。

百歩譲って、今現在そのように見受けられる最重度の複合障害者にしても、近い将来において、彼のいう「心失」状態を回復する可能性は常に存在しているのです。

勉強家の植松は、世界人権宣言を引用しておのれの主張を論理化しようとしています。その第一条には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、かつ権利と尊厳について平等である。人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と書かれているのですが、植松は世の中には「理性と良心」を授けられていない人間がいる。そういう「心失者」のために莫大な経費と時間をかけるのはやめて国家が皆殺しにすればいいというのです。

後半は明らかに暴論ですが、植松が言うとおり、生物学的宿命によって、なかには「生まれながらに理性と良心の分配に預からない非人間的人間」も何パーセントかは存在していると思われます。

しかし「理性と良心」があろうがなかろうが、すべての人間は自由・平等・尊厳にかんしては天賦の権利を持っているので、世界人権宣言第一条の時代遅れのデカルト風の「理性と良心」規定は、削除すべきなのです。

また植松は「心失者」をケアするために莫大な経費が投入されていると妄想していますが、小泉政権以来この国では「心失者」であろうがなかろうが「自立」して生計を立てることを強いられ、現在安倍蚤糞が障害者のために投入している経費など、膨張する一方の軍事費に比べたら微々たるものでしょう。

それにしてもあの夜、相模原やまゆり園で、障害者の「理性と良心」の有無を学んだ植松が、一人づつ独自のノウハウ!で「心失者」か否かを判断しながら、合計46名の障害者を次々にナイフで刺していく姿を想像すると、身の毛がよだちます。

この男は、自分がケアしていた重度の障害者に、あるいは自分自身がなったかもしれない、結婚してできた子供が障害者かもしれないと、どうして自分の頭を使って想像できなかったのでしょう。

本書には、植松が獄中で描いたマンガも掲載されています。
ホラー漫画家の母親の才能を受け継いだとみえて、個性的なタッチで描かれている短編では、世界中で繰り広げられている混乱と闘争を、「大麻の妖精」ウイードが救済し、世界平和をもたらすというなんとも幼稚なストーリーですが、作画に多少けたくそ悪い不気味さはあるものの、作者の精神に異常があるとは思われません。
彼の脳髄は、クレージーではあってもマッドではなさそうです。障害者抹殺の冷静な確信犯だからこそ、あの事件以後も、自分の殺戮計画を撤回しないのです。

事件後植松は「自己愛性パーソナリテイ障害」と診断されたようですが、香山リカという精神科医は、自分が直接植松を鑑定したこともないのに、むしろ「発達障害」の疑いがある、などと無責任な噂をばら撒いていますが、科学的な根拠なきレッテルをみだりに張りつけるのはやめてもらいたいものです。

最後に本書には殺人犯の主張が掲載されているので、出版を中止せよという声が一部にあったそうですが、その意図がさっぱり分からない。植松被告の凶悪な殺人哲学の中身と誤謬をありのままに伝える本書の意図と内容は、極めて真摯なものであり、この前代未聞の凶悪事件の本質を知る上で欠かせない一冊といえましょう。


 やい香山植松のどこが「発達障害」なのかその理由を言うてみなさい 蝶人


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ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのエラート盤12枚組CDを聴いて

2018-08-17 13:01:37 | Weblog


音楽千夜一夜第417回

1964年から84年までに録音された巨匠の代表作が超割安で聴けるので、手を出してみましたが、録音のせいだか演奏のせい?だかわかりませんが、どうもいまいち、いまに、いまサンなので、あまりお勧めできないセットです。

せっかくショスタコの5,10,12番、チャイコの5番と6番、モザールの33、39番、ベトの1,3,5,6,7番、ワーグナーのトリスタンや指輪の抜粋まで入っているのですが、ことごとく味が薄い、というか平平凡凡の音響の積み重ねの9時間53分26秒でした。

2790円返せ!

  猛烈な暑さは明日も続くでしょう続くでしょう続くでしょう 蝶人
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