Spirit In The Sky ~院長のひとりごと~

宮城県白石市にある『川井はり・きゅう接骨院』のブログです。院長の私が時にはマジメに時には楽しく日記を書いていきます。

ほら、月があんなに...

2009-03-30 21:34:20 | Weblog
仕事が終わって外に出ると、屋根の上にきれいな三日月が。

まだ春浅きピリッとした空気の夜空に凛と輝く月の美しいこと。
ちょうど、こんな感じです。

イギリスの素晴らしいフォークシンガーJake Waltonが、1979年にドイツのレーベルからリリースした1stソロアルバム『The Gloaming Grey』。
美しすぎるアルバムです。まさに英国の至宝。

ブリティッシュ・フォークを聴くなら秋から冬にかけて、とよく言われますが、春に聴く英国の音もなかなか良いものです。

春の香り

2009-03-27 21:42:28 | Weblog
今日は小中学校の離任式がありました。
新聞で確認したところ、子供たちがお世話になった先生方がずいぶん移動になるようです。
数年前、PTAの役員として毎日のように足繁く小学校に通ったものでしたが、その当時親しくさせていただいた先生方も、ほとんどいなくなってしまいました。
時の流れとは言うものの、いささか寂しい思いです。
新しい学校でのご活躍を祈りたいものです。
別れと出会いの春ですね。

朝、仕事場に向かおうと実家の庭を通った時、何とも言えぬ甘い香りが...
沈丁花の花が咲いていました。
春の花の中でも最も好きな花であり、自分にとって「春を告げる花」でもあります。

初めて一人暮らしをしたのは東京の府中でしたが、紹介されたアパートを見に行った帰り道、一緒に行ってくれた親戚のお兄さんと有名な並木道を歩いていて、とても気になる香りに出会いました。
どこから漂うのだろう?
あたりをキョロキョロ見回すと、並木の下の植え込みにこの花を見つけました。
まだ十代の小僧ですから、花の名前も知らないし、花なんか興味のない頃でしたが、何だかとても気になりました。
あとで、それが沈丁花だと知りました。

今でも、沈丁花の香りに出会うと、あの埃っぽい春の東京の街で「これから一人暮らしが始まるんだ」と期待と不安に包まれた若い頃の自分の姿を思い出します。

花言葉を調べたら、「栄光、不滅、永遠」や「やさしさ、おとなしさ」などがありました。
う~ん、どれもピンとこないなあ。

WBC狂走曲

2009-03-24 21:43:37 | Weblog
いや~、すごかったッスね。
WBC決勝戦。

最高視聴率、どんだけいったの?
もしかして日本中が観てたんじゃないの?みたいな気がしますよ。
何がすごいって、普段は野球どころかスポーツに縁の無さげな人たちまで、にわか野球ファンになっちゃって...
日本人ってこんなにも熱狂的な民族だったの???
(サッカーワールドカップでも似たような現象、ありましたよね)

午前中「ヒマだなあ~」と思っていたら、皆さんTVに釘付けだったようで、来てくれた患者さんも会計終わっても帰らず、イスに座ってじ~とTVに夢中のご様子。
午後、待合室で業者さんと打ち合わせしていたら、早々と来た患者さんが「まだだよね。野球気になってしょーがないから、終わったら来るね!」と診察券だけ置いていく始末。
あれれ、あのおばちゃんそんなに野球好きだったの?みたいな。

延長10回裏に入ってきたおばあちゃんも「これ終わるまで観てていいかい?」(^^;
で、ダルが最後の打者を三振にとった瞬間、手を叩いて喜んでいました。
もう涙を流さんばかりの勢い。
その後、来る患者さんほとんどが野球の話題ばっかり。
何か、試合内容よりも、そちらのリアクションの方が、よっぽど面白かったりして。

しかしねー、韓国と都合5試合でしょ。
何だか日韓定期戦みたいな感じで、どーなんでしょーか?

それにしても、イチローは千両役者ですね。
不調不調と言われながら、一番おいしいとこ持っていきましたからね。
MVPは松坂だそうですが、個人的には岩隈。
あの日本一、いや世界一美しいストレートに勝るものはありません。

今日のスポーツニュースは内容が見え見えで、ちょっと引くなあ。
とか言いつつ、見ちゃうんでしょうね(苦笑)。

卒業式

2009-03-23 21:34:47 | Weblog
先週は、県内のほとんどの小学校の卒業式がありました。
我が家の三男坊もようやく卒業(残るはあと一人(^^;)。

「卒業式どうだった?」と尋ねたら、
「う~ん、普通」ですって。

「じゃあ、卒業した気分は?」と質問しなおすと、
「わかんない。まだ実感なし。」だそうです。

まあ、かなり記憶は薄れてはいますが、自分の頃を思い起こすと「似たようなものかな」と。
あの頃は、小学校を卒業しても全員が同じ中学で顔を合わせる訳でしたし。

それにしてもえらいチビすけの6年生でして、4年生の末っ子と双子に間違えられるくらいの背格好です。
お兄ちゃん(こちらもチビだった)のお下がりの制服がブカブカ。
大丈夫か?新中学1年生。

先週は暖かな日が続き、実家の梅も一気に花を咲かせました。
まるで卒業を祝うかのように。

予想では、入学式には桜が見れそうです。

『旅する力』 ~第3便~

2009-03-19 22:57:01 | Weblog
『深夜特急』の真似をして、第三便まで続けることにした。

「旅」はあまり好まない、と書いた。
それは事実である。
ただ、二十代の頃は結構旅行に出ている。
海外にもずいぶん行った。

しかし、どれもありきたりの「旅行」であり、「旅」と呼べるものではなかった。
自らの力で進むべき道を切り開いていくような、そんな「旅」ではなかった。

自分は、最も理想的な旅の「適齢期」を逃してしまったのだ。
『旅する力』を読みながら、そんな喪失感のようなものが心の中を支配していた。
ところが、最後まで読み終えるうちに、少しずつその思いが変わっていった。

異国で現地の人間がするかのように振舞いながら生活をし、次の目的地を目指していくこと。
それは「旅」の一つの形であって、本質ではない。そう思うようになってきた。
自分を「非日常」の中に置くことで、新たな自分を発見していくような旅もあるのだろう。
だが、それは物理的な「旅」でしか出来ないことなのだろうか。
自分自身を見つめなおし、自らの心底へ深く分け入っていく。その過程でおのれの変化を感じ取りながら、生きていく力を身につけていくこと。
そこに「旅」の一つの意味があるのではないだろうか。
そして、それは物理的な「旅」でのみ得られるものではないはずだろう、と。

沢木さんがあの旅に出たのは、26歳の時だったという。
そのくらいの年齢が、ちょうど長い旅にでるのにふさわしい適齢期ではないかとも言われている。
そこで、ハタと気がついた。
僕は26歳の年に会社を辞め、鍼灸を学ぶために学校へ入るという大きな方向転換をした。
偶然には違いないが、僕はあの時人生の大きな岐路に立っていた。
そして、鍼灸・東洋医学という大いなる流れに分け入って行く「旅」に出たとも言える。
同時に、自分自身の心底へ深く沈降していくような「旅」を始めたのではないだろうか。
今思うに、まさにあの年齢は「適齢期」だったような気がする。

そして今でも「旅の途中」だと思っている。
この旅は、まだまだ永遠に続くものだろう。

そう、僕は確かにあの時「旅」に出たのだ。

久しぶりに『深夜特急』を読み返したくなった。

『旅する力』 ~第2便~

2009-03-18 21:55:14 | Weblog
昨日の続き。

『旅する力』には、いくつもの旅に関する示唆的な、そして魅力的な言葉が出てくる。

「旅はどこかに在るものではなく、旅をする人が自分で作るものである。どんな旅も、旅する人が作っていくことによって、旅としての姿が整えられていく。」

「私が未知の外国を旅行するときにほとんどガイドブックを持っていこうとしないのも、できるだけ素のままの自分を異国に放ちたいからなのだ、と。」

「私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。・・・ しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまった。」

「本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。」

「旅は自分の力の不足を教えてくれる。比喩的に言えば、自分の背丈を示してくれるのだ。・・・ この自分の背丈を知るということは、まさに旅の効用のひとつなのだ。」

「旅は人を変える。しかし変わらない人というのも間違いなくいる。旅がその人を変えないということは、旅に対するその人の対応の仕方の問題なのだろうと思う。」

僕自身は、決して「旅」を好む人間ではない。
むしろ「旅に出るくらいなら家で好きな音楽でも聴いていた方がましだ。」とでもいうような内省的なところがある。
変わることを良しとしない、望まない人間なのかもしれない。

その自分が『深夜特急』に夢中になったのは、沢木さんの筆力によるところも大きかったのだと思うが、見方を変えると、実は「変わらない自分」をどこかで「変えたい」と思うもう一人の自分が、その精神を鼓舞させていたのかもしれない。

『深夜特急・第三便』のあとがきは、次のような言葉で閉められている。

「もし、この本を読んで旅に出たくなった人がいたら、そう、私も友情をもってささやかな挨拶を送りたい。
恐れずに。
しかし、気をつけて。」

『旅する力』 ~第1便~

2009-03-17 22:14:17 | Weblog
東京への往復の新幹線の中で、高尾までの中央線の片道の中で、一冊の本をちょうど読み切った。

沢木耕太郎著『旅する力』:新潮社刊

サブタイトルが『深夜特急ノート』、そしてその装幀からも分かるように、あの「バックパッカーのバイブル」とも言われる『深夜特急』の最終便とも呼べる書だ。

しばらく前に購入したのだが、読むタイミングを計って、ベッドサイドに置きっぱなしになっていた。
出来れば日常から離れた空間で、一気に読み通したい。そんな思いがあった。
絶妙の機会が来たので、バッグに入れて新幹線に乗った。

事前に内容を把握していなかったので、『深夜特急』のサブノートのようなものかと思っていた。
間違いではなかったが、それだけではなかった。
『深夜特急』が出来るまでの長い道のりを縦軸にしながら、作家沢木耕太郎が出来るまでのエピソードや著者の「旅」に対する考えを改めて提示していくような、実に面白い内容だった。

「旅には適齢期というものがあるのかもしれない」というセクションが気になった。
沢木さんがあの旅に出たのは26歳の時だったそうだ。
彼は言う。旅にはその年代を適齢期とするものがあるはずだと。
「しかし、二十代を適齢期とする旅は、やはり二十代でしかできないのだ。五十代になって二十代の旅をしようとしてもできない。・・・ だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。」

僕が『深夜特急』を初めて読んだのは、文庫本になってから。
1994年に文庫化されているそうだが、その数年後だったと思う。
すでに三十代後半だった。
もちろん三十代の人間として、それなりにその本を楽しんだ。
でも、もし二十代に『深夜特急』に出会っていたらどうだっただろうか?

僕は二十歳の頃、(自分としては)大きな旅への助走の途中で断念した経験がある。
もし、あの旅が実現していたら...
もし、あの時『深夜特急』を読んでいたら...

すべては「たら」の世界でしかない。

若い時期に『深夜特急』と、この『旅する力』を読める人がいたら...

幸せだよ、君は。

墓参

2009-03-16 22:12:55 | Weblog
東京へ行ってきました。
目的は恩師の墓参り。
今年で七回忌になるそうです。

三回忌の年にもOB会での墓参がありましたが、残念ながら参加できませんでした。
先月、OB会の世話役をなさっている先生から案内状をいただき、しばらく迷っていたのですが、この機会を逃すともう行けないような予感がして、何とか都合をつけ参加することにしました。

先生のお墓は八王子の高尾霊園にあります。
東京に16年ほど暮らし、中央線、京王線にはことさら縁が深かったのですが、高尾駅に降りたのは初めてのことです。
15名の参加があり、一番遠くから参加したのは自分だろうと思っていたら、秋田の先輩がいらっしゃいました。
秋田は吹雪だったそうです。頭が下がります。

車に分乗して霊園の一番高いところまで登りました。
先生のお墓は広い霊園の一番高い所にあるのです。
先生のお父様がそこを選ばれたそうです。
墓誌には、日本の鍼灸界に大きな足跡を残したお二人の名前が刻まれていました。
お二人とも戒名はもらわない主義だったそうです。
先生らしいな、と。

いかにも春らしい穏やかな陽気で、よくぞこの日を選んでくれたと感謝。
山の上をそよぐ風が心地よく、とても心安らぐ思いでした。
墓碑の前で手を合わせながら、色々な想いが脳裏をよぎっていくのを感じていました。

街に戻り、皆で食事をしながら思い出話に耽ったのですが、OB会としての墓参は今回で最後になるとのこと。
多分、僕自身もうこの地を訪れることはないだろうと思います。
最後に墓参りが出来て、本当に良かった。

帰りの中央線に乗りながら、吉祥寺で降りたいという気持ちを何とか抑えました。
吉祥寺は学生時代のホームグラウンドであったし、恩師が住んでいた町でもあるのです。

またいつか、またきっと訪れよう。

 

マイブーム

2009-03-14 19:33:44 | Weblog
最近ちょっとハマっているのがこれ。
「ストロベリーミルク」

飲んだ瞬間、あの懐かしい「いちご牛乳」の味がよみがえります。
高校の頃、時々売店で買ったものです。もちろん牛乳瓶に入ったやつね。
コンビニに行くと、つい買っちゃうんですよねえ(^^;

「贅沢れん乳仕立て」だそうです。
北海道乳業生産。
値段も手ごろだし、小声で「おススメですよ~」。

収穫

2009-03-11 21:11:49 | Weblog
あれれれ~、いつの間にか3月も10日を過ぎてしまいました。
時の経つのは早いものですね。
そんな訳で(どんな訳?)レセプトウィークもようやく終わり、ひと段落。
先日の日曜日に、アスレチック・トレーナーの講習会を受けに仙台まで行ってきました。
講習会のことはさて置いて(おいおい)、終了後そそくさと次の目的地へ。
実は仙台パルコで「廃盤レコード&CD掘出市」なるものを開催しているとの情報を入手したものですから、これは行かねばならぬ!と。

思ったとおり会場は狭く、出店もさほど多くはない。
しかも初日から1週間も経っているので、めぼしいものは無いだろうなあ、と思いつつ、エサ箱をサクサク、パタパタ。
まあ、レコード好きなんて、そうやってエサ箱を漁っているだけで楽しいものなんですけどね。

あまり時間も無かったので、ざ~っとチェックして、せっかく来たんだからと安レコばかりを何枚か抜きました(ジャズの箱もう少しゆっくり見たかったなあ)。
そんな中、本日一番の高額物件はこれ。
ヤング・ラスカルズの1stアルバム。
ジャケットに難ありだったのですが、検盤したら割ときれいだし、レーベル確認したらちゃんとオリジナルでした。
これで¥2,000なら安いもんでしょ(とても高額物件とは申せませんが(^^;)。
ジャケ不良と言っても、若干の底抜けと取り出し口から10センチ程度の裂け。
これなら十分補修可能です。
リングウェアなどもなく、きれいなもんです。

帰宅してから、お皿回しながら補修作業開始。
これがまた楽しいのですよ。
若々しいフェリックス・キャバリエのボーカルが実に格好いい。
これがモノラルのごちゃっとした音だったら最高なのに...な~んて贅沢は申しませんが。

講習会もなかなか良かったし(取ってつけたように言うな!(^^ゞ)、収穫もありで、とても有意義な一日でした。