マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

あの日のように抱きしめて

2016-05-16 11:21:57 | 映画ーDVD

ーあの日のように抱きしめてーPHOENIX

2014年 98分 ドイツ

 

監督=クリスティアン・ベッツォルト キャスト=ニーナ・ホス (ネリー) ロナルト・ツェアフェルト (ジョニー) ニーナ・クンツェンドルフ (レネ)

 

【解説】

『東ベルリンから来た女』のクリスティアン・ペッツォルト監督が、主演のニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルトと再タッグを組んだサスペンスドラマ。第2次世界大戦直後のドイツを舞台に、ナチスの強制収容所から奇跡的に生還するも顔に大けがを負ったユダヤ人の妻と、容貌の変わった妻に気付かない夫の愛の行方を描く。夫と念願の再会を果たしたヒロインを待ち受ける衝撃の展開が、戦争で引き裂かれた夫婦の心の傷をあぶり出す。

 

【あらすじ】

1945年ドイツ、強制収容所から帰還したネリー(ニーナ・ホス)は銃によって顔にひどいけがを負っており、顔の修復手術を受ける。生き別れになっていた夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)と念願の再会を果たすネリーだったが、妻は収容所で死んだと思い込んでいる彼は、顔の変わった彼女が自分の妻であることに気付かない。さらに、その遺産を手に入れるため妻のふりをしてほしいと持ち掛け……(シネマトゥデイ)

 

【感想】

この邦題、どうでしょうね。

こんなロマンティックな感じのシーンは1つもありませんでした。

原題は「PHOENIX」。

主人公が探している人物が働いているお店の名前ですが、肉体的に生還を果たした主人公が、精神的にも蘇るというのを暗示していて、希望のラストとなりました。

やはり、タイトルはよく考えられていますよね。

 

いろいろ疑問点もあるのですが、最後まで緊張感を持って見れました。

突っ込みながらも主人公の気持もわかる気もして、面白かったです。

 

第二次大戦後すぐのドイツ。

ユダヤ人組織のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)の尽力で、強制収容所から助け出された声楽家のネリー(ニーナ・ホス)。

顔にナチスによるひどい銃創を受けていて、再建手術を受けることになった。

医者から「どんな顔にするか」と聞かれたネリーは、元の顔に戻して欲しいと懇願する。

しかし、再建された顔は元とは違う顔だった。

 

ネリーは、夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)との再会を望んでいた。

その望みが彼女の収容所生活を支えたと言っても過言ではない。

でも、レネはジョニーは裏切り者だと批判的だった。

しきりに新しく建国されるイスラエルに移り住むことを勧める。

 

ネリーは、レネの意見も聞かず、夜の町にジョニーを探しに出かけた。

「フェニックス」という音楽バーならいるかもしれないと聞き、訪れると、ジョニーは下働きをしていた。

ネリーを見ても妻とは気が付かない。

仕事を探していると勘違いしたジョニーは、ネリーに思いもかけない仕事話を持ちかける。

 

☆ネタバレ

ジョニーが持ちかけた仕事というのは、妻に成り済まして妻の財産を山分けしようというもの。

ネリーは、これが夫に気づいてもらえるきっかけになればと引き受ける。

 

レネは、ジョニーがネリーを裏切ったから収容所に入れられたんだと反対するが、ネリーは信じない。

 

ジョニーの言うなりに、筆跡を真似(自分の筆跡だけど)、派手な服を来て、フランス製の靴を履いて歩いてみせる。

故郷に帰って、親しい友達にネリーが生きていることを証明するためだと言う。

 

戦争中、ナチの捜索が厳しくなったとき、ジョニーは別荘のボート小屋にネリーを隠した。

ネリーはそれをジョニーからの愛だと受け取っていたが、実は、ネリーのことをナチスに密告したのもジョニーだったということもわかった。

それでも、ネリーは「自分も脅されて仕方がなかったのよね」とジョニーに肩を持つ。

 

ネリーの気持ちがジョニーに傾いているのを悲観してレネは自殺。

ジョニーがネリーが収容所送られて間もなく、ジョニーが届けた離婚証明書が遺書に添えられてあった。

 

ネリーはジョニーの手はず通り、故郷の駅で古い友人たちと会った。

ジョニーともそこで再会したような演技をした。

 

そして、ジョニーにピアノの伴奏を頼み、「スピーク ロウ」を歌う。

その腕には収容所で付けられた認識番号の入れ墨が。

ようやくジョニーも、本当のネリーと気が付いて、沈黙。

ネリーはジョニーにくるりと背を向けて立ち去った。

 

嘘みたいな話だけど、引き込まれます。

ネリーが恋いこがれるピアニストの夫ジョニー、これが確かに自分を裏切るなんて思えない、甘いマスクの優しそうな男なんです。

 

でも、友人たちは、全員何の迷いもなく「ネリー」と認めているのに、なぜジョニーは最後の歌を聞くまでわからないのだろう。

筆跡の下りも、ボート小屋での隠し部屋のところも、ネリーのひとり言のような話も、どれをとってもネリー本人でしょ、と思うけど。

 

よく解釈すれば、ジョニーは妻をゲシュタポに売り渡した罪の意識から、ネリーのことを正視できなかったからでしょう。

ただの裏切りではなく、地獄へ送ったも同然だからね。

ジョニーはネリーが亡くなったと考える方が楽だったのでしょうね。

逆に、ネリーにはジョニーとの再会が希望となって生還できたんだし。

 

ネリーとジョニー、その過去が二人にどんな心理的影響を与えたのか、計り知れない感じがして、なかなか面白い作品になっていました。

 

ネリーが、自分の思いばかりを先行させて、レネの気持には応えられなかったところとか、辛い気持も残る映画でしたね。

 

三人三様に、戦争に運命を翻弄された話でしたが、ほんと、辛いですよね。

戦争がダメなんだといいたいです。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。