USBのキーボード

売れない作家の日本定点観測

返信

2016-12-11 21:58:55 | 日記
https://thepage.jp/detail/20161108-00000003-wordleaf

平成における女性解放論の失敗は、解放へ向かうはずの革新的意識を社会的強者が回収し、弱者を癒やす共感が閉ざされたからです。むかし、あるところに貧しい女性がいました。しかし結婚をして男子を産むと周囲から認められ、幸せな時代を過ごしました。しかし運命というものは過酷なもので、彼女の子供は病気で亡くなってしまいました。動転した彼女は亡骸を抱いて、子供を生き返らせる薬をもらうよう托鉢をしました。しかしそんな薬などあるわけがありません。街の人はみなでその女性を笑いました。みじめな境遇に置かれているその女性の噂を聞きつけて、ある聖者が彼女の元へ現れました。女性はどうすれば子供を生き返らせる薬が手に入るのか聖者に尋ねました。聖者はこともなげに、今まで死者を出したことのない家の芥子の実に効能がある、と言いました。その女性は再び托鉢を始め、街中を歩きまわりました。しかし街中を回り、死者を出したことのない家などないことに気づき、人はいつか死ぬものだという認識を取り戻しました。彼女は子供の亡骸を墓地に葬り、新しい人生を送ったと言われます。こんな古い説話を持ちだして、意識のある女性は含み笑いをしていることでしょう。しかしいま私たちがするべき認識は、出産できる女性が死んでしまい、もう蘇らないということです。開放的関心が高まると、女性は出産をしなくなるのです。私たちの記憶する歴史は、封建主義の村から出発して近代都市までたどり着いたことでしょう。近代都市の光り輝く姿はなににも替えられませんが、意識が封建主義の村にないと女性は出産しないのではありませんか。つまり、革新的政治操作をいくらしてみたところで、日本人の出生数は向上しないのです。できることとしたらなにもしないことです。したがって出生数を向上するという条件でとるべき方策は、開放的関心を悪利用するウーマンリブの女性を排除することです。こうして民主主義の尺度に当てはめますと、私はいかにも性差別主義者です。しかし、人に対して無根拠に違うルールを施してはいけないというのが反差別ですが、男女の違いには根拠があるのではないですか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿