妹がとっくに記事にしている(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)、姉妹二人で出かけた箱根旅行。
今日はこの想い出について、語りたいと思います。
けれど、残念ながら記憶がもう曖昧。
色々愉快なエピソードがあったのですけれどね~。
鮮明に思い出せなくなってしまいました。
その旅行から2か月以上経過してしまったことが、一番大きな理由かもしれませんが。
もう一つあります。
私は年上なのに、姉妹旅行となると、いつも妹に頼り切ってしまうからです。
私が特別、お願いしたというわけではないのですけれどね。
妹がさっさと企画を立て、切符の手配もし、日程表までプリントアップして渡してくれると言った用意周到さ。
そのため、私は、いつも妹に付いていくだけとなります。
頭をあまり使用せず、気楽に観光を楽しんでしまうと、細かな記憶がたちまち薄れていくのは当然のことでしょう。
或る意味では、妹との旅行は、ツアー旅行以上に気楽ですから。
昨年、夫の法事や墓参で帰広した際、帰り道に三度愉しんだ旅行の時も、同様でした。
倉敷の大原美術館の前での妹と私
妹は痛めた脚に包帯を巻いての旅行でした。
けれど十数年前に出かけた沖縄旅行では、私の身勝手さに起因する面白いエピソードがありました。
何故か、今でもとてもよく覚えています。
いよいよ旅行最終日の前日の事でした。
この日は自由行動だったのでしょう。
ところが、妹と私の観光したいところが異なりました。
妹は、観光船に乗ってサンゴ礁が観たい。
私は激戦地となった南方方面を観光したい。
いつもの妹なら、ガイドブックを調べ、そのあたりの調整をして予定を立ててくれるのですが。
この日は違いました。
疲れてもいたのでしょうか。
なんだか、ちょっと不機嫌。
「別行動をとる。お姉さまも、時には考えてよ。」
確かこんな言い方でした。
私は、多少後ろめたさも感じていたので、胸がどきどき。
別行動なんてとんでもない。
気持ちが急に引き締まりました。
今日の観光は妹に頼らないで、私が企画をすべて立てる決心をした一瞬です。
一人でホテルのフロントに行き、サンゴ礁の観光船や南方方面のバスの時刻表を調べ、両方とも観られる工夫を凝らしました。
その日、私が立てた計画は見事に成就。
妹に頼り切ってばかりいた自分を心から反省した日だったのです。
沖縄をイメージする色は、と尋ねられたなら、私は迷わずブルーと答えます。
でも反省したのは、この日だけだったかもしれません。
その後、ベトナムやイギリスに二人出かけたときは、やはりまた、妹を頼ってばかりだったようにも。
最後に余談になりますが、私の旅行の思い出の中で、一番記憶が鮮明な所。
忘れることができない、印象的な場所をご紹介します。
それは、日本海と太平洋の境界線に当たる大海原が見下ろせる沖縄の喜屋武岬。
沖縄のほぼ最南端に位置するところです。
そのころは、まだ観光整備がされていなくて、その方面に行くバスもありませんでした。
タクシーで、舗装されていない細いがたがた道を抜けて、到着した覚えがあります。
私達以外、人影も全くありませんでした。
沖縄戦の時、追い詰められた住民たちが大勢、身を投じた所です。
その断崖絶壁の岬から見下ろす景色は、まさに絶景。
私は、その余りの美しさに心を奪われてしまいました
それと同時に、この場所で起こった悲劇を思い、、切なさで胸がいっぱいに。
6月23日の慰霊の日には,この岬の深いコバルトブルーの海と岸辺に打ち寄せる白波を、必ず想い出します。
訪れた地にまつわる出来事が報道されるたびに、実感がわくのも、旅行の得難い恩恵かもしれません。
今日は余談めいたことに終始しましたが、明日からは箱根旅行の思い出記に入ります。
前日、記事にさせて頂いたKさんから、また絵手紙が届きました。
胸に沁みる言葉でしたので、またブログにアップ致します。
水彩画は、、もっと本格的な絵で、とてもお上手です。
今度いつかブログでもご紹介させていただきますね。
昨日は孫宅に着くと気分が悪くなって、しばらくソファーで休んでいました。
軽い熱中症のように感じました。
皆さまもお気を付けください。
ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。
花のように泉のように