ぐだぐだなひとの日記帳(またはチラシの裏)

日々のぐだぐだな日記でございます。ときには真面目に?語ってます。

大学入試の出題ミス・・・

2018年02月25日 | 生活問題・気になるニュース
大学の入試で出題ミスが相次いでいるみたいですね。
ていうか、多分昔からこういうミスがあったけど、明らかにならなかっただけなんでしょうねえ。
私も大学いくつか受けましたけど、問題とか持って帰れた学校があった記憶が無いですし。
私の場合は逆に何故受かったのかわからない、みたいな感じだったので、もしかしたら出題ミスの裏で涙を流していた受験生もいたかもしれません。

出題ミスに対するコメントの中で私が気になったものが二つ有ります。
・条件が足りなくて解けない問題がある。
 →自由回答ならば、「条件が足りない為解けない」とか書くというのもありなんでは?と思います。
・高校生の学習範囲ではない。
 →高校の卒業の為の試験に学習範囲外からでるのは不適切だが、大学というステージに入るために高校の出題範囲内でなければならない合理的な理由があるのか?と思います。

いずれの意見も共通するのは、「高校の成績の延長で順位付けをして学生に優劣をつけて大学の入試の可否を問うもの」という発想なのかな?と思います。
基礎学力的なことや、教えられたことに対する取り組みの姿勢を見るには確かにそれで良いのかもしれません。
でも大学側として、もっと自ら考える学生を、臨機応変に対応できる学生を入学させたい、と思うのであれば、条件が不足して回答が導けない問題を出してその回答を見る、というのも、選抜の方法の一つとしてありなんじゃないかなと。

科学だって歴史だって、今の常識が真実かどうかわかりません。
言葉だって変わっていきます。
そういったものを専門を分けて学ぶのが本来の大学の姿だと思います。
そういったステージへ進むための選別を行うにあたって、答えが無い問題、見たことのない問題にどう取り組むか、学校の中で習わないとしても、興味をもってその分野の本などを読んでいればわかる問題などが出た場合に差がついたとして、それは出題ミスになるのかな?と私は思います。

現在の「就職するために高校の延長で入る」「塾や学校の先生がいい大学に入った子供の数で達成率を管理する」とかそういったことの為に、高校の延長みたいな試験をきちんとしろ、というのは、ちょっとどうなのかなぁと。
学生にとっても、確かに「誰も教えてくれなかった」内容で自分が不合格になるのはおかしいと思うかもしれません。
でも、社会って「誰も教えてくれない」内容で理不尽に取り扱われることが大変多いですし、その先の、世界の新しい発見は誰かに教えてもらうのを待っていたらできません。

しかし言われた通り良い子にしていい大学に入っておかないと、就職活動で良いスタートに立てないとかいう話も聞きます。
学歴主義は消えたと一時期聞いていましたが、今は誰でもウェブから応募できるようなって、逆に学歴で足切みたいなことが行われるとも
良い企業の説明会の案内はいい大学の子に優先的に解放されるとか。
少子化で子供たちの就活は倍率が下がった、と言っても、良い会社の倍率まで均等に下がる訳ではないですからね。

少しずつおかしくなった社会はなかなか良い姿には戻らないものですから、こうやってエスカレーター式に良いレールを零れ落ちたら人生終わる、だからレールには瑕疵がないように見せなければならない、みたいな形式を続けざるを得ないんですかね…。
コメント
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