京大観世会blog

観世会のゆかいな日常です。

第27回京都大学観世能パンフレット企画 師匠インタビュー

2022-11-17 07:11:22 | Weblog
京都大学観世能パンフレット恒例企画でもある「師匠インタビュー」を今年はweb上でお届けする。
能を初めて見る人に向けた玄人ならではのメッセージや、今回の観世能《巴》にちなんだ、修羅や執心に関する興味深い考察が含まれている。途中、話が逸れていく部分もあるが、その辺りのライブ感も含めお楽しみください。

1,能を初めて見る人へ
――京都大学観世能では、初めて能を観る方の存在も意識して企画しているのですが、玄人目線から、能を初めて観る方に注目してほしいポイントを挙げるとすればどのようなものでしょうか。

片山伸吾師(以下、片山)「私がいつも初めて見る人に言うのは、分かるということを実感してくださいということをいつも推奨してます。だから分からないから能は面白くないんじゃなくて、いかに分からないかということを1回目は実感して欲しいというのをいつも僕は言ってるので、逆に言うたら分からないことに臆病にならないで欲しいってことを思います。初めて見る人に期待しすぎるというのは非常に難しい。いかに能が難しいかということを、やっぱり能ってわかりやすいもんなんだとか面白いんだとか言うふうなことを、理解してる人は言えるけれど、やっぱり理解できてない人に、それをいきなり説いたところで、すぐに面白いですねっていう反応が返ってくるということは、まずないと思ってます。だから自分がどんなわからないのかっていうことを理解した上で、次のステップに進んで欲しいなっていうのが、能に対する導入であってほしいと僕は思ってます。答えになっていないかもしれません。」

田茂井廣道師(以下、田茂井)「まあ伸吾先生と違う言い方やけど、自分の好きなとこをなんか見つけて欲しいなという。わからないならわからないなりに、あの面が面白いなとか、装束が綺麗だなとか、笛の音色とか鼓の音色が綺麗で楽しいなあとか、謡ってる人の声が大きい声で凄いなあとか、何でもいいから自分の好きなとこを見つけてほしい。逆に言うたら能はいろんな魅力の詰め合わせセットみたいなもんやから、何か響くものがあるんじゃないかと。だからそれこそ、何の説明も受けずに見るコンテンポラリーダンスよりは、絶対能の方が分かりやすいと思うので、何か興味を引くとか絶対あるはずなんで、自分の好きな所をまず見つけてほしい。そこを手がかりにとっかかりに能を見るようになってくれたら嬉しい。全くの初心者の人が一回観ただけで能は多分何もわからんし、そもそも理解するものでもないし。観たことない人は、大概観てもつまらないだろうなという勝手な先入観のもとに見てないことが多いと思うね。その先入観をちょっと置いといて観てほしいなという話。その上でなにがしかあなたの興味が、こう持って帰る部分が何か絶対あるはずだということが言いたい。日本の昔からある演劇だという捉え方だけじゃなく、音楽として捉えてもいいし、いろんなその要素、彫刻に興味がある人は能面が面白いやろうし、建築に興味がある人は能舞台が面白いやろし、音楽に興味がある人は能の囃子や謡が面白いやろし、絵画に興味ある人は扇子が面白いやろし。」

――ありがとうございます。その中でも特に、「今こそ」伝えたい能の面白さというものにはどんなものがあるでしょうか。

片山「リアルタイムにこう伝えたいというような物はあんまり意識したことがないけれども、全てはさっきも田茂井先生が要約して言わはったように、やっぱり攻めどころとしては、能っていうのはもう本当に360度どこからでも入れるものやと思ってるので、そういう自由さみたいなものを持ってる芸能であるということが、やっぱり一番伝えたいことなんじゃないかなと思います。ここを伝えたいとかって言うよりは本当に自分のフリーな頭で目で心で入って欲しいと言うかそういうような、ありそうでない珍しいジャンルなんだよ、というようなことを伝えたいかな。」


2,能《巴》の見どころについて ~能と修羅・執心~
――能《巴》についてよく言われるのは、修羅物(武士を主人公とする能のジャンル)の中で唯一女性が主人公だということですけども・・・

田茂井「これに関してはものすごく違和感があって・・・。そもそも《巴》という曲を修羅物と決めたのは誰?そもそも修羅物って何?便宜的な分類として修羅物というものがあるんやろうけども、修羅者の中で唯一女性という言い方は、すごく片手落ちな気がするんです。さっき言ったように女性であり武者であるというキャラクターが珍しいという言い方は正しいけども、修羅物の中で唯一女性が主人公と言い方は違和感があるんです。逆に問題提起したいねんけど、《巴》って曲は修羅物というよりは執心物やと思うんですよ、ある意味。《玉鬘》とか《浮舟》に近い曲だと思うんですよ。たまたま長刀持って出てきて、たまたま戦う場面がちょっとあるだけで、その例えば修羅物と言われる《屋島》って曲を考えた時に、あれはもうどストライクに戦いを正面に据えている。〈惜しむは名のため、惜しまぬは一命〉って言うじゃないですか。名を汚されるぐらいなら死んだ方がマシやというのが武士の生き様ですよね。あと、修羅道における戦いとかがめっちゃ真正面から描かれてるよね。《屋島》とか《清経》《経正》にしてもそうですよ。戦う理由がちゃんとある。でも《巴》の執心って、義仲の供が出来なかったっていうことでしょ。戦うその武士としての執心じゃなくて、人間としての執心、女としての執心やと思うんですよ。その辺はいわゆる修羅物とは言えないんじゃなかろうかと私は前から思ってまして。だからその修羅物の中で唯一女性が主人公と言い方は一番嫌い。そういう言い方をしてほしくないなと思ってます。確かに番組に組んだら《巴》は多分2番目に来るんでしょう、特に仕舞の曲で選んだりしたら2番目に持ってくのが一番しっくりくる。わかった上で言ってるんですけどね。江戸時代に作った便宜的な分類にあまり引っ張られたくはないなと。」

片山「基本的には、もう今田茂井先生が仰った通りやと思うけども、まあ場面としてね、この人がたまたま戦に関わらざるを得なかった部分の中で、そういう要素がちょっとかすってくるから、そういうジャンルの名前が出てくるんであって、やっぱり恋焦がれてっていうとこらへんの雰囲気の方がクローズアップされるべき事やと思うし。若干話が戻るけれども、《巴》に限らず人物設定だけでも史実に基づいたものがあるっていう曲と、全く一般の人が知らないお話であったりとか、或いはほんまに一から創られたような創り話を初めての人に理解してくれていう曲とでは、もうそれこそ見方っていうのとか、或いは近寄り方みたいなものは随分違うんじゃないかと思うし、そういう意味では《巴》のような前者の曲の方が入りやすいのは間違いがないと思います。能《巴》で描かれているこの巴御前は、一般的に歴史で言われてる巴御前の一応延長線上に創られてるなとは思うけれども、こういうキャラクターがどういう人なのかとかいうことを想像しながらでも話を自分の好きに見ていくと、全く触れたこともないようなキャラクターの話よりもとっつきやすいんじゃないかなとは思う。」

――ありがとうございます。先生が仰ったような、修羅物って何なんだろうっていうのは、解説とかいろいろ考えてたりする時にありました。よく唯一の女修羅だと言われていて、巴御前という女性について、どうやってそのキャラクターを考えるのがいいのかなと思って女性と戦の関係性をちょっと考えていたのですが、そもそも分類として、曲を書いた人が修羅物と思って書いたわけでもないということを聞いて、なるほどと思いました。

田茂井「曲の内容として、修羅物という言葉を使われるとすごく違和感があるというのはさっき言った通りなんですけど、じゃあ実際稽古する上で長刀を振り回すってことで言うたら、これはもう《船弁慶》とか《熊坂》と同じ使い方をするわけだから、そういう部分においては修羅物なんやで、その稽古する分類としてはな。その部分においては。修羅物としての《巴》というのも、半分はそういう意味なんだろうなと。若い時の《巴》やることになって稽古してた時に自分でも考えたし、先輩や先生からも言われたことは《船弁慶》とか《熊坂》みたいに思いっきり長刀を振り回すというのが男っぽいとするならば、《巴》はやっぱりどこか女でないといかん。女らしくありつつ、シャープにキレよく長刀を使うというようなことを意識していたのを思い出した。それは例えば《山姥》でもそうやね。強く舞うけどどっかやっぱり女性なんや、《山姥》はな。その辺は《錦木》とか舞ってるのと《山姥》舞ってるのはやっぱり違うと思う。その辺の微妙な表現の仕方の違いというのは意識した方がいいなと思っているところであります。」

――先ほど田茂井先生が《巴》は執心物なんじゃないかと仰っていましたが、能における執心というのはどのようなものなんでしょうか。ここまで話題が《巴》についてのみになってしまっているので、もしよろしければ、先生の能楽師としての個人的な執心などもお聞かせ願えないでしょうか。

田茂井「巴の執心じゃなくて我々の執心が聞きたかったの?(笑)《巴》という作品についてちょっと思うことがあって、今の設問に多分合わないだろうけど一つ言わせていただくと、あの時代の出来事っていうのは何が正しいか何が史実か何が正解か分からないですけど、いろんな能の台本の元になった先行する話に書かれているものを総合すると、義仲は矢に射られて死んでるんですよね。だから自害はしていない。この間の大河ドラマでもそういう表現で死んでましたよね。であるのにもかかわらず、《巴》の中では自害したことになっている。これは明らかな原作の改編ですよね。でも何故そんなことをしたかというと、本を作る側の人、或いはそれを観るお客さんの側から、木曽義仲も幸せに死なせてやってよ、みたいな願望があって、義仲がちゃんと自害出来ました、という本を敢えて書いたのではないか。たまにドラマとかでもありますやん、本当は違うけどいい結末にして終わらしてる話とか。それが能の場合、《兼平》と《巴》はほぼ同じ本のネタを使ってるのに結末が違う訳ですよね。《兼平》は木曽義仲が矢で射られて死んだことになってて、一方で《巴》は自害を見届けて形見を持って帰ったという話に書かれていて。そもそも同じ木曽義仲が死ぬときに、かたや今井兼平しかいない、かたや巴御前しかいないってありえへんわけで。まぁ敢えて《巴》という曲はそういう作り方をしているのは、ちょっと面白いとこかなという気はしてるんです。で、《巴》を観て分かることは、能を信じるなということ。能の話を元に歴史を理解したら話がややこしくなるので、あくまでフィクションとして観なあかんよって話は、一言付け添えたい。」

片山「今の田茂井さんの話の延長は、能だけでなく芝居でもフィクションのものというのは非常に多いわけであって、特に例えば安宅の関の場面にしても大河ドラマで何回も取り上げられているけれども、やっぱり脚本家・演出家の違いによって安宅の関の処理の仕方っていうのは全然変わってきてるわけね。一般的に、勧進帳を読んで、それで富樫がこれは気づいてるのか気付いてないのかっていうことすらがまず二分される話であるけれども、まあ、これに関しては今一番能の《安宅》なんかが一番ストレートな表現だろうと思うけれども、僕が昔観た、水曜にNHKで時代劇やってた時のがあって・・・」

田茂井「中村吉右衛門さんの武蔵坊弁慶ですか?」

片山「うん。で、児玉清さんが富樫やってたやつ。あれは結局、弁慶がもうこれは無理だと思ったから、富樫に全てのことを話すわけ。ただその上で、我々は頼朝公に対して全くやましい気持ちはありません、っていうことを言うた上で、それを分かったって言って見逃して逃がしてやるっていうシーン。僕、あの演出は初めて見たんだけれども、話の骨格が骨太であったら、どんな表現してもこの演出ええなって思ってしまえるものである、と思ってるわけね。義経の最後なんて、例えば立ち往生で死んだという話もあれば、ジンギスカンになったとかいう話もあるし、これだってもう本当にいろんな解釈の仕方があるわけであって。結局のところ100%の史実みたいなものがわからへんものっていうのは、なんとでも変えられるわけ。でもやっぱり、そこにはある程度の義経・頼朝の関係があってっていうような、最低限の史実に基づいて、そこに肉付けをして物語を面白くしていくっていうのがある。これが能だけでなく芝居の面白さなわけだから、それがいろんな形で描かれているということに、我々はやっぱ楽しむわけであって、逆に言えば能もその芝居の一つであるので、ご多分に漏れずにそういう演出を楽しんでくださいということと僕は思います。」

田茂井「だから今の大河ドラマでも、ものすごい新しい解釈して描いてるところ多いですよね。それは大河だからみんな論じるけども、能でも普通に行われていることであるってことですよね。」

片山「《俊寛》の芝居っていうのも昔観たことがあって、平幹二朗さんと太地喜和子さんね。平幹二朗が俊寛やってて、で、実際に康頼と成経が先に帰るには帰るんだけど、こいつらが実は幕府の回しもんで、はじめから俊寛を嵌めるために派遣された奴だという風な設定で、それを気付いた俊寛が、どうやって島を一人抜け出したのかわからんけども京都へ戻ってきて復讐をする、という話があって面白かったんですよ。(笑)まあ、さっきの話に若干戻るけど、執心っていうのは、いわゆる能における執心物と言われるものもあるかもしれんけど、それ以外の能にしたって大体、何らかの形で不平不満を言うこと自体が、色気があることなんだろうと思うんだよね、《胡蝶》みたいな話でもそうやんか。どうのこうの頼むこと自体も、あれも一つの執心やと思うんだけどな。例えば初番目物なんかはそれからは若干縁遠いとは思うけれども、それでも神様にしたって、いわくありげに帰っていくっていうことは何か訴えたいところっていうのは絶対あると思ってるんで。もう能の作り自体がどっちかと言ったらそうそういうものになってんのちゃうかなとは思いますけどね。こういう恨みつらみの執心というのはとは違うかもしれんけども、骨格としたらそれに全部準ずるものになってるんじゃないかなと思う。」

――ありがとうございます。えっと、ちょっと話がそれたんですけど、この質問ちなみに元々はこ先生方の執心・・・

片山「(笑)まあそそのちょっとその個人的な執心っていうのは、その能という芸能を舞っている自分に対してのってこと?もうちょっとちゃんとうまくやりたいけど、うまくいかないなと思ってるのが常じゃないですか。」

田茂井「うちの子供なんか、今、凄い自己評価高いんですよ。もう無事舞台が終わったらああ上手にできたって喜んでる。けど、僕らの年齢になったら、今日は完璧にできたな、ええ舞台やったなと思うことはまずなくって、あそこがまずかったここがまずかった、あそこはちょっと間違えたとかもっとこうしたら良かったなとか絶えずあるんで、こんだけ稽古したらOKというゴールが全くなくて、なんかこう絶えず落ち着かないんですよね。で、一個終わってもすぐ次の目標がもうちゃんと設定されているから、今日のこれが終わったら明日、明日が終わったら明後日で、能のシテにしても役にしても、この大きい役が終わったら今度はこの役が待ってるとか言って、絶えずこう安住を許されない状態でずっと生きてきているので、やっぱりそれが執心なんじゃないですかね。能楽師である以上の職業的な性というか。また満足したらそこで終わりでしょうし。ああもう今日の能は完璧だったっていう考えになってしまったら、もうあかんやろし。」

片山「これ僕だけかもしれないけど、意外と、自分で今日はちょっとましやったかなと思う時に限って結構批評を受けたりすることがあったりするんですよ。これはプロアマ問わずに楽屋の内でも、一つ二つなんか言われるとか、あるいはあとから諧声会(京大観世会OB会)の人達に言われるとか、そういうことも含めてこっちのやった感触との感覚が違う時っていうのがあって、そういう時が一番気持ち悪いジレンマに陥ることはあるんですね。これはねある意味、人によって勿論ものの見方が違うっていうところもあるんだけれども、やっぱり自分は、その舞台に挑むまでの自分という主観が入った上での延長線上にその舞台があるっていうことで、他の人達はその過程の僕をずっと見てるわけでもないわけであって、言うたら切り取ったところだけを見はることのほうが圧倒的に多いので、そういう意味での流れからの見方っていうのが変わってくるのかなっていうのは、ちょっと思ったりはするけれども。もちろん、良かったかなという時に毎回否定されるわけでなくて、やっぱりほんまに今日は良かったよって言われることもあるわけであって、そういうときはやっぱり素直に嬉しいなと思うわけであって。だからさっきの田茂井さんのような話じゃないけれども、ずっと100%の満足をして終わることっていうのは、まずあり得ない訳なんですよ。だからそれを、次の舞台に、残りの足りなかったパーセンテージを改善したいなというふうな思いで挑む。だけども恐らくそこまでまた到達しないし、到達する部分があったとしたらマイナスになる部分もまた出てくるしっていうようなことの、要するに繰り返しになるのは仕方がない。100%にはならないけども、例えば80%から90%ぐらいまでの中で、1%ずつでもそういう満足度というか充実度みたいなものが増えていけるようにしたいなと思うし、80%だけは絶対割らないようにしようとなってくる。なってこないといけない年齢になっていることも間違いがないなと思ってます。」

――本日はありがとうございました。

ここ数年の歩み⑥ 2022年1月~3月

2022-03-08 18:59:56 | Weblog
〇2022年1月10日 新年会@河村能舞台

今年の新年会は河村能舞台にて開催しました。
京都には屋内の舞台だけで10か所程度能舞台があり、いろいろな舞台に立つことができます。
河村能舞台さんは二階席もありプロの公演でも使用される舞台で、よく利用させていただいています。

昨年の新年会はOBと現役のみの縮小開催となってしまいましたが、
今年は感染拡大状況が少し落ち着いていたこともあり、他大学さんも招待することができました!

例年であれば舞台後の後席(宴会)にもご招待して親睦を深めているのですが、今の状況ではそこまではできず、
代わりに開演前に感染対策に留意したうえで親睦会を行いました。
6団体・20名ほどの方にお越しいただき、コロナ禍でどのように稽古してきたかなど意見交換ができました。
どこも大変なのは同じようですね…

舞台には9団体の方に22番の仕舞・小舞を出していただき、華やかな会となりました。
ありがとうございました。

なお、下の写真は部員全員で「四海波」を謡っている場面です。
四海波は能《高砂》の「四海波静かにて」から始める一節で、おめでたいときに謡う謡です。
新年会では一年の平穏無事を願い、必ず冒頭に四海波を謡うことにしています。




〇2022年2月11日~13日 春合宿@千鳥荘

感染拡大が続く中でしたが、感染対策に留意し何とか春合宿を開催できました。
今回も会場は琵琶湖畔の千鳥荘さんで。
駅への送迎をこまめにしてくださったり、食事や宿泊人数の急な変更にも柔軟に対応してくださったり、本当にありがたいお宿です。

二階に80畳の大広間があり、ここで舞の稽古を行っています。
窓からは琵琶湖の景色を一望でき、沖島や遠くは伊吹山まで見渡せる最高のロケーション。
合宿の際は思わず琵琶湖に浮かぶ島が舞台の能《竹生島》を謡いましたが、まさに稽古にうってつけの場所です。

食堂のドアを開ければそこは浜辺で、休憩時間には比良山系の雄大な景色を見ながらボーっとすることもできます。
夜に波の音を聞きながら静かに過ごすこともできます。良いところです。




〇2022年3月5日~6日 四大学合同発表会

ついに今年は四大学を開催できました!舞台ができたのは3年ぶりです。
また、神戸女学院大さんはオンラインの参加となりましたが、東大さん、名大さんと四大学がそろうのは4年ぶりのこと。
良い兆しです!

今回は東大さんが幹事を引き受けてくださり、川崎能楽堂での開催となりました。
直前にコロナ感染者が出たことで素謡会は断念せざるを得ませんでしたが、
原則全員PCRを受けるという体制のもと、どうにか舞台は開催することができました。

他大学合同の演目としては合同素謡《竹生島》《大仏供養》、合同舞囃子《養老》を行いました。
日頃なかなか交流できない遠方の大学の方と共に謡い、交流できるのは貴重なことで、楽しい時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました!


ここ数年の歩み⑤ 2021年4月~11月

2022-03-07 19:57:01 | Weblog
〇2021年4月 新歓

1月半ばから出ていた緊急事態宣言が2月末で解除されたことで、3月から大学の規制も緩和されboxが使えるようになりました。
(この頃、緊急事態宣言の発出に応じて活動場所の学生集会所box(部室)は閉鎖されていました。)
2020年4月からオンライン形式に限定されてきた新歓も、限定的ではあれ2021年4月から1年ぶりに対面方式が可能になりました。

昨年思い通りに新歓できなかった分、今期こそは!と意気込んだ2021年新歓。
4月中旬まではある程度例年通りに進みました。
のべ10数名の新入生が興味をもってくださり、稽古見学や観能ツアー(一緒に能の公演を見に行く)に来てくれました。
さあ、これからさらに魅力を伝えていこうと思った矢先の4月22日。
3回目の緊急事態宣言発出前日に学生集会所は再び閉鎖され、活動自体できなくなってしまいました。

結果、新歓期の新入部員は0。
2年前に18人いた部員も、7人までに減っていました。




〇2021年7月3日 三大学合同発表会@大江能楽堂

一方で、明るい話題もありました。
昨年度は中止を余儀なくされた三大学合同発表会を開催できたのです!
コロナ禍始まって以来、他団体との交流は固く禁じられていたので、他大学さんとの合同舞台はこれが初めてでした。

合同ハイキングや、後席(舞台後の宴会)など親睦を深める行事の開催は叶いませんでしたが、
まずは共に舞台をできたということで、大きな一歩だったと思います。




〇2021年9月4日~7日 夏合宿@千鳥荘

夏合宿も何とか復活できました。
合宿とは言っても、感染リスクを最小限にするため、一人一部屋・黙食・宴会禁止を徹底して行ったので本当に修行みたいな感じでしたね💦
例年夏合宿はちょっと遠出をして宿泊するところですが、時勢を鑑み、滋賀県大津市和邇浜の千鳥荘での開催となりました。

普段の稽古では月に4回ある師匠稽古のほかは学生同士で教えあうという形をとっていますが、
合宿では経験を積んだOBの皆さんにも指導していただけるので、非常に鍛えられます。
普段の稽古で緩んだ心を引き締める良い機会です。

また今回は3日目に師匠がお越しくださいました。
夏合宿の師匠稽古では能装束を持ってきてくださり、観世能で能を舞うシテ(主役)は本番に近い装束を着て稽古することができます。
これも時間にゆとりのある合宿ならではのありがたい稽古です。

「同じ釜の飯を食う」という言葉もある通り、一定期間同じところで生活すると不思議と一体感が出るもので、
やはり合宿でしか得られないものがあります。
今後も何とか合宿は続けていきたいですね。




〇2021年9月19日 京都大学観世会90周年記念 諧声会自演会@京都観世会館

2021年は京都大学観世会が設立されて90周年のメモリアルイヤーでした。
観世会のOB会である諧声会では、10年ごとのメモリアルイヤーに記念の自演会とプロの能公演、そして祝賀会を開催されています。
今回はコロナ禍ということで祝賀会は見送られましたが、諧声会自演会と能公演(観世会を指導していただいている片山伸吾師の能《求塚》他)が行われ、現役部員も自演会に出演させていただきました。




〇2021年11月19日 第26回京都大学観世能

どんな舞台であれ、観客の存在というのは非常に大きなものがあります。
舞台上で何かをしたとき、受け止めてくれる観客がいてもらえるかどうかで、演技演奏の質は変わってくると思います。
ましてや能は舞台上と観客が双方向のやり取りをする中で成立する性格を持ちます。

2020年、観世能開催を模索したとき、無観客であれば開催できる可能性がありました。
しかし我々が考え、提示した能の形というものを受け取っていただけるお客様があっての観世能。
無観客という選択肢はあり得ないと思い、中止せざるを得ませんでした。
予定していた能《鵺》はある程度稽古を進めていましたので翌年に持ち越しとなり、秋の稽古会で素謡、新年会で袴半能の形で出すことで理解を深めていきました。

2021年になっても感染拡大状況は悪化する一方でしたが、
関係者のみならOKだということで、大学からの許可を得て何とか有観客で開催することができました。

何のために能をするのか、能をすることで何を伝えたいのか。これほど考え続けた日々はありません。
1時間半の演目のために1年半を稽古に費やすことをあほらしく思うことも時にはありました。
そんな時支えてくれたのも《鵺》という曲でした。

《鵺》は夜な夜な帝を苦しめた「鵺」という怪物が、殺され流れ着いた浜辺で尚も成仏できず苦しむさまを描いた曲です。
シテは冒頭このように謡います。
「悲しきかなや身は籠鳥 心を知れば盲亀の浮木 ただ闇中に埋もれ木の さらば埋もれも果てずして亡心何に残るらん
 浮き沈む 涙の波のうつほ舟 こがれて堪えぬ古を 偲び果つべき隙ぞなき」
(わが身はこの世に留め置かれ自由が利かない。必死で救いを求めても得られない。昔が懐かしくて仕方ないが、苦しみ多くゆっくり思い出すこともできない)といった感じでしょうか。
コロナ禍に生きる人々には誰しもこういう「不自由さ」「思い通りにいかなかったこと」「やりたくてもできなかったこと」があると思い、これほど時代に合った曲を表現できる喜びというのが、1年半《鵺》へのやる気を維持してくれました。

折しも当日は部分月食の日。食の最大のころに鵺を上演するという趣向に図らずもなってしまいました。
鵺の直前に会場に来られた方は、ちょうど東の空に月食中の月を見ながらいらっしゃったようで、鵺へのイメージが膨らんだとのこと。
天に助けていただけたのかもしれません。

舞の出来としてはお世辞にも褒められたものではありませんでしたが、長く同じ曲に取り組み考え続けたことで、見えてきたことがあるように思います。
それを今後の糧にすべく、精進していきます。


ここ数年の歩み④ 2020年4月~2021年3月

2022-03-06 21:43:41 | Weblog
〇2020年4月 活動自粛

四大学は流れたものの、3月までは通常通り活動できていた観世会でしたが、4月に入り状況が一変します。

4月1日午前、大学の厚生課から観世会など課外活動団体へ一通のメールが届きました。
明日から活動場所の学生集会所を閉鎖するから、必要など道具は今日中に持ち出すようにとのこと。そんな急に言われても…。
とは言え従うほかありません。
昼過ぎ、鴨川デルタで臨時会議を行い今後の方針を決め、その足で学生集会所box(部室)に向かい、謡本など必要な物品を取り出しました。
それまで学生集会所は24時間開いていて滅多に施錠されることはなかったので、よほどのことが起こっているという実感でした。

活動場所が閉鎖され、対面での活動自粛を要請される中、その後はオンラインで活動を継続しました。
オンライン新歓、オンライン謡稽古、オンライン勉強会、オンライン飲み会etc.…。
何とか活動の灯を消さぬよう工夫を続けていた6月、一条の光が差し込みました。

新入生が1人、入部してくれたのです! ありがとう!

そうして力を得た観世会は稽古を継続し、
10月、半年ぶりに学生集会所boxが使えるようになりました!!
開け閉めの度、鍵を600mほど離れた体育館事務室に取りに行く必要があったり、活動時間が3時間までという制限はありましたが、それでも稽古の質は大幅に向上しました。


〇2020年11月24日 秋の稽古会@大津市伝統芸能会館

9月までは安定した稽古ができなかったため、この年の京都大学観世能は開催をあきらめざるを得ない状況でした。
見かねたOBの皆さんがこの秋の稽古会を主催くださったことで、部員有志は3月以来の舞台に立つことができたのです!

この日は観世能で出す予定であった演目を中心に上演し、最後は能として出す予定だった《鵺》を素謡の形で行いました。

稽古して、舞台で人に見てもらう。
これがいかにありがたいことか、その喜びを深く実感した舞台でした。




〇2021年1月23日 新年会@大江能楽堂

新年会も例年より規模を縮小し、他大学さんは招待せず、現役有志とOBのみでの開催となりました。
観世能で出す予定だった《鵺》を今回は袴半能(装束は付けず紋付き袴の格好で、曲の後半のみ上演する)の形でさせていただいたのですが、
OBさんに囃子をお願いしたことで、本役のメンバーで何度も合わせることができ、よりまとまった一体感の下で上演できたのではないかと思います。
支えてもらって舞えてるんだなということをいつも以上に感じたことを覚えています。




〇2021年3月6日~7日 春の集中稽古@左京東部いきいき市民活動センター

合宿はまだまだできる状況ではありませんので、大学近くの市民活動センターをお借りして日帰りの集中稽古を行いました。
OBさんも数名ご参加いただき、充実した稽古ができました!


〇2021年3月20日 春の稽古会@大津市伝統芸能会館

他大学さんとの交流は厳しいご時世、四大学はこの年もできませんでした。
そこで、大津で身内だけの小さな稽古会を開催しました。

この舞台をもって4名が卒業となり、同日追いコン代わりの送別会も行いました。




ここ数年の歩み③ 2019年11月~2020年3月

2022-03-05 22:09:53 | Weblog
〇2019年11月1日~3日 秋合宿@千鳥荘

滋賀県大津市和邇浜の千鳥荘にて秋合宿を行いました。秋合宿は2泊3日の稽古三昧で、観世能に出す曲を追い込みます。
千鳥荘は湖岸に位置し、景色がきれいなところです




〇2019年11月22日 第25回京都大学観世能《花月》

京都大学観世能は京大観世会最大の催しで、学生がシテ(主役)をつとめる能がメインディッシュになります。
ただ、それぞれがやりたい演目を好き勝手にやるのではなく、学生の立場で能というものを考えて、なにかお客さんに感じてもらえる考えてもらえるような舞台にできればという風に考えて行っています。

この年の能は《花月》。筑紫国・英彦山で天狗に連れ去られた少年「花月」は全国の山から山へ連れまわされるが、京都・清水寺で故郷から探しに来た父親と偶然再会できたというお話です。
この《花月》にちなんで、清水寺の僧侶の方にご講演いただき、ほかの曲も清水寺に関するものや、「まわる」ことを意識する曲などにしました。
お陰様で約400名の方にご来場いただき、多くの方の前で舞える貴重な経験ができました。ありがとうございました。




〇2020年1月11日 新年会@河村能舞台

新年会は飲み会ではなく(終わった後には飲み会があるのですが)、発表会の名前です。
新年会はOB会である諧声会と共催し、京都周辺の能楽部さんにお越しいただいて賑やかな番組となっています。
この年は出演順に京大宝生会・龍谷大・東大・京都市立芸術大・京大金剛会・大阪大・同志社女子大・同志社大・京都女子大・京都学生狂言研究会・立命館大・奈良女子大(以上敬称略)の皆さんにご出演いただきました。
先ほども書いた通り、終演後には他大学の方も招いて後席(宴会)を行いました。
一次会は河原町三条のアサヒビアレストランスーパードライ京都、二次会はPLATINUM、三次会はbox(部室)、そのまま夜を明かして熊野神社前のからふね屋にて翌朝四次会…
という感じでしたね。




〇2020年2月8日~10日 春合宿@亀岡 有楽荘

春合宿も2泊3日です。雪の降る寒い中、亀岡湯の花温泉・有楽荘にて行いました。
春合宿では卒業舞台でもある3月の四大学に向けた稽古を主に行います。
鍋、美味しかったなー!
これがコロナの影響を受けずに行えた最後の行事になります…




〇2020年3月7日~8日 四大学合同発表会@大津

この年の四大学は京大が幹事ということで京都、ではなく大津で開催しました。
参加校が東大さんと京大だけだったので、√四大学などと言っていましたね。

1日目は三井寺近くの圓満院にて素謡会。
能の一曲を最初から最後まで謡う「素謡」や、一部のみを複数人で謡う「連吟」を発表しました。

その後翌日の舞台や夜舞台(宴会芸)の打ち合わせをして夕食をとり、宴会で親睦を図っていたところ…
部員に発熱者が出たとの知らせが!

当時はコロナ感染拡大の初期で、「〇〇県で感染者が確認」というだけでニュースになっていた時期です。
これはヤバいかもしれない、と酔いを醒ましつつ話し合った末、舞台を含めて翌日以降の予定をすべて中止することに決定しました。
翌朝、朝食をとったのち解散となり、不安を抱えつつ各自帰宅の途につきました。

なお、その後症状は悪化することなく、通常の風邪であったとのこと。よかった!




〇2020年3月28日 四大学代替舞台@関西セミナーハウス

このように流れてしまった四大学。
このままでは寂しいなと、四大学に出す予定だった演目を成仏させる会を企画しました。

場所は修学院にある関西セミナーハウスの能舞台「豊響殿」。山裾の庭園の中にある野外舞台です。
時折聞こえる鳥のさえずり、風の音と謡の声が混じりあい、文字通り豊かな響きが作り出されます。
本来、能は野外で行っていたもの。
自然との呼吸の中で舞い謡う、思い出深い舞台となりました。

舞台の後には行きつけの戸隠そば屋「實徳」へ。
追いコンが出来なかった代わりの、卒部者を送り出す会です。
この年の卒部者は5名。4月に修士2回で入った留学生から勤続7年のベテランまで、多彩な方々が観世会を旅立っていかれました。

 

ここ数年の歩み② 2019年4月~9月

2022-03-05 20:54:32 | Weblog
〇2019年4月25日 きのこ火鍋会

新年度早速入部してくれた中国人留学生の発案で、火鍋パーティーが開催されました!
なかなか辛く、でも美味しかったです♪




〇2019年6月23日 三大学合同発表会@大江能楽堂

三大学は奈良女子大学・龍谷大学さんと合同の発表会で、新入生のお披露目の場にもなっています。
この年は大江能楽堂が会場でしたね。黒光りする舞台がかっこいい能楽堂です。




〇2019年7月14日 新入生歓迎コンパ

円山公園・いふじにて新歓コンパを開催。すき焼きです!!
この年はなんと8名の新入生を迎え、10人だったサークルが18人とほぼ倍増したのです。
こんな年がまた来てほしいなぁ




〇2019年9月13~17日 夏合宿@福井みらくる亭

夏合宿は少し遠いところで4日間稽古、最終日は観光という4泊5日のスケジュールで行っています。
新入生にとっては正座地獄ですが、温泉が膝を癒してくれ、何とか持ちこたえました。
観光では恐竜博物館やつり橋に行きましたよ~




〇2019年9月21日 フェアウィンドきの招待公演

左京区木野にある介護老人保健施設「フェアウィンドきの」にご招待いただき、仕舞や楽器の演奏を行いました。
コロナ前は時たまこのように外部から招かれて仕舞などをする機会があり、普段から能をご覧になっているわけではない方に見ていただくのはこちらも刺激をもらえて興味深かったです。


ここ数年の歩み① 2019年3月

2022-03-05 18:33:17 | Weblog
実に3年ぶりの更新になります。

このgoo blogというのは、紐づけてあるGmailに「先週のハイライト」といって一週間に何人がこのページを見たかというのをお知らせしてくれます。
これによると、毎週コンスタントに100人~200人くらいの方が見てくださっているようなのです、3年も更新してないのに。
これは申し訳ないなと思い、この度筆を執ってみることにした次第です。
更新の途絶えていた時期から順に活動を振り返っていきます。


○2019年3月8日~10日 四大学合同発表会@東京
3年前といえば、まだ誰も新型コロナウイルスの「し」の字も知らない頃ですね。
都会へ出るのに何の躊躇もありませんでした。
この年の四大学は東大さんが幹事校。ウキウキしながら東京へ向かいます。

京大観世会は群れることを好まない人が多く、あまり団体行動をしたがりません。(注・仲が悪いというわけではありません)
今回も全員京都から向かうのに、集合は東京都杉並区・荻窪駅! 入部初年度の私にはなかなか驚きでした。

ともあれ何とか全員集合。宿所の旅館「西郊」に向かいます。
西郊は登録有形文化財にも指定されている趣深い旅館で、レトロ好きにはたまりません!
東大さんのチョイスがすばらしかったですね。



四大学は1日目素謡会、2日目舞台、3日目観光という流れになっています。
素謡会は西郊で、翌日の舞台は杉並能楽堂で行いました。
杉並能楽堂というところも趣のある舞台で、東京で2番目に古いとか。京都でいうと大江能楽堂に近い雰囲気です。
素謡会にしても舞台にしても、同じ流儀なのに大学ごとに微妙に違う謡い方舞い方を見られるのが興味深いですね。



舞台が終われば…夜舞台✨ 旅館に戻って酒を飲みつつ宴会芸に興じます。
神戸女学院大さんはコント、東大さんは科学実験をされてましたね。
京大は船弁慶を基にしたコントを上演。
前日に100均で買ったハートがついたピンクのリボンを打杖のように振り回して弁慶と戦いましたが、そこまで受けず赤面、そのあとかなり酒を飲んだところまでは覚えています。

3日目の観光は3チームに分かれ、私は谷根千エリアへ。ブラタモリさながらの案内人(東大さん)が詳しく案内してくれました。
店主の絡みが猛烈な谷中のトルコ料理屋「ザクロ」、暗渠の上に引かれた区境などディープな東京を味わうことができました。




○2019年3月21日 追い出しコンパ
円山公園・鳥久にて、追いコンを開催し、卒部者1名の門出を祝いました。
実はこれが直近の追いコンで、一昨年・去年と追いコンを開催できていないのです。
今年こそ開催できるといいのですが…


今日も空しく暮れなんとす

2019-02-04 22:50:28 | Weblog
お久しぶりです。
夏合宿以来ですね。というか、あけましておめでとうございます。

更新が長らく滞っており、観世会のブログを書くのも久々です。
何から手をつけていいのか分からないですが、思い出をつらつらと書いてみようと思います。

11月の観世能まで、《羽衣》という一つの曲にずっと向き合ってきました。
ある日、漁師が松にかかった衣を見つけ家へ持ち帰ろうとする。
すると、持ち主である天人があらわれ衣を返して欲しいとせがむ。
いくらかのやりとりの後、漁師は衣を返し、その対価として天人に舞を舞うことを求める。
天人は衣をまとい、月世界の物語をしつつ、どこまでものどかな松原で舞を舞い、天へと帰ってゆく。

筋書きとしてはシンプルで分かりやすいものだと思います。
ここで、ワキの漁師には白龍という名前がついております。ただの漁師ではなく、“白龍”なのです。白龍はどんな人だったのだろう。自分が演じる際、それを考えずにはいられませんでした。
能の登場人物は、歴史上で名を残している人か、そうでなければ漁夫・里人・従者・旅僧など名前のない人、というのが大半です。
しかし、羽衣では漁師の白龍さんとして名前がつけられています。にもかかわらず、白龍さんの詳細な記録や伝承はほとんどありません。そもそも実在していない可能性も高いです。ただ、三保の松原で今も行われている「羽衣まつり」では、白龍さんがとりあげられていました。漢字は違って“伯良”だったと思うのですが、どうやらこの伯良さんがお祭りの一環として松原を行脚するようです。地元では愛されていました、伯良さん。
そこでなんとなく思ったのですが、むかし三保の松原に伯良さん(あるいは白龍さん)という漁師がいた。その伯良さん、ある日天人に会うという不思議な体験をしてしまった。天人に会うなんて大ニュースですから、すぐに噂は広がります。伯良さんは時の人となり、ちょっと有名になってしまったのでしょう。
つまり、羽衣伝説は伯良の名と共に広がったのではないかと思うわけです。
《羽衣》の作者がどこから題材をとったのか定かではないですが、白龍の名がついているのはそんな理由も考えられそうです。
すべて僕の妄想ではありますが。

白龍という名に対して、いろいろな考察が加えられることもありますが、結局はふつーの漁師さんだった。そう思うと、とらえどころが無いような白龍の行動にも納得がいく気がしてきます。理由をつけて衣を自分のものにしようとし、天人が帰れなくなることを喜び、一方で悲しむ天人に心うたれ、衣を返す見返りに舞を見せてもらおうとする。
のどかな三保の松原を舞台に、人ならざるものである天人の純粋な美しさや春の月の清浄さと、天人に対峙して孤軍奮闘する白龍の愛すべき人間らしさが、一枚の絵のように対比され、見た人の心に残ればいいなあと思った次第です。

そうして観世能を終え、休む間もなく新年会がやって来ました。各大学ごとの違いや他流の仕舞など、互いに刺激を受けることが多かったです。

観世能、新年会共に無事舞台を終えられたこと、すべての関係者の皆様にあらためて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

舞台を終えると今度は試験レポート卒論などに迫られる時期がやってきました。
学生の本分を思い出したように勉学に勤しみ、気づけば1月も終わっていました。

この時期の風物詩といえば、そう吉田神社の節分祭です。
物見遊山ですこし立ち寄りましたが、なんとも人が多いですね。
煙をかき分け、雑多な屋台と人混みに埋もれていると、たまらなくばかな気分になってきます。お祭り特有の浮かれた雰囲気はひさびさでした。
しかし、これは節分なんだろうか。
節分らしい浮かれ方をしていないんじゃないか。
いや、節分らしい浮かれ方ってなんだろう。
などと下らないことを考えながら神社の石段をのぼり終えると、ほら貝の響きと共に大きな声が聞こえてきました。
「わっはっはっはっはっは!!!」
「ふくーきたーあーるー!!」
何事かと思えば鬼が大笑いしています。
その周りには人垣ができており、カンヌ国際映画祭のようでした。
あれ、鬼って人気者なんだっけ。
豆なげつけられて退散するんじゃないの。
笑い方悪役っぽくないよ。
僕の頭にはハテナが浮かびます。
よく見てみると鬼を先導している人が何か大声でしゃべっています。
「昨晩の追儺式で方相氏に改心させられた鬼たちが、福をもってやってきました-!!」
なるほど、そんなこともあるのか。
今まで、鬼=悪者だった僕にとって、目から鱗の新事実でした。
前日の追儺式も見ていなかったため、扇子を持った陽気な鬼が道行く人とハイタッチする姿は少し奇妙に映っていたのです。その行列には鬼だけでなく、楽器を持った人や子供たちもおりました。子供達が口ずさんでいた「♪よしだのやまにはおにがでる~」という唄も、僕の心を惹きつけました。

来年は追儺式も見られるといいなあと思います。


(はくりょう)

夏合宿に行ってきました@福井県花蓮温泉そまやまさん

2018-09-12 14:11:48 | Weblog
こんにちは、マックスです。
前回なんと名乗ったのか忘れてしまったのでとりあえずマックスとしておきました。


つい先日、夏合宿に行ってまいりました。場所は福井県、花はす温泉そまやまさんに伺いました。
お稽古に来てくださった師匠の先生方、観世会OB・OGの皆さま方本当にありがとうございました。



今回宿泊したのはなんと、露天風呂付の温泉宿です。食事をみても学生の合宿で使うような宿ではなさそうですが、実はとてもお安いんです。





おいしそうなお食事と温泉で日中のお稽古の疲れを癒します。心なしか正座でたまったひざの痛みも和らぐ気がします。
ごはんとお風呂の後はミーティングという名の酒盛りが始まります。OB・OGさん方とお酒を酌み交わしいろいろなお話をしました。
撃沈する人が多くなったところでぼちぼちお開きです。明日に備えておやすみなさい。



日中のお稽古では、先生方とたくさんのOB・OGさん方に囲まれ、普段ではなかなかできないような密度のお稽古をさせていただきました。


着々とお稽古をこなしていき…… 最終日は観光です! 
結局合宿中は殆ど雨空で、太陽は見えませんでしたが最終日の今日は傘をしまっても歩けるぐらいの天気でした。
(たまにぽつぽつ降りましたが…)
観光では気比神社と気比の松原を見に行きました。
ちょうど神社でお祭りが催行されていた期間中だったようで、商店街には露店が多く顔を並べていました。
そうこうしているうちに気比の松原に到着。公園内には遊具もありましたが、平日の午前中ということもあり閑散としています。



公園のすぐそばには日本海が広がります。海の装いは早くも冬の日本海。歓迎されていない雰囲気が轟轟としてあります。
しかしめげずに遊びます。





遊び終えたらバスに乗って帰ります。バスは一日二本しか来ないので、乗り過ごすと大変です。
最後には無事京都駅に着きました。お世話になった皆様方ありがとうございます。
幹事の方もお疲れさまでした。

また今年の11月22日に予定しております観世能もよろしくお願いします!
ぜひ見に来てください!

マックス

三大学合同発表会

2018-08-01 19:26:40 | Weblog
初めまして!新入生のチョコチップと申します.この度,観世会伝統(?)の新入生によるブログ更新をしてみないか?とのことで,この文章を書かせていただいております.私自身観世会に入るときに参考にした情報源の一つがこのブログなので,未来の新入生も含めた様々な人の目にさらされると思うと緊張しますが,温かい目で読んでいただけたらと思います.

さて先日,とは言っても一月半ほど前になりますが,6月16日(土)に大津市伝統芸能会館にて三大学合同発表会が行われました.この発表会では奈良女子大学,龍谷大学,京都大学という三つの大学の観世流の能楽サークルが集まり,それぞれ仕舞・素謡(主に新入生)・舞囃子などを披露します.自分の出番以外は客席で見学し,コメントカードに批評を書いて今後の参考とします.
朝8時過ぎに三条京阪の通称・土下座像前に集合し,京阪京津線にゆられて大津に向かいます.会場に着くとまず,舞台への出入りや立ち位置の確認「場当たり」を行いました.大津の舞台に立つのは5月の練習以来二度目でしたが,本番直前ということで,気が引き締まり前回とは違う場所のように見えました.
13時,開演です.他大・京大の方々が堂々と舞い,謡われる中,まずは素謡「鶴亀」で,次に仕舞「熊野」で舞台へ.狭い切戸口をくぐると三間四方の空間も広く感じられ,その奥には満員の客席が...とはいきませんが,多数でなくとも誰かに練習してきた成果を見ていただけるというのは気持ちが良いものです.もちろん先輩方の舞・謡とは比較できない出来ではありましたが,周りの先輩方の存在と視力0.03の裸眼(一番前の客席も見えない)のおかげでほぼ緊張せずに切戸口に帰ることができました.
他大の方々の見学では,特に自分の稽古曲で謡い方の違いを感じました.ここからプロの芸術家としては当然のことと思いますが,各大学の師匠の先生方がそれぞれの「能への考え方」を持っておられ,稽古では所作や謡い方を通じてそれを学生に伝えていただいているということに気づかされました.このような気づきが得られたのは三大学の収穫だったと思います.
16時半ごろ三大学の合同舞囃子「吉野天人」の余韻にひたるままに発表会は終演.後片付けの後,お食事の待つ京都へ帰ります.後席は京都駅前の居酒屋にて(店内の五条大橋にざわつく能楽サークルの皆様).舞台を終えた安心感に酒の力も相まって(私はウーロン茶ですが)宴は盛り上がり,夜は更けていきました.

以上が三大学合同発表会当日の一部始終です.後日書いていただいたコメントカードをいただきましたが,普段の稽古ではなかなか気づかない指摘を複数頂き,勉強になりました.
このように貴重な刺激を得ることができたのは,奈良女・龍大の皆様,会館の職員の方々,一般来場者の方々,そして何より指導してくださる師匠・先輩方のおかげです.ありがとうございました.
今回の経験を糧にして,日々努力するつもりでありますので,今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

拙い文章でしたが,ここまで読んでいただきまして,ありがとうございました.


舞囃子「高砂」


素謡「鶴亀」

(チョコチップ)