すっかり更新が滞っておりました。
お久しぶりです。谷マンです。
10月1,2日にかけてOB会である諧声会主催の片山慶次郎師七回忌追善行事が行われました。
今回の追善行事を通して思ったことをつらつらと。
(あくまで個人的な思いです。見当違いなところも多いかもしれませんがご容赦ください。)
片山慶次郎師と京都大学観世会の師弟関係は昭和26年から始まったと聞いている。
そこから平成22年まで、実に59年間にわたって小会を導き、見守り続けてくださった。
紹介の歴史が今年で85年。そのうち60年近くにわたって携わっていただいたのだから、当然小会のOBからなる諧声会はいわゆる「慶次郎世代」がほとんどである。今回の七回忌追善行事も全国各地から数多くのOBが集結し、大変盛況なものとなった。
しかしながら、我々現役は慶次郎師が亡くなられて以降入部した者ばかりであり、一度も指導を受けたこともなければ。お目にかかったことすらない。
折につけて聞く「舞台人・片山慶次郎」の伝説を聞いてはおぼろげにその人物像を想像することしかできなかった。どのOBも敬愛をもって話すその姿を見るにつけても、師が皆にとって特別な存在であることは明白であり、慶次郎師に出会う機会に恵まれなかったことを歯がゆく感じたこともある。
追善行事が終わってしばらくした後、私は「幽けき花」を読み始めた。これは、諧声会が中心となって出版した片山慶次郎師の追悼文集であり、OBのみにとどまらず、片山伸吾師をはじめとした世界に身を置く方々からも分が寄せられており、慶次郎師の人望がうかがわれる。
つい昨日読み終え、私の中でおぼろげな(おぼろげですらなかったかもしれない)片山慶次郎師が、
少しはっきりとした。
それに関して思うのは、師弟関係とはどういうものかということである。
以前から、慶次郎師とOBの方々の師弟関係が、単なる「かつて師弟だった」とか「教える人、教えられる人」の関係ではないということは感じていた。
残念ながら諧声会に所属しているOBの方々で、大学卒業後もプロに習う形で能の稽古を続けている方はさほど多くない。(お囃子のみ続けている方は多少いる)
当然ながら、慶次郎師との師弟関係は在学中の数年間に限定され、卒業後は師匠も参加される現役の行事などに限られてくる。
それにもかかわらず、師とOBとの結びつきを強固にしているものは何なのか。
追悼文集を読んでなんとなくわかった気がした。
師の「生きざま」
これこそが、師弟の絆の源ではないだろうか。
常に真正面から向き合い、妥協を許さない。
学生相手でも全力で謡い、全力で指導する姿勢は、しっかりとOBの皆さんに受け継がれているように感じる。
そしてその「慶次郎イズム」は、たとえ直接には感じたことはなくても、我々現役もまもりついでいかなくてはならない。
師弟関係とは「師の生きざまを学び、伝える」ことなのではないかと考える。
それは決して、芸だけに限ったことではない。師から学び取った生きざまを己の身を以て示し、また次の世代に渡す。
慶次郎師と諧声会。
卒業後も舞と謡、太鼓は継続するつもりであるが、
あんな師弟関係が片山伸吾先生、田茂井廣道先生方と築きあげれられるようになりたい。今後も精進あるのみ。
なにはともあれ、まずは11月の観世能に向けて稽古しなくては。
今週末からは合宿だ。
まだまだ書き足りないが、このくらいにして稽古をしなくては。
現役部員には「幽けき花」の一読を薦めておこう。もうすぐ「なんとのうええ」も届くはずだ。
卒業まであと半年を切って、いまさらながらに会に受け継がれている思いを認識した。
京大観世会の歴史、ひいては学生能の歴史。少し調べてみたくなった。
お久しぶりです。谷マンです。
10月1,2日にかけてOB会である諧声会主催の片山慶次郎師七回忌追善行事が行われました。
今回の追善行事を通して思ったことをつらつらと。
(あくまで個人的な思いです。見当違いなところも多いかもしれませんがご容赦ください。)
片山慶次郎師と京都大学観世会の師弟関係は昭和26年から始まったと聞いている。
そこから平成22年まで、実に59年間にわたって小会を導き、見守り続けてくださった。
紹介の歴史が今年で85年。そのうち60年近くにわたって携わっていただいたのだから、当然小会のOBからなる諧声会はいわゆる「慶次郎世代」がほとんどである。今回の七回忌追善行事も全国各地から数多くのOBが集結し、大変盛況なものとなった。
しかしながら、我々現役は慶次郎師が亡くなられて以降入部した者ばかりであり、一度も指導を受けたこともなければ。お目にかかったことすらない。
折につけて聞く「舞台人・片山慶次郎」の伝説を聞いてはおぼろげにその人物像を想像することしかできなかった。どのOBも敬愛をもって話すその姿を見るにつけても、師が皆にとって特別な存在であることは明白であり、慶次郎師に出会う機会に恵まれなかったことを歯がゆく感じたこともある。
追善行事が終わってしばらくした後、私は「幽けき花」を読み始めた。これは、諧声会が中心となって出版した片山慶次郎師の追悼文集であり、OBのみにとどまらず、片山伸吾師をはじめとした世界に身を置く方々からも分が寄せられており、慶次郎師の人望がうかがわれる。
つい昨日読み終え、私の中でおぼろげな(おぼろげですらなかったかもしれない)片山慶次郎師が、
少しはっきりとした。
それに関して思うのは、師弟関係とはどういうものかということである。
以前から、慶次郎師とOBの方々の師弟関係が、単なる「かつて師弟だった」とか「教える人、教えられる人」の関係ではないということは感じていた。
残念ながら諧声会に所属しているOBの方々で、大学卒業後もプロに習う形で能の稽古を続けている方はさほど多くない。(お囃子のみ続けている方は多少いる)
当然ながら、慶次郎師との師弟関係は在学中の数年間に限定され、卒業後は師匠も参加される現役の行事などに限られてくる。
それにもかかわらず、師とOBとの結びつきを強固にしているものは何なのか。
追悼文集を読んでなんとなくわかった気がした。
師の「生きざま」
これこそが、師弟の絆の源ではないだろうか。
常に真正面から向き合い、妥協を許さない。
学生相手でも全力で謡い、全力で指導する姿勢は、しっかりとOBの皆さんに受け継がれているように感じる。
そしてその「慶次郎イズム」は、たとえ直接には感じたことはなくても、我々現役もまもりついでいかなくてはならない。
師弟関係とは「師の生きざまを学び、伝える」ことなのではないかと考える。
それは決して、芸だけに限ったことではない。師から学び取った生きざまを己の身を以て示し、また次の世代に渡す。
慶次郎師と諧声会。
卒業後も舞と謡、太鼓は継続するつもりであるが、
あんな師弟関係が片山伸吾先生、田茂井廣道先生方と築きあげれられるようになりたい。今後も精進あるのみ。
なにはともあれ、まずは11月の観世能に向けて稽古しなくては。
今週末からは合宿だ。
まだまだ書き足りないが、このくらいにして稽古をしなくては。
現役部員には「幽けき花」の一読を薦めておこう。もうすぐ「なんとのうええ」も届くはずだ。
卒業まであと半年を切って、いまさらながらに会に受け継がれている思いを認識した。
京大観世会の歴史、ひいては学生能の歴史。少し調べてみたくなった。