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一橋大学2016 第2問問題 ナントの勅令廃止の影響

2020年05月02日 | 論述問題
第2問
 次の文章を読んで、問いに答えなさい。

 ベルリンにはたくさんの広場がありますが、その中で「最も美しい広場」称されるのは、コンツェルトハウスを中央に、ドイツ大聖堂とフランス大聖堂を左右に配した「ジャンダルメン広場」です。この2つの聖堂はともにプロテスタントの教会ですが、フランス大聖堂は、その名の通り、ベルリンに定住した約6千人のユグノーのために特別に建てられたものです。この聖堂の建設は1701年に始まり、1705年に塔を除く部分が完成しました。壮麗な塔が追加されて現在の姿になったのは1785年のことです。
 歴史的事件の舞台として有名な広場もあります。例えば、「ベーベル広場」は、1933年にナチスによって「非ドイツ的」とされた書物の焚書が行われた場所で、現在はこの反省から「本を焼く者はやがて人をも焼く」というハイネの警句を記したモニュメントが設置されています。この広場に面する聖へートヴィヒ聖堂は、ポーランド系新住民のために建設されたカトリック教会です。建設は1747年に始まり、資金不足や技術的困難を乗り越えて、1773年に一応の完成にこぎつけました。実際にはカトリック教会として建設されましたが、この円形聖堂は、もともとローマのパンテオンを摸して内部に諸宗派の礼拝場所が集うように構想されたものです。この聖堂をデザインしたのは当時の国王自身であり、彼の基本思想を象徴するものと言えるでしょう。

問い 文章中の下線部で述べられている2つの聖堂が建設された理由を比較しながら、これらの聖堂建設をめぐる宗教的・政治的背景を説明しなさい。(400字以内)




【字数配分】
1. ユグノーの教会が建設された理由:100字
2. ポーランド系カトリック教会が建設された理由:100字
3. 宗教的背景:100字
4. 政治的背景:100字

【リード文から考える点】
1. ベルリンとあるので舞台はプロイセン王国。
2. 1701年ころベルリンにユグノーが6000人定住した。
1685年フランスのルイ14世がナントの勅令を廃止。ユグノーは新教国のイングランドやプロイセンに亡命した。
3. ユグノーの教会は資金が潤沢で数年で完成した。
 毛織物工業などで財を成したユグノー。予定説で蓄財を容認されていた。
4. ハイネの警句がなぜこの問題に必要なのか。
 ポーランド系住民がハプスブルク家領であったシュレジエンで差別されていたのだろうと想像される。だからこそ啓蒙専制君主として「国家第1の下僕」を自任するフリードリヒ2世のベルリンに多くのポーランド系住民が移住したのだろうと思われる。 
5. ポーランド系新住民が移住した時期は1747年ころ。
 世界史の入試問題として大きなポイント。高校世界史の知識が必要になる。
1747年から1740-48年オーストリア継承戦争では鉱物資源(鉄鉱石や石炭)が豊富なシュレジエンを巡る戦争を思い出したい。シュレジエンの場所を覚えていると助けになる。次は高校世界史の範囲外の知識だが、もともとシュレジエンはポーランド領でその後ハプスブルク家の支配下に置かれた。またオーストリア継承戦争はシュレジエン戦争ともいう。この戦争中プロイセンがシュレジエンを占領し1748年アーヘンの和約で正式に領有が認められた。おそらく、1740年以降ポーランド系カトリック教徒がベルリンに移住したと思われる。 
6. ポーランド系カトリック教会は資金不足で完成まで25年間も要した。
 西欧の後背地の地位に置かれたプロイセンがユグノーを受け入れて工業化を進めたのに対して、ポーランド王権は弱体であった。さらにポーランドの経済的立場は弱まっていった。
7. 1740年に即位している国王フリードリヒ2世が基本思想に基づいて諸宗派の礼拝場所が集うように構想されたデザインの大聖堂。
 啓蒙専制君主であるフリードリヒ2世の基本姿勢のなかにはヴォルテールがいう信仰の自由が含まれる。

【記述】
字数配分にあるようにそれぞれ100字以内で記述するので何とかなりそう。
1.ユグノーの教会が建設された理由:100字
 ナントの勅令はカルヴァン派ユグノーにも個人の信仰の自由を認めていた。
 1685年ルイ14世がナントの勅令を廃止した。
 ガリカニスムの伝統の下、ルイ14世はカトリックによる宗教の一元化を実現した。

2.ポーランド系カトリック教会が建設された理由:100字
 プロイセン王フリードリヒ2世はマリア=テレジアの皇帝即位に反対して1740年オーストリア継承戦争が開始した。
 ポーランド系住民が多いシュレジエンを巡る戦争である。
 差別されていたポーランド系住民がベルリンに移住した?

3.宗教的背景:100字
 プロイセンは1525年からルター派新教国である。
 フリードリヒ2世はヴォルテールと親交を持ち宗教に寛容な政策をとっていた。
 ウエストファリア条約は異端とされた人々は移住を認めている。
 10世紀以来ポーランドはカトリック国である。

4.政治的背景:100字
 ブルボン朝ルイ14世が絶対王政を確立させた。
 フランスを中心に啓蒙思想が広がっていた。
 フリードリヒ2世は啓蒙専制君主で近代化を図っていた。
 シュレジエンは鉱物資源が豊富でプロイセンにとって近代化に必要であった。
 神聖ローマ皇帝カール6世がプラグマティック・ザンクションを出した。
 フリードリヒ2世はマリア=テレジアの即位に反対してオーストリア継承戦争を起こした。






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