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高3諸君 ライバルを越えろ!

2009年11月26日 | 高3用 授業内容をもう一度
 受験期に入っている今、同じ大学学部を受ける受験生が数多くいます。そんなことを考えたりすると、まだ見ぬものに対する「アセリ」が気になります。しかし、今この時期に大切なことは、昨日の自分をライバルに設定する。つまり、昨日までの自分より何か一つ覚えている。少し深く、注意深く考えられるようになっている。昨日8時間勉強した自分がいたとしたら、今日の自分はそれを越えてやろう!そんな感じです。

これだけ読めば大丈夫!!北宋の大まかな歴史

2009年11月20日 | 高2用 授業内容をもう一度
北宋のおおまかな歴史
 【875】年に発生した【塩の闇商人】が操る【黄巣の乱】によって、【907】年に唐が滅亡し,【五代十国】と呼ばれる分裂と抗争の時代がおとずれた。唐の末期から五代十国の混乱期を【】唐末五代と呼ぶ。中国の中心部に5つの王朝が興亡し、その周辺地域には10ケ国が乱立していた。それぞれの国を武人が支配したため、【武断政治】の時代という。  
 この混乱は、【960】年に【趙匡胤】が開いた【宋】により収拾された。中国の再統一を果たした宋は地方の武人勢力から権限を奪って弱体化させ,中央の皇帝に権力を集中させる政策をとった。このような皇帝独裁体制による支配を支えたのが【科挙】で採用された文人官僚たちであり,そのため宋の政治は【文治主義】と呼ばれている。宋は皇帝を中心に,文人官僚がそれを支えるという支配体制を築いたのである。また、科挙が本格的に実施されたことで、儒学は哲学的発展をとげた。北宋時代に【宋学】を興した【周敦頤】・【程】・【程頤】の3人の功績はやがて【南宋】の【朱熹】に受け継がれていった。
 五代十国から宋にかけての時代は歴史の大きな転換点でもあった。それまでの唐の支配層であった【門閥貴族】が没落し,これに代わり【新興地主層】が勢力を伸ばしていった。彼らは宋代には【形勢戸】と呼ばれていたが,科挙合格者を輩出することで,新たな支配層を形成していったのである。この科挙合格者を出した一族を【】という。また、宋では農業技術が改良され、現在の南ヴェトナムに位置する【チャンパ】(【占城】)から【2年3毛作】が可能な【チャンパ米】(【占城米】)が導入され、【長江下流域】は穀倉地帯として繁栄した。江南経済の発展によって中国全域に及ぶ自由な商業活動が発達した。また陶磁器で知られる【景徳鎮】などの手工業が発達したことで,各地に商業都市が成立、繁栄した。とくに都がおかれた【開封】には多くの商人が居住し、【商業都市】として繁栄した。これは唐の都【長安】が貴族階級の居住する【政治都市】であったのとは対称的である。このように宋の経済はそれ以前とは異なった大きな発展をとげた。
 新たな社会状況の下で支配体制を確立し,経済的にも繁栄した宋であったが,文治主義による政治は軍事力の低下を招き,そのため、北方諸民族の活動に悩まされ、いわゆる【消極的外交政策】を展開することを余儀なくされた。とくにモンゴル高原の東部を根拠地としていた【契丹族】の【遼】は,五代十国時代の【後晋】【石敬瑭】から割譲された漢民族の居住地である【燕雲十六州】の領有を続けており,宋にも侵入を繰り返すなど、大きな脅威となっていた。【中国王朝の周辺民族が、自らの本拠地を維持しながら、中国の一部または全域を支配した国家】のことを【征服王朝】という。この遼は史上初の征服王朝である。またモンゴル高原西北部では【タングート族】も【西夏】を建国し,宋の辺境を侵し続けた。 
 これら諸民族の活動に苦しんだ宋は、遼・西夏と和約を結ぶことを選択した。【1004】年遼と結んだ【澶淵の盟】では宋を【兄】、遼を【弟】という関係で定め、【1044】年【西夏】と結んだ【慶暦の和】では、宋を【君主】、西夏を【臣下】という関係で定めて、両国間の安定を図った。しかしその代償として,宋は遼や西夏に銀・絹・茶などを毎年贈ることになり,その費用や国防費は宋の財政を圧迫していった。さらに文治主義による官僚の増加による人件費の増加を招き,宋の財政は悪化の一途をたどったのである。
 この危機を打開するため、【1070】年代になると【神宗】は【王安石】を登用した。王安石は財政・行政の権限を中央に集中させ、経済を国家の統制下におく一連の改革を行い、一定の成果をあげた。しかし、同時にその改革は、分権的な政治手法を守ろうとする【司馬光】などの保守的な官僚たちの強い反発をまき起こした。やがて政界は集権的改革を進めようとする王安石の【新法党】とそれに反対する司馬光らの【旧法党】に分裂し,両者は激しく対立した。この対立は政治の混乱を引き起こし,さらなる宋の弱体化をもたらすことになったのである。

進路を決定するには

2009年11月18日 | 何かの足しになれば
高校生が自分の将来を考えるということは非常に難しいようです。この難しさは、奥さんが夕飯を何にするかを決めるときの困難さと似ているかもしれません。つまり、夕飯のメニューを決定できないのは、昨日はあれで、一昨日はこうだったから、今日は何にしよう??という発想をしているにも関わらす、自分のレパートリーが少ないために、選択の余地が制限されているからです。
 高校生が将来を選択する際の困難は、自分の過去の経験が乏しい場合に発生します。もちろん、人間の経験は、実際に経験したことばかりではありません。本で知った知識や、他の人との会話や、やり取りも「経験」と言えます。したがって、クラブ活動で何部に入っていたかは関係なく、どのような活動であったか、顧問の先生やその他の大人、先輩との間にどのような会話があったか、彼らがどのように思考していたかに関心を持つこと、が重要なわけです。授業で何を学んだか、という点を取れば、その場合、暗記した単語や公式の量が問われているのではなく、どのように暗記したかとか、付帯知識、周辺知識からどのように思ったか、教師がどのように物事を捉えていたかに関心を持つことこそが大切になるでしょう。
 このように考えると、自分の将来を決めるには、高校生活そのものを「充実」させ、多様な経験をすることが、自分の将来を決定するといってよいでしょう。マニュアルにしたがって、大学のオープンキャンパスに行くことを否定するわけではありませんが、回りの大人は、高校生に対して「良い経験」をさせることに気を使いたいものです。

時間がないから・・・

2009年11月18日 | 何かの足しになれば
 自宅で勉強す使用かな?と思っても、でも、○○をやるには時間が足りない?と思うと、「まあいいか!?」と思って、「後でやろう!」と決意してしまいがちです。確かに、数学の「4ステップ」の「2次関数」をやろうとしても、かなりの問題量になります。
 そこで、勉強については、やるか?やらないか?ではなくではなく、奇数か!偶数か!で望みましょう。つまり、問題番号の奇数番号だ毛をやることにすれば、かかる時間は半分で済みます。1~30番まであるとすると、前回には1~15番までやっていて、今日は16~30番までやらなければならないとすると、問題のレベルが後半になると上がって難しくなり、とても短い時間ではできません。奇数番号を前回やっていれば、今日は偶数番号の問題で、易しめの問題から難しい問題までやることができます。もちろん、もっと時間が足りない人は、「3の倍数の問題だけやる」という方法もあります。