より良き明日の為に

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麦畑と茹で卵

2015-05-25 19:10:47 | セピア色の日々
 1957年春、私は小学3年生でした。学年の日帰り遠足が好天に恵まれて終わり、仲良しの小林君と家に向かって歩き始めたのです。
 しかし途中から気になっていた物があって、立ち止まりリュックサックの底からその新聞包みを取り出しました。包みの中に白い紙袋があり、中を覗くと卵が二つ見えました。しかしそれはどちらも殻が網目模様にひび割れていたのです。一日中歩き通したリュックの中で握り飯や水筒やらにさんざん押された結果でした。
 1個目の卵を掴むと私はそれを思い切り放り投げました。何故なら今にも完全に割れてリュックを汚しそうに見えたからです。親戚から借りた大切なリュックでした。卵は青々とした麦畑の中に消えていきました。
 更に2個目の卵を掴んだところで小林君に止められました。「それは茹で卵だぞ!」初めて聞く名前です。「ユデタマゴ?」私はその時まで卵と言えば生卵しか知らなかったのです。小林君はそれを手に取ると丁寧に殻を剥き、袋の底にあった塩をまぶして私の手に戻しました。口に含めば白身も黄身も生卵とはまるで違う初めての味と食感でした。
 我が家は当時6人家族で、次兄と3番目の私とは7歳の差がありました。朝の食卓に生卵が2個出て、醤油を加えて増量し、良くかき混ぜ、等分して卵かけご飯にします。勿論生卵の等分など上手くいく筈もなく、黄身が多いもの白身が多いもの様々で自分の好きな方をとりたくて毎朝大騒ぎでした。一人で1個の卵を独占することなど考えられない暮らしぶりだったのです。
 今にして思えば母は兄たちには茹で卵を食べさせたことがあったのでしょう。しかし7歳年下の私にはそれを食べた記憶が有りませんでした。そして母はうかつにもそれに気づかず、大奮発して2個もの卵をリュックに忍ばせたのです。それは一家6人の一日分の量でした。またそのことを私に告げなかったのは、まずは私を驚かし、次に喜ばせようとしたのだと思います。確かに私は驚きましたが、それは母の意図したものとは少し違います。また喜びもしましたが、ひとつ捨ててしまった悲しみの方がまさりました。
 あれから58年の歳月が経ちます。母も18年前に他界しました。「麦畑と茹で卵」の一件は母には勿論、誰にも内緒で通しました。小林君もとうに忘れていることでしょう。今も時々昼の食卓に茹で卵が出てきます。勿論一人1個丸ごと。殻を剥きわずかに塩をまぶして口に運ぶその度に、遠いあの日のことを思い出すのです。

民意と国会議員総意との絶望的乖離

2015-05-24 17:21:34 | より良き我国のために
 19日の朝日新聞に掲載された世論調査結果によれば、集団的自衛権行使容認に賛成33%反対43%、米軍後方支援の地理範囲全世界化に賛成29%反対53%、原発再稼働に賛成28%反対56%で何れも反対が多数です。
 一方国会議員については多少乱暴ですが、各党が党議拘束を掛け、自民・公明を与党、その他全てを野党とすると、上記3件何れも賛成69%反対31%です。つまり国会議員の総意は民意と全く正反対なのです。
 一体この絶望的な乖離は何に起因するのでしょうか。幾つかある原因のうち、企業団体献金が占める割合が大きいと私は考えます。見返り無しの企業団体献金は存在しません。特に自民党は大企業からの献金が多く、選挙の際は組織を挙げての応援を受けるのでその意向に逆らうことはできないのです。「戦争法案」を推し進める黒幕の中に軍需産業がいます。彼らは軍拡競争が過熱すればするほど儲かり、燃え盛る戦火が飯の種になるのです。「原発再稼働」を推し進める黒幕の中に電力会社を含む大企業がいます。彼らにとって原発による安い電力を使って当面の利益を上げることが第一で、原発の持つマイナス面には目を瞑ります。更には、消費税を増税してその分法人税を下げたのも、「残業代ゼロ」法案可決を目指すのも、TPPの妥結を目指すのも全て大企業の意向に沿ったものであり企業献金の絶大な効能に他なりません。
 安倍総理は「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指していますが、企業の利益と国民の幸福は必ずしも一致しません。むしろ往々にして相反します。我が国の憲法が国民主権を原則とするのは国民の幸福を第一に考えるからです。国会議員は国民の代表ですから両者の総意は大略合致していなければなりません。国民の総意と国会議員の総意が正反対の現状はまさに「違憲状態」であって、企業優先の政治が行われるあまり、国民は不幸になるのです。
 現在の政治は「民衆の、民衆による、民衆の為の政治」ではなく、「企業の、企業による、企業の為の政治」と言わざるを得ません。この上は一刻も早くフランス、カナダなどにならい企業団体献金そのものを全廃すべきです。
 自民党の人たちは「企業も法人として税金を払う以上政治に参加する権利がある」と言います。しかし法人は「人」ではありません。選挙権も被選挙権も無く、自衛隊員となって危険の中に身を曝すこともありません。主権を持つ「国民」の範疇に加えてはならないのです。

憲法9条の役割と成り立ち

2015-05-07 09:38:41 | より良き我国のために
1.憲法第9条の役割
今しがたジャン・ユンカーマン監督の「映画日本国憲法」を見終わったところです。日米中韓の識者から実に多くの示唆を得ました。その中でも「第9条が近隣諸国を中心にあの15年戦争で犠牲となった2000万人の命に対する謝罪の意味を持っている」という観点は新鮮でした。つまり裏返して言えば、我が国が第9条を破棄することは「謝罪を破棄する」ことを意味するのです。当然ながら昨年7月に安倍政権が閣議決定した第9条の「解釈変更」も「破棄」に準ずる意味合いで世界中に受け取られることとなるでしょう。
2.憲法9条の成り立ち
  安倍政権は日本国憲法が「当時のGHQが1週間で作り上げて我が国に押し付けたもの」と盛んに宣伝しています。「だから自主憲法に変える必要がある」と…。しかし当時国民の大多数はこの憲法を満腔の賛意で迎えたのです。「押し付け」と感じたのは一握りの権力層だけでした。その権力層の流れを引く人たちが現在の自民党に多く含まれています。その自民党は1955年の結党当時から「自主憲法制定」を党是にしてきました。その後の60年間の殆どの期間を政権党として我が国を運営してきましたが、憲法は全く手付かずでした。それは今も変わらず国民の大多数が日本国憲法の理念を支持して来たからにほかなりません。
  分けても憲法前文と第9条からなる平和条項は昭和天皇の戦争責任追及を回避する代わりとして当時の権力層が呑んだものです。もしもこの9条を書き換えるなら、日本軍統帥であった昭和天皇の戦争責任が改めて追及されることになるのではないでしょうか。