田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

風の神たたきだせ 福の神 舞い込め

2009年12月31日 | 日記
12月31日(水) 曇り  雪   夜になって 月が出る 

静かに降る雪を眺めながらこの一年、皆さまの訪問感謝申し上げます。
つらつらと文字の羅列を反ししつつこの一年を顧みるまもなく、全てを雪に覆われ新しい年を迎えようとしています。

5時を過ぎると雪明かりのためかいつもよりこころなしか明るさが残っている。
集会所には電燈が灯り太鼓の音が聞こえ出した。
集落の子ども獅子舞が最後の練習を始めたが・・・・・
いつもなら手伝いにいくところ今年は安静にということで家で控えることにした。
6時半から集落内云え家を廻り、茶の間で獅子舞を舞うのだ。
やがて太鼓の音が徐々に遠くなったので集落の下の班に移動し始めたのだろう。

我が家にはそれから一時間くらい掛っただろうか・・・家に向かう列が太鼓の音と共に近づいてきた。
リビングのガラス戸を開け放し迎え入れると、先ずは先鋒のご年始役がオカメの面を被り盆にミカンと道祖神のお札を高々と掲げ
“あけましておめでとうございます 獅子のお年始です”と保育園に通う新之助君 短い口上ながらしっかりとした口調だ。
次には 小学1年生の遥君(ゆう君)が大きなボンテン(幣束)を家の中から外へ・外から中へ振りかざし・・・
≪風の神 たたきだせ ・ 福の神舞こめ≫と繰り返してボンテンを振った。


次には獅子の登場だが獅子頭をかぶる小学校5年生のマリオ君と幌をかぶるアトツキは妹のコノミちゃんだ。
五色のボンテンを振りかざし激しく降りながら部屋の中を駆けめぐる。


元の位置に獅子が戻ると囃子の歌が一段と大きな声で
《ちいさいどうの さいどうのさいやさ》と3回繰り返しながらテンポをあげる
続いて《身は三尺の剣を抜いて 悪魔を払えばめでたいな》・・・・
更に太鼓の激しくたたくリズムに合わせて全員で
《おさきにたっちゃなんじゃいな つぶれやかんの底のだ》
《怒りて隅から隅まで舞ってこい舞ってこり》


最後には獅子頭が主の肩を噛み次に家族全員の肩を噛んでおしまいとなるが、
帰り際にはボンテンの語弊を部屋に落としていく。
俺たちがここへ移り住んだ時から毎年、集落の獅子舞が来てくれるが、
9回目の今年になって子どもたちでけで編成された。
中学生までがこの役をやるのだが・・・・・
集落の伝統行事も明治のころから始まり途中太平洋戦争後に途絶えたが
昭和40年代に復活下と聞く。


獅子舞に 新年を託し 除夜の鐘

来年も良い年でありますように・・・・
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本格的な安静を心して 正月を迎えよう

2009年12月30日 | 日記
12月30日(水) 晴れ  湿り気が多い空気 なんとなく暖かな一日



11時の予約10分前に佐久病院眼科へ診察カードをだす。
待合室に腰かけた直後、俺の名が呼ばれたのには驚いた。
いつもならここで座る場所を探し、座れたとしても30分は待つのだが・・・・・
今日は午前中で終わりなのか待合室の椅子はほとんど開いている状態だ。

検査室へ入ると眼を風を当てて謀る眼圧検査、眼底写真・・・次々に椅子を移動していつもの検査をした。
最後に視力の検査をするのだが、手術を受けた右の眼だけを対象にされた。
しかし、ここで驚いたのは俺の右目の視力が無いに等しいことだ。
明るさは充分にあるのだが・・・・・
一般的な諸力検査の円の上下左右が切れている記号を読むものだが、一番上に並んだものが見えない。
見えないと云うよりもピントが合っていないのだ・・・・・
いくつかのレンズを合わせながら謀るとだいぶ見えてきたびだが。。。
このままでいくと牛乳瓶の底のようなレンズを着けないと物の形を見極めることは難しそうだ。

検査を終えた後、直ぐに医師の診察を受けた。
眼圧は8だと云うが・・・・俺の頭は先ほどの視力の低さがこびりつき眼圧が一けたに下ったことを喜べない。
このことを医師に話しをすると
医師は『手術では白目と黒目の境を4mm切って中の容水をだしてある・・・・・』と手術の説明を始めた。
俺が言葉では理解できないことを云うとディスプレイの画面に種々のときの写真を映しだして説明をしてくれた。

要するに・・・『眼球はまだしっかりと固まっていないので焦点は合いませんよ!!』
眼をきつく閉じたり、力が入ることや、擦ったり圧迫すると眼がつぶれると云う。
しっかりと安静にしていなくてはいけないと云う口調がやけに厳しさを感じた。

俺が薪運びや、植え木の剪定をしたことを見たかのような厳しい口調だった。
そんな、雰囲気で診察を終えると右目に傷みが感じるような気がする。
今からでも遅くはない・・・・充分に安静にして次の診察までの一週間を大事にしてみよう。



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甘い香り 透き通った香り 花もいろいろあるようだ

2009年12月29日 | 日記
12月29日(火) 快晴  暖かで穏やかな一日 

熱い雲を乗り越えた朝陽が眩く射してくると、リビングにはセッコクの香りがただよう。
“蜂蜜の香り”と云うとやや可笑しな表現だが、甘い芳香が其れを想わせる。


8chの蓼科ケーブルヴィジョンを見ると≪第1回立科町合唱祭≫の案内が放映されている。
このイベントは町の「がんばる地域応援事業」の支援金を得て初めて開催するものだが、
8chは行政チャネルだから宣伝はできないと担当課で云われた聞いている。
どのように理解されたのかわからないが、町民有志で組織された実行委員会で企画したもの町を挙げて応援して当然なことだろう。
支援金を出しているからそれ以外は一切支援しないという前時代的な解釈はこの町には相応しくはない。
ともかく、来年1月24日は大勢の方に聞きに来てほしいものだ。


午前中は友人のところを一回りして来たが・・・・
中でもSさんは半年の療養生活を終えて自宅でリハビリに励んでいた。
左の手足が不自由になったと玄関には手すりが設えてあった。
言葉には不自由があるようには思えないほど会話がスムーズに運んだ。
同じ病気でももっと重い後遺症を抱えてしまった人もいるが、先ずは自分で歩けるまでに回復したのが嬉しい。

昼前に家に戻ると朝のセッコクの香りが一段と強くただよっている。
光に反応するのか?それとも花の開花に合わせて虫を呼びつけているんだろうか??
虫を呼んでいるとなると部屋の中では少々可哀そうな気がしなくもない。


玄関では先週にMの友人のKさんから贈られたカサブランカが花を開き始めた。
北陸・福井の生産者から直に送られてきたが、硬い蕾だった。
ここでも花が開くときには強い香りを放つが・・・透き通った香りが宗教的に感じさせる。


五時を過ぎたころ東の空高く白い月が見えた。
13夜とでも云うのだろうか、来月、元旦が満月になる。
白い月も深い青空には違和感を感じない。
なんとなく一日が過ぎてしまったが・・・・・・ 夜には冷え込むそうだ。
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爆音に近い掃除機 耳だけでも大掃除の気分

2009年12月28日 | 日記
12月28日(月) 雨   晴れ   夕方には 快晴

昨夜は天気予報を確認しなかったがまさか雨が降るとは思わなかった。
音をたてて降るほどではないがシトシトと冬の雨にしては淋しげだった。
朝飯を摂っているころには雲が濃淡の表情を見せ、次にボンヤリと白い太陽が薄く顔をだした。
寒さは感じないようだが、薄い影を落とすようになると空気の移動が始まったのか僅かながら枯れた草を靡かせている。


晴れていれば肩や首筋のリハビリがてらに草花の枯れたままにされているのを片づける予定だった。
雨が降ると云うことは今日は一日静かに過ごし、静養をしろと云うことらしい。
昼まではやり残していた“ふるさとプロジェクト”の文言の修正など手を加えて見た。
史実に基づいて忠実に作るに越したことはないが、ウォーキングが楽しくできればよいと思っている。
メンバーの中からは早く見せろと云う声があるようだが・・・・・
急いては事をしそんじる と都合の良い言葉が浮かんでくる。
そんなことを思いながらも家中に鳴り響いているサイレンのような強烈な音がリビングにも押し寄せてきた。
口だけで掃除をするわけではないが耳から入る掃除機の音だけでも、大掃除をしている気分になるから不思議だ。


朝には雲の中にあった浅間山も午後には徐々に姿を見せ始めた。
夕方にもなると快晴の空高くもうすぐに満月と云う月が黄色く光っていた。
東には雪を被った浅間山が月明かりに照らされているためかやけに明るく見える。
薄暮に浮かぶ浅間? それとも月明かり・・・・残照 
何れにしてもロマンチックな浅間山だが・・・・・
集落の灯りと山麓にはオレンジ色の明るい灯火が存在感を表している。


外の暗さが増す中でリビングの壁に着けけられたブラケットの美しく影を落としている。
夏には虫に飛びこんでくれと云わんばかりの田舎暮らしには不向きな作りだ。
俺が家を留守にしている間にMがきれいにしてくれたのか・・・・
壁に映る光の文様が好きだ。


大掃除は嫌だと云うMだが、掃除の仕方では何歩も遅れをとる俺にはついていけない。
責めて洗濯をするカーテンの取り外しと取付けくらいしか役に立たない。
しかし・・・ この家にはカーテンは一か所しか設えていない。
しかも・・ 2間の窓では仕事とは認められないだろう。
爆音を響かせながら来る掃除機に既に降参状態なのは確かなのだ。
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どうして伝わったのか 浅間の嶺もジッとしている

2009年12月27日 | 日記
12月27日(日) 晴れ   暖かくボンヤリとした 一日



昨夜から左の肩甲骨から首筋にそって傷みが走る・・・・
傷みを感じると云ってもジッとしていれば何も痛くはない。
ところが、首筋は振り向いたり首を上下に動かすと腕の付け根の背中側がビリビリと痛みを知らせる。
背中は左手に力をためたて重いものを持ち上げたりすると首筋と同じようにヒリヒリと痛くなる。
原因がわかっているので安静にしていれば何も起こらないが・・・・・
朝方に寝がえりをうったときには思わず声が挙がってしまった。

昨日の作業で林檎園の樹を切り倒し生木の重たさを知っていながら肩に担いだのが良くなかった。
ましてや、ユンボで掘り起こした園内は凸凹でしかも、靴が沈むほどに柔らかくなっている。
左肩に担いだ生樹は不安定な足元に左右に転がろうとしていたが、外側は腕で押さえたが反対側は首しかなかった。
しかも、9日間を病院で過ごした筋肉は頭を支えることにも苦労していたのだろう。
そこへ重量級の林檎の樹が凭れかかれば筋肉が反抗するのは目に見えているようなものだ。

兎に角、ジッとしているのがよい・・・・
朝からボンヤリした姿を見せていた浅間山も噴煙を控えめにジッとしている。
午前中は麓を熱い雲に隠しながら頂部だけ姿を見せ、午後になるとその全容を表すようになった。
俺の動きを察知してか浅間も夕方の僅かに紅に染まった空気のなかでジッとしていた。

動かないほうが良いと思いながら少しだけ首を廻して傷みを感じると安心する。
いつになったらこの傷みが消えるのか・・・・・
骨が折れた・・・・とか、筋が切れた・・・などではないので心配はしていないが・・・

除夜の鐘が鳴れば首が廻るようになると云うが・・・・
浅間の嶺に見習って ジッとした日を過ごしたい。。
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鬼が笑う 再来年のことは 鬼に失礼だと ・・・

2009年12月26日 | 日記
12月27日(土) 雲は多いが晴れ  南の風 暖かい インディアンサマー

長野県の日の出時刻は6時58分、二日ごとに1分遅くなっている。
因みに来年の1月11日の午前7時が遅い時間のピークになっている。
ピークと云っても午前7時の日の出は1月2日から11日まで同じ時刻とされているのが不思議だ。
しかし、南中時と表す太陽が真南に来る時刻は微妙に変化しているのも人が勝手に決めた時間に合わせているのだろうか?
国立天文台の『Naganoのこよみ』が微妙な時間を示してくれている。


今朝は7時すぎても太陽の光線も明るさも厚い雲に閉ざされていた。
空気は湿り気を帯びているのかボンヤリと朝陽に染め上げられていた。


9時前にチェンソーの点検をして燃料を注入し、軽トラに一式を積み込んだ。
久しぶりのストーブの薪集め・・・
町の東の端隣の望月町に近いりんご園に向かった。
ここではリンゴ畑を人に任せるので、腐爛病など病気にかかった樹を全て切るという。
既に園内はユンボで掘り起こされていて軽トラが入れなくなっていた。
一本ずつ切っては肩に担いで車まで運ぶのだが、凸凹の地面に足を取られてきつい。


ほぼ毎日スクワットをしてきた効果があるのかは定かでないが・・・・・
リンゴ畑を取り巻く道の最短距離に運び出し、あとは車を移動して積み込むというやや横着な作業だ。
この暮れになって畑には人の姿もないので、手抜き運びを堂々とやっていた。
午前中いっぱいかかり家に着くと昼前になっていた。


荷台から全ておろし昼飯を摂ってから薪のサイズに切る作業を予定した。
ところが・・・・一端 休んでしまうと身体がど~にも動くのを嫌がった。
スクワットで鍛えた膝上の筋肉と股の後ろ側の筋肉が悲鳴を上げている。

こうなると直ぐにもう一人の俺が脳裏?それとも胸の内から出てくるのだ・・・
《ストーブの薪は来年用?・・・再来年だろう!! 休め・無理するな!!》
こういう声が俺を応援しているのか怠惰に向かわせているのか知らないが・・・
人の話を直ぐに聞く癖がある 俺は 同調してしまうのだ。

そうだ。。。 再来年のことは 鬼に失礼だと
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佐久病院 眼科外来へ向かう

2009年12月25日 | 健康
12月25日(金) 晴れ 暖かい 無風 遠くはボンヤリと見える空気

眼科外来診察を受ける。
手術の跡が痛いとかかゆいとか醜いとかの自覚症状は全くないのだ。
眼圧や視力の検査を終えて、再び待合室で待つ。

いつもなら30分以内に呼ばれて医師の診察になるのだが・・・・
今日は1時間を過ぎていてもまだ名が呼ばれない。
途中、寝てしまって呼ばれたことを聞き逃したのかと思うほど待った。
窓口に聞きに行こうと思った矢先、スピーカーから俺の名が呼ばれた。
確認に行かなくて良かった・・・・・

診察では眼圧が15だと云う。
手術した右は眼圧6になったので退院が許されたのだが・・・・・
2日間のうちに再び15に戻ってしまったのだ。
『眼圧がシングルになれば退院できますよ』と云う言葉が頭をよぎったが
医者はレーザーで糸を切りましょうと再び隣の部屋へ写り機械の前に座った。
眼球に接眼レンズ(双眼鏡の覗く方のレンズ)を俺の眼に当てがって・・・・
ここでレーザー光線銃(のようなものだろう)の照準を合わせている。
何を切るのかは俺自身わかっていないのだが・・・・

バシ ジッ ジッ バツバツ ・・・・何回かの光線とともに 今までより傷みを感じた。

それでは次回は28日から30日の間に来てください!!

確かに28日まで入院の予定だったのだから・・・・・
文句は言えない想定内の眼圧の乱高下なのだろう。
1月は4日か診療すると云うことで、30日に予約をいれた。

入院しているときには医師が病棟を訪ねて診察をしてくれるが・・・・
外来はこちらで出向きひたすらじっと待つことが患者の仕事のようだ。


帰りにはいつもの蕎麦屋さんで昼飯を摂り、銀行へ寄り社協へ寄って原稿を提出して家に帰った。
カメラを向ける被写体も眼に着かないボンヤリとした一日だった。
Мはリビングの大掃除をして昼飯も未だだと云う。。。。

なんとなく へんてこりんな 一日になった、
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歳末の行事と気になる煙突 ・ ・ ・ 煙が出ててもいいの?

2009年12月24日 | 日記
12月24日(木) 晴れ 雲は出ているが暖かな一日

6時の起床時間になっても暗く静かさから起きろという雰囲気はない。
洗面所へ行き窓を開けても僅かに浅間が淡くほんのりと形が見える程度だった。
7時を過ぎると太陽が南側から当たり、浅間の頂上とすそ野で逆巻き起ちあがっているところを照らしていた。
素晴らしい景色だ・・・・
毎日定点観測のように同じ窓から見ている浅間山も今日のような感動をくれる。


9時前には社会福祉協議会で今日行われる『歳末慰問』の出発セレモニーが町長の挨拶で始められた。
社協の職員と役員が4つの班に別れ、それぞれの車に分乗して97才以上の高齢者のお宅を訪問する。
都会の高齢者はデパートや繁華街へ気軽に出かけるが、町の高齢者は少しの暇があれば畑仕事に勤しむという。
あるお宅では99才のお婆さんが“足・腰が痛くで畑はできねぇ~ 炬燵の番で忙しい~"と元気の良い台詞を聞かされた。
一巡して社協へ戻り、来年の2月に発行する機関誌の打ち合わせなど2月末までの打ち合わせをした。
開いていた予定表がどんどん埋まっていく・・・・・

家に戻りすぐに2回目の点眼薬をさした。
一日5回の右目の目薬と左目は1回それぞれ、4種と3種・・・・
これだけはしっかりとやらないと退院時の『看護婦さんとのお約束』を破ることになる。


午後は生ゴミの堆肥化をしている段ボールのメンテナンスやコンポストの撹拌など2週間ぶりで施した。
少しだけのんびりしたと思ったが既に浅間の頂はほんのりと淡く紅色に染まっていた。
空気に湿り気があるのか噴煙はほとんど眼にすることはできない。
裾野には霞が湧いてボンヤリしているがこの表情も俺の好きな浅間山だ。


浅間の頂に僅かに噴煙を見つけ気になることを思いついた。
我が家の煙突だ!!
クリスマスイブと云う今日・・・
外国でも寒い季節はストーブや暖炉に火を入れるだろう・・・・・
サンタクロースは煙の出ている煙突からどうやって家に入るのか??
我が家の煙突も浅間から見ると僅かな煙が見えるのかもしれない。


俺のところにサンタクロースが来ないことは分かっているし俺も承知している。
僻んでるわけではないが・・・
クリスマス ツリーを地下室に置いたまま飾り付けてないのだ!!
信州へ移り住むときにオーナメントをリンゴに統一したのに・・・・

しかし・・・てっぺんの枝が折れているのだ・・・・
サンタクロースだけは俺ではないことを知っていてくれてる・・・だろう。
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平常心と云う 昨日からの続き

2009年12月23日 | 日記
12月23日(水) 晴れ  快晴  風があるが比較的暖かな一日

久しぶりに我が家で迎える朝・・・少しだけのんびりとしながらも外へ出て、残されている冬支度に掛った。
先ずは我が愛車 軽トラの冬タイヤを履かせることなる。
ガレージからでれば直ぐに傾斜地となるので、後輪には必要以上にしっかりとした車輪止めを施した。


タイヤを止めてるボルトをゆるめ、頼りのない華奢なジャッキで車体をあげるのだが・・・
これが意外に見かけほど弱々しくなくクランクを回転するとズンズン車体があがりタイヤが地面から浮き上がる。
車載工具というとあまり使い物にならないが・・・・場所をとることもなく年2回の使用には充分役に立っている。

俺が自分でやるこの作業に拘りを持っているのは、ナットをはめるときにボルトに軽くグリスを塗るのだ。
また、ホイールとボルトが接する部分にも軽くスプレーグリスを吹き付けておく。
要するに春になってタイヤを夏用に替えるときに、レンチ体重をかけることなく軽くボルトが回転してくれる。
タイヤ交換をガソリンスタンドなどに任せている人が多いが、大概はエアー式のレンチを使い強く絞めすぎることが多い。


簡単に30分くらいで4本を交換してから、アプローチに植えてあるバイカウツギの剪定に取りかかった。
これは入院前に済ませておく予定だったが、日没終業って云うことで6株くらいが残されていた。
また、ここ玄関脇にススキが蔓延りだしていて至極体裁が悪いと云うことでこれもカットしたが抜根は次回に譲ることにした。


既に3時はとっくにすぎてしまったようだが・・・・
昼飯は作業を終えてからと云ってあるので、次の薪運びに移った。
8日間留守にしてその分はしっかりと運んでおいたつもりだが、大陸の寒気団が押し寄せたためか
それともMの寒やり屋が更に何らかの影響で・・・増幅しているのか・・・
薪が足りなくなって運んだと云う!!
薪を並べてある下屋から家のガラス戸際へ一輪車山盛り2杯半を運んだ。
薪は積んでおくだけでもぼろぼろと木くずが落ちたり枯れ葉が舞い込んだりする。
コンクリートの三和土を掃くときにはホウキ草で作った箒が掃き目が残らず綺麗にはける。


4時半をすぎたのだろうか・・・・南の空には次々に傘のような雲が湧いては東へゆっくり流れる。
日没後の残照が低い雲ほど紅く染め上げ天空に近づくと空の闇の中に同化している。
冬至を過ぎた今日は春分に向かい日没時刻が後ろへ押されていくのだろうか?


家に入りしばらくすると暖かかった部屋も徐々に寒さを感じるようになった。
ストーブに槇を入れて通風口をあけるとしばらくしてから、ボンッと云う音ととも炎が昇った。
太い薪を入れると其れまで温和しかった炎も急に勢いを増した。
炎をじっと見ているだけでも身体の芯から温まるのが分かる。


温まる話はストーブだけではなく、ぴょるママさんからメールで送られてきた写真を見ていただこう。
仕事の仲間とフォンデュパーティーを開いたのだと言う。
俺はその場にはいなかったので残念至極なのだが。。。
チョコーレートフォンデュも展開されたという。
我が家から養子縁組したフォンデュ鍋ながら、立派にお役に立っていることが一層暖かさを感じさせてくれた。
しかも・・・この冬にまだ鍋が登場する計画があると云うではないか。


何はともあれテーブル上の美味そうな食材はともかく、
正統派のギンガムチェックが食欲をそそるのだ。
・・・・平常心なのだぁ~ 。。
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退院という 突然とも思える嬉しい事態

2009年12月22日 | 日記
12月22日(火) 晴れ  冷たい風  娑婆の清々しさ 感謝

大陸からの寒気が日本列島に押し寄せると云う情報を耳にしながらの佐久病院行きは12月14日(月)のことでした。
当日の天気が晴れか雲りかは忘却の彼方・・・と申しますか、昨日の食事も思い出せない昨今ご理解を戴きましょう。
しかし、雨には降られなかったことは確かです。

この度の入院加療に際しては皆様に暖かい励ましの言葉をいただき、そのお陰と申しますか
予想だにしない快方に向かい、予定では28日の退院でしたが、なんとも6日も早く、
その症状からして完治に向かっていると医師団に判断された次第です。

             ≪佐久病院3階西病棟から見る浅間山≫

この病棟にはいろいろな症状の方が入院をしているが、自分の健康な体に感謝しなければいられない。
俺の病室は6人部屋ほぼ高齢者がベッドを使っていたが、眼科が4名他は耳鼻科と内科が各1名だった。
眼科も白内障は前日入院で日帰りもしくは翌日退院、俺の緑内障は眼圧を整える期間を含め2週間と云われていた。
病室の窓からはほとんど外の景色は見えずに病院の正門のある国道に面しているだけで淋しい限りだ。

  ≪病院のある臼田と云う町は古い建物が残っている≫

病室にはTVが備えられているが、それぞれ見るモノが違うし、音量も多種多様に聞こえてくる。
一昔前はNHKの時報が流れるていたが、デジタルができてからはあの時報を鳴らさなくなった。
病室でもアナログとデジタルで微妙に声の時差があるのだ。
まるでエコーの部屋に閉じこめられて拷問にかけられているようだ。
 病室に 娑婆が飛び込む TVの騒音

 禁煙と 同じレベル TVの音量

 起きては放屁 夜はいびき 静まる間なく 佐久の西3

              《ベッドサイドの最新式のテレビ》

病は気からと云うが病室では既に病にかかってしまったモノだから来ている人ばかりなのだろう。
その中でも俺のようなのは不謹慎きわまりなく、己が親からの命を授かりしかも、五体満足で60数年を来ている。
俺の生まれたころは人のパーツ交換などできる時代ではなく、ただただ天命を全うしようと云うだけだった。
まさか、俺の視野に霞がかかるとか影ができるとかで『ソレデワ レンズヲ コウカン シマショウ』などの台詞を受けるとは思わなかった。
病院で費やした時間実質8日で192時間の内手術室で過ごしたのは1.5時間だけだ。
要するに約190時間くらいの全てを看護婦さんの看護婦さんに診てもらい過ごしたことになる。
彼女たちの献身的(俺はそう思うが)な職業意識以上の技術と気配りは素晴らしい。
ややをもすると男性諸氏は勘違いをしてしまうと言う傾向まであるは確かだろう。
“俺に・・・?”とか、“ほんと???”なぁ~んて思うのは日常茶飯事のことだと云う。

 看護婦を なかに競うは 我が身の病歴

 投薬を 拒む爺に 甘えみえ

 看護婦が 代わると注射 したこころ


《12/20 の雪景色 寺の屋根も白く趣がある風景 朝焼けに浅間は淡く染まった》

劃して今日の退院にこぎ着けたのでです。
退院には眼圧が10以下まで下がらないと・・・・と云うことで
術後の眼圧は日々乱高下が激しくバブル崩壊直前の様を示していました。
昨日まではあきらめていたところ神の手による眼球マッサージとでも云いましょうか、なんと“6”まで下がったのです。
早速Mに丁重な電話でお迎えをお願いしました。

《千曲川河川敷の迎えの車、満杯で通路のセンターライン上に縦列駐車》

朝の回診を終えて退院後の諸注意を受けながら支払いを済ませて病院を出る頃には昼前になってしまった。
予定どうりのグットなタイミング、いつもの蕎麦屋さん“めん茶房つたや”さんに寄る。
店では店主、女将さん共々、俺の退院を祝ってくれるという大歓待!!
早速にテーブルに運ばれたのが千曲川の鮎と鮠の唐揚げ田楽風&鯉煎餅・・・・
からっきし酒がだめな俺にはもったいないような大皿にはクコの実が馬鈴薯とサツマイモのきんとんでくるまれていた。


入院中から帰りは“鍋焼きうどん”と決めていると、拘りのご亭主、「麺の堅さ、太さを」を聞き分けて打ち始めたのです。
腰の強い俺好みの鍋で煮込んでもしっかりとそのうどんの味、うま味を醸し出してくれた。
しっかりすっかり退院祝いと全快祝いを満腹の腹を抱えて家路につきました。
ありがとうございます。


家に着く頃には病院にいたことはすっかりと忘れ去り、忘却の彼方へと昔の話のような一日でした。
そう関知した俺の涼しげな眼差しを皆様にご披露しなければ今日は追われないと思いながら
少々シャイでアンニュイな山裾・・・・皆様には“碧眼の美少年”に代役を立てることにお許しを請うとしたい。


長らくお休みいただいたきましたが
書体風体相変わらずの“山裾の日々”
今日から再出発です
ヨロシクお願い申し上げます
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曇り空でも室内の花たちは元気

2009年12月13日 | 日記
12月13日(日) 薄曇り  弱い陽ざしで暖かい 一日

上空は僅かに雲が薄くなり青空が張り出しているのがわかる。
雲の切れ目から浅間山の雪を戴いた頂上が陽の光に眩く見せている。
雲の上に頭を出すのは富士山と決まっているような歌詞があるが、噴煙のない浅間は富士山に代わるには役不足のようだ。


葉が紫色花はピンクと云う“オキザリス”カタバミの中ながら種類が豊富だ。
我が家のものは太陽が陰ると花も閉じるが葉も閉じて上から眺めると逆三角形の三つ葉になる。
雲を通して僅かな光でも受けると花が開き白い花弁に葉と同じ紫の筋が何本か見える可愛い花の一つだ。


花の形はオキザリスと似たようなものにクラックス(金のなる木)がある。
葉はサボテン系のように厚みがあり、一枚を千切って土に刺しておけば芽が出てくる。
夏は外へ出し直射日光を当ててているが秋に寒さを感じる前に家に入れる。
隣の集落のT家では吹きぬけの天井につくような3m以上も伸びている。
“金のなる木”と云うアリガタイ名前は調べると枝先に穴のあいたコインを刺しておくそうだ。
植物なので現金を使うことがないので枝に刺し込めば次々に貯めてくれると云う。
知らぬ間に≪成金草≫などと汚名に近い呼び方をされているらしい。


リビングの暖かさは薪ストーブもあるが、南面のガラス張り故だろう。
人眼を気にすることなく全面をガラスで設えることができるのも田舎暮らしの所以と云える。
冬に弱い花たちにとってありがたい処遇と思うが、それに並ぶように安眠をむさぼっているのが愛息Salaだ。
このところ悪戯ばかりで優しい声を掛けてもらうことが少なくなっている。
彼なりに気にしているようで広すぎるベッドの隅に丸くなっているが人の動きにはタヌキ寝入りで対応しているようだ。
花との語らいを癒しにしているのか蜜を貯めるセッコクなどをペロッとなめては厳しい声にたじろいでいる。


Salaになめられるセッコク(石斛)野生では岩は大木に着生する植物だと云う。
ランのような美しい花を見せてくれ、花の後ろの茎に蜜を丸く光らせる。
笹のような細く船型の葉をを持っているが茎の脇から根が沢山出ている。
この根が岩や機に入り込むのだろう。
僅かな空気の動きに甘い香りがのり花の美しさを倍加させてくれる。



昼過ぎに太陽の光が暖かさを感じさせないくらいに雲が厚くなってきた。
東の浅間山は浅の装いとは変わりで薄い雲をバックに全容を見せている。
リビングの暖かさは変わらないが・・・・
俺が明日からは病院へ入ることになっているが、リビングの植物はますます増えていくだろう。
外に置いておいた鉢植えも家の中に入ると手が掛るようになる。


そういうこととは関係がないのだろうが・・・・・
Mが出かける前に“入院するタオルや持ち物はこれだけ”とテーブルに山のようにタオル、洗面具などを置いた。
俺は2日分くらいを持って行けば、次に見舞いに来るときに交換すればよいと思っていた。
タオルだけを数えて見ても何日分あるのだろう!!
一週間は優に過ごせるものが整っている!!
最悪を考えて2週間と医者は云っていたが・・・・
段ボールに入れて帰りは宅配で送ってもらうようなるのだろうか??

そ~云うことで・・・
明日からのブログはお休みします

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温暖化と暖冬が押し寄せた一日

2009年12月12日 | 日記
12月12日(土) 晴れ  暖かい  夜になっても暖かな一日

朝飯を済ませてから午前中に終わらせたい薪の積みかえ、除雪機の整備などに取り掛かる。
月曜日からは家にいないと云うことで其れまでに冬に備えた作業をしなくてはならない。

先ずは薪の積み替え・・・生木を割って外に並べたのを屋根の下へ入れたのが9月
3か月もたつと感想が進み薪と薪の重なりがゆるくなってきている。
強い風や猫が上に乗ることで崩れてはいけない。
そんなことで場所を移動して積みかえた。
また、外に積んであった薪も中に取り込んだのでこれで来年までの薪は大丈夫だろう。


午後は町の東部の集落へ出かけたが、話を聞いているだけだったが熱かった。
外の気温が異常に熱いなかな部屋の中はストーブの熱をまともに受けてしまった。
90分の話は昭和の初期のことから40年代・・・バブル期から農地が荒れ出したという。
農業も大型化が正しいように云われて来たが、田は荒れ放題になっているという。
大型機械では立科の田はだめになってしまうそうだ。

そんな農業や林業の話を聞くことができたのは偶然ながら声をかけてもらったのがよかった。
懇親会に入る前に席を立ち、月曜日に入院するための諸々を買いそろえるので町のスパーへ向かった。

夕方になり身体が怠いのに気がつくが・・・・・
『風邪を引いたら手術はできないです・・・』と医者の言葉が頭をよぎった。
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モノフリと云う 雪ならばこそ 相応しい表現

2009年12月11日 | 日記
12月11日(金) 雨   雪   雨    一日中 あめ

朝には静かに雨が降っていたが8時前には雪になりだした。


8時40分歯医者に着く・・・・・
駐車場には既に2台の車がある・・・歯が痛くなり朝一の俺の前に急患が来ている・・・
そんなことを思いながらカウンターに診察券をだすと、奥で看護婦さんが“ど~しましたぁ~”と云う。
予約で来ているのだから・・・オカワリありませんか~と声がかかるのだが・・・
カウンターで担当の女性と向き合うと・・・しばし、戸惑っている。
その後の短いやり取りで・・・俺が曜日を間違えて来たことがわかった。
水曜日の9日の予約だった!!
俺は赤面しながら、つい先日もどこかで予約の日を間違えていたことあった。
ボケが始まっているのだろう・・・
帰ろうとすると、診てもらえると云う。
直ぐに診察台に案内されたが・・・駐車場で急患が・・などと思ったことが蘇えり
すこぶる居心地が悪い・・・
そう思いながら診察を終えたとき40分近くかかっていたことになる。
有りがたいことだ・・・ シックなクリスマスの飾りがある歯科医院 マスマスファンになってしまう。

歯科医院の駐車場では雨に変わっていたが降りは強くなっている。
帰り道里の西へ向かい俺の住む集落へ向かう急坂を昇りだすと雪が混ざってくる。
坂を登り田圃道の中頃までくると完全に雪に変わっている。
雪の降り方がタテヨコナナメ、中には下から上に舞っている雪もある。
本格的な冬の到来・・・・・少しだけ嬉しくなる。


外は雪と云うことで庭仕事も薪運びも堂々とお休み・・・
年度末には早いが補助金の申請など書類を確認し、提出した予算書に合わせて収支の決算書を作った。
3つの事業にかかわり、2つは12月で終了するので申請が可能となる。
しかし、来週からは動きがとれないので年を越すようになるのだろう。

午後には巡検道マップについてRさんから地域の役をやっている人に相談した結果を知らせてくれた。
地元の人しか判らない情報をマップに載せられることが嬉しい。
さっそく書き込みを行い次の修正に向けて一歩前進となった。
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浅間の噴火・・・ 野次馬ですが

2009年12月10日 | 日記
12月10日(木)快晴   穏やかな朝 

浅間山が珍しく噴煙を上げている。
7時前・・・・ 6時過ぎにはまだ暗く噴煙が上がっているのは見ることがなかった。


窓を開けて直ぐに飛びこむ姿は上の写真のようには見えない。
朝陽もだいぶ南よりになっているので浅間の姿は隣の集落を越えてその先にある。
直線距離で40km程度らろうが・・・・・
噴煙が長く南に伸びる景色にしばし、寒さを忘れて見とれてしまう。
噴煙が流れる下の地域ではなんとなく焦げ臭いと聞く。
野次馬的で申し訳ないような気がするが、兎に角見ていると元気がもらえるのだ。


浅間山のその後はどうした・・・・と聞こえてきそうですが!!
こんなにもの珍しく見物しているのは来た者くらいですね。
午前中町の東部へ出かけましたが誰一人として浅間山を見上げている人はいません。
昼前には噴煙も流れたきた雲と混ざり合っていつもの静かな山の姿に戻っていました。
9時半には家に戻り、ホッタラカシだったバイカウツギの剪定とアヤメの枯れた葉の片付けに専念しました。
バイカウツギは2年間手つかずのままにしてあったためにシュートが伸びて切りとるのも大変です。
ここはモズの縄張りにもなっているので“ハヤニエ”が幾つもあります。
大スズメ蜂、トカゲ、干からびて元の形が見えないような黒い塊・・・・
中でもトノサマバッタ?それともイナゴ??でしょうか、髭もハッキリと残りリアルな形相をしていました。
それにしても、地上から20cmくらいの高さの枝に刺してあり、雪の少なさを感じ取っているのでしょう。


夕方からは“たてしなエコ・クラブ”のスタッフのミーティングです。
仲間のF君が地産地消・立科産の食材を使ってメインディッシュを作ってくれることになっています。
一品持ち寄り(持ってこられる人だけ)と云うわけで、俺的にはこの時期にお勧めのニンジンサラダです。
ニンジンの赤とパセリの緑で華やかさを演出しクリスマスも近いと云う料理(??)です。
バジル風味のオリーブオイルでしっとり感をだして・・・パセリの飾り付けは会場でのお楽しみです。

夕方6時の打ち上げパーティー向けて家をだた。
たてしなエコ・クラブのパーティーと云うことだが、先の環境フェアの打ち上げなのか?忘年会???
集まった12名も何だかわからないが楽しいことだけを確信してやってきた。
会費制にしてF君の料理長ということで一同安心してこの日を迎えたが・・・・
三々五々集まったメンバーは皆皿を抱えたり、タッパーを風呂敷に包んだりして小脇に抱えている。
F君の調理したものに一抹の不安を抱いている!!と云うわけではなく、この会癖のようなものだろう。
尤もF君の作るものは大体が茶色が中心となった配色でテーブルの上に艶やかな色彩が並ぶのは皆が持ち寄ったもので変化がついている。


何れにしても6時から始まったパーティも食べるものは大かた片付いてしまったあとは
話しの華が咲きだしたが。

マイお皿、マイカップ、マイはしと全てが手前物なので片づけは簡単だ。
大皿に少しだけ残ったものは・・・“有るを尽くして・・・・”と云う決まり文句で皆の腹に収められた。
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湿り気を感じる 暖かな一日

2009年12月09日 | 日記
12月9日(水) 曇り  薄日はさすが暖かな一日

昨夜は遅く寝たがいつものように目が覚める。
障子を開くが曇り・・・
僅かに浅間山が雲の中でシルエットになって見える。
湿り気のありそうな空気で窓を開けても寒さは感じない。


午前中は役場の玄関に張り出してもらう集落で行った収穫祭の様子をA4サイズにまとめメールに添付して送った。
ど~って云うことはないが、小さな集落ながらまとまりをもって活動していることを見てもらうのも良いことだろう。
役場を訪れた人がどの程度掲示されているものに関心を持ってくれるかは定かでないが・・・・・

久しぶりにのんびりとした時間を過ごしたが直ぐに12時が近づき出かけた。
髪をカットしてもらうのだが・・・・
2か月いじょうたっているのか前髪が目に入るのが気になって仕方がないので短くしてもらう。
睡魔に襲われながらくつろげる椅子に座ったまま瞬間的に作業が終わったようだ。
外へ出ると首の回りに冷たい空気を感じることでカットしたことをあらためて意識をした。

夜には町民活動センター広報誌の編集会議にでた。
2月の初旬の発行となっているが、実際に動ける日数は僅かしかない。
俺が書く文字数も判らないまま議事が進むが・・・・・
2月に発行を予定している季刊誌が他に二つあることが頭をかすめた。
生返事ばかりをして追いつめられることが頭をよぎった。

7時からの会議も90分で終わることで予定通りに事が運んだがよかった。
コメント (2)
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