徳島に住むカメさんのつぶやき

 さながらカメさんのような一老人が、小さな池(徳島県の片田舎)から覗き見た世の中の出来事や心象風景などを書き留めたもの。

お世話になった叔父貴の死(Ⅰ)

2017年03月29日 | 随想
 生きとし生けるもの、すべからく死を免れることは出来ない。
そのことは、十分に分かっている積りだった。
 だが今、学生時代に大変お世話になった叔父の死に直面すると、悲しさ寂しさ辛さに耐えられない
思いで一杯である。

 はるか昔、田舎高校生の私は「大阪がどんな所」かも知らないで、関西大学進学を決めた。
当然のことながら、最初の試練として下宿先の問題が出て来る。ところが私は、下宿って何なんだ?という
体たらくで、当然そのあては無い。
 そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが、当時まだ30歳の叔父だった。
「少し遠いが、神戸の俺の家から通ったらどうだ?学生なんだから、大丈夫だろう」と言ってくれたのである。

 もちろん、私に異存のある筈もない。
ということで神戸の叔父宅に転がり込み、姉さん(叔母さま)にも多大な迷惑をかけることになった。
 が、迷惑と知りつつも田舎者の私にとって、神戸の叔父宅での生活はまさに夢のようなものだった。
何しろ当時の都市と田舎の落差といったら、今日の比ではない。当時の田舎にはまだプロパンガスも無く、
薪が主要燃料の時代であった。もちろんテレビなんて高嶺の花で、電話もまだ不自由だった。
 こんな体験こそカルチャーショック、と言うのではなかろうか。

 そんな叔父夫妻のお陰で大学も無事卒業し、田舎に戻ってくることが出来た。
地方公務員として現役生活を全うし、いまこうして余生を楽しむことが出来るのも全て叔父夫妻のお陰だと
心から感謝している。

 その叔父が、この世を去った。享年89歳。
あの温顔に二度と会えないと思うと、涙があふれる。
 だが今となってはご冥福をお祈りするとともに、残された叔母さまのご健勝とご多幸を祈るばかりである。

 当時の蛮カラ大学生










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