徳島に住むカメさんのつぶやき

 さながらカメさんのような一老人が、小さな池(徳島県の片田舎)から覗き見た世の中の出来事や心象風景などを書き留めたもの。

勝負ありで、興味半減

2017年10月22日 | 随想
 相撲なら最後の最後まで「残った、残った!」の楽しみがあるが、今回の衆院選には逆転の“うっちゃり”は
望めそうもない。

 その上に、この雨である。おそらく、投票率も最低だろう。
むかし、ある大物政治家が「有権者は寝ていてくれた方がいい」と言ったとか、言わなかったとか。
 なんでも、投票率が低いと支持基盤の固い自民党が有利になるのだそうである。

 そういえば反安倍自民の受け皿として期待された小池都知事は、今日の投開票を放り出して? 既にパリに出かけた
とのこと。
 それって、開票前から白旗を挙げたってこと?

 とうやら我が国には、政権交代可能な健全野党を育てるという国民意識がないようである。
ということは、これからの4年間も安倍一強のなすがまま! を甘受せざるを得ないということになる。

 今晩の選挙特番を見る楽しみさえ、奪われてしまった??
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雨の日は昔の写真を取り出して

2017年10月19日 | 随想
 今日も、また雨。
今も雨蛙がクワックワッと、我が世の春? を謳歌している。

 だが人間様の方は散々で、ご近所さんも「洗濯物が乾かないし、困ります」と、この長雨を嘆いていた。
気象情報では、台風までが北上中とのご託宣。
 先日の雨漏り被害を思い出し、台風と聞いただけでも気分が滅入る。

 さりとて、お天気だけはどうにもならぬ。
今日もまた、「肘掛椅子の高齢者」を決め込むほかに術がなかろう。 

 というわけで今回取り出して来たのが、棚の奥に仕舞い込んでいた古いアルバム。
滅多に見ることはない代物であるが、見始めたら次から次へと目が移って時間が経つのも忘れてしまった。

 そんなアルバムの中から約50年前の山の写真が現れたのであるが、一緒に登った仲間たちの(当然の事では
あるが)若々しさに見惚れてしまった。
 
 いやー、お互い本当に若かったのだ!! いやー、本当に懐かしい!!
やっぱり写真というものは、撮るべき時に撮っておくものである。

 そんな写真が、次の一枚。・・・この時代、まだカラーフィルムが無かった?ようで白黒というのも懐かしい!

昭和39年春 高越山 


 さらに、こんな写真もありました。

昭和39年夏 剣山 ①

 
昭和39年夏 剣山 ②



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永六輔 & 淡谷のり子 & 高橋竹山

2017年10月17日 | 随想
 この長雨は、一体どうしたことか。
秋の雨は体を冷やすし、気分が沈みがちになる。
 こんなとき高齢者は、どのように過ごせば良いのだろうか?

 なんて思っていたら、ふと深田久弥(登山家)がその著書の中で語っていた言葉を思い出した。
彼が、我が国に初めて紹介した「アームチェア・マウンテニア」(安楽椅子の登山家)の話である。
 かつて山を愛し山に登ってきた登山家が、年齢とともに山を離れ、安楽椅子に座って静かに山を想う
姿を表現した言葉だそうである。

 これなら、我々凡人にも真似が出来る。
幸いにも、古ぼけたひじ掛け椅子なら我が家にもある。 
 あれを持ち出し、ひとつ“ひじ掛け椅子の高齢者”とでも洒落込むか。積読(つんどく)状態で、
放置されたままの本も数えきれない程にある。

 ということで探し出してきたのが、あの「黒い花びら」や「上を向いて歩こう」の作詞で超有名な
永六輔の本。
 「上を向いて歩こう 年をとると面白い」という本であるが、これが本当に面白く、音楽の歴史から
淡谷のり子や高橋竹山などとの出会いや別れが鮮やかに描かれている。

 高橋竹山は津軽三味線を世界に知らしめた功労者であるが、病気で目が見えなくなり「門付け」から
スタートした三味線奏者として有名で、私もその演奏を徳島でお聴きしたことがある。
 
 その高橋竹山について、永六輔は次のように記している。
「竹山さんは空き缶を持っていて、その空き缶を門口に置き、そこで三味線を弾くと、チャリンと
お金を入れてくれる家がある。目が見えませんからチャリンと音が入るとそれを懐に収めて、また
隣の家に行く。・・・(中略)吹雪のときでも、風の吹いているときでも、雨が降っているときでも、
とにかく頂けなければ食べられないという状況で、がんばって弾いた。」
 
 「竹山さんが津軽方面をグルグル回って歩いているときの話です。青森に一軒の呉服屋さんがあって、
竹山さんはそこには必ず寄ったそうです。なぜ寄るかというと、その門口に座って弾くと、いつもほか
よりもご祝儀が多い。 ・・・(中略)“チャリン”じゃなくて“ジャラジャラジャラ”とお金が入るんだ
ということを竹山さんはおっしゃっていました。その“ジャラジャラジャラ”と入れる呉服屋の娘が、
のちの淡谷のり子さんです」
 
 淡谷のり子も、竹山にお金を渡していたことを覚えていたそうである。だがその呉服店も後に倒産し、
今度は淡谷のり子の大変な苦労が始まった。
 東京の音楽学校に通うため、裸になって絵描きのモデルもしたそうである。

 永六輔は、こう語っている。
「実に豊満なヌードなんですが、本人はちっともそれを嫌がらないし、恥ずかしがらない。“あれは
あのときの私の誇りだから”と言って、その裸の絵を観に一緒に連れていってもらったことがあります」

 やがてお二人ともそれぞれの道で成功をおさめ、晩年には青森県津軽を代表する“じょっぱり”として、
“じょっぱりコンサート”を一緒に続けられたそうである。

 “じょっぱり”とは頑固者といった意味だそうであるが、壮絶なお二人の人生にはただただ驚嘆する
ばかりである。
 
 今は亡きお二人の、いや お三人のご冥福を心からお祈り申し上げたい。

 
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首が回るようになった!

2017年10月15日 | 随想
 これは、借金の話ではない。
結構お悩みの方も多い? 現実の首の痛みの話である。

 実は頑固な首の痛みの持ち主で、数年前から首がクルリと回せなくなっていたのである。
しかも、数か月前からは首から肩にかけて痺れが走り、不快極まりない状態に陥っていた。

 近所の整形外科を受診したところ、「中程度の頚椎症ですね。薬の服用とリハビリを並行する
必要があります」とのこと。さっそく、リハビリを開始した。

 ところが“リハビリ”といっても、腕を回したり伸ばしたりするのと電子医療器具?でチクチク
両肩の部位を刺激をする程度。
 これで治るのかな?と思っていたところ、本屋さんで「首の激痛しびれがピタリと・・・・・」
なる本を発見した。

 パラパラめくってみると、自分の症状にピッタリの対処法も書いてある。
しかも書いているのは、◯◯クリニック院長◯◯先生であるらしい。
 その先生は知る由もないが、まあ一種の体操のようなもの。ラジオ体操よりも、簡単そうだ。

 ということで、さっそく次の五種目の運動に取り組むことにした。
  ○ 腕引っ張り
  ○ 腕の上伸ばし
  ○ 腕の後ろ伸ばし
  ○ 肩の前後回し
  ○ 肩落とし
 これをそれぞれ10秒間づつ、朝昼晩の3回行うのである。

 最初は半信半疑だったがおよそ二か月が経ち、数日前に体の変化に気が付いた。
なんと、首が回るようになっていたのである。これには、本当にビックリ仰天。
 
 肩の痺れはまだ残っているが、いずれ消えることを願ってこの運動を続けようと思う。

 
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大山鳴動して鼠一匹 で終わるの?

2017年10月12日 | 随想
 今朝の新聞一面の記事には、ビックリした。
共同通信社による衆院選の調査結果が載っていたのであるが、そこには「自民優勢」という大見出しが踊っていた。
 記事の詳細は読んでいないが、どうやら小池の神通力にも限界があったということか。

 民進党離党者を彼女の好みで?選別するという、いわゆる排除の論理。
これが有権者に背を向けられたというのであるが、あの世間を沸かせた“小池劇場”は一体どこへ消え去ったのか。
 「政界一寸先は闇」と名言を吐いた政治家がいたが、今回の小池劇場もその好個の例ということで終わるのか。

 それにしても、政策面はどうなのか!
国民は、本当に現行憲法の改正を望んでいるのか? 
国家財政の再建よりも、今現在の高等教育無償化の方が優先度は高いのか?
消費税を上げてでも国家財政を再建すると言っていた約束は、一体どうなったのか?

 首相夫妻の“お友達優先政治”の見本と言われた森友問題・加計学園問題は、もう過去の事として不問にするのか?
政治家みんなが権力者の前にひれ伏す、現今の“安倍一強政治”が望ましいことなのか?

 政治家の人気云々の前に、そんな観点を忘れてはならないと思うのであるが、さてどうなることか・・・
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高齢者が遭遇する三大難関(難問?)

2017年10月10日 | 随想
 ある書物によると、今を生きる高齢者には次の三つの難関が待ち受けているとのことである。
  一番目は、病気に罹ること。
  二番目は、お金に困ること。
  三番目は、孤独に陥ること。

 確かに、こう指摘されてみると、どれをとっても他人ごとではない!!
腸閉塞の手術を何回も受けた身として、病気の怖さは痛いほど?知っている。
 また経済観念が乏しくて貯金に励まなかった身として、お金の問題も十分に理解できる。

 だが以上二つの問題は、今の社会システムが機能している限り(少なくとも我々が生きている間は)
医療機関や行政に見捨てられるという恐れはまあないだろう。と、いうことで先ずは大丈夫。と、思う。

 最大の難関は、三番目の「孤独」である。
最近もインターネットに、次のようなニュースが流れていた。
 「ゴミ屋敷」問題が多発している。という報道。

 その家の住人がゴミ処理(ゴミを選別し、ゴミ収集に出す)能力や意欲を失い、ゴミの山と共に暮らし、
果てはそのゴミの中で死亡するという悲惨な事態が増加しているというのである。
 そしてそれが、高齢者の「孤独」問題に起因するというから悲惨である。

 高齢者が孤独に陥ると、究極のところセルフネグレクト(自己放棄)に至る可能性があり、そうなると
誰かの手助けが無い限りそこから脱出できなくなるそうである。

 書物などで「孤独に耐える力を養おう」と教えられても、いや自分には家族もあるし、友人もいる・・・
なんて思っていた。
 が、孤独とは、そんな簡単なものじゃないらしい。

 家族とも、友人とも、誰とも交流が出来なくなった時にどうするか・・・。
どうやら、その時への備え・対応が問われているようである。

 さて、・・・
 
 
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雨のアサガオ

2017年10月07日 | 随想
 朝4時過ぎに目を覚ましたが、トタン葺きの庇に雨音がした。
「今日は雨か・・・」と朝のウォーキングを諦め、再び布団に潜り込んだところ、いつの間にか
ぐっすりと寝込んでしまったようである。

 そして次に目を覚ました時にはもう白々と夜が明け、雨も上がっていた。
急いで起き上り、顔を洗ってウォーキングの準備である。

 念のため裏戸を開けてみると、今まさに雨雲が空へ空へと上がっていく最中だった。
四国山脈と讃岐山脈に挟まれたこの地ではよく見かける光景で、私はこの雲の流れが大好きである。
 こんな雲の流れの後には、大概きれいな青空が広がってくる。
 
 早速ウォーキングに出かけることにし、裏玄関から外に出た。
すると、もう花の時期は終わったと思っていた野生アサガオが、二輪も花を咲かせているではないか。

 いやー、これには驚くやら嬉しいやら!!
大急ぎで撮った写真が、次の一枚。
 夜来の雨滴を含んで風情あり、と思うのであるがどうであろうか。ちょっと、身びいき過ぎ?


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わかっちゃいるけど やめられない Ⅲ

2017年10月06日 | 随想
 「わかっちゃいるけど やめられない」に書かれている話で、もう一つ心に残ったものがある。
植木等がよく、六方拝という言葉を口にした という行(くだり)である。

 六方拝とは、一体どのような話なのか?
書物によると元々はお釈迦さまの教えで、以下のように「東西南北天地の六方に感謝を忘れず生きなさい」
ということのようである。

 東に向かっては、命を与えてくれた両親や先祖に感謝。

 西に向かっては、生活を支えてくれる夫や妻・家族に感謝。

 南に向かっては、これまで教え導いてくれた先生や師匠・先輩に感謝。

 北に向かっては、社会生活における友人や知人・近隣の人々に感謝。

 天に向かっては、太陽や雨・風の恵みなど大自然に感謝。

 地に向かっては、大地や水・木の恵みなど大自然に感謝。

 
 一つ一つの事柄は、それこそ親や先生あるいは先輩たちから教えられた記憶があるが、これらをひっくるめて
「六方拝」という教えになるとは知らなかった(恥ずかしい限りではあるが)。

 これも、台風による雨漏りで濡れた品々の中から「わかっちゃいるけど やめられない」が出て来たからこそ。
 
 ということは、天に向かって感謝しなけりゃならないってこと? こりゃ、参った! 
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さあ、安倍自民か小池希望か!!

2017年10月04日 | 随想
 小池劇場に続く前原ハプニングに沸いた前哨戦、そこへ枝野飛び入りとなった中盤戦。
ようやく、衆院選の構図が固まって来た。

 これまでの自民・民主・共産という常連対決?に退屈していた選挙民にとって、保守野党「希望の党」の出現が
文字通り「希望」となってくれるかどうか。
 縁側政談好き老人の一人としては、まことに興味津々といったところだ。

 はるか昔の平家じゃないが、安倍一強、自民一強なんて言われる栄華がいつまでも続いて良いわけがない。
そろそろ“ごわさんで願いましては”があっても、よろしいのではあるまいか。
 縁側政談の老人の眼にも、安倍一強政治の弊害は目に余っていたところである。

 首相夫人とはいえ、広く国民に奉仕すべき国家公務員を5人(うち常勤2人)も秘書にしていたというから、
それこそ「ビックリ仰天」なんてものじゃなかった。(国民の批判を恐れ、いまは0人と自粛中とのこと)
 
 しかも「文芸春秋」によると、他の大臣夫人までが「私にも首相夫人のように公務員秘書を当てがってくれないか
しら」と旦那の某大臣にねだっていたというから、“自民一強政治の驕りここに極まれり”の状態だったというほか
あるまい。

 何はともあれ自民党に代わり得る保守政党の出現は、国民の選択肢を広げるという意味においても結構なこと。
その健全な発展を、心から期待したいものである。

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キンモクセイ

2017年09月30日 | 随想
 世の中は選挙モード突入で騒々しいが、この田舎ではまだまだノンビリしたものである。
それを象徴するかのように、我が家のキンモクセイがいま真っ盛り。

 このキンモクセイの花、見た目が綺麗だけじゃない。その香りが、実に素晴らしいのだ。
今朝もウォーキングに出かけようと玄関を開けると、その馥郁たる香りがさーっと流れ込み、
一瞬にして“幸せ気分”にしてくれた。
 靴ヒモを結ぶ手を止め、しばし香りに酔いしれたものである。

 そしてその花はといえば、折からの朝日を浴び一つ一つの花びらが黄金色に輝き見事なもの。
カメラを持ち出し撮ったのが次の写真であるが、香り豊かな雰囲気が出ていない。

 残念だが、素人なれば・・・ということで・・・





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口だけ番長?も やる時はやるのだ

2017年09月29日 | 随想
 いつの頃からか、誰の命名かは知らねども、以前に新聞で見たことがある。
口だけ番長・・・、これが民進党代表・前原誠司氏の渾名ということだった。
 だがこの口だけ番長、実は口だけではなかったようだ。

 ここ数日の、番長さんの動きには目を見張るものがある。
なにしろ自分の政治生命を“打倒安倍内閣”の一点に絞り込み、自分自身愛着のある民進党から候補者を
立てず、全員を小池新党から立候補させる決断をしたとのこと。
 その気迫に押され、うるさ型の多い党内各議員も了承したというから大したものだ。

 民進党議員の離脱に歯止めがかからず、国民人気も低下の一途という現実を真剣に受け止めての決断
だろうが、代表としては並大抵なことではなかっただろう。
 そのこと自体、まこと大したものである。“口だけ番長”なる陰口も、もはや過去の遺物ということか。

 しかし国民にとって肝心なのは、ここからである。
たしかに、モリ・カケ隠し・傲慢?な国会運営・安倍首相夫人への国家公務員の秘書派遣等そのやり方に
ウンザリという国民は多かろう。

 だが、そのことと選挙は別である。
果たして、口だけ番長じゃなかった前原誠司代表がどのような活躍ぶりを見せてくれるのか。
 ここは(固唾を飲んで)見守らせて頂くほか、一国民としては仕様があるまい。

 エッ!?そんなことはない! 君も清き一票を持っている?
あ、そうだった。でも、それは内緒ということで・・・・
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わかっちゃいるけど やめられない Ⅱ

2017年09月27日 | 随想
 植木等という人はあの歌や映画の調子から、天然そのものの楽天家に違いないと思っていた。
ところが、実際は全く違う人柄だったそうである。

 「植木等伝 わかっちゃいるけど やめられない」で戸井十月(この本の著者)がこんなことを
書いている。
 植木等没後、この本の執筆にあたって植木等の運転手・付き人を務めたことのある小松政夫(俳優)
にインタビューしたときの話しである。
 
 「植木さんが亡くなったことを、今はもう受け止められる状態になりましたか?」
 タイミングが悪かったのか訊き方が悪かったのか、それとも・・・。小松さんは私から視線を外し、
奥歯を強く噛んだ。空気の流れが止まり、静けさの中から嗚咽が聞こえてきた。
 私とそこに同席した編集者たちは硬直した。目の前で66歳の男が真剣に泣いているのだ。
こんな時に、どんな言葉をかければいい。
 小松さんは5分ほど泣き、ハンカチで涙を拭いてから息を整え、・・・

 そして小松は、次のようなことを語ったそうである。
小松が俳優として、植木から独立した時の話である。
 「車を運転していて、突然うしろから言われたんです。“明日から来なくていい”って。
青天の霹靂というか何というか・・・。で、うしろから身を乗り出してきて、“給料もマネージャーも、
全部決めて来た。社長も大賛成だと言っている。だから、明日からは俺の所に来なくていいんだ”
 
 涙が溢れてきて前が見えなくなっちゃったので、“ちょっとすいません。車を止めさせて下さい”って
言って道の脇に止めました。
 何分くらい泣いたかな。その間、ずっと黙って待っていてくれて、しばらくして“別に急がないけど、
そろそろ行くか”って。
 僕は我に返って、“はい”って言って車を出したんです。粋だったですね。やることが。

 植木等とは、こんな男だったそうである。
彼の人柄を知るうえで、これ以上の話は他にあるまい。

 
 
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不可解!じゃなくて 不愉快!な政治。

2017年09月25日 | 随想
 安倍首相が、衆院解散を決めたそうである。
北朝鮮問題は勿論のこと、米トランプ政権の不安定さが指摘されるいま、まだ任期が十分にある衆議院を
解散してよいのだろうか?

 政治家はすぐに「解散権は首相の大権であり、首相一人が決めること」なんて言うが、衆議院議員には
四年の任期がある筈である。
 少なくても我々有権者は、四年間は命がけで国政に当たってくれるものと期待?して投票をした。
その大切な我々の代表を、首相の一存で首にされるのは「理不尽」というもの。

 “加計学園問題隠し”とかいわれているが、そもそも安倍首相自身が「国民に丁寧に説明したい」と殊勝な
ことを言っていたのではなかったか。

 だが今回は、一つの新しい動きが注目される。選挙戦に、小池都知事が「新党代表」として乗り出すという
ニュースがとび込んで来た。
 役者が揃った、とはこのことか。

 与党慣れしてしまった自民党・公明党には“謙虚さ”が無いし、民進党は“頼りない”という面々にとっては
格好の“注目馬”ということになるのではなかろうか。

 その結果や如何に・・・。 ひょっとして・・・??

 と、ここまで書いて来て、窓のそとに目をやると白い玉すだれの花が満開だった。
今回の選挙も、この花のように汚れのないキレイな選挙戦を展開してほしいものである。 



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わかっちゃいるけど やめられない 

2017年09月22日 | 随想
 台風18号には、本当に酷い目に遭った。
後片付けに妻と二人で二日もかかり、雨漏りの激しかった寝室の壁には無残な浸水跡が残ったまま
である。
 そんな台風の爪跡を見るにつけ、台風の奴めと腹立たしくもなろうというものである。
だがこの世の中、悪いこともあれば良いこともある。

 水浸しになった廊下の片隅から、沢山の本が出て来た。
本屋さんで「いつか読むこともあるだろう」と買ったまま、“つんどく”になっていた本たちである。
 上の方はビショ濡れになっていたが、下積み?になっていた本は無事だった。

 本に申し訳ない気持ちで点検していると、「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない」が下の
方から出て来た。
 2007年の初版本だから、ちょうど10年前に買った本ということになる。

 懐かしくてページを繰るうち、「スーダラ伝説」という項目があった。あの大ヒット曲「スーダラ節」
が出る前の逸話である。
 どうやら植木自身は、あの歌詞が気に入らなかったようである。

 「こんな歌は歌いたくない」と言ったら、“バカヤロー! これを聴いた人はホッとするんだ。だから
歌え” ってハナ(肇)に怒られた。とある。
 それでも植木は決断がつかず、その悩みを僧侶でもある父親に打ち明けたそうである。

 すると父親は「ありがたい話じゃないか。どんな歌だ?」というので、恐る恐る歌い始めた。
「〽 ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつのまにやらはしご酒・・・」 
「うん、それで?」
「〽 気がつきゃホームのベンチでごろ寝、これじゃ体にいいわきゃないよ」
「そりゃ、そうだ」
「〽 わかっちゃいるけど、やめられない。あ、ほれ、スイスイ・・・」 
「なに、ちょっと待て」
「〽 わかっちゃいるけど、やめられない・・・」 
「等(ひとし)、これはヒットするぞ」
「なにがヒットするだよ。こんな歌」 
「いや、“わかっちゃいるけどやめられない”って詩は素晴らしい。人間てものはな、みんなわかっちゃいる
けどやめられないものなんだ。・・・(中略)宗祖親鸞上人は90歳で亡くなったけど、亡くなるときに、
“わが生涯は、わかっちゃいるけどやめられない人生であった”と言ったんだ。それが人間てものなんだよ。
青島君て人は実に才能がある。これは真理を突いた素晴らしい歌だ。ヒット間違いなしだから、自信を持って
歌ってこい!」

 という具合に、息子の背中を押したそうである。

 いやー、本当にいい話である。このオヤジさんにして、この子(植木等)ありということか!!
そしてグループリーダーのハナ肇も、また素晴らしかった。
 
 お二人に、感謝・感謝。



 
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台風の奴め!!

2017年09月19日 | 随想
 台風銀座と言われる四国ではあるが、台風が大の苦手だ。
あの「ピューピュー・ゴーゴー」という風の唸り声を聞くだけで、もう身がすくむ思いである。

 そんなこともあり、今回の台風18号襲来に当たってもテレビ情報に十分注意し、その直撃に耐えられるように
万全の備えをして待機?した。
 
 そして9月16日の夜が明け、台風の日の朝を迎えた。
台風本体はまだ来ないにしても、「おそらく風雨が強いだろう」と雨戸を手繰ると、なんと朝日が輝き青空が広がって
いた。
 「あれっ? ひょっとして台風は逸れたのかな?」なんて、持ち前の楽観的な気分が広がって来た。

 そこで野菜畑の手入れをしたり、小鳥の鳴き声を聞きながら一日のスタートを切った。
朝食を済ませた後も、新聞を読んだりしてノンビリしたものである。
 
 ところがその間にも、台風18号は我がふる里を狙っていたのである。“知らぬが仏”とは、このことか。
雨と風が強まって来たと思ったら、あっと言う間に我が家は凄まじい台風の真ん中に晒された。
「ピューピュー・ゴーゴー」なんてものじゃない。雨戸に石礫が叩きつけられているのかと思うほどの、強烈な風。

 それでも、この陋屋に託すより他に方法はない。
万全の備えもした筈である。
 
 ところが、予想もしないところに盲点があった。
二階部分の屋根に取り付けられた雨樋である。素人の悲しさで、そんな所は気することもなかった。
 その雨樋に木の葉やゴミが詰まって、雨水が溢れ出たのである。

 それも通常なら、その雨樋を伝って落下していくはずである。ところが今回は猛烈な風が溢れた雨水を吹き飛ばし、
雨戸の戸袋の中に送り込んだようである。
 
 さあ戸袋の中に溜まった雨水は、何処へ行くか。これが内部の土壁を伝い、下の階の寝室へ落ちて来たというわけ
である。
 それも初期のうちに気付けば良かったものを、「準備万端整った」との思いが仇になった。

 寝室を訪れた時には、もう「時すでに遅し」の状態になっていた。
部屋の畳はずぶ濡れで、廊下は壁土が溶けた泥水でドロドロである。
 しかも、天井からは溢れるように雨水が落ちてくる。

 “途方に暮れる” とはこのことか。

 だが嘆いていても、事態は悪化の一方である。急いで大事な物や濡れたら困る物を避難させると共に、屋根工事の
業者さんに相談を申し上げた。
 すると、台風の最中でしかも暗い夜にもかかわらず、業者さんが駆けつけて下さった。そして屋根に上がって点検し、
上記雨樋のゴミの詰まりを取り除くという緊急措置を講じて頂いたという次第。

 親切な業者さんのお陰で大きな被害を免れ、本当に助かった。
業者さんが神様のように思えた、そんな夜であった。

 秦建材さん、本当にありがとうございました!!



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