徳島に住むカメさんのつぶやき

 さながらカメさんのような一老人が、小さな池(徳島県の片田舎)から覗き見た世の中の出来事や心象風景などを書き留めたもの。

知人の姿に驚愕

2017年10月30日 | 随想
 ある病院でのこと、昔の知り合いと「バッタリ出会った」と言いたいところであるが、こちら
から声をかけるのを躊躇してしまった。
 
 その姿の余りの変わりように心底びっくりし、息をのむというか、声をかけるのが悪いような
気がしたのである。
 
 現役時代は“やり手”として鳴らし、退職後も広い農地にトラクターを走らせていたあの元気な
彼からは想像も出来ないような変わりようであった。

 彼に最後に会ったのは十年ほども前のことで、同じ病院の廊下で立ち話をしただけだったが病気
持ちとは思えないほどの生気に満ち溢れていた。
 それが今日の彼は、肺の手術でもしたのだろうか体が大きく傾き、立っているのも辛そうだった。

 いまこうして彼のことを思うにつけ、あのとき声をかけた方が良かったのか、いや彼の身になれば
知人には会いたくなかっただろう、なんて堂々巡りをするばかり。
 本当は、どうすべきだったのか・・・

 それにしても、歳月というのは残酷なものである。

 折しも今日、“木枯らし一号”が吹いたという・・・
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我がよき友

2017年10月28日 | 随想
 大好きな歌の一つに、今年3月に亡くなった「かまやつひろし」が歌った“我が良き友よ”という名歌がある。
何処からかこの歌が流れてくると、用向きも忘れて聞きほれてしまうほどである。

 〽 アー夢よ よき友よ 時の流れをうらむじゃないぞ 男らしいはやさしいことだと言ってくれ 〽  とか

 〽 アー夢よ よき友よ 便りしたため探してみたけど 暑中見舞いが帰ってきたのは秋だった 〽  

なんて歌詞を聞かされたら、もう駄目だ。
 何故かシュン太郎になってしまい、涙が溢れそうになる。

 友とは、それほどまでに良いものである。だが、その良き友も、歳とともに音信不通の人が増えていくという寂しい
現実がある。

 ところが最近、その“良き友”から嬉しい便りがあった。 
古くから山歩きを共にしてきた山仲間から、食事会へのお誘いを頂いたのである。
 集まるメンバーは、お互いに山で苦楽を共にした我が良き友ばかり。
その食事会に、否やのあろう筈がない。一も二もなく、出席の返事をしたところであるが、ほんとうに嬉しかった。

 しかも「これから毎年4月4日と11月11日の2回やりましょう」とは、粋な計らい!
これからの“老い先”にも、明るい希望を持たせてくれた。

 アー、やっぱり「持つべきものは友」である。 
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忖度行政、ここに極まれり!!

2017年10月26日 | 随想
 今朝の朝刊を見て、驚いた。
一面のトップに「値引き最大6億円過大」との大見出しが躍り、その脇には「森友への国有地売却」
あるいは「検査院 ごみ撤去費試算」とあったからである。

 安倍首相の奥さんが名誉園長を勤めていた森友学園に、豊中市の国有地を“ごみの撤去費用”して
約8億円値引きして売却した問題で、会計検査院が試算したところごみ撤去費は約2億円~4億円が
妥当と試算しているとの報道である。

 そりゃ、そうだろう。何も分からない部外者が想像しても、ごみの撤去に8億円もかかる筈がないと
思うじゃないか。

 これはやっぱり、財務省やその出先機関が学園の名誉園長たる首相夫人の気持ちを忖度し、この様な
ことを仕出かしたと言われても仕様があるまい。

 このような忖度行政の場合、なかなか刑事罰を課すのは難しいようであるが、少なくとも担当局長が
「知らぬ存ぜぬ」で済ましてよい筈がない。

 ことは、国民有ともいうべき国有財産の処分である。

 安倍首相は、自分の奥さんが国民から疑いの目で見られていることを自覚し、総理権限を最大限発揮
して疑惑の払しょくに努めて然るべきではあるまいか。

 衆院選に勝ったからといって、森友・加計学園問題まで国民が「もう良いよ、分かったよ」と信任した
わけではない。と、いうことを肝に銘ずべきであろう。

 そして、ここで評価すべきは会計検査院。
元は税金である国費の適正使用のお目付け役ともいうべきお役所であるが、それこそ「忖度」検査に陥る
ことなく頑張ってくれていることに敬意を表したい。
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夢舞台・・・、戦い済んで日が暮れて

2017年10月23日 | 随想
 迷優の自己都合による自作自演の大舞台に、アブク人気に思い上がった?大根役者が殴り込みをかけた。
そんな面白そうな芝居に期待をしたが、終わってみればやはり大根。期待も何も、みな吹っ飛んだ。
 
 ところがこの役者、遠い外国の地で「ガラスの天井は破ったが、鉄の天井を破れなかった」と世迷い事を
言ったとか。お国では、責任論が噴出しているというに・・・

 さて、時を同じくして襲来した台風である。全国各地に大きな被害をもたらしたようであるが、我が陋屋は
今回どうやら無事だった。
 だが台風被害者の事を思うと、気分はブルー。お気の毒で、一日も早い復興をお祈りしたい。

 とは言え、ここで落ち込んでいてもどうにもならぬ。
自分を励まし、先日の古いアルバム数冊を片づけることにした。
 すると、アルバム群の中から数枚の写真が足下にヒラヒラと抜け落ちた。
 
 以下の写真であるが、昭和37年2月当時の徳島駅や新町川河口周辺を撮ったものである。
写り込んだ点景人物が邪魔ではあるが、当時の雰囲気は伝わってくる。

 我ながら、よくも長生きしたものである。

















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勝負ありで、興味半減

2017年10月22日 | 随想
 相撲なら最後の最後まで「残った、残った!」の楽しみがあるが、今回の衆院選には逆転の“うっちゃり”は
望めそうもない。

 その上に、この雨である。おそらく、投票率も最低だろう。
むかし、ある大物政治家が「有権者は寝ていてくれた方がいい」と言ったとか、言わなかったとか。
 なんでも、投票率が低いと支持基盤の固い自民党が有利になるのだそうである。

 そういえば反安倍自民の受け皿として期待された小池都知事は、今日の投開票を放り出して? 既にパリに出かけた
とのこと。
 それって、開票前から白旗を挙げたってこと?

 とうやら我が国には、政権交代可能な健全野党を育てるという国民意識がないようである。
ということは、これからの4年間も安倍一強のなすがまま! を甘受せざるを得ないということになる。

 今晩の選挙特番を見る楽しみさえ、奪われてしまった??
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雨の日は昔の写真を取り出して

2017年10月19日 | 随想
 今日も、また雨。
今も雨蛙がクワックワッと、我が世の春? を謳歌している。

 だが人間様の方は散々で、ご近所さんも「洗濯物が乾かないし、困ります」と、この長雨を嘆いていた。
気象情報では、台風までが北上中とのご託宣。
 先日の雨漏り被害を思い出し、台風と聞いただけでも気分が滅入る。

 さりとて、お天気だけはどうにもならぬ。
今日もまた、「肘掛椅子の高齢者」を決め込むほかに術がなかろう。 

 というわけで今回取り出して来たのが、棚の奥に仕舞い込んでいた古いアルバム。
滅多に見ることはない代物であるが、見始めたら次から次へと目が移って時間が経つのも忘れてしまった。

 そんなアルバムの中から約50年前の山の写真が現れたのであるが、一緒に登った仲間たちの(当然の事では
あるが)若々しさに見惚れてしまった。
 
 いやー、お互い本当に若かったのだ!! いやー、本当に懐かしい!!
やっぱり写真というものは、撮るべき時に撮っておくものである。

 そんな写真が、次の一枚。・・・この時代、まだカラーフィルムが無かった?ようで白黒というのも懐かしい!

昭和39年春 高越山 


 さらに、こんな写真もありました。

昭和39年夏 剣山 ①

 
昭和39年夏 剣山 ②



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永六輔 & 淡谷のり子 & 高橋竹山

2017年10月17日 | 随想
 この長雨は、一体どうしたことか。
秋の雨は体を冷やすし、気分が沈みがちになる。
 こんなとき高齢者は、どのように過ごせば良いのだろうか?

 なんて思っていたら、ふと深田久弥(登山家)がその著書の中で語っていた言葉を思い出した。
彼が、我が国に初めて紹介した「アームチェア・マウンテニア」(安楽椅子の登山家)の話である。
 かつて山を愛し山に登ってきた登山家が、年齢とともに山を離れ、安楽椅子に座って静かに山を想う
姿を表現した言葉だそうである。

 これなら、我々凡人にも真似が出来る。
幸いにも、古ぼけたひじ掛け椅子なら我が家にもある。 
 あれを持ち出し、ひとつ“ひじ掛け椅子の高齢者”とでも洒落込むか。積読(つんどく)状態で、
放置されたままの本も数えきれない程にある。

 ということで探し出してきたのが、あの「黒い花びら」や「上を向いて歩こう」の作詞で超有名な
永六輔の本。
 「上を向いて歩こう 年をとると面白い」という本であるが、これが本当に面白く、音楽の歴史から
淡谷のり子や高橋竹山などとの出会いや別れが鮮やかに描かれている。

 高橋竹山は津軽三味線を世界に知らしめた功労者であるが、病気で目が見えなくなり「門付け」から
スタートした三味線奏者として有名で、私もその演奏を徳島でお聴きしたことがある。
 
 その高橋竹山について、永六輔は次のように記している。
「竹山さんは空き缶を持っていて、その空き缶を門口に置き、そこで三味線を弾くと、チャリンと
お金を入れてくれる家がある。目が見えませんからチャリンと音が入るとそれを懐に収めて、また
隣の家に行く。・・・(中略)吹雪のときでも、風の吹いているときでも、雨が降っているときでも、
とにかく頂けなければ食べられないという状況で、がんばって弾いた。」
 
 「竹山さんが津軽方面をグルグル回って歩いているときの話です。青森に一軒の呉服屋さんがあって、
竹山さんはそこには必ず寄ったそうです。なぜ寄るかというと、その門口に座って弾くと、いつもほか
よりもご祝儀が多い。 ・・・(中略)“チャリン”じゃなくて“ジャラジャラジャラ”とお金が入るんだ
ということを竹山さんはおっしゃっていました。その“ジャラジャラジャラ”と入れる呉服屋の娘が、
のちの淡谷のり子さんです」
 
 淡谷のり子も、竹山にお金を渡していたことを覚えていたそうである。だがその呉服店も後に倒産し、
今度は淡谷のり子の大変な苦労が始まった。
 東京の音楽学校に通うため、裸になって絵描きのモデルもしたそうである。

 永六輔は、こう語っている。
「実に豊満なヌードなんですが、本人はちっともそれを嫌がらないし、恥ずかしがらない。“あれは
あのときの私の誇りだから”と言って、その裸の絵を観に一緒に連れていってもらったことがあります」

 やがてお二人ともそれぞれの道で成功をおさめ、晩年には青森県津軽を代表する“じょっぱり”として、
“じょっぱりコンサート”を一緒に続けられたそうである。

 “じょっぱり”とは頑固者といった意味だそうであるが、壮絶なお二人の人生にはただただ驚嘆する
ばかりである。
 
 今は亡きお二人の、いや お三人のご冥福を心からお祈り申し上げたい。

 
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首が回るようになった!

2017年10月15日 | 随想
 これは、借金の話ではない。
結構お悩みの方も多い? 現実の首の痛みの話である。

 実は頑固な首の痛みの持ち主で、数年前から首がクルリと回せなくなっていたのである。
しかも、数か月前からは首から肩にかけて痺れが走り、不快極まりない状態に陥っていた。

 近所の整形外科を受診したところ、「中程度の頚椎症ですね。薬の服用とリハビリを並行する
必要があります」とのこと。さっそく、リハビリを開始した。

 ところが“リハビリ”といっても、腕を回したり伸ばしたりするのと電子医療器具?でチクチク
両肩の部位を刺激をする程度。
 これで治るのかな?と思っていたところ、本屋さんで「首の激痛しびれがピタリと・・・・・」
なる本を発見した。

 パラパラめくってみると、自分の症状にピッタリの対処法も書いてある。
しかも書いているのは、◯◯クリニック院長◯◯先生であるらしい。
 その先生は知る由もないが、まあ一種の体操のようなもの。ラジオ体操よりも、簡単そうだ。

 ということで、さっそく次の五種目の運動に取り組むことにした。
  ○ 腕引っ張り
  ○ 腕の上伸ばし
  ○ 腕の後ろ伸ばし
  ○ 肩の前後回し
  ○ 肩落とし
 これをそれぞれ10秒間づつ、朝昼晩の3回行うのである。

 最初は半信半疑だったがおよそ二か月が経ち、数日前に体の変化に気が付いた。
なんと、首が回るようになっていたのである。これには、本当にビックリ仰天。
 
 肩の痺れはまだ残っているが、いずれ消えることを願ってこの運動を続けようと思う。

 
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大山鳴動して鼠一匹 で終わるの?

2017年10月12日 | 随想
 今朝の新聞一面の記事には、ビックリした。
共同通信社による衆院選の調査結果が載っていたのであるが、そこには「自民優勢」という大見出しが踊っていた。
 記事の詳細は読んでいないが、どうやら小池の神通力にも限界があったということか。

 民進党離党者を彼女の好みで?選別するという、いわゆる排除の論理。
これが有権者に背を向けられたというのであるが、あの世間を沸かせた“小池劇場”は一体どこへ消え去ったのか。
 「政界一寸先は闇」と名言を吐いた政治家がいたが、今回の小池劇場もその好個の例ということで終わるのか。

 それにしても、政策面はどうなのか!
国民は、本当に現行憲法の改正を望んでいるのか? 
国家財政の再建よりも、今現在の高等教育無償化の方が優先度は高いのか?
消費税を上げてでも国家財政を再建すると言っていた約束は、一体どうなったのか?

 首相夫妻の“お友達優先政治”の見本と言われた森友問題・加計学園問題は、もう過去の事として不問にするのか?
政治家みんなが権力者の前にひれ伏す、現今の“安倍一強政治”が望ましいことなのか?

 政治家の人気云々の前に、そんな観点を忘れてはならないと思うのであるが、さてどうなることか・・・
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高齢者が遭遇する三大難関(難問?)

2017年10月10日 | 随想
 ある書物によると、今を生きる高齢者には次の三つの難関が待ち受けているとのことである。
  一番目は、病気に罹ること。
  二番目は、お金に困ること。
  三番目は、孤独に陥ること。

 確かに、こう指摘されてみると、どれをとっても他人ごとではない!!
腸閉塞の手術を何回も受けた身として、病気の怖さは痛いほど?知っている。
 また経済観念が乏しくて貯金に励まなかった身として、お金の問題も十分に理解できる。

 だが以上二つの問題は、今の社会システムが機能している限り(少なくとも我々が生きている間は)
医療機関や行政に見捨てられるという恐れはまあないだろう。と、いうことで先ずは大丈夫。と、思う。

 最大の難関は、三番目の「孤独」である。
最近もインターネットに、次のようなニュースが流れていた。
 「ゴミ屋敷」問題が多発している。という報道。

 その家の住人がゴミ処理(ゴミを選別し、ゴミ収集に出す)能力や意欲を失い、ゴミの山と共に暮らし、
果てはそのゴミの中で死亡するという悲惨な事態が増加しているというのである。
 そしてそれが、高齢者の「孤独」問題に起因するというから悲惨である。

 高齢者が孤独に陥ると、究極のところセルフネグレクト(自己放棄)に至る可能性があり、そうなると
誰かの手助けが無い限りそこから脱出できなくなるそうである。

 書物などで「孤独に耐える力を養おう」と教えられても、いや自分には家族もあるし、友人もいる・・・
なんて思っていた。
 が、孤独とは、そんな簡単なものじゃないらしい。

 家族とも、友人とも、誰とも交流が出来なくなった時にどうするか・・・。
どうやら、その時への備え・対応が問われているようである。

 さて、・・・
 
 
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雨のアサガオ

2017年10月07日 | 随想
 朝4時過ぎに目を覚ましたが、トタン葺きの庇に雨音がした。
「今日は雨か・・・」と朝のウォーキングを諦め、再び布団に潜り込んだところ、いつの間にか
ぐっすりと寝込んでしまったようである。

 そして次に目を覚ました時にはもう白々と夜が明け、雨も上がっていた。
急いで起き上り、顔を洗ってウォーキングの準備である。

 念のため裏戸を開けてみると、今まさに雨雲が空へ空へと上がっていく最中だった。
四国山脈と讃岐山脈に挟まれたこの地ではよく見かける光景で、私はこの雲の流れが大好きである。
 こんな雲の流れの後には、大概きれいな青空が広がってくる。
 
 早速ウォーキングに出かけることにし、裏玄関から外に出た。
すると、もう花の時期は終わったと思っていた野生アサガオが、二輪も花を咲かせているではないか。

 いやー、これには驚くやら嬉しいやら!!
大急ぎで撮った写真が、次の一枚。
 夜来の雨滴を含んで風情あり、と思うのであるがどうであろうか。ちょっと、身びいき過ぎ?


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わかっちゃいるけど やめられない Ⅲ

2017年10月06日 | 随想
 「わかっちゃいるけど やめられない」に書かれている話で、もう一つ心に残ったものがある。
植木等がよく、六方拝という言葉を口にした という行(くだり)である。

 六方拝とは、一体どのような話なのか?
書物によると元々はお釈迦さまの教えで、以下のように「東西南北天地の六方に感謝を忘れず生きなさい」
ということのようである。

 東に向かっては、命を与えてくれた両親や先祖に感謝。

 西に向かっては、生活を支えてくれる夫や妻・家族に感謝。

 南に向かっては、これまで教え導いてくれた先生や師匠・先輩に感謝。

 北に向かっては、社会生活における友人や知人・近隣の人々に感謝。

 天に向かっては、太陽や雨・風の恵みなど大自然に感謝。

 地に向かっては、大地や水・木の恵みなど大自然に感謝。

 
 一つ一つの事柄は、それこそ親や先生あるいは先輩たちから教えられた記憶があるが、これらをひっくるめて
「六方拝」という教えになるとは知らなかった(恥ずかしい限りではあるが)。

 これも、台風による雨漏りで濡れた品々の中から「わかっちゃいるけど やめられない」が出て来たからこそ。
 
 ということは、天に向かって感謝しなけりゃならないってこと? こりゃ、参った! 
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さあ、安倍自民か小池希望か!!

2017年10月04日 | 随想
 小池劇場に続く前原ハプニングに沸いた前哨戦、そこへ枝野飛び入りとなった中盤戦。
ようやく、衆院選の構図が固まって来た。

 これまでの自民・民主・共産という常連対決?に退屈していた選挙民にとって、保守野党「希望の党」の出現が
文字通り「希望」となってくれるかどうか。
 縁側政談好き老人の一人としては、まことに興味津々といったところだ。

 はるか昔の平家じゃないが、安倍一強、自民一強なんて言われる栄華がいつまでも続いて良いわけがない。
そろそろ“ごわさんで願いましては”があっても、よろしいのではあるまいか。
 縁側政談の老人の眼にも、安倍一強政治の弊害は目に余っていたところである。

 首相夫人とはいえ、広く国民に奉仕すべき国家公務員を5人(うち常勤2人)も秘書にしていたというから、
それこそ「ビックリ仰天」なんてものじゃなかった。(国民の批判を恐れ、いまは0人と自粛中とのこと)
 
 しかも「文芸春秋」によると、他の大臣夫人までが「私にも首相夫人のように公務員秘書を当てがってくれないか
しら」と旦那の某大臣にねだっていたというから、“自民一強政治の驕りここに極まれり”の状態だったというほか
あるまい。

 何はともあれ自民党に代わり得る保守政党の出現は、国民の選択肢を広げるという意味においても結構なこと。
その健全な発展を、心から期待したいものである。

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