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ラーメンと愛国

2013年03月10日 23時24分18秒 | 雑記帳

神奈川県川崎市新百合ヶ丘大雪軒



本書『ラーメンと愛国』(速水健朗・講談社現代新書・2011年)の内容はその良くできた「まえがき」(pp.3-9)に適切に整理されていると思います。些か長くなりますが、まずその引用。

・・・ラーメンほど激しく変化する食べものも珍しい。ナルトやほうれん草が海苔と煮玉子になったという具材の変化だけではない。しょうゆやみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。・・・ラーメン屋の内外装も変わった。赤字に白抜きでラーメンと書かれたのれんや赤の雷紋の入った丼は消えた。現在のラーメンのイメージカラーは、赤ではなく黒や紺だろう。・・・店主・店員の格好も変わる。白いコックスーツは皆無。作務衣または、漢字で何やら書かれた紺や黒のTシャツ、頭にはバンダナかタオルを巻いている。

戦後の日本社会を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない。ラーメンの変化は時代の変化に沿ったものである。本書が試みようとしているのは、そんなラーメンの変化を追って見た日本の現代史の記録である。

本書はラーメンについて書いた本であるが、ラーメンの歴史そのものに何か新しい項目を付け加えたりする性格のものではない。ましてや美味しいラーメン屋の情報などについても書いていない。日本の戦後のラーメンの普及、発展、変化を軸とした日本文化論であり、メディア史であり、経済史、社会史である。とはいえ、・・・ラーメンという最も大衆的なところから、日本人について考えてみたいというのが筆者のスタート地点である。

筆者のラーメンへの興味、それは端的に言えば、以下の二つに集約される。一つはグローバリゼーション、二つ目はナショナリズムである。・・・

日本人は古来、外から伝えられた技術を自分たちの創意工夫によってローカライズ、つまり日本人に適したものに作り替えることを得意としてきた。かっての稲作技術、火縄銃、近代化以降は、自動車や半導体、文化産業ではアニメやゲーム・・・なんかもそうだ。これらはすべてグローバリゼーションのローカライズの事例である。こうしたケースの中に、ラーメンも加えることができるのである。

もう一つの興味は、ナショナリズムである。かっては中国【支那】文化の装いを持っていた(雷紋や赤いのれんに代表される)ラーメン屋の意匠が、すっかり和風に変わった。さらには、作務衣風の衣装をまとった店員や手書きの人生訓が壁に掛けられているようなラーメン屋が主流になった。・・・

「人生は自己表現、ラーメンは生きる力の源」
「俺たちは今、まさに旅の途中だ。
一杯一杯のラーメンを元気に真心こめてお客さまにお届けしよう!」

これらは。どちらも別々の超有名ラーメン屋に、実際に掲げられている標語である。・・・とにかく、ある時期からラーメン屋というものが、自らを語り始めるようになり、ラーメンは「ラーメン道」になったのだ。


(まえがきの引用終了)


羊頭狗肉。いいえ、本書はこの「まえがき」に整理された筆者の興味が誠実に考察されており、断じて「羊頭狗肉」のものではありません。また、筆者は、戦後のこの社会が<ラーメン>に結節せしめた、グローバリゼーションのローカライゼーションという契機、および、「ナショナリズム」もしくは「愛国」という契機を、豊富な取材を糧に事実をして浮かび上がらせており、本書は「竜頭蛇尾」のものでもない。まして、朝日新聞の社説の如き「我田引水」や「牽強付会」または「針小棒大」のものでは全くない。繰り返しますが、本書は実に「誠実」に取材され考えられた一書であることは間違いない。と、そう私は考えます。『ラーメンと愛国』は良書である、と。

而して、(もちろん、どんな書物でもそれを読む目的は読者により多様でしょうから、本書の評価は、各自がご判断されればよいことではある。けれども、)「ナショナリズムとは何か」ということに幾ばくかの興味と関心を懐いていた私は、本書を読んで小さいけれど不満を覚えました。その感をクッキリ覚えています。「ナショナリズムとは何か」あるいは「グローバリゼーションの昂進著しい時代のナショナリズムとは何か」という問いに対する<ラーメン>を切り口にした、かつ、戦後の日本の社会にその考察の射程を絞り込んだ上でのなんらかの解答、少なくともなにがしかの回答が得られるのではないかという期待が肩透かしを喰らった、と。

本書の最終章にして全体の三分の一のボリュームを占める「第5章-ラーメンとナショナリズム」(pp.183-262)まで読み進めてきたときのわくわく感とその第5章を読み終えたときのフラストレーションは、私にとって小さいけれどかなりクッキリとした落差だった。おいおい、「ナショナリズム」と「グローバリゼーションのローカライゼーション」の違いさえ明確に提示されてないじゃないか、「ラーメン道」が「ナショナリズム」ってなんで言えるのか説明してないよね、ならば、これ「ほとんど詐欺」じゃん、と。これが偽らざる本書の読了直後の感想。

・カップヌードルとナショナリズム?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4a0a077d3af3aa7a82ad56f7b121fc88

では、その「まえがき」での要を得て簡潔な本書の「興味定義:獲得目標設定」は「羊頭狗肉」や「竜頭蛇尾」だったのか。蓋し、おそらくそうではないのだろう。久しぶりに本書を再読してみてそう感じています。何を私は言いたいのか。それは、「ナショナリズム」の意味内容を本書に期待するのならば、確かに、私が覚えた欲求不満は正当な不満であろう。けれど、本書は、社会思想プロパーの著作ではないのだから、「ナショナリズム」「グローバリゼーションのローカライゼーション」あるいは「インターナショナル化でのグローバル化への対抗」(p.220)という諸々の言葉での形容が適切と著者自身が感じた、<ラーメン>を巡る現象を分節して切り貼りすることは、あくまでも、それが比喩の遊びにすぎないとしても、その言語行為は誰からも批判される筋合いはないということ。

そいう社会思想のテクニカルタームを散りばめた比喩遊びの書として見れば、よって、「ナショナリズムとは何か」あるいは「グローバリゼーションの昂進著しい時代のナショナリズムとは何か」ということを読者自らが考える上での、良質の<素材>をきちんと整理して提供しているという意味で(逆に、著者自身の出来合の解答や回答を留保しつつ、事実をして語らしめることに徹した)本書はすぐれものの良書と呼べる。畢竟、本書は、「ナショナリズムとは何か」という問いに対する<ラーメン>を切り口にした、かつ、戦後の日本の社会にその考察の射程を絞り込んだ上での、この問いを読者が自分で考えるための材料も設備もすべて揃えてくれている<厨房>なの、鴨。

例えば、「ラーメン二郎のゲーム的な消費」(p.234ff.)の「ジロリアンと呼ばれる信者たちは、「ラーメン二郎」という一風変わったラーメンチェーンの中に見え隠れする理念の体系のようなものを自分たちで見いだし、その中から勝手にルールをつくり出して、それに則ったゲームを行っている」(p.236)という記述は、期せずして、比喩どころかウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」の実例になっていることなどを見るに、そう私は考えます。而して、以下は、本書を<言語ゲーム>としての戦後日本社会史、就中、バブル崩壊後の日本社会史の議論と位置づける。そういう位置づけから本書を読み解くためのKABUの補助線--余計なお世話--です。





蓋し、最早、フードビジネス関係者以外の向きにもそれは常識でしょうが、実は、「ラーメン」はそれほど難しい食べものではありません。

例えば、スープ。

(ⅰ)拳骨(豚の関節)16キロ・・・大体1個400gなのでおおよそ40個、鴨
(ⅱ)背ロース4キロ
(ⅲ)鳥ガラ3キロ
(ⅳ)紅葉1キロ

を揃え、(ⅰ)を1時間毎に75度の差し湯をしながら12時間ボイルして(ⅱ)を加え、その2時間後に(ⅲ)(ⅳ)を加え、更に2時間ボイルすれば「豚骨スープ」は誰にでも作れます。あのー、内臓・髄液上等の「ど豚骨スープ」でも豚骨スープ自体には「味」はほぼありません。為念。

このプロセスでの問題は、寸胴(直径51センチ容積95リットルくらいかな!)が手配できるか、ガス代が払えるか(笑)。でも、ガス代を込みにしたとして、人件費を除けば、上で160杯分のスープが出来るとして、コストは大体、35円前後。


ダレもKABUの好きな塩ダレで言えば、

①水7リットル
②昆布大2本
③白醤油1リットル
④みりん900グラム
⑤酒70グラム
⑥塩1600グラム
⑦ザラメ500グラム
⑧味の素300グラム・・・人工調味料入れないと不味いよ!
⑨ホタテパウダー30グラム

を揃えれば、これは2時間程度で出来ます。ポイントは、好みにより「鰹節」や「アゴ:トビウオの干物」を絡めるとき、就中、煮詰めると鰹節は苦みが出るから、他の素材を入れる前に最初にさっと入れさっと回収するか、最後に入れてさっさとスープと素材を分離するか、ということだけ鴨。ここまで書いたので、最後まで書くと、ラーメンの汁は、「スープ」と「ダレ」と「油」の三者をお客様に出す直前、麺が茹で上がる間際に混ぜて作ります。三者の容積比は、大体、「6:3:1」かな。

で、「油」とは。これも工夫の余地は幾らでもありますが、いずれにせよ、1杯あたり使う量がそれほど多くないので極論すれば、ごま油に、ニンニク・たまねぎ・しょうが・リンゴ・ミカン・昆布・葱等々を漬して馴染ませておけば問題ない。「材料だけを醤油・みりんで事前に加熱するのはどうか?」と聞かれれば、それも普通でしょうね、と、その程度の良い意味いい加減なものです。

さて、これらのダレと油の1杯あたりのコストは如何。まあ、15円行くかいかないかです。でもって、煮玉子と海苔、そして、本書にはそう強くは書かれていませんでしたが、現在では、煮玉子と海苔の二者と併せてラーメンの具材の三種の神器の一つチャーシュー、これらに定番のネギを加えた具材コストは如何。それ、おそらく1杯当たり15円から20円。よって、スープ、ダレ、油、具材の1杯あたりのコストは70円前後。これには人件費と家賃は含まれてはいませんが、水光熱費はすでに含まれている。そういう所だと思います。

ということで、例えば、脱サラした若夫婦が神奈川県川崎市新百合ヶ丘の駅前に、目論見では、その店の売れ筋が1杯780円の豚骨塩ラーメンを目玉にしたラーメン屋を開店する場合等、<ラーメン>の収益は、(人件費・家賃・広告宣伝費の三大軽費項目はどんな商いでも不可避であり割愛するとして)実は、「麺」のコストと品質にかかっている。そう言っても過言ではないと思います。実際、「麺でけちって虎の子のお客さんを失いたくない」という店側の気持ちを見透かしたように、そこそこの麺は1玉あたり最低50円、普通は60円から80円しますから。

何をだらだら書いているの? 

はい、それは、コスト、あるいは、圧力寸胴を導入した場合のガス代の節約とスープの味の微妙な変化、あるいは、スープを煮込む際の悪臭公害や、もしくは、スープの材料をスープ制作の後、産業廃棄物として適切に処理しない場合のカラス公害等々、これらに起因する近隣との摩擦の処理。こういう、面白くともなんともない実務的の観点をも踏まえた上で、複眼的に<ラーメン>を巡る<言語ゲーム>を遊んでみてはどうだろうというご提案です。

而して、このような陣立てを施した上でなら、「ナショナリズムとは何か」あるいは「グローバリゼーションの昂進著しい時代のナショナリズムとは何か」ということに対する著者の解答や回答は、実は、本書の中に既に提示されているの、鴨。いずれにせよ、読者と著者の双方がともに、その解答や回答を探す旅の途中にあることは間違いないでしょう。と、そう私は考えます。






福岡県大牟田市明治町三丁目の白瀧屋さん
時代遅れが周回遅れで最先端のラーメン屋さんになった街の老舗食道
尚、白瀧屋さんのカレーは絶品だよ! 

カレーライスの誕生★カレーの伝播普及が照射する国民国家・日本の形成

 


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