「 いい卒業式でした。」
3/7卒業式を終え、遺影を返しに弔問に来た3年担任5人の先生を代表し、
学年主任から先ず発せられた一言を、 私達は受け止めかねた。
卒業式・・
この中学の事故により娘を亡くした私達には、娘のいない現実を受け止めねばならない悲しい日であった。
*****
3/8 朝刊 →
花菜そばにいる、がんばれた
ボート事故、卒業の親友
2010年の浜名湖ボート転覆事故で西野花菜さん(当時中1)が死亡した豊橋市立章南中学校で、花菜さんの同級生が7日、卒業式を迎えた。式には花菜さんの遺影が置かれた。「一緒に卒業できてうれしかった。これからも一緒だよ」。親友2人が3年間の思いを語った。
各クラスの担任教諭が卒業生の名簿を読み上げる。
「西野花菜」
3年C組の担任教諭が花菜さんの名前を呼ぶと、3年生全員で「はい」と答えた。
小学4~6年の時に音楽部で花菜さんと一緒だったという女子生徒(15)も大きな声で返事をした。「今日は写真だけど花菜も参加して、みんなで返事ができた。喜んでくれたんじゃないかと思う」
事故の時には花菜さんと同じボートに乗っていた。湖面に投げ出され、転覆したボートに閉じこめられた。救出されたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、今も月2回、心療内科に通う。
「学校に行きたくない時もあったけど、花菜と一緒に卒業したかったので、いつも花菜がそばにいると思ってがんばってきた」
式では、合川嘉信校長が「学校は花菜さんと共に生きていく」とあいさつした。女子生徒は「そう言って下さったのはうれしかったけど、事故当時の校長に言ってほしかった」。
一方、中神紗弥さん(15)はこの日、体育館の別室で母親と一緒に式に臨んだ。事故後、学校に行けなくなり、週2回フリースクールに通っていた。「つらいこともあったけど、ちゃんと卒業して新しい生活を歩んでいきたい」
式後、職員室で合川校長から卒業証書を受け取ったという。
「花菜ちゃん、元気かな。またみんなに会える日を楽しみにしていると思う」
*****
3/7 夕刊 →
卒業 みんなと一緒に
浜名湖転覆事故の西野花菜さん
浜松市の浜名湖で2010年、野外訓練中のボート転覆事故を起こした愛知県豊橋市立章南中学校で7日、卒業式があった。体育館には、事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の席も用意され、遺影が置かれた。
中学校によると、西野さんの名前が呼ばれると、3年生全員が声をそろえて「はい」と返事をした。午後には卒業証書が西野さんの自宅に届けられる。あいさつをした合川嘉信校長は「学校は事故を風化させることなく安全な学校教育を推進していくことを改めてここに誓います」と話したという。式は報道陣には公開されなかった。
西野さんの父、友章さん(53)は「本当なら次の目標に向かって巣立っていく日。でも、学校が花菜を守ってくれなかったから卒業できなかった、という思いがどんどん出てきてつらい」と話した。
「友達と一緒に花菜も卒業させてほしい」と中学校に遺影を提供したという。
*****
卒業式マスコミ非公開で行われたために、3/7午後からは、我が家にマスコミが集中しバタバタだった。
13時 遺影や卒業証書を持って我が家に来る先生達の映像を撮るため、名古屋NHKや中京テレビの報道陣が十数人、うちの玄関前に待機していた。
14時 朝日新聞、15時 中日新聞と取材が続き、リビングで主人の写真撮影。
その間隙をぬって?、タイミング良く、多くの卒業生に弔問に来て頂いた。
微笑ましかったのは、我が家の玄関チャイムをためらってなかなか押せない、同級生男子7人の姿。
卒業式に花菜の代わりに返事してもらえるのは、女子生徒だけかと想像していたので、
同級生全員で返事をしてもらったことを聞き、娘はどんなに嬉しかったことだろう。
3/7卒業式を終え、遺影を返しに弔問に来た3年担任5人の先生を代表し、
学年主任から先ず発せられた一言を、 私達は受け止めかねた。
卒業式・・
この中学の事故により娘を亡くした私達には、娘のいない現実を受け止めねばならない悲しい日であった。
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3/8 朝刊 →
花菜そばにいる、がんばれた
ボート事故、卒業の親友
2010年の浜名湖ボート転覆事故で西野花菜さん(当時中1)が死亡した豊橋市立章南中学校で、花菜さんの同級生が7日、卒業式を迎えた。式には花菜さんの遺影が置かれた。「一緒に卒業できてうれしかった。これからも一緒だよ」。親友2人が3年間の思いを語った。
各クラスの担任教諭が卒業生の名簿を読み上げる。
「西野花菜」
3年C組の担任教諭が花菜さんの名前を呼ぶと、3年生全員で「はい」と答えた。
小学4~6年の時に音楽部で花菜さんと一緒だったという女子生徒(15)も大きな声で返事をした。「今日は写真だけど花菜も参加して、みんなで返事ができた。喜んでくれたんじゃないかと思う」
事故の時には花菜さんと同じボートに乗っていた。湖面に投げ出され、転覆したボートに閉じこめられた。救出されたが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、今も月2回、心療内科に通う。
「学校に行きたくない時もあったけど、花菜と一緒に卒業したかったので、いつも花菜がそばにいると思ってがんばってきた」
式では、合川嘉信校長が「学校は花菜さんと共に生きていく」とあいさつした。女子生徒は「そう言って下さったのはうれしかったけど、事故当時の校長に言ってほしかった」。
一方、中神紗弥さん(15)はこの日、体育館の別室で母親と一緒に式に臨んだ。事故後、学校に行けなくなり、週2回フリースクールに通っていた。「つらいこともあったけど、ちゃんと卒業して新しい生活を歩んでいきたい」
式後、職員室で合川校長から卒業証書を受け取ったという。
「花菜ちゃん、元気かな。またみんなに会える日を楽しみにしていると思う」
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3/7 夕刊 →
卒業 みんなと一緒に
浜名湖転覆事故の西野花菜さん
浜松市の浜名湖で2010年、野外訓練中のボート転覆事故を起こした愛知県豊橋市立章南中学校で7日、卒業式があった。体育館には、事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の席も用意され、遺影が置かれた。
中学校によると、西野さんの名前が呼ばれると、3年生全員が声をそろえて「はい」と返事をした。午後には卒業証書が西野さんの自宅に届けられる。あいさつをした合川嘉信校長は「学校は事故を風化させることなく安全な学校教育を推進していくことを改めてここに誓います」と話したという。式は報道陣には公開されなかった。
西野さんの父、友章さん(53)は「本当なら次の目標に向かって巣立っていく日。でも、学校が花菜を守ってくれなかったから卒業できなかった、という思いがどんどん出てきてつらい」と話した。
「友達と一緒に花菜も卒業させてほしい」と中学校に遺影を提供したという。
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卒業式マスコミ非公開で行われたために、3/7午後からは、我が家にマスコミが集中しバタバタだった。
13時 遺影や卒業証書を持って我が家に来る先生達の映像を撮るため、名古屋NHKや中京テレビの報道陣が十数人、うちの玄関前に待機していた。
14時 朝日新聞、15時 中日新聞と取材が続き、リビングで主人の写真撮影。
その間隙をぬって?、タイミング良く、多くの卒業生に弔問に来て頂いた。
微笑ましかったのは、我が家の玄関チャイムをためらってなかなか押せない、同級生男子7人の姿。
卒業式に花菜の代わりに返事してもらえるのは、女子生徒だけかと想像していたので、
同級生全員で返事をしてもらったことを聞き、娘はどんなに嬉しかったことだろう。