いろいろなメディアと打ち合わせをしていると、たまに違和感を感じる。
雑誌でいえば「とりあえず、書いてください」的なノリで依頼されるケースだ。
彼らはたぶん、主張の中身までは理解出来ていない。
実際、編集者にせよプロデューサーにせよ、自分の意見はまったくなくて、そこそこ知名度
がある人を並べておけばそれでいいんだろう的なスタンスの人は多い。
たとえば以前、“派遣切り”が流行った時に雇用問題のムック本の企画話があったのだが、
執筆者の一覧を見ると、エコノミストや労働経済学者にくわえ、共産党やらなんとかユニオン
みたいなのも混じっている。
全然統一性がないから「ところであなた自身はどう考えているのか?」と聞いてみたら
「全然わかりません」と笑顔で返された時は、さすがにバカバカしいので参加を断った。
「いろんな立場の意見を幅広く取り上げるのが我々の役目だ」と言っていたが、それって
自分たちが不勉強なことの言い訳だろう。
百歩譲ってそういうスタンス自体は認めてもいい。が、今どきそれじゃあ銭は稼げない。
だって、ネットでは無限のコンテンツが無料で選べるわけだから。
出版には流通的な役割と品質保証的な役割がある。上記のような編集スタンスは、後者の
役割を放棄しているわけだ。コンテンツというよりも、場を提供してやるという発想だろう。
ただ、ネットという無限の場が出来てしまった以上、こういう考えは捨てるべきだ。
ラベルの維持をしっかりやっている雑誌はこれからも生き残るだろう。
実際、経済誌のような専門史は21世紀に入ってむしろ部数を伸ばしている。
ただ、月刊誌は今のままだと若干厳しいのではないか。
たとえばこういうのとか、こういうのがバーンと載ってるものに700円とかお金払う人を、
僕はあまり想像できないんですけど。
「若い人が活字離れして、平均読者層は60代になってしまった」などと嘆く編者は少なく
ないが、それ以前に、どう考えても真剣に2,30代に売ろうという覚悟が見えないんですよ。
一つだけ言えることは、電子出版が普及するしないに関わらず、出版は一部を残して淘汰が
進むということだ。
もう右左関係無く一緒に月刊誌作ってはどうか。太平洋戦争特集→皇室論争→格差論争で
毎月ガチンコの論争やったら、老人向け活字プロレスとして10年くらいは飯が食えそうな
気がするが。
雑誌でいえば「とりあえず、書いてください」的なノリで依頼されるケースだ。
彼らはたぶん、主張の中身までは理解出来ていない。
実際、編集者にせよプロデューサーにせよ、自分の意見はまったくなくて、そこそこ知名度
がある人を並べておけばそれでいいんだろう的なスタンスの人は多い。
たとえば以前、“派遣切り”が流行った時に雇用問題のムック本の企画話があったのだが、
執筆者の一覧を見ると、エコノミストや労働経済学者にくわえ、共産党やらなんとかユニオン
みたいなのも混じっている。
全然統一性がないから「ところであなた自身はどう考えているのか?」と聞いてみたら
「全然わかりません」と笑顔で返された時は、さすがにバカバカしいので参加を断った。
「いろんな立場の意見を幅広く取り上げるのが我々の役目だ」と言っていたが、それって
自分たちが不勉強なことの言い訳だろう。
百歩譲ってそういうスタンス自体は認めてもいい。が、今どきそれじゃあ銭は稼げない。
だって、ネットでは無限のコンテンツが無料で選べるわけだから。
出版には流通的な役割と品質保証的な役割がある。上記のような編集スタンスは、後者の
役割を放棄しているわけだ。コンテンツというよりも、場を提供してやるという発想だろう。
ただ、ネットという無限の場が出来てしまった以上、こういう考えは捨てるべきだ。
ラベルの維持をしっかりやっている雑誌はこれからも生き残るだろう。
実際、経済誌のような専門史は21世紀に入ってむしろ部数を伸ばしている。
ただ、月刊誌は今のままだと若干厳しいのではないか。
たとえばこういうのとか、こういうのがバーンと載ってるものに700円とかお金払う人を、
僕はあまり想像できないんですけど。
「若い人が活字離れして、平均読者層は60代になってしまった」などと嘆く編者は少なく
ないが、それ以前に、どう考えても真剣に2,30代に売ろうという覚悟が見えないんですよ。
一つだけ言えることは、電子出版が普及するしないに関わらず、出版は一部を残して淘汰が
進むということだ。
もう右左関係無く一緒に月刊誌作ってはどうか。太平洋戦争特集→皇室論争→格差論争で
毎月ガチンコの論争やったら、老人向け活字プロレスとして10年くらいは飯が食えそうな
気がするが。
先日総合学園ヒューマンアカデミーの大学部の資料にて、
城様が総合学園ヒューマンアカデミーを評価されている文を拝見したのですが、
総合学園ヒューマンアカデミーは教育内容に関して信用に値する学校でしょうか?
進学先の一つとして現在調べているのですが、是非、城様のご意見を伺いたいです。
よろしくお願いします。
論争何とか!とかいっても並べているだけじゃ論争にならない。せめて対談にすべきでしょう。
でも馬鹿が買って税金を納めていると思えばいいんじゃないでしょうか。
最近のネタは小沢叩きでしょうけど、嫌われ者が実権を握ってたときになんで選挙で勝ってたのって話ですし。
流動化に反対したら警察がやってきて即逮捕されるなんて社会は嫌でしょう。(もちろんその逆も)
議論の現場では、企業を優遇し、労働者のポストを流動化させましょうという論があってもいいし、企業そのものに大きな負担を強いて、みんなほどほどに生活できるようにしましょうという論があってもいい。国民1人1人が自分なりの考えをもてることが大事なのです。
自分たちが不勉強なことの言い訳だろう。
その通りだと思います。主催者側が争点を理解していない以上、主張の違いを明示→展開→診断→解決策の検討など誌面で出来ないでしょう。
日本のメディアでは一部経済紙のみコンセンサスが取れているようにも思えます。
聞いたことないなあ。でもいろいろ仕事のお付き合いはあるので、何かニュアンス的なことは言ったことあるかもしれない。でもとりあずその学校は知らない。
50年前からいわれているが、できることではない。
皆が右見て左見て、前見て後ろ見て上見て下見みて、
いろいろ行っているに過ぎない。
今必要なことは自衛隊によるクーデターである。
クーデターがいけないなら、倒民主党幕府でである。
あと4年も時間がない。
ヒューマンアカデミーって言ったら資格取得とかで有名ですが、実は古参の日本語学校って側面もあるんですよ。
外国人生徒の受け入れや、日本語教師の養成講座を大規模にやってます。私も日本語教師の養成講座に参加しましたし。私の周りに教師もヒューマンで勉強した人ばかりです。
今は資格や趣味の講座が前面に押し出されてますが。
僕はもう既存のメディアみたいな人を馬鹿にしたもんにはうんざりなので、自分なりの表現を模索して行こうと思います。でないと生きてくのがイヤになるので。それぐらい今世の中にムカついています。僕は一緒に沈みたくありません。愚痴っぽくてすみません。
みたいなのも混じっている。
「いろんな立場の意見を幅広く取り上げるのが我々の役目だ」と言っていたが、それって
自分たちが不勉強なことの言い訳だろう。
百歩譲ってそういうスタンス自体は認めてもいい。が、今どきそれじゃあ銭は稼げない。
だって、ネットでは無限のコンテンツが無料で選べるわけだから。