Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

ピースボートに乗ってみたくなりました

2010-09-20 11:22:39 | 書評
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿,本田 由紀
光文社

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僕は正直いって社会学系の本というのがあまり好きではなくて、
「そんなこと実社会で働いてれば誰でも知ってるだろう」的なことをぐだぐだ書いている
という印象しかない。
そんなわけで、本書も東大の総合文化研究科博士課程在籍の若手社会学者の本ということで
あんまり期待せずに読みだしたのだが、途中でやめられずに一気に最後まで読んでしまった。

一言でいえば、ピースボート乗船日記である。

ピースボートといえば、辻本センセイ率いる左翼団体というイメージしかなくて、よく
わからないけれども代金払って数カ月して帰ってきたときには筋金入りの活動家にされて
そうな印象しかなかったが、全然そんなことはないらしい。
一応「9条勉強会」みたいな自由参加式のイベントはあるらしいが、熱心に参加する人は
少数で、実態としては若者から定年した団塊世代まで、いろいろな年代、職業の人達の参加
する賑やかなツアーだそうだ。

著者は乗船する若者を、4つに分類してみせるが、九条や世界平和など、政治的な関心を
抱いているのは全体のごく一部だという。
では、大多数の人にとって、ピースボートに参加する目的とは何なのか。
お祭り好きタイプや観光目的など人によって違いはあるものの、そこには大きく共通した意識
が横たわっている。それは“自分探し”だ。
そして著者は、その自分探しが、けして最近の若者だけに限られた風潮
ではなく、若者に普遍的なものであり、たとえば学生運動なども
一種の自分探しだったとする。


「カニ族」(70年頃の貧乏学生旅行者)たちは、北海道で「現代的不幸」に
向き合った後は、ちゃっかり髪を切って企業戦士になっていった。
つまり旅は子供から大人への通過点、通過儀礼としての役割を果たしていた
とも言える。若者たちは旅を終え、色々な夢や希望をあきらめた。
そして、企業社会の一員となるというレールを歩んでいったのである。
しかし、今やそのレール自体がなくなってしまった。


団塊世代ってなんであんなに節操無いのか不思議だったが、学生運動を自分探しと考えると
よくわかる。

さて、問題は現代だ。
卒業旅行やなにやらで旅という儀式はしてみたものの、帰ってきても乗るレールはない。
レールなんてないのだから、旅なんて行くわけないじゃん、でも、これからどうすればいいの?
そんな悩める若者たちにとって、ツアーほど丸投げするわけでもなく、かといって自分の足で
歩きまわる必要もなく、通常の半値以下の格安料金で世界一周引きまわしてくれるピースボート
はとても好都合というわけだ。

そんな四か月にわたる旅も終わりをつげ、彼らはそれぞれの現実に戻っていく。
興味深いのは、ほとんどの人が、海外で得た交流や知見ではなく、船内での人間関係を印象
に残ったとあげている点だろう。結局、彼らが獲得したものは、アフリカでもアメリカでも
なく、濃密で逃げ場のない集団生活から得たものだったというわけだ。
「四ヶ月間横浜沖にでも浮かんでれば良かったのではないか?」と思う人もいるだろうが、
人間関係にせよやりたい仕事にせよ、何かに気づくためには、やはり“旅”というキーワードは
必要だと思う。

実際、そうして得た交流関係は、その後も長く続くという。ルームシェアや共同事業等、
様々な形で共同体を発展させるものもいる。著者は中でも、200人近く参加した一周年記念
パーティに注目する。
200人も集まるということ自体凄いと思うが、かつて九条や世界平和といった政治性を熱く
語っていたグループから、そういった熱がきれいに消え去っていたという事実はとても重要
だろう。

つまり、ピースボートは「社会運動や政治運動への橋渡しをしよう」という創設時の理念と
はまったく逆に、元気はあるが発散方法を知らない若者たちを船腹いっぱい詰め込んで世界中
を連れ回し、その希望や情熱を放棄させる機能を担っているわけだ。
著者はそんなピースボートを「あきらめの船」と呼ぶ。
なるほど。自分探しは多くの人間にとって、何かを諦めるプロセスでもある。


著者はとかく抽象的になりがちな社会学というものを、ルポを絡めて生き生きと描く才能がある。
宮台先生あたりに染まることなく、これは大事に伸ばしていってほしい。


以下、個人的にツボだったポイント。

・「若者の性処理」に異様な関心を見せる上野千鶴子センセイ。

・基本的に草食系で大人しい若者に対し、船のトラブルに切れて団結、抗議運動を展開する
 元祖学生運動世代。

・わざわざ後書きで反論する肉食系の本田由紀さん。


それにしても、本書を読んでわかったことは、ピースボートというのはいっぱしの旅行会社
だということ。これだけ充実したツアーを毎年動かしているわけだから、そりゃ辻本さんの
実務能力がそこらの民主党議員なんかより高いはずである。
社民党という変な厄を落として、より現実的な目線からご活躍いただきたい。

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19 コメント

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Unknown (社会学徒)
2010-09-20 12:50:47
同じく社会学系の大学院生です。

この本は社会学の知見をほとんど応用しておらず、社会学のディシプリンに何か位置付けられるものではありません。あくまで個人的な観察眼で書いた一般書でありますね。だからこの本を社会学が云々というのは少し心外で、城さんはあくまでわかりやすさ、に魅力を感じたということです。もちろんピースボードなるものの雰囲気を掴むのにはいい本で、僕もこの船乗ったら大体起こりそうなことが予想できたので、もう乗ることはないだろなー、とこれで満足という感じですね。

ベンチャー企業等経営に関わりながら片手間に学問をやってるみたいで、社会学の体系を深く押さえた上で考察するわけではない、個人的にはどうしても浅さ、というのを研究者として見た場合感じてしまいますが。一般人にはわかりやすいので受ける、という感じなのでしょう。
城さん、学問って経済学もそうだけどある程度集中して修めないと面白さというのは掴めませんよ。ぜひこの機会にウェーバー、デュルケーム、ウィトゲンシュタイン辺りを勉強していただきたい。
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意外ですね (台湾的日本人)
2010-09-20 14:42:20
ピースボードって言ったら、かつては旅行を口実に左翼の人達が危ないものを密輸してるとか、船内でご禁制のものを摂取するなど怪しい噂は絶えなかったんですけど、そんなに違うもんですか。意外です。

私は台湾で日本語教師やってますが、みんな色々な過去を背負って来てます。ある意味自分探しをしている人ばかりですね。まあ、日本に戻っても敗者復活の機会なんてないと思いますが。

ちょっと城さんにお聞きしたいんですが、やはり人事担当者の人達ってワーホリとかで語学留学していた人間は「日本社会から逃げた、中途半端で度胸無しの使えない人間」にしか見ないものなんでしょうか?

周りの人達に聞くと、総じてこんな誤解を受けるんですよ。当然私もそう見られているようです。
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辻本→辻元 (T.Kouya)
2010-09-20 17:04:17
よく間違えるんですけどね,私も。
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乗ってみたいですね (スターチスの花言葉)
2010-09-20 20:19:53
何か医療関係の資格とかないと乗せてくれないのでしょうか。
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Unknown (スターチスの花言葉)
2010-09-20 21:37:06
ピースボートはカジノのある国にも寄港するのでしょうか。 日本でもカジノを作ろうという動きがありますが結局胴元の国が儲かるだけのような気がします。
城先生皆さんはどう思いますか?
二回も投稿してごめんなさい。
返信する
自分探しと社会学と (7b)
2010-09-21 03:12:45
「自分探し」という言葉は、20代前半と50代後半に対してよく使われますよね。キャリアの入口と出口で使われるのがおもしろいなって思ってました。

  #Unknown (社会学徒)
>ぜひこの機会にウェーバー、デュルケーム、ウィトゲンシュタイン辺りを勉強していただきたい。

便乗して、
人事を語るのであれば、ジンメル、パーソンズ、マートン、ミードあたりはどうでしょう。
あと、社会学本流ではありませんが、アージリス、バンディーラとあたりも。
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ピースボートはかなり楽しかった (ken)
2010-09-21 09:45:26
1985年、初期の頃に船上スタッフとして乗船しました。

訪問先はマニラの近くのスラム、スービック米軍基、一般解放前のベトナムなど、左翼層が好みそうなところでした。

戦場写真家や新聞記者が旅費無料で乗り込み、船上講習会を開いていました。

船内は酒税がかからないので、夜になるとあちこちで宴会が始まります。

別名「ピンクボート」とも呼ばれ、男女とも肉食系が多かったような気がします。

20代前半で乗船しましたが、かなり楽しかったです。
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幾らあがいても (kenji)
2010-09-21 11:19:27
 もともと日本人は成長過程において一人という状態がどのようなものかを知ることは少ない。

 逆に強烈にしっているのはヤクザ的な人ですが、それでも少ないでしょう。
日本語の構造を見ると一人ということは難しいしくみがある。

 暇人の遊びに過ぎない。幾らあがいても。その見本は太宰治だが、つまるところそれに過ぎない。
 太宰治が井伏鱒二に当てた手紙を読むとその間の事情がよくわかる。

 とにかくわが国には暇人の遊びをさも重要なように、マスコミ、教育界が持ち上げていることが多い。

 エコとか原爆反対とか禁煙運動とか、幾らでもある。
 それらを見るとどうにも背後に赤い舌をペロンと出している人々の姿がちらちらするのを見る。
 別に彼等は特別な人ではなく、何者かがもぐりこんで何かをしているわけでもないだろう。

 大多数の健全な(?)日本人は身近のことにしか関心を持っていない。それが現実だが、その人々は選挙において、きわめて重要な行動をしているわけだが、その自覚すらない。

 要するに夏祭りの富くじを引くように、多少はマスコミの影響を受けて、投票しているに過ぎない。 

 テレビや雑誌にて紹介されるようなものは暇人の道楽に過ぎないと私はおもっている。

 地道な活動はわが国では別の形である。

聞けば辻元女史は在日朝鮮人の帰化人でしかも頭がいいから、、虚構に酔う性質が彼等にはあるから、それに過ぎないだろう、ピースボートは。

 形を変えた宗教の勧誘とわが国の新興宗教が高利貸しによる利殖という側面を持っていたから、それを事業としてしているのではないかと思う。

 良く知らないが野次馬としてみれば上記のようなことだろう。
 一面日本と日本人をなめすぎである。

我国社会はなんらそれらを問題にしているわけではない。それがあることすら、認めていないというか、なんと言うか、すてているというか。

 多くの日本人はそれを聞くと面白い表情をしてそれでおしまいである。ありゃ軽蔑の表情かなあ。わからないが、彼等はその表情を知って、それから、ピースボートに乗ることである。

 NHKの子供ニュウスを見たが、船の中ではあれと同じことをしているだろう。
 まともな家庭はNHKの子供ニュウスは見るなといって、育てるはずである。これが我国社会に実質にある行動基準による行動である。

 今までは、黙って棄てていたために、調子にのって、いろいろしてきた輩がいたが、これから、わが国のいろいろな領域から、<いい加減にセよ>と頭をたたいて、止めさせるか聞かない奴は追い出す時代が来た私は思っている。
 少しやると非常に怒ることは確かであるが、それはなにやら化けの皮がはがされることに怒るようで、事態そのものには怒らないようである。
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旅行好きと体育会 (モンテ・マヌエルⅢ)
2010-09-21 12:07:44
学生時代に旅行に夢中になっていた人と体育会系で活動していた人を比較した場合、人事はやはり後者を評価するらしい。とくにラグビー、サッカー、ボートなど集団スポーツを経験した学生ほど評価が高いようだ。企業組織の集団主義にうまくなじむと考えているらしい。

それに対して旅行というのは、基本的に個人の「趣味」「遊び」である。企業にとってプラスになる面はとくにない。海外旅行して視野が広がるかもしれないが、企業が必要としているのはあくまで組織に適応できる人間である。旅行は「時間」を食うぜいたくな遊びである。人事は「旅行好きは自分の趣味のために有給休暇を職場の都合も考えずに要求する」などと考え、マイナス評価するらしい。

もっとも、体育会系でも歓迎されないケースがあるという。以前ネパールで知り合った団塊世代のバックパッカーから聞いた話だが、体育会のなかでも「山岳部」は集団スポーツとくらべて評価が低かったそうである。この人が学生だった昭和40年代は山がブームで(新田次郎や森村誠一の山岳小説が流行った頃)、学生山岳部出身者は山に登りたくなると仕事を放り出して山に行ってしまう人が少なからずいたからだという。また、人事のなかには登山を「スポーツ」と考えず、「旅行」の範疇で捉えている人もいたそうだ。

私の趣味は旅行と登山だ。企業組織には馴染まない人間らしい。

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人事もいろいろ (7b)
2010-09-22 00:42:01
  #旅行好きと体育会 (モンテ・マヌエル�)
>学生時代に旅行に夢中になっていた人と体育会系で活動していた人を比較した場合、人事はやはり後者を評価するらしい。

かなり古い固定観念だと思います。
人事は、業もっと個人を見ているし、1年に数十名採用するとしたらバランスも考えていると思いますよ。種や会社の思想や人事担当者の価値観にもよりますが……。

結果的に体躯会系を数名採用していたとしても、一方で集団行動が苦手そうなオタッキーなタイプを採用していたりします。

大学までずっとスポーツをやってきた人は、目標意識を持って自分を律することができる面はありますが、スポーツさえやっていればあとは全部周囲が面倒をみてくれるといった甘えた面を持っていたりもします。
これは、他の分野の人で、いろんな側面をもっているのと同じです。

もちろん、人事にいろんな価値基準をもった人がいます。
しかし、「人事はこうだ」と決めつけるのは、その批判している人事の人と同じことをしていることになります。
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