Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

『七人の侍』と現代

2011-01-31 18:20:37 | 書評
『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書)
四方田 犬彦
岩波書店



著者自身が世界各地で体験したクロサワ神話について考察する。

代表作である「七人の侍」をはじめとする黒澤映画は、本人の意図を超え、世界各地で
様々な解釈をされている。たとえば、キューバでは孤立した状況における独立の象徴
として、イスラエルでは古典の巨匠扱いだが、パレスチナでは現在進行形のテーマに
取り組む現代監督として、各地でそれぞれの神話を形作ってきたわけだ。

中でも興味深いのは、紛争により、地域全体が巨大な「野武士に破壊された村落」状態
になってしまった旧ユーゴスラヴィアだろう。
「戦犯たちは、村を守ろうとした侍と同じじゃないか」というセルビア人の声に、
そう言う見方もあったのかと驚かされる。
彼らにとっては、ラストの悼みのシーンは重要な意味を持つのだろう。

ユーゴスラヴィアの悲惨な戦争の中にあって、黒澤明はけっして日本やアメリカの
映画研究者がアームチェアで分析を試みるような古典なのではないのだ。
それは現実の惨事を認識し、苦痛に対し心理的な浄化を準備する現役のフィルムなのだ。


ちなみに日本では、階級色の強さに左派からはあまり評判がよろしくなく、逆に再軍備
を勝手に連想した自民党議員には評判だったそうだ。
もちろん、監督本人はどちらもあずかり知らぬ話だろう。

ところで、僕自身、本書を読んだ後で久し振りに「七人の侍」を見直してみて、いくつか
気付いたことがある。
要するに、農村という文字通りのムラ社会が外部専門職を有期雇用契約してムラ社会を
守るという話なのだが、彼ら農民は、けして自らは変わっていない。
悪く言えば、侍を使い倒しているわけだ。
(侍の側は、村を守るという選択をした時点で、農民側に大きく歩み寄っている)

現在、日本企業というムラ社会は、グローバル化に対応した人材の採用に血道をあげている。
ターゲットとなるのは、自立型人材とか即戦力とか留学生とか色々と言ってはいるが、
要するにムラ社会からすれば“侍”である。
彼ら日本企業は、今度は侍に歩み寄れるのだろうか。

そう考えると、クロサワが古典になるのは、日本においてもまだまだ先の話だろう。


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15 コメント

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本筋とはズレますが (ns)
2011-01-31 18:35:09
七人の侍をリメイクしたアニメ"SAMURAI7"では、ちょっと見方が変わっているかもしれません。

農民と侍の立ち位置はもっとクロスオーバーして影響しあっているように見えます。
もっとも、マジョリティの動向という面では変革をもたらさないのですが。
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Unknown (城さんのファン)
2011-01-31 20:48:18
当世の侍達が、農民達の陰湿さに辟易してすぐに村を去っていかないか心配ですね。
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Unknown (僭越ながら)
2011-01-31 21:32:19
高度成長期やバブルでの恩恵でやってきた
ぬるま湯企業ではプライドが邪魔して
まず侍は使いこなせない
それどころか
飼い馴らす技術もないのに歩み寄っては
利用され寝首をかかれるのがオチである

太平洋戦争であれだけコテンパンに負けても
変わらない懲りない反省しない日本だから
日本が変わるのは日本人が絶滅する時ぐらいだろう
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Unknown ()
2011-01-31 22:56:25
>日本企業というムラ社会は、グローバル化に対応した人材の採用に血道をあげている。
>ターゲットとなるのは、自立型人材とか即戦力とか留学生とか色々と言ってはいるが、
>要するにムラ社会からすれば“侍”である。

漫画のバガボンドの話ですけど、
村を守った後で暴君と化した不動幽月斎を倒してくれと鐘巻自斎に頼み込んだ村の長老は「相打ちなら最高」と考えてましたね。
鐘巻自斎は幽月斎を倒した後、自らもゆくゆくは暴君とされて倒されることをおそれ、村の厚遇を固辞して廃屋だけ貰い受けて慎ましやかな生活を送る。
いろいろ考えさせられます。
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Unknown (???)
2011-01-31 23:10:37

日本企業が歩み寄った結果がこういう採用だそうです。もっとも「志望動機は不問」とか「組織になじめなくてもいいから、挑戦する若者が欲しい」とかいってもなじめないと村八分で袋叩きにするのが伝統的な日本企業のわけですが。相変わらず制度面は新卒至上主義・年功序列ですし、本質は何も変わってないでしょうね。
だまされた学生が入社後うんざりして3年で離職するだけの話でしょう。
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外人部隊に終わるか? (1970年生まれ)
2011-01-31 23:49:07
アジアの優秀な学生の採用について、いまだに「外人部隊」であり、多く採用すると文化的に混乱を招いて全体として質を担保できないと、ふざけたことを言っている人もいるんですね。

http://www.news-postseven.com/archives/20110107_9671.html
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Unknown (Unknown)
2011-02-01 00:17:30
団塊ジュニア世代は団塊の世代と同じように7人の侍を見るんですね、それ以降の世代はあれをみるとあまりの長さの途中で寝てしまうのが世代間ギャップをあらわしていると感じます…。どういう映画かしらないけどとにかく映画だというなら2時間枠におさめてほしいですね、とそれはともかく。

物語は現代的だと思います。村の願いをおじさんが引き受けて、仲間を採用テストを実施してスカウトし、依頼をこなしてはい終わりと。こんなに現代的なのは、現代の雇用規制が異常に緩和されて社会制度が退化したのか今も昔も人間なんてそんなにかわらないのかよくわかりませんが。

物語の最後に、戦場になり盗賊も侍もたくさん死んだ中、農民だけみんな家に隠れ家財もなにもかも無事で生き残っているさまをみて、生き残った侍が「一番かしこいのは農民だな」と言うのだそうです。今で言えばあちこち動いて物事をややこしくせず、1つのところでしっかり生きろということなのかもしれません。
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ほとんどのところは、できない (k75rider)
2011-02-01 10:02:48
ほとんどのところは、歩み寄れない。というのも、侍の側には、ほかにいくらでも、いいところがあるので、死にかかっている貧乏なムラを助けなければならない、動機がなによりない。あるとすれば、金だけだが、金の支払いがいいわけではない。ムラ社会を維持したまま、侍をテンポラリ雇用しても、ムラ社会は変わらない。
テンポラリ雇用程度で雇える侍の数と質もしれているので、外での競争では、ついてけない。(と、思う)

 そもそも、ムラ社会というのは、日本でもUSでもコチコチのステータス・クオー社会なんだから。

しかし、なかなかナイスな考察ですな。
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Unknown (MadDoc)
2011-02-01 13:51:13
はじめてコメントさせて頂きます。

>彼ら日本企業は、今度は侍に歩み寄れるのだろうか。

難しいんじゃないでしょうか?
映画の最後でも志村喬がこう言っていたはずです。
「勝ったのは我々(侍)ではない。勝ったのは彼ら(農民)だ」って。
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引き篭もるな! (かくせいⅢ)
2011-02-01 18:28:18
≫彼ら農民は、けして自らは変わっていない

ウソでしょう。
あれだけの体験をすれば、全て変わる。農民は、村に残った木村功と津島恵子の家を中心として、恐らく武装をするでしょう。本来の姿のようにね。
(歴史家から酷評されているように、あんな丸腰の村は戦国時代にはない。あれは、秀吉の刀狩り以降の村を戦国時代に移したような、錯誤の時代(状況)設定だ)

だから、現代でも侍と共同作業したムラの人間は、変わるだろう。しかも、課題は、野武士のような一時的な襲来ではなく、市場環境が変わっているのだから、侍は常に必要になるだろう。

今回のアジアカップでも明確なのは、外部で戦うことで個人的な成長を達成した連中が、日本を勝利に導いた。

ムラに留まっていては、殲滅されるだけだよ!
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