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ぶんやさんの記録

親爺のこと(7) 「瀧口入道」中

2008-05-26 11:41:45 | ぶんやんち
瀧口入道と高山樗牛とを結ぶ一つの鍵は23歳という年齢である。樗牛はこの作品を23歳の時に書いている。瀧口は、23歳の時失恋し、出家し、26歳で生涯を閉じている。
親爺は22歳の時キリスト者となり、24歳で満州に渡っている。要するに、この年齢の頃、人生について悩みと大きな決断とをしている。

ダイジェスト版「瀧口入道」(中)  原作:高山樗牛 編:文屋善明
註1:原文では三十三に節分されているが、このダイジェスト版では、十段に改め、読みやすいようにそれぞれに「~~の巻」というタイトルを付けた。
註2:樗牛の名調子と息づかいとに触れていただくために、ところどころ原文のまま引用している。その文章のはじめに「<」、終わりに「>」の印を付けている。ただし、声を出して読めるように、古い書体や送りがなを現代文風に改めている。
註3:原文はインターネット図書館青空文庫による。( http://www.aozora.gr.jp/ )

第五段 悲嘆の巻(第14~第17)
重盛は、熊野参籠以来、体調が優れず、ほとんど寝たきりの状態であった。父親の清盛も心配してときどき見舞いに来るが、そばで世話をするのは息子維盛と維盛の従者二郎重景の二人だけであた。
ある日、突然、時頼の父親斎藤左衛門が来訪し、無沙汰を謝った上、涙を流しながら、息子が「遁世いたしました」と言い、重盛宛の置き手紙を差し出した。重盛はこの手紙を読み終え、
「あぁ、この世を儚んでいるのはわたしだけではなかった。時頼ほどの武士でさえも、もののあわれに立ち向かう剣を持っていなかったのか。左衛門、今さら嘆いてもどうにもならない。わたしは少しも怨みはしない。故事にもあるように、禍福はあざなえる繩の如く、世は塞翁が馬。平家にも多くの武士がいるが、時頼こそが最も幸せ者だ」と言った。
横笛は大奥で時頼の出家の噂を聞き、悩み、時頼と重景からの恋文を取り出し読み直す。そこに老女冷泉がやってきて、重景との結婚を勧める。横笛は「栄華のために身を売る遊女、踊り子と一緒にしてくれるな」と怒鳴り、老女を追い返す。
横笛は、花見の宴の後、大勢の男たちから恋文をもらっていたが、返事のしようがないまま時間が過ぎ、とうとう最後まで残ったのは時頼と重景の二人だけであった。その二人に対しても、どう返事をしていいのかわからないまま、時が過ぎてしまっていたのである。
そうこうしているうちに、時頼が出家したいう噂はたちまちの内に大奥にも伝わり、女官たちの間でも話題になった。その噂に、耳をそばだてて聞いていた横笛は、時頼の出家の原因が失恋であると聞き、思わず「それは本当」と大声を出してしまった。その時、大奥の女官たちは「罪作りの横笛殿、あれほどの勇士を木の端としてしまった」と言って冷やかしたのである。それを聞いて、横笛はその晩寝られずに泣き明かした。
「罪作りの横笛、あれほどの勇士に世を捨てさせた」という言葉は、横笛の心を震えさせた。時頼のことはよく聞いていたし、何通もの恋文も受け取っていた。あの男に「世を捨てさせた」とは。横笛は思えば思うほど、自分を罪作りな女だと思った。そう思えば思うほど、かえってそれ程までに自分を愛してくれた男に対する思いもますます深まるばかりであった。
哀れな横笛、夜も眠れず悩み明かし、朝日の影が窓にまぶしい頃、ふらふらと縁側に出てみると、軒端で歌ふ鳥の声さへ、「そなた、ゆえ、ゆえ」と聞こえる。思わず顏をそむけて、「あゝ」と溜息をつけば、驚いて飛び立つ雀の群れ。行方も知らず飛び去った後には、秋の朝風が寂しそうな音を立てて吹く。殘りの月影が夢のように見える。
第六段 彷徨の巻(第18~第21)
九月の中旬も過ぎた頃、横笛は時頼の面影を追って、洛西、嵯峨野の地を彷徨う。たまたま一人の僧と出会い、「このあたりに、最近都から来た俗名を斎藤時頼という若い男を知りませんか」と尋ねると、「そういう人を聞いたことがあるが、それがあなたが探している本人かどうか確かではない」との答える。「その人は何処にいますか」と尋ねると、「ここからそれほど遠くはない往生院というお寺にいるとのことです」との答え、そこへの道筋を教えてくれた。横笛は藁をも掴む気持ちで、そこを訪ねる。あたりはすでに暗くなっていた。月の光に照らされて、一軒の古ぼけた庵らしい建物がぽつんと立っていた。何と言って門を叩けばいいのか。会って、何を話すのか。横笛は門の前に立ち続けていた。庵の中からは人の気配がする。
横笛は思い切って門を叩いた。中から声がした。「世間から離れたこの庵に、しかも夜分に何のご用でしょうか。おそらくお門違いかと思いますが」。「夜分に驚かせて申し訳ありませんが、ここに斎藤瀧口殿は居られましょうか」。「いかにも、わたしは俗界では斎藤瀧口と称していましたが、そちらはどなたさまでしょうか」。「わたしは横笛という者。どうしようもない世間の義理に隔てられて、大変失礼なことをいたしました。一言、謝りたくてやってきました。どうぞ、この扉を開けてください。瀧口殿」。やっとそれだけ言うと、横笛は門にもたれてかかって泣き出してしまった。しばらく沈黙が続き、時頼は答えた。
「確かに、わたしが俗世にいた頃、御所にそのような人がいたことは聞いてはいたが、その人はわたしのことを知らないはず。だとすれば、今夜わたしを訪れた人がわたしの知っている横笛とは別人でしょう。たとえ、横笛本人だとしても、この世でのわしはもうすでに死んだもの、ここに残っているのは蝉の抜け殻のようなものです。もう何も話すことも聞くこともありません。すぐにお帰りください。横笛殿」。
横笛はそれからも扉を開けてくれと何度も頼んだが、それっきり何の声も聞くことができなかった。庵の奥からは静かな読響の声だけが響いていた。
斎藤瀧口時頼は、法名を瀧口入道と称し、多少は俗世界の名前を残していたが、すっかり僧になりきっていた。嵯峨野の奥での瀧口入道の生活は次のようなものであった。
病気の人がいると聞けば、見舞い、貧しい人には食べ物を施し、心がひずんでいる人には因果應報の道理を諭し、すべて人のため、世のために役立つことなら躊躇せず実行し、すべての人を分け隔てしない。その結果、瀧口の錫杖の行くところどこでも、その人格を慕い、人徳ある人として尊敬されていた。ある時は村の子どもたちを集めて、昔の英雄たちの話しを面白く語り、喜び楽しむ無邪気な子どもたちと大声で笑う。どこで覚えたのか若年二十三歳にも関わらず、子どもたちとは孫と遊ぶ老人のようであった。
その後の横笛はどうなったのか。往生院の門前で一夜を過ごし、夜が明ける頃、御所に帰り、二、三は普通に過ごしていたが、いつの間にか姿を消し、行方がわからなくなった。彼女が使っていた部屋には使い慣れていた古桐の琴が主人を待っていた。
第七の巻 恋塚の段(第22~第23)
ある晴れた秋の日、瀧口入道は鳥羽のあたりを巡錫し、深草のあたりまでやってきた。歩き疲れて、民家の床几に腰掛けて休んでいると、六十歳ぐらいの婦人が家から出て来たので、水を一杯飲まして欲しいと頼むと快くお茶を出してくれた。いろいろ世間話をして、ついでに瀧口は「愚僧は嵯峨野の奥に住んでいますが、このあたりには初めて来たので、何か珍しい話しはありませんか」と尋ねると、「こんな田舎に珍しいことなど何にもありませんよ」と婦人は笑いながら答えた。婦人は一寸首を傾けて、思い出すように「でも、とても悲しい話しならあります」ということで、話し始めた。
この近くに「恋塚」と呼ばれる古びた庵があります。その側に、新しい墓があり、そこに葬られている人が誰なのかよく分からないのですが、何時しか「恋塚、恋塚」と呼ばれるようになりました。それにはとても悲しい謂われがあります。
瀧口は「恋塚」という名前に興味を示し、「よそ事ながらなかなかゆかしい名前だ。わたしも僧になる前には恋塚の主になっていたかも知れない」と言って、大声で笑った。すると、婦人は「笑い事ではありません」と激しく言って、話しを続けた。
今月の初め頃、一人の美しい尼僧がやってきて、あそこに住み始めた。その尼僧は本当に美しく、気品があり、村人たちはさぞ高貴な人だろうと噂をしていた。どういう事情があるのか本当のところはわからないが、おそらく失恋でもしたのではないか、とか、夫からつれなくされたのだろうか、などと想像していた。住み始めて間もなく、尼僧は病気になり村人たちはいろいろと世話をしたが、とうとう亡くなってしまった。村人たちは集まって鄭重に葬りあそこに埋葬したのであった。そのうちに、誰と言うこともなく、あそこを「恋塚」と呼ぶようになった。婦人は話しつつ、その頃のことを思い出し、涙を流した。
瀧口も哀れに思い、「何と気の毒なことか。それでその人は誰なのか、今でもわからないのか」と尋ねると、「人の噂によると、彼女は御所の女官であったとか」。瀧口は、ハッとして、「それで、その名前は」、「確か、何か優しい名前だったが、・・・・そうです。確か横笛とか言っていました。彼女には嵯峨野の奥に恋する人がいるのだとか。そうそう、あなたも嵯峨野の奥に住んでおられるとのこと。もし、心当たりがあるならば、その人に伝えて欲しい。同じ世に住みながら、一人の女性からこれほど愛されていたのに、つれなくした男の罪は大きい。わたしはその男を見たら殺したくなる」。
この話しを聞いてから、瀧口は深くうなだれ、涙を流しはじめた。「愚僧は、これからすぐにそこに行ってお経を読んできます」という言葉を残して立ち去った。
横笛の墓は、小高くもられた土の上に卒塔婆を立てただけの粗末のものであった。村人が供えたのであろう野菊も半分枯れかけていた。あたりには道らしい道もなく、落ち葉が積もっていた。墓の前で、瀧口は、これが横笛の最期の住み家だったのかと思うと、涙が出て、法衣の袖を濡らした。この世にいた頃は、あでやかな花のような乙女も、いったん無情の嵐に誘われて、最期は誰にも知られない古墳の一墓の主。はじめの頃は、哀れに思って花を供えてくれる人もいるだろうが、やがて年月が流れれば、人の心は冷えていき、もはや誰も覚えてくれる人はいない。思い返すと、それがわたしたち人間の運命か。都大路でいかに栄えていようとも、貧しい卑賤の家で、落ち穂を拾うような生活をした人も、暮らすのは同じ五十年の夢の朝夕。

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