ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 06/09 なぞなぞ(1)

2012-06-10 06:34:55 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。「イエスの譬え話」について問題点が多すぎてまとめるのが難しい。6時から野田首相の記者会見。予想通り無内容。記者たちの質問もシナリオ通り。サッカー、日本対ヨルダン戦、6対0で勝つ。スカッとする。10時前に就寝。6時起床。体調快調。チュン、チュン
posted at 06:30:03

#losungenj 06.09(sat) 赦しはあなたのもとにあり人はあなたを畏れ敬うのです。(Ps130:4)
わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。(2Cor6:1)
posted at 06:39:18
#losungenj 私の黙想:
もうこの歳になったのだから正直に言っていいだろう。私は自分を善人・義人だと思たことはないし、それと同じくらい神の前で罪人だとも思わない。だから神による赦しとか贖罪ということが理解できない。ただ、まっとうな人間として生涯を終えたいだけである。
posted at 06:49:46

<FBより>
門叶 国泰 「罪」! 牧師先生方へのお願い:もうそろそろ(150年近く経ったのだから)「罪」に代わる用語(説明なしに使える)を作って頂けませんか。あまり分かりやすい用語を用いると、牧師が失業するかとも。私などは、昔から「つみ・とが」と言い続けられてきました。

文屋 善明 私もそれを考え続けています。私の祖母は厳格な仏教徒でしたが、娘(つまり私の母)の影響でキリスト者になりました。そのときに「悔い改めるべき罪」がない。そのときに思いついたのが「今までアナタのことを存じ上げなくて申し訳ありませんでした」という「罪(?)」を懺悔したとのこと。この話を私は小学生のときに聞き、それ以後今日までズッと考え続けています。これって「罪」ですか。

門叶国泰「愛」とか「罪」とか、キリスト教は「言葉」の説明に大半の時間を費やし、それだけで「説教」が成り立ってきた、などと言うと、牧師先生方から総すかんを食らうでしょうね。ローマのカサナンゼ文庫所蔵の和文「どちリな・きりしたん(1600年長崎刊)」の主の祈りには、「・・・われら人にゆるし申すごとくわれらのとがをゆるしたまえ・・・」とあるそうです(門脇文庫)。「とが」の方がまだ固定観念が薄いでしょうか。ただし、私(とが)には迷惑至極ですが。

澤木 俊和 その昔ミカエル八代斌助師父は信仰とは主イエスを知り生活の基盤を神の側に変える事だと言われました。この言葉は文屋先生のお母様の言葉にも通じるのではないでしょうか。又Aシュヴァイツエルの言葉に主イエスは未知の人として近づいてくる人は彼と共に生活する事でイエスが何者かがわかるとも言っている。日本のキリスト教(特にプロテスタント)は何も関係のないアメリカの清教徒の過去の倫理をキリスト倫理だと思い伝道している。もっと主にある喜び、解放を伝えるなら伝道は爆発的進展すると思う。

三浦 三千春  文屋さんのお母様のような意味で言うところの「罪」は、日本語の辞書の3番目とか4番目に「キリスト教に於いて、宗教上の…」と説明されるものだと思います。キリスト教の理解では多分、それがあるので、犯罪とかいわゆる、世間で「罪」と言われるものも発生することになるんだよ、と言いたいのだと思います。ただ、世間の常識において、3番目の理解はほとんどされていないので、誤解が生じるののではないかと思います。神ということばにしてもそうですが、「150年前にその言葉を当てはめよう。キリスト教が浸透していったら、キリスト教における意味が世間に浸透するだろう」と翻訳者は思ったのかも知れません。あと、100年経ったら、浸透するのかもしれません。しかし、その浸透の努力の中に、文屋さんや門叶さんのおっしゃる「罪」という言葉を使わないで言って欲しい、という努力が必須のように思います。なんか、釈迦に説法のようなことで・・・。自分の理解の整理のために書きました。

三浦 三千春  私の出身教派も、「伝道」といったら、「神・罪・救い」を把握させねばならず、罪の理解については、昔の刑事ドラマよろしく「ほら、正直に吐かんかい!あるやろ!」という具合に迫る場合すらあり得ました。それはやっぱり浅薄だと思います。ですから、罪と言う言葉への違和感は非常に私も感じます。

文屋先生の文のコメント中文屋先生おばあさまをお母と間違え誤記してすみせんでした。

三浦 三千春 あら、そうだ! 澤木さんと右に同じです(^^)

文屋 善明 正しくは、「(私の)お母様」ではなく、私の祖母です。私の母は東京聖書学院(日本ホーネス教団の神学校)の卒業生ですから、非常に保守的な罪理解と救済論を持っていました。

三浦 三千春  門叶さんのご指摘は、「罪というのは、世間で言うところのそれとは違ってなんらたかんたら」というのは労力の無駄だから、もっと手あかのついたいないことば(トガであるとか)を使っては、ということでしょうか。そういう発想なら、よく言われるところの「ギリシャ語のハマルティアの直訳で「的はずれ」ってのはどうでしょうか?長くなれば、いのちを与えた神への無視、とか、・・・。門叶さんってとがさんってお読みするんですね。30秒間考えて分かりました。

三浦三千春さん:言いたかったことは、そういうことではなそうです。もっとも、何が言いたかったかは、自分でも良く分かっていませんが。言葉の解釈ばかりしている「説教」は! と言っても、具体的な特定の教会のことではありません、これも念のため。澤木俊和さんの後半のご意見に同意!ということでしょうか。

今日の名言:RT @kotoba_bot: 「このコンピュータを使えば、仕事の量が今までの半分ですみますよ」。「素晴らしい!二台くれ!」。 <一言>誰の言葉でもいい。馬鹿馬鹿しくて面白い。ただ馬鹿馬鹿しいだけで面白味のない誰かの政治的演説よりはよほど意味がある。
posted at 07:00:00

「昨日のツイート 06/08」をブログにアップしました。 http://t.co/J0WsuEvi
posted at 09:09:33

今日のウオーキングは北九州の戸畑菖蒲まつりに出かけました。市内にある夜宮(よみや)公園ですが、山あり、谷あり、池あり、日本庭園ありとかなり充実した公園でした。広場ではお祭り気分を盛り上げる様々の出店があり、舞台では歌や踊りでとても賑やかでした。かなりハードなウオーキングでした。
posted at 19:46:57

<FBより>
文屋善明
酷い話です。首相が国民を恫喝し、首相が国民を裏切って野党に走るとは。野田という男は一体、どこの国の人ですか。それをいいことに、無価値化した「資産?」を資産として計上するために再稼働する関西電力。
広瀬隆氏は5/20の講演で、政府は企業活動への懸念を云うが、311以降。電力不安のある地域に200万KW超の自家発電設備が出荷されたこと経産省統計でも明らか。原発利益共同体が恐れているのは原発の廃炉化による資産消失であり、その本質はオリンパスの飛ばしと一緒と喝破。

http://www.ustream.tv/recorded/22740959 ←広瀬隆2012.5.20講演

奥野 卓司 この野田方針が結果的には、関西電力もつぶすし、民主党もつぶします。ひいては日本という国をつぶします。電力会社の株主として、自分の利益を守るために強く抗議します。ぼくは宗教者でないので、まずは経営のことを考えます。経営の観点から、原発は廃止し、ソフトエネルギーの開発に向かうことが、長期的に企業の利益につながるし、日本の再生につながります。文化立国に向かうことが、日本政府のやるべきことです。

三宅 善信  原子力行政というのは、資本主義経済における「マネー市場至上主義」と同様、たとえ短期的にはどのような混乱や弊害があろうとも、いずれは「あるべき姿へと『見えざる御手』によって導かれる(収斂される)」と信じられているという点で、神話化されています。そこで、われわれが行うべきことは、「demythologization (脱神話化)」です。その意味で、神学者も役に立つ…。

奥野 卓司 この点では、三宅さんと同意見です。そのうえで「再稼働すべし」という論理もある程度推測はつきますが、また三宅さんとは直接話したいです。ただ、ぼくは、その前に日本の「神話」も含めた歴史観、文化観、自然観と、原発は対立するものだと思います。その意味で、宗教界は何らかの姿勢を野田政権に対して、明確にすべきだと問われているのではありませんか?

三浦 三千春 原発うごかすことで強烈に得する、なおかつ強烈にしつこく、強烈に影響力のある人たちがいるんでしょうね。

奥野 卓司 今では、原発を動かすことで、長期的には!得する人は、日本にはいないと思います。短期的な損得のバランスが「損していない」と見えるようにしておく必要のある方がかなり多いようです。

三宅 善信  たとえ、長期的な得はなくても、短期的な得のある人はたくさん居ると思います。たとえば、70歳の電力会社取締役なら、今、損して十年・二十年先の得になる(生きている。役員のまま居る)ことを考えるより、現在の得(既得権益)に固執してもおかしくないと思います。同じことは、年金問題についても言えます。現在70歳以上の人は、完全に「食い逃げ」ですが、現在、20代の人は完全にババを掴まされています。だから、若者の投票率が少ない。「1票の格差」は、人口密度の問題だけでなく、「世代間の格差」のほうが大きいと思います。これを調整するためには、若者の投票権を2~3倍にするか、高齢者の選挙権を剥奪するかどちらかとうぐらいの、ラディカルな改革を実施しないと、解決できません。

三浦 三千春 お金とか地位において得する人はいらっしゃるんだろうと思います。正に奥野さんのおっしゃるように、「それは本当は得ではない!」とその人たちも分かってくれたらよいのですが・・・。

三浦 三千春 三宅さんのおっしゃる通りと思います

奥野 卓司 電力会社の取締役については、三宅先生のおっしゃる通りです。振り逃げですね。ぼくも、末端の外部評価委員としてはそのほうがわずかながら得でしょう。原発を停止させておくにもお金がかかります。ということは、今、動かしていることに関わっている会社は、動いても、停止しても、その作業で得をするわけです。その先は、止めた場合には、最終的に収束させる方法が現在ではありません。稼働派が、それなら動かしておいた方が得だという理由はここにあるのです。しかし、倫理的な立場、後世への責任を除いても、今後、地震列島の日本で事故が起こる確率と、その場合に電力会社が破たんする確率(すでに保険料は飛躍的に上がっています)を考えると、企業および日本国家として、経済的に得なものは何もありません。また、あらたな多様なエネルギー開発と普及によって、生まれる国際的な需要と、新たな雇用機会の創出は当面の負担をマイナスしても、10年後には十分見返りが予測されます。つまり、現在、原発を稼働さえようとしている野田首相、仙石氏および電力会社の取締役は、日本と自企業に壊滅的な損害をあたえようとしているのです。国民および株主として、彼らが日本国に対して重大な背信行為をしていると考えなければなりません。

文屋 善明 奥野先生のご意見に賛成です。

<補遺> 神の国とかけて何と解く。脱原発と解く。その心は自然のままでいい。人間が不遜にも神が作られた自然を加工して太陽に類似する「永久エネルギー」を確保し、全体に暮らそうと思ったのが間違いの元。脱原発とは神が作られた自然をそのままに神の恵みとして生きる社会を作り出す運動である。(思考継続)


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