ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

カネミ油症問題に関わる紙野柳蔵さんの発言集

2010-07-21 16:13:03 | ときのまにまに
先日、菊池黎明教会の信徒の方からカネミ油症問題における貴重な証言「テントの中から第2集」(紙野柳蔵発言集)という文書をいただいた。B5判で433頁という大きく、重い文書である。それは外見だけではなく内容も「大きく、重い」貴重な資料であった。重すぎて、そう簡単に読み切れるものではない。現段階では、あちらこちら拾い読みをしている段階である。
紙野さんのご家族が「得体の知れぬ奇病」にかかったのは、1963年3月であると言われている。その頃、家族全員(4名)と近所に嫁入り先の長女の家族全員(4名)に発症した。近くの病院という病院で診てもらったが病名が分からぬまま数ヶ月が過ぎた。その年の10月10日の朝日新聞夕刊に「西日本一帯に奇病現れる」という見出しで、油症が報道された(221頁)。
原因となったのはカネミ倉庫株式会社製の食用油であった。勿論、相当長い間会社側はそれを否定し続けてきた。その5年後(1968年)の10月15日、カネミ製油会社の社長は、自社の製品が原因であったこと認め「全財産を投げ出して、患者たちを救済する」と宣言したとのことであるか、その後にこの言葉を完全に反故にしている(48,49頁)。
それ以後、長い長い闘争が続いている。この発言集は、この闘争の先頭に立ち続けている紙野さんの発言をまとめたものである。最初の文書は、1969年2月ごろに出版されたパンフ「私達は何故カネミライスオイルの為に苦しまなければならないか」に掲載された『油症患者は救われるのでしょうか』という短い論文である。そして、最後の文書は1978年1月15日付けの「香月宛の手紙」である。この香月さんが、これらの文書を全て入力し、解説を書いた功労者である。この間になされたいろいろな教会での説教、講演、論文、ビラ、抗議文、公開質問状、手紙類がほとんどすべて収録されている。その頁を開いても、目につくの聖書の言葉であり、人間についての思想であり、各地での公害闘争を通じて生まれた「言葉」である。
因みに任意に頁をめくるとたまたま230頁が開かれた。そこにはこういう言葉がある。
<公害という言葉が人類史上に新たに浮かび出てきたが、聖書には旧約時代から公害があり、ノアの時(創世記6:1-18)も、ロトの時(創世記19:22)も起きている。ノアの時は公害を「洪水」と呼び、ロトの時は「火と硫黄」によって滅びたといわれている。いつの時代も人間は欲望によって自ら地と共に、海と共に、滅びの道を歩いている。(中略)私達の家族もカネミ油症にかかった。しかし、それは旧約時代のノアの時、またはロトの時と全く変わったものではない。
私達は油症にかかって8年、今ではカネミ倉庫株式会社の前に3年6ヶ月座り込んでいる。ここは路上の上に建てられた箱形の小さい小屋、ここからカネミ企業の構造を見た。ここからこの地から日本列島を見た。ここ、この地から世界を見た。ここ、この地から人間を見た。私が母の胎から出て、この路上で生活するまで63年、私は、私の肉に力や思考や意の力では生きられない。(中略)旧約の預言者ハバククは、諸国民が魚のように獣のように、這う虫のように人間が網に捕獲されている(ハバクク1:2-17)のを見ていた。私は聖書を説明しようとしているのではない。しかし選ばれてカネミ油症になって敵であるカネミの前の路上で孤独になって見れば、今まで私を縛っていた絆が分かってきた。>
引用を始めると切りがない。というよりも「切れない」。それほど紙野さんの言葉には力がある。どの頁を開いても、私は引き込まれる。
この発言集の序言を紙野さんとカネミ油症問題を共に戦っている犬養光博牧師が書いている。この序言自体が序言の域を超えて問題提起の論文になっている。発行者は「座り込みを続ける仲間たち」、1993年5月1日発行。


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