ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 3/27

2011-04-05 06:17:04 | ローズンゲン
3月27日(日)
わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。(マラキ3:20)
夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。(ロマ13:12)
私の黙想
「わが名を畏れ敬うあなたたち」とは、神の巨大な力を経験した全人類である。とくに巨大地震と大津波の被害者すべてが含まれている、と信じる。「核」を制御する能力は地震や津波と同様に人間の能力を超えていた。ここに「想定外」がある。神による「義の太陽」を待ち望む。

3月28日(月)
弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。(イザヤ35:3)
なすべきことは神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。(フィリピ3:14)
私の黙想
ここでは祈る姿勢が弱り崩れていることを示す。ここでの祈りとは神の到来を待つ祈り。最近のTLには宗教用語が氾濫している。いよいよ神が登場のする場面か。この機に及んでも未だ原発に依存する人がいる。彼らは原発の「経済性」を主張する。

3月29日(火)
主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。(イザヤ61:1)
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。(ロマ6:4)
私の黙想
「神の霊にとらえられ」て、どうしたのか。その後が重要。「貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」派遣された。私たちも・・・・・・。

3月30日(水)
あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。(イザヤ62:3)
預言者ヨハネの手紙:最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。(ヨハネ黙示録2:8,10)
私の黙想
苦難を経て、苦難の中からもう一度立ち上がった「民」は、神の御手の中で「王冠」となる。凄い約束。日本人は必ずもう一度立ち上がる。今度は「経済大国」としてではなく、世界の平和、希望の冠として。私はそれを信じる。

3月31日(木)
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。(創世記3:6)
パウロの手紙:不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ロマ6:13)
私の黙想
人間って「唆される」存在なのだ。唆される人間もおれば、唆す人間もいる。人間は誰から唆されなくても自分自身の中に唆される要因がある。つまり、騙されやすいし、騙されることを楽しんでいる景色もある。

4月1日(金)
苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出されています。(詩77:3)
まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。(ルカ18:7)
私の黙想
朝、ローズンゲンをアップする予定でしたが、iPodの操作が上手くいかず、アップするのを諦めました。苦難の時、神を求めるのは当然。祈り疲れるほど手を差し伸べて神の助けを求める。朝も、昼も、夜も。神はその祈りに必ず応えてくださる。(ハウステンボスにて)

4月2日(土)
彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。(詩91:14)
盲人は叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。(マルコ10:47,49)
私の黙想
今日の聖句は3月21日と重複している。ローズンゲンにもこんなことがあるのだ。それにしても旧新約聖書を貫く「民族主義」はしつこい。考えてみると旧約聖書には他の諸国の「栄枯盛衰」には全く関心が無いようである。だから自民族の栄枯盛衰が「無常観」に繋がらない。

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