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コレルリの復活に努める毎日

最近、練習時間が以前より限られてきた。リストの超絶、とりあえず全部弾くという目標を達成したら、今は手付かず状態に・・。「狩り」はレッスンを受けて、その後改めた点が定着しないまま、放置状態。
まったくパロパロの浮気ものよねえ、私は。でも誰にも迷惑かけるわけでなし、ホント好きな曲を自分のペースで弾ける幸せをかみしめなければ~~。
今ひいているのは、コレルリ。
これに入り込むと、時間がほんとに足りない、足りない。
でも、今前はできなかったことが、できるようになってきた喜びで、結構、うれしがっていたりする。
難しかった和音、内声だけ弾く練習とかしている。これをすると、
1.耳か鍛えられる。
2.指が安定する。
3.音が覚えられる。
という利点がある。 慣れるまでしんどいけど、慣れたらこの練習にはまってしまう。
和音の分厚い変奏など、ほんと練習のしがいがある。
しばらくはずっとこのままコレルリとともに・・、かなあ~~。
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力みすぎているのに気づかなかった・・

 最近、ピアノを弾いていて思うのは、「なぜ自分はピアノを弾くときこんなに力みすぎていたのか」ということだ。 一番力が入っていたのは人差し指。何も考えずに鍵盤を押す力があまりにも強すぎて、いろんな可能性のあるピアノの音をただただ打ち鳴らしてしまっていたかのような・・・。
しっかりひくこと命みたいなのが自分の中にあって、いろんな音でひいてみたいという欲求より先行していたようだ。
 力を抜こうという試みはやっぱり耳から来るように思う。こんなふうにしたら、もっと違う響きが得られるのではないかとかかんがえながらひいたら、やはり、指先のコントロールはものすごく慎重にしようという気持ちになる。しっかり音をだすというのは初心者の課題であり、多分学習がもっとすすんできたらどんな音にしようということに注意を移行しないといけないのだろう。
思い込みが強い方の私の性格も、なかなか改まらなかった理由の一つかもね。
それとやっぱり、ひとさし指の使い方の難しさを教えてくれた先生の存在も大きいと思う・・。
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やはり教える人の魅力が大事?

最近始めた教える仕事、すっごく緊張するし、勇気も必要で、毎回毎回「清水の舞台からとびおりる」かのようなきもちで臨んでいるけれど、やっぱり教える人の魅力でうまくいくかどうかがきまるような気がする。
英語では”the way of presentation" というのかしらね・・。
見せ方、聞かせ方というか、何も工夫をせずにただただ話をするのではスーッと流れてしまい、
聞き手の右耳から入って、左耳からぬけていくというので終わってしまう。
私もまさしく今そのとおりで、相手と対話しながら話すというのがなかなかむつかしいと感じている。
多分、ピアノの演奏にもあいつうずるよね・・。
「なにくそ、今度こそ頑張るぞ!」という意気込みが今の私の原動力かなあ。
めずらしいもの好き、挑戦好き、というのだけで、自分をひっぱっていってるなああ・・。
ああ、見せ方、聞かせ方も磨きたい・・・
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教える仕事

最近ピアノと英語を教える事を始めた。(別々の場所で)
いざ教えるとなるとまたしても学ぶべきことが山積みだ。
どちらも教える内容を組み立てる事、相手の反応をよく見て臨機応変に対応するのが大事だ。もしちゃんと聞いてもらえないなら、自分の教え方に問題があるのだろう~。内容の吟味、理解を十二分にしたうえで相手に楽しい、もっと聞きたいと思ってもらわないといけない。
やっぱり教える事も技術だと思う。独りよがりではダメだし…。
なんかピアノのレッスンで注意された「聞きやすい弾き方をしてください」というのと合い通ずる所があるような気がする~。(ΘoΘ;)
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