J-SAXER QUARTET blog

サクソフォーン四重奏団「J-SAXER QUARTET」、五重奏団「J-SAXER QUARTET plus ONE」

ウィーン紀行(3)

2006-09-25 21:13:04 | 鬼太郎
写真=チューバックス? サブコントラバスサックス?(コングレス会場付近にて)

7月10日
もう、どれくらい経ったのだろう。機内はまだ薄暗い。窓の隙間からは、わずかではあるが絶えずまぶしい光が差し込む。ヨーロッパからの帰路は常に太陽を追っかけているようなものだ。
しばらくすると、「おはようございます」に続き、「時刻は日本時間六時半です」のアナウンスが入る。あと4時間以上。。、まだまだである。
唐突にワールドカップの結果を知らせるアナウンスがあった。「イタリアが優勝」とのあと、「ジダンが頭突きで退場」とあったが、起き抜け半分聞いた話でもあり、まさかこのことがあんな大騒ぎになるとは想像していなかった。
朝食はパン、ヨーグルト、サラダにフルーツケーキ。エコノミークラスに疲れた体にはちょうどいい量である。いつかはファーストクラスでヨーロッパを豪華に旅してみたいものだ。
食事を済ませ、浅い眠りから覚めると、到着まで1時間足らずとなっていた。機内が少し慌ただしく感じられる。

飛行機は滑るように無事成田空港に到着、入国を済ませると、、、いました!バリトン君!
しかも、他の荷物とは別に運んでくれたみたい。動いているベルトコンベアの脇に置いてある。
さすがは日本!! アドリア航空の人たちも少しは見習って欲しいな(怒)。
我々は荷物のチケットを見せ、出発前に前泊した成田のヒルトンホテルに向かった。

ここには、楽器と並んでもうひとつの「厄介者」とも言える私の車が置いてある。
(これついては、折を見てそのうちブログで触れることにしよう)
2ドアの狭い車内は荷物で一杯、積み終わり一息して携帯電話取り出す。
そういえばウィーンで宮澤嬢から伝言とメールが入っていたことを忘れていた。「第二陣も無事帰国した」電話してみよう。
しかし、本当に蒸し暑い。。
タオルで汗をぬぐって、なんだかとても大切なことを忘れているような気がした。
「あれっ、そういえば、料金?????」
謎に包まれたまま、荷物満載の車は帰路へと高速道をひた走るのでした。

「第三陣」は明日到着予定。今頃二人は空港で最後のUNIONビールでも飲んでいるのかな・・
何か事件が起こっていないか楽しみだ。後で聞いてみよう。(笑)
皆様お出かけの際には、くれぐれも「事件」が起きませぬよう・・・

〔ウィーン紀行・完 / 復活、鬼太郎〕

ウィーン紀行(2)

2006-09-21 21:27:01 | 鬼太郎
写真=「巨大バラライカ楽団」ケルントナー通りにて

7月9日
いよいよ帰国の日となった。
今日の最大のテーマは、言うまでもなく「バリトン君の帰国に向けて、その傾向と対策」である。

昨日と同じCATで空港へと向かった。まず、有料カートを拝借。使用できるコインが何種類もあり、言うなれば「多国籍対応型」。私はポケットにあった2ユーロ硬貨を入れてカートを押しながらウロウロ。しばらくしてチェックインカウンターが見つかった。
いよいよである。行きは5人なので何とかなったものの、帰りは2人、当然のごとく重量オーバーーー。運良くOS航空の日本人係員がいたので聞いてみた。純粋に手荷物で運ぶと、なんと約800ユーロの超過料金!(汗)。だが、エアカーゴを利用すると、時間はかかるが料金は6分の1ほどだという。カーゴの窓口は一旦空港の建物を出て歩いて10分ほど。出発まではまだ2時間以上ある。早めの行動を取っておいて良かった。いざ窓口へGO!
それにしても、異国の地で地図を片手に探しながら10分歩くというのは神経を使うものだ。それに、果たしてうまく送ることができるか。。

少々迷ったが、窓口はすぐに見つかった。看板が下げてあり、どうやら「昼休みで不在」と書いてある。そばにいたフォークリフトの運転手に「荷物を日本まで送りたい」言うと、「このままここで待っていろ」とのこと。
「出発までにはまだ時間がある。待っていれば何とかなるだろう・・」
カバンをあさると、中にスロベニアで買った「オレンジーナ」のペットボトルが。こいつを片手にソファーで待つこと一時間。もう休憩時間はとっくに過ぎている。ところが、誰も来ない。こいつら、一体どこまで食事に行ったんだ?
「まさか、場所を間違えたのか?」と思い、向かいの建物で聞いてみると、やはりここである。
「誰もいない」と言うと、先方も両手をあげて「私もわからない」とジェスチャー。

あとは言葉がわからず、こちらも文字通り「お手上げ」である。う~ん、困った・・・
そうこうしているうちに、なんとなんと、出発30分前!
「もう間に合わないっ!手荷物で預けて帰国便に乗ろう!」
大急ぎで荷物を転がしながら空港に戻ることとする。
両替所でキャッシュカード、それに、日本から持ってきた米ドルを提示、合わせて1000ユーロにしてもらい、先ほどのカウンターに行くと、あの時の日本人係員はもういない。
「どうしよう、あと20分・・」仕方なく現地の係員に、「カーゴの窓口が閉まっていて送れなかった。先に2つ預けたがこれもお願いします。」と言うと、そのまま荷物を預かってくれた。きっと後で請求されるのであろう。きっと。。

大急ぎでセキュリティゲートまでたどり着いたが、その向こうの待合室はなぜか満席。どうやら、まだ搭乗が始まっていないようである。「機材の都合で30分ほど遅れる」との日本語アナウンス。「なぁんだ、急がなくて良かったんだ・・まあ、いいか。」
ここで、「エアカーゴ受付職員失踪事件」でカットされたお土産タイムを取り戻すことにした。我々は一旦ゲートを出てショッピング。「乗り遅れてしまわないだろうか」という心配もありゲート前の店を物色、モーツァルトデザインのお菓子を買い込む。折しも今年は『モーツァルト・イヤー』。店内は私と同じ心配をしたと思われる日本人のおばさま達であふれていた。レジを待っている後ろの人の話題は韓流ドラマ。飛び交う日本語が現実の世界に引き戻す。なんか悲しいなああぁぁぁ・・。
そうこうしているうちに搭乗のアナウンスが再び日本語で流れた。ここはウィーン、しかし、もう気分は日本である・・あぁ・・●●

そんな現実との境界線を惜しみながら座席へ。ほぼ満席の機内は、離陸後間もなくNHKのニュースが放映される。。懐かしい・・
まもなく機内食の提供が始まった。そういえばこのゴタゴタで、「今日は空港のどこかでアインシュペンナーを飲もう」と思っていたことさえ忘れてしまっていた。
メニューはポークソテー、マカロニ、サラダにパン、そしてカッパ巻き。気のせいかカッパ巻きが遠慮がちに見える。
ワインもいただくとしよう。がんばった自分に乾杯だ!
飛行機はもう国境を越えてチェコ上空辺りか。。もう、事件は起こるまい。きっと。。

つづく

〔復活、鬼太郎〕

ウィーン紀行(1)

2006-09-21 00:30:55 | 鬼太郎

7月8日
無事ウィーン、シュベヒャート空港に着いた我々は、更に二班に分かれる。
入国は左、乗り換えは右。成田直行の宮澤嬢は、コネクションゲート前の案内板を不安そうに見ている。彼女がOS(オーストリア航空)51便の表示を確認したのち、ここでまさに「右と左の泣き別れ」である。
日本での再会(さいさい!)を約束し、ゲートで宮澤嬢を見送った我々は入国ゲートへと向かう。

入国後、まず心配だったのが、言うまでもない「バリトン君」である。
案の定、受け渡し場所に行くがなかなか現れない。一体どこまで心配をかけるのか。。
「まさか本当に一人旅?どこに行きたいの?」
「一人旅で日本に帰ってくれるならまだしも、別の国だったらどうしよう・・」
「でも、取りに行くのも悪くないな。どうせならドイツがいい!」
などと考えつつ30分、ようやく出てきましたよ~。心配していたケースの破損もなく一安心。
ホント、こいつを連れて行くのは手がかかる。気が休まらないよ・・・
気を取り直して手荷物所にスーツケースなどを預け身軽となり、市内へ向かう。

空港から市内へは「CAT」という快速列車を利用した。この列車は3年前にできたとのこと。空港とウィーン中央駅 (Wien Mitte)を30分間隔で運行、所要時間は15分ほど。それにしては大きいTVもあり、広々とした豪華な車内だ。ホームの券売機はドイツ語だったが、「English」のボタンを押したらなんなくクリア。料金は一人8ユーロ。中央駅から更に地下鉄でホテルへと向かう。

ホテルは7区住宅街、Volkstheater駅そばの「マリア・テレジア」。豪華で、かつ落ち着いた雰囲気のホテルである。一息してから散策と行こう。新王宮広場を通り、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト達が愛したケルントナー通りへ。国立歌劇場前にはモーツァルトとワールドカップをモチーフにした看板があった(=写真)。

彼らが訪れたという居酒屋が今も残っていると聞いていたが、残念ながら今回は我慢(泣)。。仕方なくマクドナルドへ(笑)。
ここで面白いものを発見!「ワールドカップ勝敗予想くじ」なるもののレートが書いてある冊子である。
折しも翌日は隣国ドイツで決勝戦。当然のことながらイタリア、ドイツ、フランスなどヨーロッパ勢に地元の期待も込められ、軒並み2倍前後。
ところで、早々と敗退した我が「サムライ・ジャパン」は??あらあら、なんと欄外。200倍。。

ウィーンフィル博物館では、歴代のマエストロが使った指揮棒、シューベルト愛用の眼鏡、ベートーヴェンの年齢ごとの聴力を実際に体験するコーナーなど、貴重&ワクワクするものばかり。最新の技術を取り入れた「バーチャル・コンダクター」も人気であった。実際に指揮棒を手に取り、振ったテンポ通りにウィーンフィルのメンバーが画面で演奏してくれる。体験もしたかったが、8才くらいの男の子が「美しく青きドナウ」や「アイネ・クライネ」をムキになって振っているのがなんとも面白おかしく、人だかりができてしまった。きっとこの子は将来の大指揮者に違いない!
上手に振ればどんどん曲が進むのだが、正確に振らないと演奏も遅くなり、ついには止まってしまう。場面が変わり、ウィーンフィルの演奏者達はこの豆指揮者に、「こんな指揮者とやってられないよ」「あんた、まだ若いね」(と言う意味っぽい)とブーイングをして帰ってしまう。何度見ても面白い光景にギャラリーは笑いの渦に包まれた。

更に歩き、あの有名なシュテファン寺院へ。ついにやってきました。まさに圧巻である。
ここはモーツァルトが結婚式を(葬式も)挙げたところであり、また、地下のカタコンベには、ペストで死んだ約二千体の骨と、ハプスブルグ家の人々の心臓以外の内蔵が保管されているという。怖い物見たさで行くつもりだったが、残念ながら見学の時間が過ぎていて見られなかった。 

国立歌劇場の前には、「巨匠」のリーフレットが床に埋め込まれている。大好きなクナッパーブッシュの前で寝ころび写真を撮り、市内公園を散策してホテルに戻った時、時計はすでに20時をまわっていた。
宮澤嬢は今頃はロシア上空であろうか・・辺りはまだうっすらと明るい。

テレビでショップチャンネルを見ながら、「なんだ、日本と同じだね」などと娘と話しながら視線を下げると、、、
そこには冷蔵庫が!おお、庫内にはドイツビールが何種類も!
「江川さん&浅利君が見たらきっと泣いて喜ぶだろうなあ!」
「ようし、代わりに味見をしてあげよう!」
とWien Mitteで買ったピザ片手に意気込んだ私は喉を潤して間もなく、疲れからか緊張が解けたのか、うとうとしてしまった。

そんなウィーンの夜も、今夜が最初で最後である。

〔復活、鬼太郎〕

久しぶりの演奏

2006-09-18 21:36:11 | MOMO
J-SAXERのメンバーでありながら、スロベニアへ行かないことを決めてから、結構複雑な思いで過ごしてきました。明日の演奏の話を聞いたときも、「私じゃない方が良いんじゃ‥」と、正直思ったり。
練習1日目。
やはり、どこか違和感が‥。悲しい。
 練習2日目。
親分・江川さんが、鬼太郎くんの「暴走」に嬉しそうに(?)笑っている顔を見る。鬼太郎くんののん気な行動。ミヤッチとの気のおけない会話。
 やっぱり、頑張らないとー!!

明日、精一杯演奏します!

〔DOCOMO 改め MOMO〕

久々に…

2006-09-16 18:21:47 | えがわ
今日は久々にJ-SAXER QUARTETのフルメンバーが集まり、練習を行ないました。
新たにアレンジしたプッチーニの《トゥーランドットから“誰も寝てはならぬ”》、いままであたためていたモーツァルトの《ディベルティメントから“アンダンテ”》(←これは熊谷のN氏の編曲)、スロベニアでも演奏した《三文オペラ》、久しぶりのビゼー《カルメン・ファンタジー》、昨年よく演奏した《アメージング・グレイス~アイ・ウィル・フォロー・ヒム(ゴスペル・メドレー)》。
火曜日の夜にとあるプライベート・パーティで演奏します。
〔江川〕