ヴィンセント・デジデリオ
これはもうとんでもない馬鹿である。画家がこれを芸術だと偽り、それで大きな収入とステータスを得ているからだ。
画家自身は何もやってはいない。本霊は座っているだけで、バックにいる霊たちが集団でこの絵を描いているのだ。だから愛も思想も何もない。技術があるだけだ。だが実際のところ、地上の人間の表現では、ここまで写実的に描くことは不可能なのである。
恐ろしく非人間的な嗜好をそのまま、超絶的な技巧で描いている。人間を物体にして平気なのだ。性欲と動物的エゴがむき出しになっている。人間の心を感じないのは、これが集団霊の合作であり、本人の心は全く何もしていないからである。
これに比べればまだウォーホルはましだ。自分で作業をしているからである。
裸の霊魂に他人から盗んだ存在を着せ、自己活動をすべて他の霊がやり、すべてを嘘で作りあげたという、虚無よりも背徳的な存在が表現した世界がこれである。
昔から、霊的ずるで芸術家の顔をしてきた馬鹿はいたが、ここまでくるともう人間というよりも、ハイエナの所業だ。最も汚い馬鹿をやって、女神をさらおうとしているからである。
馬鹿はとうとう、芸術を豚にしたのだ。