世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

薔薇と真珠

2015-01-30 06:56:06 | 色鉛筆の天使
薔薇と真珠





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上弦の紋

2015-01-28 07:09:12 | 色鉛筆の天使
上弦の紋





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森からの便り

2015-01-26 06:46:54 | 色鉛筆の天使
森からの便り






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花の天使

2015-01-24 07:22:35 | 色鉛筆の天使
花の天使





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の木の実

2015-01-22 06:50:45 | 色鉛筆の天使
愛の木の実

カテゴリ「こものの部屋・第3館」に入っている画像には、多少霊的邪魔が入りましたので、色鉛筆の絵のために新しくカテゴリをたてなおしました。
わたしは一応ここで、こちらのブログでの活動を少しの間休止します。しばらくは色鉛筆の天使絵をお楽しみください。なお、当然のことですが、描き手はわたしではありません。

時期が来たらまた帰ってきますので、そのときにまたお会いしましょう。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天使の絵本

2015-01-20 07:17:50 | 冬の日差し・夏の月

かのじょは生涯を通じて、友人と呼べるような人はほとんどいませんでした。けれど別に、淋しさを感じてはいませんでした。人間が、苦手だったからです。

あなたがたにはわからないでしょうが、人間は言葉を話したり、何かをしたりするときに、時々、まるで金物をぶつけ合うような、騒音に似たものを発することがあるのです。それがわたしたちの感覚に入ると、非常に神経が疲れるということがあります。

だから人間と話をするよりも、かのじょは植物と話をするのが好きでした。植物は決して嘘はつかないし、とても美しい調和のとれた愛をくれるからです。

センダンやくすのきや小さなビワの木が友達でした。かのじょには、それで結構十分だったのですよ。彼らはみな、涼やかな本当の愛の心をくれるからです。人間の友達は、そんなに欲しいと思わなかった。

けれど、一時期、かのじょは絵本の読み聞かせボランティアのグループに入ったことがあり、ほんの何人かの同世代の女性たちと、しばしの友情を交わしたことがありました。みなかわいい人で、かのじょは気を使いながらも、結構、彼女らとの交流を楽しんだのです。

気を使うというのは、人間の前では、人間の振りをしなければいけないからです。素直な自分を出してしまうと、典型的な変人か狂人になってしまう。かのじょは一生懸命人間の女性に化けながら、友人たちといっしょに、子供たちの前でパネルシアターを演じたり、絵本を読み聞かせたり、時にはみんなでしゃれたレストランなどにいって、ランチをともに楽しんだりしました。

いっしょにランチなんかにいくときも、人間の女性ってこんなことをするのかと、軽くカルチャーショックを受けていましたよ。かのじょは女性でも、中身は男ですから。

ボランティア仲間の中には、おいしい手作りのパンを作れる人がいたり、外国風のきれいなカップに香りのいいお茶を入れてくれる人がいたり、玄関先の壁や靴箱の上に、きれいな小物を並べてセンス良く飾りつけることのできる人がいたり、かのじょは彼女たちのそういう細やかな女性らしさに、いつも感動していました。

なんてかわいいんだろう、なんてきれいなんだろう。

よい女性は、さりげなく、みんなのために、小さなよいことをたくさんしてくれるのです。

こんな女の子たちを、幸せにしてあげたい。かのじょの胸には、そういう思いがいつも明るく灯っていました。わたしたちは、このように、本当に簡単なことで、馬鹿みたいにまっすぐに、人間を愛してしまうことがあるのです。

なんでもしてあげたくなる。

かのじょは、友人たちのために「ゆきしろばらべに」というグリム童話を、自分風に書き直して、たくさんのかわいい絵を描いて、ブラックパネルシアターの作品を作りました。何でそんなことをしたかって、みんなを愛していたからなのです。それ以外に理由はない

わたしたちが、あなたがたのためにすることは、すべてが、愛です。

「ゆきしろばらべに」は、意地悪な小人に困っていた女の子たちが、小人をやっつけてくれた王子さまと幸せな結婚をする話。それにはかのじょの小さな愛の思いがある。まだ子供みたいな男の子で苦労している女の子たちに、正しい愛の心がわかる、王子さまのようなやさしい男の人と幸せな結婚をさせてあげたい。

かわいらしい夢でしょう。でもかのじょは生きている時、その夢を叶えるために、自分にできることは何でもしていこうと思っていたのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の香り

2015-01-18 07:14:08 | 冬の日差し・夏の月

小女の教育のためと言って、彼女らに何でもしていいというんじゃないですよ、男性のみなさん。暴力などで、女性を愚弄するような愚かなまねを、教育のためだと言ってやるのは、よしましょう。そんなことを考える人はいないとは思いますが、馬鹿な人が勘違いしないとも限らないので、一応言っておきます。

繰り返し言いますが、小女のみなさんは、もう二度と美人にはなれないということを、覚悟しましょう。これからは、その心、そのままの姿になって生まれてきます。それがどういう意味で、どういう運命の中に導かれていくのかは、わたしは言いません。ただ、非常に厳しい人生になるということは、教えておきましょう。

言えるのはただ、寒さも、淋しさも、苦しみも、痛さも、味わってみなければわからないということです。今までさぼってきた宿題を、こつこつとやっていきなさい。勉強をして、女性の優しさとはどういうものかを、きちんと学んでいきましょう。

本当の女性と言うものは、皆には見えないところで、皆のためにとてもよいことをしてくれます。いい匂いのする心が、やさしいことばを言って、皆の心の疲れや痛みをなおしてくれます。そして何も求めません。皆が幸せなら、別に自分は何も欲しくはないのです。

きれいな服も、ブランド物の靴やバッグも、ダイヤモンドもいらない。みんなのために愛を発揮するために、必要なものがあればいい。そして心の愛を育てるために、女性は日々、教養を積み、感性をはぐくみ、魂の勉強をしなくてはならない。そういうことが、わかる女性が、本当の女性なのです。

心の奥から愛の香りが流れ出ていれば、たとえ顔姿が美しくはなくとも、その人は美しく見えます。深い感性を持つ人は、その人の美しさがわかるでしょう。

本当に美しい人とは、美しいことをする人のことです。女性も男性も、そこを深く学びなさい。もう見栄えの美しさだけを頼りにした恋はできないのです。

美しい心、美しい行動、美しい言葉、そこに感性のチャンネルを合わせなさい。美しさを感じる心を調整し、人間の本当の美しさを捕らえられるアンテナを育てましょう。

そうすれば、見栄えは美しくなくとも、とてもきれいな恋ができるでしょう。

まだ勉強のできていない小女のみなさんには、ここまでいくことはまだ無理ですが、人生で味わう色々な苦しいことは、すべて自分のためにあるのだと思いなさい。自分の愛を育て、美しい愛の香りのする女性の魂になるための試練と思いなさい。

いろいろな経験をしながら、本当の美しさとは何かを学んでゆき、少しずつ、自分の魂を育てていきましょう。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小女の話

2015-01-16 07:07:30 | 冬の日差し・夏の月

別館の掲示板で彼が話したことがありますが、人間の女性の中には、人から美を盗んで美人に化け、若くて美しい時だけ人生を生きて、容貌が衰えてきたらすぐ人生を降りて他の霊に投げてしまうという生き方ばかりをしてきた女性がいます。

結婚生活で苦労をしたこともない。育児や老親の世話で苦労をしたこともない。そんな苦労がやってくる前の、男の人にちやほやされて、恋に遊べる若い時だけを生きていく。そんな彼女らは、普通の女性ができることがまだ何もできません。苦労を味わったことなどほとんどないので、人の痛みもわからず、幼稚でわがままで、とても手におえないお馬鹿さんなのです。

彼女らをわたしは、小女(こおんな)と呼びます。彼女らは女性ではありますが、女性ではありません。

女性というのは、女性の苦労を十分に味わい、心の優しさのひだが深く柔らかくなり、勉強を積んで、女性としての使命と特質を十分に理解できていて、みんなのために美しい愛を紡ぐことができる。そういう女性のことを言うのです。

まだほとんど何も苦労をしたことのない小女は、愛もやさしさもまだ十分に育っていなくて、自分を得させることばかり考えていて、自分よりいい女性に嫉妬ばかりしていて、素敵な男性がくると、目の色が変わります。女性としてやらねばならないことはまだ何もできないのに、恋には贅沢を言う。ああ、ため息がでますね。

でも、こういう小女という存在ができてしまったのは、男性のせいなのです。遠い昔、男性は女性が欲しいばっかりに、女性を陥れて、女性に悪いことをさせ、その女性を馬鹿な女性にしてしまったのです。馬鹿な女性だったら、簡単にセックスができると、彼らは考えたのです。

女性は自分が悪いことをして馬鹿になってしまったのがつらくて、自分を馬鹿にした馬鹿な男によってきては、自分を美人にしろ、人生で良い目を見させろと、要求をつきつけ、そして自分が若くて美人でもてもてでいい気になっていられる間しか、人生を生きなくなってしまったのです。

本来なら彼女らも、女性としての勉強をし、だんだんと愛のひだを深くして、立派な女性へと成長していくはずでした。ですがそれを、馬鹿な男がゆがめてしまい、まるで何もできない馬鹿な小女にしてしまったのです。

こんな女性たちを、どうやって立ち直らせ、勉強させて、一人前の女性に育てていくかが、
人類の大きな課題の一つなのです。

これ以上厳しいことは、わたしは言いません。ですが女性のみなさん。もう嘘と盗みで美人になることはできなくなります。美女という存在自体がいなくなるからです。人生を遊びのためだけに使うのはもうやめましょう。そろそろ、本格的な勉強に入りましょう。また男性たちも、彼女らの存在が痛いからと言って逃げてはなりません。かのじょらの再教育のために、できる努力は何でもしてください。その責任が自分たちにはあると思ってください。

つらいから、いたいから、いやだから、と言って、自分の人生から逃げることは、もうできなくなるんですよ。どんなにつらくても、自分の人生は自分で、最後まで生きましょう。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アダムの林檎

2015-01-14 07:07:11 | 冬の日差し・夏の月

男性が、好きな女性の前では何もできないのは、女性に逃げられたり、断られたり、馬鹿にされたりするのがいやだからです。まあ言わずともわかるでしょうが、子供ですね。

長い間、女性をいじめて、劣等視してきた男性は、恋愛やセックスの問題を多く女性に押しつけてきて、男はそんなことは重要視しないものだという感じにしてきたものですから、いつしか恋愛には全く向かないような顔姿になってしまったのです。だから女性が寄って来なくなってしまった。

これは法則上のひとつの真実です。

たまに女性と話をしていても、男性の顔が、女性なんて馬鹿だよ、恋なんてしないよ、なんて言ってるような感じに見えるものですから、女性はすぐに離れていってしまう。どんなに突っ張っても、それがつらくないといえば、嘘になるでしょう、男性のみなさん。

どうにかして、恋をしたい。女性を手に入れたい。そんな欲望が、心の中の暗い方へと流れていって、そこにだれにも触れられたくない濃い闇ができた。そしてそこから、あらゆる男の馬鹿が流れ出てきた。ここではあまり深いことは言いません。きついことは彼が言ってくれるでしょうから。わたしはかのじょに習って、やさしめに言うにとどめておきましょう。

アダムの林檎とは、のどぼとけのことです。エデンの園で、アダムとイヴが知恵の木の実を食べたとき、イヴは実を飲み込んでお腹まで入ったが、アダムは飲み下さずに喉につまった。男性にのどぼとけがあるのはそのせいなんだそうですよ。

もちろんこれは全くの嘘です。神話の隠喩を借りて言えば、先に木の実を食べたのはアダムの方です。イヴはそれに従っただけ。悪いことをしたのは、どちらも同じですが、全てをイヴのせいにして、女より男が偉いにしてしまったのは、男の悪。男と言うものは、こんな嘘を平気でついて、長い長い間女性を苦しめてきて、それを改めることができなかったのです。

その結果どんなことになったかは、もう知っているでしょう。美女という存在がいなくなった。あらゆる女性が、とうとう男性に愛想を尽かしたのです。

子供じみた男の意地の仮面を作って、そんなことは何でもないことだというように、平気のふりを続けていたら、いつか心が芯まで凍りつきますよ。何もかも手遅れになってからでは遅いですが、少しは自分を変える努力をしましょう、男性のみなさん。

林檎を先に食べたのは、男の方ですと、認めましょう。そして女性に、今まで罪を押し付けてきたことを、正直に謝りましょう。たとえ相手の女性に馬鹿にされても、耐えましょう。それくらいの忍耐はしなければなりません。女性はもっとひどいことに耐えてきたのですから。

アダムは林檎を飲み下さなかったのではない。あんまりにおいしくて、つい、木に生っている実を全部食べてしまったのです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひなげしの詩

2015-01-12 07:03:42 | 冬の日差し・夏の月

サビクが、かのじょが花になるとしたら、ひなげしがいいでしょうと、言っていましたが、もしかのじょがそれを聞いたとしたら、少し意外に思うかもしれません。

かのじょは生きていた時、自分は梅か薔薇に似ていると思っていましたから。それくらい、自分は強いものだと思っていたのです。

ですが、残念ながらわたしも、かのじょよりはサビクに賛成します。確かにかのじょには、梅のような潔さも、薔薇のような頑固さもありますが。

しかしかのじょは、梅のように厳しいことはできない。薔薇のように刺を持つこともできない。かのじょのやわらかなやさしい心のひだは、かわいらしいひなげしの花弁に似ている。

咲いたと思ったら、もう次の日には消えている。そんなはかなさが、かのじょにはある。

あなたがたも、感じたことがありませんか。かのじょはいつも、現れたと思ったら、すぐにいなくなったでしょう。ふと姿が見えたと思ったら、もういなくなっていたでしょう。あれはかのじょの癖なのです。みんなのところに、ふとやってきて、ああ、みんな幸せそうだなと思ったら、ふと笑って、何も言わずに、何もせずに、そのまま去って行くのです。

咲いたと思ったら、すぐに散るひなげしのように、見えなくなる。

あなたがたは、かのじょがいなくなったとき、どうしようもなく、淋しさを感じたでしょう。何か、大切なものをなくしたような気がしたでしょう。そして、淋しさを感じる自分がいやで、かのじょを憎んだでしょう。

ほんとうに、あなたがたは、愚かだ。素直になればいいものを。

ほんの少しの勇気さえあれば、友達になれたかもしれないのに。

見えないところからは好きなことを言えるのに、本人の前では何もできない。何でこんなに苦しいんだろうと、暗い所でいつまでも自分の思いをぐつぐつと煮込んでいる。本当に、人間は悲しい。

愛していると感じたら、声をかければよかったのですよ。変にいばったり、かっこつけたりしないで、こんにちはって言えばよかったのです。少し、お話ししてもかまいませんかと。

かのじょは驚くでしょうが、あなたの態度が礼儀正しければ、少しの時間をあなたのために割いてくれたでしょう。そして、すてきな会話ができたでしょう。

お花が好きなんですね。絵本も好きなんですね。すてきなことを、やっているんですね。

かんたんなことでいいのに、人間はものごとに、余計な知恵や技を入れ過ぎて、ややこしいことにしすぎる。

ひなげしが咲いている間に、ただひとこと、友達になってくださいと、言えばよかったのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする