心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

岐阜大仏

2018年02月03日 | 仏像巡り

岐阜市の金華山の麓、岐阜公園の近くに「岐阜大仏」があるそうです。

行ってきました。

岐阜公園前の通りを少し南に歩くと、見えてきました。3階建ての大仏殿です。

お城の天守閣のよう。お寺っぽくない。

正面にまわりました。「千と千尋」に出てきた銭湯のようでもありますね。

大仏とご対面。高さ14m。奈良の大仏より1m低いだけです。鎌倉大仏は11m。岐阜大仏の方が大きい!!!

右手はOKサインのような印を結んでいますが、お釈迦様(釈迦如来座像)だそうです。左手は手のひらを伏せて膝の上に乗せています。

胎内には薬師如来が収められているそうです。

作られたのは江戸時代の終わり頃。このお寺の第11代住職、惟中和尚が、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために大仏建立を発願し、諸国を托鉢してまわりますが、志半ばにお亡くなりになります。その志を12代住職、肯宗和尚が受け継ぎ、あわせて38年かけて大仏は完成したのだそうです。

大仏様を横から見た断面図です。この仏さまは、太さ1.8mのイチョウの大木を心柱として、木材で骨組をつくり、竹をかごのように編んで仏さまの形を作った上に粘土を置き、お経の書かれた紙(経巻)を貼り、漆を塗り、金箔を貼って作られています。

内部は空洞なのだそうです。

高校時代に作った体育祭のマスコットみたいで、手作り感があって身近な仏さまという感じがとってもいいです。

大仏殿内部の壁面には五百羅漢像が置かれています。観客席から大仏様の活躍を応援しているかのよう。

羅漢さんの上にも彩色された彫り物が。インドの仏教説話の場面を表現しているそうです。

岐阜大仏から伊奈波神社に向かう途中、

仏壇店の屋上に金ぴかの観音さまが・・・

川原町を歩いていると、

庚申堂の看板が・・・

入ってみると、そのとおりお堂がありました。

賽銭箱の奧に何か立っています。

近寄ってみると、三猿でした。

江戸時代に庚申信仰が盛んになるのですが、60日に一度の庚申の日は、庚申待ちといって、人々が集まって、飲食や談笑しながら寝ずに夜を明かしました。

人間の体の中にその人の悪事を監視している「三尸(さんし)の虫」という虫がいて、庚申の夜、人が寝ている間に体から抜け出して、罪状を天帝に告げにいくのだそうです。寝なければ虫は体から抜け出せないので、人々は寝なかったのだとか。

「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は、「自分たちの悪事を見たり聞いたり、天帝に言ったりしないで」との願いがあるそうです。

人って、100%善行ばかりというわけにはいかないもの。ついつい、ごめんなさい、というときもありますね。

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