ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

2013年12月29日(退院延期)

2013年12月30日 20時33分52秒 | 親父

本当は12月29日に退院の予定だったが、再採血の結果があまり良くなく退院はもう1日延期となった。

 

この日はメールをした。

 

「今日は残念でしたね。まぁ焦らずに。」(孫の写真を付けて自分より)

 

「ありがとう」(親父より)

 

「でもお正月は(適量で)お酒も飲めそうですね。」(孫の写真を付けて自分より)

 

「自分に取っては、安定剤だからね」(親父より)

 

あまりたくさんはしゃべらない親父だが、メールでもあまりしゃべらなかった。

 


2013年12月28日(家族でお見舞いへ)

2013年12月30日 13時39分25秒 | 親父

採血の結果が良ければ昼ごはんから食事再開の予定だったが、まだお腹の中に細菌がいるらしく今日は見送りになってしまった。久しぶりに「食欲」があった親父だったからそれは残念だっただろう。

 

夕方に自分の家族を連れて病院にお見舞いに行った。

 

子供たちは久しぶりの痩せた姿のおじいちゃんに緊張したのか、それとも点滴姿に驚いたのかあまりしゃべらなかった。それでも親父は「この前カーズ(ピクサーの映画)がテレビでやってたね」と子供たちの好きな話題を話しかけてくれた。車やレース好きの親父も納得のレースシーンだったようだ(さすがピクサーだ)。

 

よく眠れるかと聞いたら「まぁ寝れてるよ」とのこと。ただ「早く寝るから早く起きちゃう」らしい。ベッドからは景色が良く東京スカイツリーや富士山まで見れるようだ。また「他の同室の人達はよく眠るよ」と呆れながら言っていた。

 

その後担当の先生と話しをすることが出来た。先生は経緯や病状を紙に絵を書きながら丁寧に教えてくれた。会う前に親父から「看護婦が言ってたけど、担当の先生は当たりだよ」と聞いていたが、確かに親父の事をよく考えてくれる良い先生だと思った。話しの方は、事前に親父から聞いていたから驚かなかったが、検査結果が悪い場合は余命半年、良い場合でも1年ということも覚悟して欲しいと言われた。

 

とりあえず検査結果が出るまでは退院して自宅に戻ることになる。お腹の細菌が無くなれば早くて明日にでも帰宅出来るらしい。酒とタバコが生きがいの親父なので「家に戻ってから酒とタバコは大丈夫でしょうか」と聞いてみる。先生は少し困った顔を見せるも「やめれるならそれに越したことはないが、それがストレスになるならば、適量なら構わない」との事。

 

おそらく親父の好きな事をさせてあげて欲しいということ。

 

つまり改めて病状は悪く「長くはない」と感じた。


2013年12月27日(久しぶり親父との会話)

2013年12月29日 20時08分57秒 | 親父

病院に向かう電車の中で思い出すのは自分が子供の頃の思い出。

 

親父が帰ってくるのは決まって20時だった。自分は親父が帰ってくるとすぐにそばについて、親父が夕食を食べている横で(当時飼っていた)猫とじゃれて遊んでいた。そしていつもそのまま一緒にお風呂に入った。お風呂では100まで数えるのが自分の役目だった。

 

いくつかの思い出を頭に浮かべていたら時々自然と涙が出た。つられて鼻水もすすったが、風邪の予防の為にしていたマスクのおかげで周りには風邪にごまかせたかな。それでも電車の中だったので涙がこぼれないよう我慢した。

 

「そういえば親父のキレた姿って見たこと無いな」、それに比べたら今の自分は「(子供の前で)イライラしたり、時にキレたりなんかして、やっぱり親父の人格には全然およばないな」。これからは親父を見習ってもう少し大人になろうと思った。

 

雨がパラパラと降っていたので、病院の最寄り駅からはタクシーを使った。

 

病院につくと面談申込の用紙を書いた。寒かったので上手く書けなかった。用紙を提出したら書いた患者名を指して「これ何て読むんですか?」と聞かれた。「賢(けん)です」。簡単な漢字だし、よっぽど字が汚かったんだと思う。

 

病室につくと部屋には4つのベッドがあった。入り口の紙を見たら左奥のベッドだ。

 

カーテンを開けると横になりながら点滴をしてる親父がいた。「おぅ、忙しいのにごめんな」が親父の一言目だった。「今日で仕事納めだし、全然大丈夫、それよりも大変だったね」が自分の一言目だった。10kg痩せたということもありだいぶ頬が痩けていた。

 

それから約1時間半くらい2人でしゃべった。

 

親父はこの入院が人生で初めての入院だったこと。たくさんの検査(MRIや内視鏡検査)などを初めてやったこと。今務めている郵便局が(年末年始)で忙しい時期なので心配だということ。今まで(体調が悪く)空腹感が無かったが今はとても食べたい気分ということ。大好きなタバコと酒が飲みたいということ。親父の親父(自分のおじいちゃん)も膵臓癌だったということ。。。

 

そして「お前の仕事はどうだ?」なんて心配してくる。今はそれどころじゃないだろうと思いながらも「転職してから気分的に楽になって、今は自分の好きなようにやってるよ」と答える。大変な状況なのに子供のことが心配なのかと感じる。

 

ついていたテレビでは年末ということもあり、「今年亡くなった有名人」の特集をやっていて気まずかった。そこで自分の好きな俳優「夏八木勲」さんが出ていたので、自分は「この俳優好きなんだよね、この人も今年亡くなったんだね」なんて言ったら、親父は「この人も膵臓癌だろう」って言ってさらに気まずかった。

 

でも久しぶりにたくさんしゃべれた。感じたのは「膵臓癌」という重い病気に「覚悟」をしているようだった。だからか涙なんかは無く、笑顔ばかりの時間だった。

 

「とにかく良い機会だから、ゆっくり休んで」。

 

本当に心からそう思ってその日はお別れした。


2013年12月27日(発見)

2013年12月28日 19時49分50秒 | 親父

「なんか昨日はうまく寝れなかったよ」

 

2013年12月27日、私はそんな風に妻に言って今年最後の仕事場へ向かった。仕事の途中に「今すぐ帰って横になりたいよ」などとメールもしたが、何とか無事に仕事を終えて帰りの電車を待っていた。

 

そんな時に母親からメールがきた。

 

母親からのメールはあまりない。だから嫌な予感がした。

 

「お父さんが調子悪く昨日から検査入院してます」

 

予感は的中。

 

すぐに母親に電話した。母親は先生からたくさんの事を言われたようで少しパニック状態だった。色々矢継ぎ早に母親から話しを聞いたが、まとめると病院に行った親父はたくさんの検査をして、たくさんの異常値が出たようだ。そして最後に先生から病名を言われた。

 

(母親のメモ、焦りが感じられる)

 

それは「膵臓癌」。

 

病院が大嫌いで風邪をひいても身体が少し痛くても病院へ行かなかった親父。その親父が自ら「病院へ行ってくる」と言って家を出て行った。

 

お腹が張っていて食欲は無く、1年間で体重は10kgも減っていた。それでも仕事に出ていたが、疲れが取れなくなり、腹痛も出てきて、最後は睡眠も上手くとれない状態だった。

 

検査をしたところ、とにかくたくさんの異常値が出た。そして即緊急入院となった。病院も行かない親父だから、64歳にして初めての入院となる。そしてMRIや内視鏡や採血など次から次へと検査をしたようだ。

 

詳細な検査結果と治療計画は来週となる。

 

親父は検査結果が出るまで(私には)内緒にしようとしていたらしい。実は自分も昨年「突発性難聴」を発症したこと、それが原因で転職したこと、実は親父に内緒にしていた。親子という関係は酒を飲んでたくさんの話しもするのだが、肝心な事は「心配させたくない」という思いが強くなり話せないのだ。

 

「やっぱり似てるんだよな」と思いながら、「昨日寝れなかったのは何か感じるものがあったのかな」なんて思いながら、自分は電車に乗って病院へ向かった。


COMPLEXが見せてくれた道を思い続けて

2013年12月19日 22時45分10秒 | 音楽

1988年12月10日に結成を発表。

シングル2枚、アルバム2枚をリリース。

そして1990年11月8日に行われた東京ドームのライブで活動を休止する。

 

結成からわずか2年の出来事である。

それが吉川晃司と布袋寅泰が組んだ「COMPLEX」だ。

 

 

以下は1990年解散後のコメント。

「組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときにはもう勝手にやってという感じだった(吉川晃司)」

「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友達を失くす事はなかった筈なんだよね(布袋寅泰)」

 

2年という短い年月を疾風の如く駆け抜けた2人はまさに「個性の塊」だった。そのぶつかり合いが大きなパワーを放って見るものを魅了したが、大きくなっていく個性はぶつかることに耐えきれず、上記のコメントのように最後は半ば喧嘩別れのような形で華麗なショーは終演を迎える。

 

それから21年後、時間というのは粋な計らいをしてくれる。思い出すことも辛い出来事だった東日本大震災、21歳の年を重ねた吉川晃司が「いつかコンプレックスをやろうと話したこともあり、ならば(震災からの復興を目指している)今しかないだろう」と再結成を布袋寅泰に呼び掛ける。

 

布袋もはじめは「気持ちの整理が付いていない」と返答を保留したが、程なくして「願いは一つ。心は一つ。答えは一つ。やろうぜ」と再結成を承諾した。

 

 

叶うことは無いと思っていた2人の華麗なショーが2011年に再び観れることなった。21年前に見せた「個性のぶつかり合い」ではなく、「同じ方向に共に歩んでいく」というパフォーマンス、それは吉川晃司と布袋寅泰だけではなく、会場にいた全ての観客、そして復興を支援する全ての人々の先陣をきって2人は歩いていくようだった。

 

もう絶対に叶わないと思っていた夢、叶うだろうなんてことさえも思わなかった夢。それでも叶うこともある。だからこそあきらめたり、忘れたりしてはいけないのだ。まだもがきながらも前に進もうと頑張っている人達がいることを、2人が作ってみせてくれた道のことを忘れてはいけない。

 

COMPLEX
COMPLEX
EMI Records Japan

(1stアルバム)

ROMANTIC 1990
COMPLEX
EMI Records Japan

 (2ndアルバム)

19901108
COMPLEX
EMI Records Japan

 (1990年ラストライブ)


ボクシング12/6両国国技館(メインカード)

2013年12月10日 14時54分27秒 | ボクシング

八重樫東vsエドガル・ソーサ

八重樫の2度目の防衛戦は下のクラスで10度も防衛した名チャンピオンのソーサ。戦前の予想は圧倒的不利だった。しかし試合は八重樫の流れるようなフットワークとスピードでソーサを圧倒。元々打ち合いが好きな八重樫だが、時折見せる打ち合いでも集中していて打ち勝った。とにかく終始集中して丁寧に戦っていた。ダウンこそ奪えなかったが文句無し大差の判定勝利。今まで過小評価されていたが、この1戦で八重樫の評価は上がるだろう。強い相手から逃げずに評価を勝ち取る。最近忘れかけていたボクシングの素晴らしさを改めて教えてもらった。八重樫の勝利者インタビューで「つまらない試合しました」と言っていたが、指名挑戦者をテクニックで翻弄、すかっとした気持ちいい試合だった。

 

アラムプロモーター、村田さんと一緒に八重樫チャンピオンや井上くんを世界で売り出してくれないかなぁ。八重樫チャンピオンの観客を熱くさせるファイトスタイル、井上くんの5戦目であの技術あの強さ、人気出ると思うんだけどね!!

 

101%のプライド
村田諒太
幻冬舎

こちらは村田さんの書籍

 

我、弱き者ゆえに 弱者による勝利のマネジメント術
八重樫東
東邦出版

こちらはメインカードの八重樫チャンピオンの書籍  


ボクシング12/6両国国技館(アンダーカード)

2013年12月08日 22時10分28秒 | ボクシング

井上尚弥vsへルソン・マンシオ

5戦目で東洋太平洋(OPBF)タイトル戦。相手は同級2位で比国王者のマンシオ。序盤から圧倒的な力の差を見せつける。2Rにはダウンも奪い早くもKOは時間の問題と思わせたが、さすがは比国王者、ボディも顔面も効いているのだがなかなか諦めない。でも最後は5Rお見事怒濤のラッシュでレフリーストップTKO勝利。やはり一つ飛び抜けた才能を感じさせる。今回の出来に更にパンチの強弱があればもっと早く倒せたかも。経験値としてはいい相手だった。

 

村田諒太vsデイブ・ピーターソン

村田2戦目はミドル級本場アメリカからきたまずまずの戦績を持つピーターソン。序盤は相手の巧みなディフェンスにペースを掴めなかった村田だが、中盤に左ジャブでリズムをつかんでペースを掴み取り、最終回にこちらもお見事怒濤のラッシュでレフリーストップTKO勝利。不用意にパンチをもらったりと多少ばたつくスタイルも、固いガードも突き抜けるパンチの当て感はピカイチ。まだ2戦目なので比べるのはどうかと思うが、私はエドウィン・バレロに通ずるものがあると感じている。誰もが倒せないと思った相手を最終回に倒してしまう。やはりスターの輝きを持った選手だ。

 

101%のプライド
村田諒太
幻冬舎

こちらは村田さんの書籍

 

我、弱き者ゆえに 弱者による勝利のマネジメント術
八重樫東
東邦出版

こちらはメインカードの八重樫チャンピオンの書籍  


亀田大毅の世界戦、悪いのは誰か??

2013年12月04日 22時31分00秒 | ボクシング

昨日の3大ボクシング世界タイトルマッチ。

 

高山勝成の初防衛戦、亀田知毅の初防衛戦、そして亀田大毅の(IBF、WBA)世界統一戦。

 

IBF王者の亀田大毅は同じ階級のWBA王者リボリオ・ソリスとの対戦。ソリスは決して強いチャンピオンと思わない(私は河野戦も河野が勝ったと思っている)が、長男である亀田興毅のように対戦相手が下位で無名のランカーではないし相手としては文句は無し、逆に「亀田一家にしては良く決めたな」と対戦を喜んだ。もちろん3つの試合の中でもこの試合が1番の楽しみだった。

 

しかし、

 

 

まずはソリスが前日計量で体重オーバー。1回目の計量で1.4kg、2回目の再軽量でも1.0kgオーバー、しまいには逆ギレして水や(コーラ?)をガブガブと飲む始末。この時点でせっかくの統一戦も「暗雲が立ちこめる」。

 

それでもTBSは「統一戦」として放送、ソリスの失態により複雑になったこの一戦、番組内でも(1)亀田が勝利すれば亀田がIBF・WBA統一チャンピオン、(2)引き分けの場合は亀田はIBFチャンピオンのままソリスはWBA剥奪、(3)亀田が敗戦した場合は両タイトルともに空位となる。と何度も言っていた。

 

試合は減量を無視した元気いっぱいのソリスが手数で亀田を圧倒。両者の体重差もはっきりと見えて亀田にとっては(少し)可哀想な感もあったが、パワーとは別に完全に技術の差が出た試合だった。この展開にはさすがのTBSの解説である鬼塚や佐藤も採点予想を聞かれ歯切れが悪かった(笑)。

 

そして相変わらずの判定となり採点の発表となるのだが、またまた採点発表まで時間が掛かる掛かる。またまたこのまま番組が終わってしまうのでは??と不安になった頃、やっと採点が発表された。何度か言い間違いもあり「おいおいこの採点大丈夫かよ」と思ったが、結果は2-1でソリスを支持、亀田一家は珍しく判定を持っていかれた形となった。

 

 

この時点では、「ちょっと可哀想だな」「今度は正規の体重で再戦させたいな」などと同情していたが、目を疑うニュースが飛び込んできた。

 

「IBFは挑戦者の立場でもあるソリスが計量失敗したため、勝敗に関係なく、負けた大毅がIBF王座を防衛したとみなす」

 

えっ、

えーーーーー???

 

TBSはあれだけ「亀田が負けたら空位になる」と言っていたのに、亀田は負けても防衛成功となったのだ。発言元のIBFは「王座が空位になると言ったつもりではないが、私の説明が間違えていたというならそういうことだろう」とこれまた逆ギレ状態。もう何もかもわけわからなくなった。

 

何度もトラブルを起こしてきた亀田一家。

ただし今回の件は亀田大毅に非があるとは思わない。

 

まずは体重超過した挙げ句に逆ギレまでした「リボリオ・ソリス」、お前はチャンピオンの資格なんて全く無い。この試合をぶち壊した張本人、勝利して亀田一家に向かって煽っていたが、ふざけるのもいい加減にしろ。

 

次にぶち壊れた試合のルールを曖昧にし、後味の悪い結果にした「IBF」、IBFは他の団体よりルールに厳格じゃなかったのかい??これじゃあ日本が加盟したメリットなんて無い。亀田一家の騒動で揺らいでた日本ボクシング界をさらに冒瀆した。

 

最後にぶち壊れた試合を視聴率が欲しいが為に都合の良いように放送した「TBS」、この前の長男の試合も突然判定方法が変更(0.5点ルール??)になったり、判定発表前に番組終了となったり、何度も何度もトラブっているじゃないよ。おかげで完全にボクシングファンは減っているよ。毎度のことだが実況や解説人の完全なる亀田贔屓の発言や、亀田一家にヘラヘラしている赤井、本当に見ていて気持ちが悪い。

 

ボクシングはもう終わったかもしれない。

 

もし一筋の希望があるとすれば、姿を隠している亀田大毅が(ピューマ渡久地よろしく)「気に入らないなら(IBFのチャンピオン)ベルト返してやるよ!」と言って、ちゃんと正規なルールでベルトを獲得して欲しい。どんなことがあってもベルトにしがみついてきた亀田一家、さてこれからどうなることやら。

 

 

ピューマ渡久地。。。あの頃はボクシングも面白かったな。