ソウルの空の下

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日本文化のエッセンス

2016-02-28 17:48:31 | 日記

前回は応仁の乱で京都がすっかり荒廃してしまったという、哀しいお話でしたが、室町時代はご存知のように日本文化の代表的なものとされる茶道、華道、絵画、能などが誕生した画期的な時期でもありました。文化財を直接見るのは難しいこともありますし、まして写真に撮るのは禁じられていたりして残念ですね。まず茶道と言えば、「京都の大路、小路」でも触れた堀川寺之内あたりには様々な文化財が残っています。表千家の不審庵を撮っているとき、どなたかが中から出てきたので木戸口から中に入って撮影していたら、近くにいた警備の人から「ここは入って写真を撮ってはダメ」と言われてしまいました。それでも撮ったらもうしょうがないですね。茶室内部の写真は学院の生徒さんがお茶を習っていて、実際の茶室内部を撮ってくださいました。茶道で言われる「わび・さび」というものはよくわかりませんが、庭園や建築を始めいろいろな文化表現の中に溶けこんで、バックボーンになっているとも言われます。生け花は池坊専慶という人が始めたものとされますが、四条烏丸近辺には池坊短大や池坊会館があります。作品は先日京都駅の新幹線コンコースで展示されていたものを撮影しました。足利義満が観阿弥・世阿弥父子のスポンサーとなって能という演劇を大成したことは知られていますが、岡崎にある観世会館は閉まっていたので、ポスターだけ撮りました。こう見えても昔、謡曲を習おうと思ったことがあって、能楽堂には時々足を運んだものですが、自分が稽古をしているときは一生懸命になりますが、人が演じているのを見るのは眠くなってしまうことがよくありましたっけ。能の世界はあの世から死者が甦って語りかけるという不思議な設定が基本となって、考えてみると魅力的な世界でもあります。絵や彫刻、書や工芸作品などをまとめて見ようとすれば、やはり京都国立博物館にでも行くしかありません。博物館の建物自体が1897年に竣工したフランスルネサンス様式のレンガ造りの建築という文化財ですが、展示品も京都の各寺社が所蔵している重要な文化財が集められています。それにしても、日本には国立博物館が東京、京都、奈良、九州の四か所しかないんですね。韓国には各地方にたくさんあるような気がしますが…。足利政権下で朝鮮通信使が3回京都を訪れましたが、その後戦国時代にも何度か往来があり、秀吉の侵略以後は途絶えましたが、徳川時代に復活して日本文化に影響を与えたことは知られています。江戸時代の通信使一行が宿泊したのは、不審庵近くにある「本法寺」や「大徳寺」、写真はありませんが本圀寺、南禅寺なども宿舎になって文化人たちの交流の場となったようです。大徳寺山門は二階の部分を「金毛閣」と言って千利休が寄進したものだそうです。寺側でその礼にと利休の木造を安置したところ秀吉がその下を通って寺に入るとき、利休の足元をくぐることになると腹を立て、切腹を申しつけたという話が有名です。それだけの理由ではないかもしれませんが、あちこちの文化財、遺跡に様々なエピソードがあって、それらを訪ねて実際に目にするのは「老後の楽しみ」にはもってこいです!さて、この後は織田信長、豊臣秀吉、江戸に幕府ができて以降、三都の一つとなった京都の文化、産業や維新のドラマ、そして文明開化の足音などを今に残す数々のスポットを写真に撮ってきましたが、いよいよ教室をクローズする日が近づいて、何かとバタバタしていますので、しばらく間をおいてからまた再開することにいたします。でも次は韓国からの便りになってしまうかもしれませんね…。

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2 コメント

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アラアラ (ミル・イン・ヘブン)
2016-03-06 08:39:41
渾身の京都案内、続きはソウルからですか?!おおいそがしのうえ、花粉症の季節にもなったので、おんみたいせつにしてくださいね。
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ウルウル (花粉翁)
2016-03-06 09:34:21
実は1月から花粉症の薬を飲んでいまして、発症を抑えていたと思っていましたが、今日あたりはまたずいぶん濃くなっているようです。トホホ。でも韓国に行けばスギ花粉の襲撃はなさそうです。代わりにPM2.5が直撃するという噂に慄いています。どこにも逃げ場はないのでせうか?
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