昨日、天皇・皇后両陛下がサイパンの訪問から帰国されました。
サイパンでの戦没者に対しての慰霊の訪問でした。
現地の反応は、テレビのインタビューでは、
「これで本当に戦後が終わった感じがします」
と現地の日本人会の方が話していました。
予定ではオープンにされていなかった、
沖縄と韓国の慰霊碑もご訪問されました。
これにより日本人・アメリカ人・韓国人の慰霊をされたわけですが、
外国の方の反応はどうだったのでしょうか。
皇室外交の成果にちょっと触れてみます。
もちろんJJの話ですから、
「タガログ語を話す国」のことなんですが・・・
この間も「タガログ語を話す国」で、
元日本兵発見!の話題がありましたので、
皆さんにも記憶に新しいと思いますが、
終戦後は日本人なんて名乗るのが恐いほど、
日本人は嫌われていました。
当たり前のことなのですが、
戦争中はフィリピン人と日本人は、
お互いに殺しあっていた相手です。
しかも軍事物資の少ない南方での日本軍でしたから、
鉄砲の弾ももったいないので、
出来るだけ銃剣で相手を刺し殺す惨い戦争でした。
これって相手の顔が間近ですから、
どちらにとっても辛い出来事だったでしょうね。
終戦といっても、その日を境に個人的な友好関係が回復するわけではなく、
双方に肉親を殺された恨みは当然残ります。
それでも戦勝国の兵隊ならば、そうはならないでしょうが、
敗戦国の兵隊は、何をされるかわかりません。
終戦を向えていますから、やり返される心配がないのですから、
当然日本兵の残党狩りが各地で起こります。
元日本兵が日本人と名乗れなかったわけですね。
1956年に日比賠償協定が調印されて、
「タガログ語を話す国」と国交回復をしました。
この時、在留邦人としてわかっていたのは250人だけです。
毎日何便も飛んでいる飛行機の、一機分の乗客数よりも少ないですね。
そうそう、当時のフィリピンは今のイメージじゃなかったんですよ。
終戦時は1ドル=1ペソだったんですから、
終戦11年のこの時だって、日本よりずっとお金持ちでした。
だから嫌いな、というより元敵国の日本となんか、
特に経済交流なんて希望していませんでした。
他のも国なんて沢山ありますからね。
日比賠償協定後も日本に対しての改善は見られませんでした。
ところが1962年に、現地の人々の日本に対する印象が、
ガラッと変わる出来事が起こります。
当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)と美智子妃殿下の皇室外交、
フィリピン訪問です。
この時の両殿下の姿を見て、あちらの人々にも、
日本を理解しようという動きが生まれました。
1966年にはフィリピンでの日本の通商活動が承認され、
この時、戦後初めて現地に日本企業の支社・支店の開設が許されます。
皇室外交には賛否の意見があるようです。
でも「タガログ語を話す国」戦後史には、
大きく貢献した実績があります。
韓国でも中国でも、日本の国旗や小泉さんの写真は燃やせても、
日本の皇室への配慮はしているようですね。
もっとも、日本の国内にも民主党の管さんみたいな、
発言をする人もいますけれど・・・
サイパンでの戦没者に対しての慰霊の訪問でした。
現地の反応は、テレビのインタビューでは、
「これで本当に戦後が終わった感じがします」
と現地の日本人会の方が話していました。
予定ではオープンにされていなかった、
沖縄と韓国の慰霊碑もご訪問されました。
これにより日本人・アメリカ人・韓国人の慰霊をされたわけですが、
外国の方の反応はどうだったのでしょうか。
皇室外交の成果にちょっと触れてみます。
もちろんJJの話ですから、
「タガログ語を話す国」のことなんですが・・・
この間も「タガログ語を話す国」で、
元日本兵発見!の話題がありましたので、
皆さんにも記憶に新しいと思いますが、
終戦後は日本人なんて名乗るのが恐いほど、
日本人は嫌われていました。
当たり前のことなのですが、
戦争中はフィリピン人と日本人は、
お互いに殺しあっていた相手です。
しかも軍事物資の少ない南方での日本軍でしたから、
鉄砲の弾ももったいないので、
出来るだけ銃剣で相手を刺し殺す惨い戦争でした。
これって相手の顔が間近ですから、
どちらにとっても辛い出来事だったでしょうね。
終戦といっても、その日を境に個人的な友好関係が回復するわけではなく、
双方に肉親を殺された恨みは当然残ります。
それでも戦勝国の兵隊ならば、そうはならないでしょうが、
敗戦国の兵隊は、何をされるかわかりません。
終戦を向えていますから、やり返される心配がないのですから、
当然日本兵の残党狩りが各地で起こります。
元日本兵が日本人と名乗れなかったわけですね。
1956年に日比賠償協定が調印されて、
「タガログ語を話す国」と国交回復をしました。
この時、在留邦人としてわかっていたのは250人だけです。
毎日何便も飛んでいる飛行機の、一機分の乗客数よりも少ないですね。
そうそう、当時のフィリピンは今のイメージじゃなかったんですよ。
終戦時は1ドル=1ペソだったんですから、
終戦11年のこの時だって、日本よりずっとお金持ちでした。
だから嫌いな、というより元敵国の日本となんか、
特に経済交流なんて希望していませんでした。
他のも国なんて沢山ありますからね。
日比賠償協定後も日本に対しての改善は見られませんでした。
ところが1962年に、現地の人々の日本に対する印象が、
ガラッと変わる出来事が起こります。
当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)と美智子妃殿下の皇室外交、
フィリピン訪問です。
この時の両殿下の姿を見て、あちらの人々にも、
日本を理解しようという動きが生まれました。
1966年にはフィリピンでの日本の通商活動が承認され、
この時、戦後初めて現地に日本企業の支社・支店の開設が許されます。
皇室外交には賛否の意見があるようです。
でも「タガログ語を話す国」戦後史には、
大きく貢献した実績があります。
韓国でも中国でも、日本の国旗や小泉さんの写真は燃やせても、
日本の皇室への配慮はしているようですね。
もっとも、日本の国内にも民主党の管さんみたいな、
発言をする人もいますけれど・・・